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第四十八話 蜘蛛八とユズナ

 ユズナは、窓を閉めると、暗い岩屋の座敷の中で、行灯の明かりをじっと見つめていた。そして真紅の浴衣から一匹の野鼠を引っ張り出し、岩肌の床に放り投げた。


「蜘蛛八……人間になりなさい……」

 たちまち蜘蛛八は、元の山賊の姿に戻った。

 ユズナは、濡れそぼったような黒髪をかき上げると、浴衣から純白の谷間を露わにして、しなやかな体を蜘蛛八にそっと寄り添わせた。

「何を……」

「お前の愛が欲しい」

「御寵愛は野鼠の時だけど決まっているものを……」

「そんなこと、決めた覚えないわ……」

 とユズナは微笑むと、蜘蛛八に小さな身を預ける。蜘蛛八は真っ赤になって、そっぽを向いたが、あまりにも静かだったので振り向き、ユズナの肩をそっと掴んだ。

 ふたりはぎこちなく顔を見合わせる。ユズナの甘美な吐息が、蜘蛛八の鼻をくすぐるようだった。そして蜘蛛八の荒っぽい心拍が、ユズナの左右の柔らかな乳房にどくどくと振動を優しく伝えていた……。


「こ、こんなことをしてる場合じゃねえんじゃ……」

 と蜘蛛八は、ユズナの体を引き離した。するとユズナは蜘蛛八の手を掴んで、身をぐいっと乗り出した。

「あたし、死ぬかもしれないから……お前の愛が欲しくなったんだ……」

 ユズナは震える声でそういうと、蜘蛛八の怯えている目をじっと見つめた。


 蜘蛛八の首元にユズナのはだけた襟元が重なってきて、目のやり場に困った。覆い被さるユズナを膝から下ろし、胸に強く抱きしめると、蜘蛛八の眼下で、めくれ上がった真紅の浴衣から、浮き上がった肩甲骨が美しい陰影を作り出しているのが見えていた。

 乱れた裾も、しなやかな尻まで露わにして、それは冷たくなっているように思えた。細長い純白の素足は行灯の光を受けて、いまや艶めかしく床に投げ出され、風が起こる度、光と共に揺れ動いているようにさえ見えた。


「わたしは死ぬのを怖がっているけれど……お前はきっと別なことを怖がっているんだね……」

「それはただユズナ様がこわいんです……」

「違うな……愛されるのが怖いんでしょ」


 そう言って、もう一度、ユズナの怯えた瞳が迫ってきた。それは神秘的な光をもって美しく動揺している。ユズナの呼吸は細かく乱れていた。ふたりは顔を近付けた。ふたりとも怯えているのがわかった。

 蜘蛛八は、ついに観念すると、ユズナの肩を優しく抱きしめるようにして、そのままユズナの柔らかい唇へ自分を重ねていった。


 ……それからふたりはほんの一瞬、愛とは何か考えることも忘れてしまった。


 しかしながら、すぐにユズナは蜘蛛八をさっと引き離すと、はだけた真紅の浴衣を手早く直して立ち上がり、意味ありげに行灯の光を見つめていた。それはこの世のものではない美しい顔だった。


「あたしはね、今、あなたと愛を語ってようやく死ぬ覚悟ができたよ。心残りは何もないって感じさ……」

「どうか死なないでください。ユズナ様……」

「あんたも生き伸びなよ……」


 ユズナは震える声で呟くようにそう言うと、涙を浮かべて微笑み、窓を開けて、丸い穴から外に飛び出していった。

「ユズナ様……」

 蜘蛛八は不安を抱いた。ユズナをもう一度抱きしめたいと思った。しかしそれはもう叶わないような気がした。


(死が近づいている……)


 旗本衆が砦の横堀を突破したという知らせが、蜘蛛八の元に届いた。蜘蛛八は、立てかけていた槍を持って、洞窟内を一気に駆け降りていった。そして最下層へとやってきた時、そこで仲間の山賊たちが、岩壁に開けた狭間から外に銃撃しているのが見えた。


「横堀が突破されたのか……」

 仲間の竜五郎は、その言葉に静かに頷くと、鉄砲を構えた。


 大砲の音が響いてきた。城門と化していた観音開きの出入り口に重い鉄球がぶつかって、めり込んだようだった。そして、ぐらりと音を立てて、大穴が空いた。


「ユズナ様の結界はどうしたんだ……まさかユズナ様はもう……」

 蜘蛛八はそう叫ぶと、嫌な予感が頭の中を支配した。彼は真っ青になり、頭を抱えた。


「そんなはずはない! そんなはずは……」

 竜五郎が驚いて蜘蛛八の顔を見上げた。

「何を考えているんだ。冷静になれ!」


(ユズナ様は……)


 その瞬間、狂気に取り憑かれたように、蜘蛛八は他の仲間が止める隙もなく、岩壁に空いている丸い穴から外へと飛び出した。呼び止める声は風にかき消されてしまった。

 外は鉄砲の弾丸の嵐だった。そのまま彼は血反吐を吐きながら、堀の底へと一気に転落した。


(そんな……)

 蜘蛛八の意識はそこで途切れた……。

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