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第四十六話 鈴音欺かれる

 ユズナの山賊衆は、旗本の百騎の部隊にもびくともしなかったとあって、巷で評判となり、さらに仲間が増えて、総勢二十四人にまで膨れ上がった。これらはユズナ二十四将とユズナ本人が名付けた。その全員がユズナに魅了されていたので、ユズナは岩山の洞窟内で女王の如く得意げに振る舞っていた。


 それでもユズナが可愛がっているのは、最初の蜘蛛八、竜五郎、犬吉の三人で、いずれも野鼠に変化させて、いつも浴衣の中に隠していた。


「お前たち、鼠のままの方が可愛いぞ。これからはもう人間に戻らなくていいよねぇ」

 と謎に高圧的な口調でユズナに言われて、蜘蛛八は慌てて「勘弁してくだせえ!」と叫んだ。


 浴衣から引き出された蜘蛛八は、久しぶりに娑婆の空気を吸った。とはいっても洞窟の中であった。ユズナはあぐらをかいて、煎茶を啜りながら、真紅の丸机の上の蜘蛛八の背中を撫でている。

「蜘蛛八。ここでお前をわたしの好き放題、可愛がってやるのもいいが、このユズナを討伐し損なった幕府軍は、すぐにもっと大規模な軍勢を送ってくるだろう。なにしろ甲州道中を占拠されているとあっては道中奉行の大目付の面子が立たないからな……」

 ユズナはそう言うと、螺鈿のついたキセルを取り出して、煙草の準備を始めた。


 この時代、道中奉行は大目付が兼任していた。時の大目付、榊原忠之は今、大規模な軍勢を送ってくる準備をしていることだろう。


「どうするんでっか……」

 ユズナはその野鼠の臆病な言葉に笑い声を上げた。

「敵が百騎どころか千騎、万騎になろうとも、このユズナの幻術は打ち砕かれることはない。その度、死人の山が築かれるだけさ」

 その恐ろしい言葉に、蜘蛛八はぷるぷると背中を震わせていた……。



           卍



「大目付の榊原殿のおっしゃる通り、ユズナというおなごは決して常人でございませぬ。妖の類でございます。それならば僧侶と幕府の御庭番たちの仕事。まずは彼奴の幻術を打ち砕いて、そこに旗本衆を攻め入らせるというのが手筋。しかし今、幕府の御庭番、伊賀者も甲賀者もこの大平の世の湯に浸かり、幻術の力いよいよ衰えて、ただの隠密に成り下がってしまいました。そこで、早急に幻術の使い手を募集したところ、忍びの噂で、風魔一族の末裔に白羽の矢が立ちました。くノ一七人衆の中で特に秀でていた風魔茜と風魔雫の姉妹とやらを探し出してこいと命令したのでありますが、一向に見つかりませんでした」

 と老中、水野忠成は言った。

「ところが今朝になり、とある伊賀者の話によりますと、茜と雫は今、甲州道中のとある宿場に逗留しているとのことです。急ぎ御庭番を走らせたので、ふたりのくノ一を雇用して、これでどうにか片をつけようと言うところでございます」

 話を聞いていた将軍徳川家斉は、ふんっと鼻息荒く、静かに頷いた。


「奇妙なことが続いている。このところ異国船の襲来が続いており、冷害も甚だしく、大飢饉の予兆すらある。そうしたら、今度は妖術使いのおなごごときに幕府が振り回されているときた……。天保の世は実に不吉なものになりそうだ。第一、風魔小太郎の末裔に将軍家が頼みごとをするなどと言うことが、この二百年あまりの徳川の治世のうちに一度でもあっただろうか……」

 家斉はまるで思いつかなかった。


 それから家斉は大奥へと向かった。そして将軍家斉は、大奥女中で御中﨟(おちゅうろう)の鈴音に御小座敷で面会した。


 鈴音は、情報を握るために大奥女中として潜入していたが、その並外れた美貌から家斉の目に止まり、御中臈となっていた。男勝りな性格の鈴音も、こういう時には淑やかに振る舞っている。


 ……家斉は、鈴音の白い首筋や美しい鎖骨をまじまじと見つめると、

「お鈴……お清の者は引き下がらせておる……」

 と囁いたので、鈴音は驚いて、

「な、何故ですか?」

 と家斉の顔を見下ろして尋ねた。

「実はそなたに聞きたいことがあるのだ」

 と家斉は、ぐいっと顔を寄せると、鈴音の目を見透かしているように言った。

「聞きたいこと……」

「そなたが風魔一族のくノ一だということは存じておる。茜と雫という姉妹のことを聞きたいのだ……」

(将軍様ではない……)

 まずい、と焦った鈴音は(かんざし)を取って振り回そうとするも、細い手首を家斉にぐいっと抑えられる。人間の握力ではない。しまったと鈴音は思ったが、時は遅し。身動きを取ることも困難。


「松林辰影ばかりでなく、将軍様にまで化けるとは……」

 家斉は、冷や汗をかいている鈴音の顔をじっと見つめるが、それはもはや冷たい死人のもので、松林辰影の顔に成り変わっていた。本物の将軍家斉はどこへと消えてしまったのだろうか。


「茜と雫の居場所は分かっている。甲州道中の宿場に逗留している。今度の山賊の騒動で、上手いこと幕府に取り込んで、ふたりともわが手中に収める時が来たのだ……」

 そのように語っていた化け物の顔が視界から消えると、たちまち鈴音に呪力が襲いかかってきた。

 鈴音は、自分の肉体から、徐々に化け物に力を吸い取られてゆく気がした。

(なんてゆう呪力だ……これではどうすることもできない……)

 そのまま、鈴音は気を失ってしまった。

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