第五話 落武者源六の辻斬り三昧 前編
茜は、旅籠屋に居座ったまま、日にちが経つのをあまり気にしていなかった。辻井栄之助の正体が気になって仕方なかったが、本人が自分のことを何も語らないので、つい聞かずにいるうち、半月ばかりが経ってしまった。
この宿場には、絶えず、妖が蠢いているようであるが、その大元がなんであるか、茜には掴みかねるものがあった。
そのうち、旅籠屋前の通りで夜半に辻斬りがあったという噂が経った。殺されたのは、江戸からの旅人らしい。首をばっさりと切り落とされていて、ただの盗賊の仕業でないことは明らかだった。
茜は、その骸を見せてもらった。やはり妖気が染みついている。
茜は、あまりにも居ついてしまって、遠慮がない。にぎり飯を頬張りながら、囲炉裏の前でくつろいでいた。そして腕組みをして座っている辻井栄之助の顔をちらりと伺った。
「なんだ、俺の顔に何か、付いているのか」
茜は、にやっと笑うと、
「そんなことはないけど。昨晩の辻斬り、どう思う?」
と尋ねた。
「なんだ、俺が知るわけないだろう……」
と辻井栄之助は、つまらなそうに呟いた。
「あの切り口は相当な腕だったね。そのうち、あなたがやったんじゃないかなんて噂が立つんじゃないかしら」
「それはどういうことだ。俺は辻斬りなんて知らんよ」
「わたしは妖の仕業じゃないかなぁと思うんだけど」
「茜!」
辻井栄之助は、床を叩き、ばんと大きな音を立てて、茜の方に向き直った。
「勘違いするな。俺は、妖怪退治をしているのではない。お前とは生きている世界が違うのだ」
茜は、へえ、と思った。
「それなら何をしているの。こんなところに長居していて……」
「それは……」
辻井栄之助は、ふんと唸ると、煙管を手にして、また背中を向けてしまった。
「お前には関係のないことだ!」
茜はこれは面白いと思った。徳川の治世になってから二百年以上が経っているこの世に、まだこんな強情なお侍が生き残っていたとは、と茜は愉快に感じられた。そこで、あえて泣き真似をしてみることにした。
「うっ……」
「ん?」
栄之助は、小さく驚いた声を漏らし、振り向いた。茜は、横を向いて、偽りの涙を流し、袖で拭いている。
「どうした、おい……」
「関係ないだなんて……、ひどいわ。ううっ」
栄之介は唖然として、なんと言ったら良いのか分からず、とりあえず、煙管を置いた。
「いやいや、茜、違うんだ。そういうことじゃないんだ。俺は、別にお前を責めようと思って申したのでは……」
「あなた、わたしのこと、嫌いだったんだね……」
「何をそんな……、やめてくれ、悪かったよ。俺の言い方が悪かったって。俺がお前のことを嫌いなわけないじゃないか」
茜はそこで、くすくす笑いだした。栄之助は嘘泣きに気づくと、顔を真っ赤にして立ち上がり、怒って逃げるように部屋に引っ込んでしまった。
(栄之助は面白い……)
しかし茜は今夜も辻斬りが出るのではないかと予感していた。それというのも、強力な妖気が漂っているのである。もし、相手が大物であるなら、辻井栄之介の助けを借りたいところなのだ。
(まあ、わたし一人でも、上手くさばいてみせるよ)
夜中、茜はくノ一の装束に身を包み、旅籠屋から飛び出すと、月明かりを頼りに歩いた。昼間は賑やかなこの通りも、まるでみんな死に絶えてしまったように静かだ。
(誰もいない上に、思ったよりも、妖気が感じられないな)
茜は、自分の勘が外れたかと思って、緊張が解けてゆくのを感じた。
半円の月が美しく、もやのような雲を白く照らしている。
その時、背筋に妖気が触れた。
(まずい!)
茜が間一髪、宙に飛び退くと、足の下で白い光が宙を舞っていた。それは刀身の煌めきだ。茜はすぐさま、後ろの方向に手裏剣を三つ飛ばした。
手裏剣は、空中でなにかに当たり、地面に落ちた。
(何者だ!)
茜は、暗闇の中で、相手がなにかを見定めようとするが、黒い影が高速で迫ってくるのが見えた。
茜は、焦って日本刀を構えると、相手の懐めがけて、刀を振り下ろした。
手応えはなかった。
茜は、左脇が切り裂かれたようだった。激痛に、悲鳴を上げると、まともにやり合える相手ではないと判断し、そのまま、闇に向かって走った。
相手は追ってこなかった。
「そりゃ、落武者の源六だよ。昔ね、この付近の村人は、落武者狩りをしてたんだよ。それで、源六ってのは、武田家に仕えるお侍えだったらしいんだが、負け戦のあとに、竹槍の餌食になったってわけさ。それが、どうも祟るっていうんで、村のもんで供養塔をつくったんだが、この前の辻風で、倒れちまったのよ」
と旅籠屋の店主は、いつになく饒舌に語る。
「じゃあ、その供養塔とやらを直したらどう?」
と茜は、傷口に三平がつくった練り薬を塗りながら言った。
「それもすぐにはできねぇよ。まあ、和尚さんに相談してみるけども……」
こういうことは予想を遥かに超える時間がかかるもので、今日明日でどうにかなるものではない。茜はそうこうしているうちに、死人が山を成すように思えて、どうにか自力で解決できないか、と考え込むようになった。
そのうち、手裏剣がなにかに当たって落ちたのは、落武者源六が鎧をまとっているからではないか、と考えるようになった。
(鎧の隙間を突き刺さなければならないんだ……)
茜は、夜目がきかなければならない、狙いどころを一発で突き抜けなければ勝てはしない、と思うようになった。
宿場町から一里ほど走った田んぼに囲まれた土手の中で、茜はただ一人、武術の鍛錬に時間を費やした。
「妖退治のために、武術の鍛錬か……」
その声に振り向くと、辻井栄之助が腕組みをして立っていた。
「なんの用? 今見ての通り、忙しいんだけど」
「まあ、そう言うな。お前が一人で苦労していると聞いて、力になれないものかと思って来てやったんじゃないか」
「ずいぶん、上から目線だけど。で、何してくれるの?」
茜は、辻井栄之助の性格が分かっていたが、わずかに腹が立った。そもそも、妖退治の誘いを断ったのは己ではないか、と言いたくなる。
「一人で、練習していても大した成長はないだろう。俺が相手になってやる」
辻井栄之助はそう言って、竹刀を取り出すと、くるりと振るった。
「そう」
「手加減してやろう。そちらは遠慮せんでいいぞ」
「わたしを舐めないでよ。やるならお互い真剣にやるんだよ」
「何を……」
二人は口喧嘩をしながら、竹刀を構えた。そして長閑な田んぼに囲まれた土手の上に異様な静寂が生まれた。二人は、鋭く見合ったまま動かなかった。次の瞬間、空気が破裂するような音がしたかと思うと、二人は先ほどと異なり、背中合わせに立っていた。
「やるな……」
「あなたこそ……」
二人は、手を取り合うと、先程の口喧嘩も忘れて、笑い合い、そのまま並んで川の方へと歩いていったのだった。
「落武者源六の辻斬り三昧 前編」完