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第四十四話 岩山合戦

 山賊の悪党どもは、旗本の率いる百騎の部隊に対し、籠城の構えをとった。洞窟のある岩山には無数の横堀、竪堀が掘られていて、近付くこともできない、無数の穴からは火縄銃の銃口が見え隠れしていた。そもそも、ユズナの妖術によって結界の張られたこの天然の城は、旗本の部隊を寄せ付けることがなかった。


 旗本と山賊らの争いの噂は、旅籠に身を隠していた辻井栄之助の耳にも届き、彼は日本刀を腰に下げて、夕闇の中、すぐさまその様子を見届けに向かった。

(ユズナというおなごは只者ではない。おそらく妖の類だ……。そしてこの争いはユズナの圧勝に終わる……)

 その確信を支えていたものが何であったのか、栄之助本人にも分からなかった。


 人生を支配する、目に見えることのない直観が今、栄之助の胸中におびただしい不安となって生滅を繰り返していた。


 栄之助の目にも遠巻きに、旗本の陣所が山の中にあるのが見えた。それからその山道を下ったところにおびただしい数の侍たちが姿を隠しているのがわかった。杉の木々の間には、縛り上げた竹が組まれて、岩山へと続いている。岩山の南方に刻まれた無数の横堀を見れば、折れた旗が風に揺れているのが一目でわかった。幕府の若者が、突撃を繰り返した後の堀の底には、多くの死体が沈んでいる。それは山賊ではなくて、侍のものであるのが分かるのだった。


「つまるところ、この岩山は妖の巣だ……」

 栄之助は感心したようにその惨状を見つめていた。

「歩み寄れば死んでしまう。夢見た人生はあっという間にうつつにかえってしまう。行き場のない魂がこうして無惨に彷徨っている……」

 栄之助はそう呟き、目をこらすと、岩山の頂上近くにある丸い穴からひとりのおなごが顔を出したのが見えた。

(む……あれがユズナというおなごか……)

 ところが、その顔を見た刹那、栄之助はその異様さに目を奪われた。稲妻に打たれたような気持ちで、眉をひそめ、食い入るようにそのおなごを見つめていたが、腕を組んで考え込んだ。

(これはどういうことだ……。これも妖術だというのか……)

 その瞬間、閃光が走り、火縄銃の発砲音が轟いて、堀から上がろうと岩壁をよじ登っていた数人の侍が転げ落ちた。


 ユズナは穴からひとり出て、岩山をよじ登り、頂上に仁王立ちになってあたりを見下ろしていた。

 竹の束に隠れながら、梯子を持って忍び寄り、堀に土を落としてどうにか岩山に迫ろうとする侍たちを、ユズナは妖艶に微笑みながら見下ろしている。

 ユズナは、右手で天を指してから、さっと指先を美しく回した。


 途端、突風が巻き起こって、攻め手の人々を薙ぎ倒すように襲いかかり、竹の束は一度に吹き飛び、侍たちは手にした梯子ごと空に舞い上がって、散り散りになってしまった。


(妖術だ……。やはりあのおなごは人間ではない……)

 栄之助はそう確信すると、腰を屈めてその場を離れ、元来た道をしずしずと戻っていった。

(妖だとしても、あの容姿をどう説明する……?)

 栄之助は杉の木の影で、袖に腕を通して考え込む。

(本人なのか……?)



 山賊たちと旗本の争いが巻き起こると、街道に仮設されていた山賊の関所の往来は一度に自由になった。それでも一里もないところが戦場と化している今、争い事を恐れる旅人たちは皆急ぎ足に馬を引いている。


 籠城戦を眺めた翌朝、その街道の端にあぐらをかいて栄之助が座っていると、笠を目深に被って、慌ただしい足取りで通り抜けようとする老僧と武家の娘の姿が見えた。

(おやっ。これはずっと探していたものかもしれない……)

 栄之助はすぐさま立ち上がると、疾風のように走って、そのふたりに後ろから声をかけた。

「もし……」

 声をかけられて振り返ったそのおなごの顔は、まさに萩姫。


「あっ、もしや、萩姫様では……」

「あなたは……」

「拙者は鯉沼藩の藩士、辻井栄之助……」

 辻井栄之助は身分をわきまえて土の上に両膝をついたが、萩姫はたちまち狼狽し、老僧の背中にさっと隠れる。

「鯉沼藩の藩士なら、妖の手下でございましょう」

「とんでもございません。尾崎宗孝様の密命で萩姫をお迎えに上がったのです。もしや、そちらの御方は、円海和尚でございますか。宜しければ、拙者が妖ではないことを萩姫にお伝えくださいませぬか」

 栄之助の言葉に、老僧はケッケッケッと大声で笑った。


「いかにも。わしは円海だ。そしてお主は妖気の匂いのない、混じり気なき人間と見える。しかしこれで姫君の安心を取り付けたとして、今のお主に何ができるかな。お主に密命を下した尾崎宗孝はすでにこの世にはおらぬのだぞ」

「えっ、尾崎様が……」

「どうやら、あまりにも長旅を続いているせいで、浮世離れしてしまったようだの。萩姫を連れ帰ってどうする。お主にどんな考えがある……」

 辻井栄之助は言い返そうと口を開いたが、溢れ出してきた苦しい気持ちに、言葉を飲み込み、涙を流して首を垂れた。


「かくなる上は、ここにいる三人で、どうにか鯉沼藩に巣食う妖たちを殲滅することはできぬでしょうか……」

 と震える声で栄之助が訴えるのを、さも愉快そうに円海和尚は笑って見下ろしている。


「ふん。この街道を歩いてすぐのところに宿場がある。そこに行って、詳しい話をしよう」

 そう言うと円海和尚は先導を切って歩き出した。

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