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第四十一話 山賊のユズナ

 茜は目を覚ましてみると、座敷の窓からは朝日がさしていて、北条氏康が夢枕に立ったのはきっと夢だと思った。夢でなくて、あのような奇妙な出来事の起こるはずがないと思った。

(きっとわたしは疲れているんだ……)

 さて、茜は荷物をまとめると、すぐに下諏訪宿に向かって旅立とうとした。


 茜と雫のふたりは、甲府を後にした。

 この後、ふたりは街道沿いの茶屋で、不思議な噂を耳にした。

「この先の峠で、山賊の娘が、野山の洞窟を城のようにして立てこもっているのだとさ……」

 腰の曲がった年寄りの言うことだから、といって茜は馬鹿にもできない。というのはここらではそのことで話題が持ちきりなのだった。


「山賊の娘というのは……」

「きっともののけの類さ。一月ほど前に、ここらの山賊衆を手懐けて、頭になっちまったのさ。おかけでそこの峠を越えるものはみんな、山賊に渡し賃を払わなくちゃならない……」

 そういう奇妙な噂だった。茜と雫はしばし情報の収集に駆け回った。



 一月ほど前……。信州の山賊たちは、野山を駆けまわっていた。

 ひとりの山賊が、池のほとりに立っていると、水浴をしている美しいおなごの姿があった。

 髪は、ざんぎられて首元までの長さであるが、その肌は漆を塗った器のように滑らかで、ほのかな光沢に潤んでいて、髪を洗う度、一際、実りの張り切った胸の打ち震える具合はなんとも言えず、反った背中からふくよかな尻のあたりの具合もまた艶かしかった。

(これで、顔まで美しかったならば……)

 山賊たちは、草木の影からその顔を見ようとまなこを赤くして睨みつけていた。


 おなごが振り向いた。そこにあったのは、まさに澄み切った泉のような瞳、頬は朱に染まり、微笑む口もとにはわずかな澱みもなく、天女そのものではないか。

(美人だ……)

(しかし人間だろうか……)

 山賊たちはこのおなごが浴衣のような薄い着物を羽織り、歩きだすとその後を追った。

 このようなおなごが山奥にひとりでいるはずがない、連れの男がいるはずだと思った。

 ところが、奇妙なことにおなごはずっと一人だった。


(このおなごは百姓じゃない。そんなはずはない。どこかの商家の娘だ。きっと金目のものを持っているに違いない……)

 おなごの命を奪った上、金目のものを奪おうと山賊たちは思った。


 山賊は三人ばかり、このおなごの後を追った。おなごは夜になると、崖にある穴ぐらの中で横になって、すやすやと眠りについた。

「よしっ。いい具合に眠りについたぜ。ほれ、三人で駆け込むぞっ!」

 と蜘蛛八は上擦った小声で言うと、日本刀を抜いて、後ろのふたりよりも我先にと、穴ぐらに駆け込んだ。


 蜘蛛八が、眠っているおなごに刃先を向けながら、ゆっくりとその太ももの露わになった足を眺めながら近づくと、おなごはさっと飛び上がって、穴ぐらの天井を蹴り、蜘蛛八の真後ろに飛び降りた。

「うわっ!」

 蜘蛛八の首元には、鋭い鎌の刃が突きつけられていたのだった。


「あたしの持ち物を狙っている盗賊だな……?」

「あ、いや……わたしが狙っていたのは……いえ、とにかく、この命だけはご勘弁を……」

 と蜘蛛八はひどく情けない声を出した。

「なんだか、可愛いらしい盗賊だな。そんな弱々しい声を出して、仲間はいるのか……」

「おりません」

「それならこの首の中の様子を見てみよう。仲間が隠れているかもしれないからな……」

「あ、いや、います。ふたりほど……あなたの後ろの草むらの中に……」

「出てこい……!」


 こうなっては仕方ないと、三人の山賊はおなごの足元に跪くことになった。

「揃いも揃って可愛いらしい盗賊だな。ひとりひとり名乗れ」

 山賊は地面に顔をつけながら、

「蜘蛛八」

「竜五郎」

「犬吉」

 と名乗った。


「なるほど。この野山を駆け回って、狼のように、旅人の持ち物を奪い取って生活しているのだな……」

「へえ。そのような毎日でごぜえます」

「いいことだ。しかし、そなたたちにはわずかに力が足りないと見える」

「力とは……」

「頭の良さのことさ。まあ、幸運なことに、あたしと出会えたわけだ。あたしが頭になってやろう」

「しかし、女が頭の山賊衆というのはいまだかつて聞いたことがありません」

「そんなことはなかろう。それにあたしの力を疑っているのなら、これより三日間、好きな時にあたしを襲ってみるがいい。それで、あたしがただのおなごじゃないと知ったら、その時にあたしの子分になればいいんだ……」


 この奇妙な取り決めを山賊たちは了解した。というのも、このおなごの不思議な魅力にすでに取り憑かれていたのだった。


「ところでお名前は……」

「ユズナってんだ……」

「おゆずちゃんってんですか」

「ユズナでいい」


 四人は、山を越えて、とある宿場町の近くにある農村に訪れた。

「ここの民家のひとつを襲おう……」

 ユズナの言う通り、山賊たちはこの民家を襲撃し、人を叩き斬ると、米俵を担いで出てきた。

「どこにも小判がねえんで、米俵をもらいやした」

「ふん。農家ってものは……」

 ユズナは腕組みをして唸ると、そのまま三人の山賊を連れて、再び山奥へと戻っていった。


 すっかり日が暮れてしまった。


 ユズナは一仕事を終えると、必ず水浴するのが習慣らしく、穴ぐらであぐらをかいている山賊たちの前で、いきなり浴衣のような薄い着物をばさっと脱ぐと、真珠のような美しさで、手拭い一枚だけ肩にひょいとのせて、

「水を浴びてくる……」

 とぼそりと言って、冷や汗をかく山賊たちの「へ、へい……」という返事を聞くよりも前に、そのままの格好で暗い野山に歩いていった。


「ユズナを襲うなら今だな」

「馬鹿め。これが罠だと思わんのか……」

「しかし、いざとなったらおなごひとりになにができる……」

 山賊たちは、ユズナの金目のものをすべて奪うためにも、ユズナを襲おうと思った。つまり、ユズナを頭などとはまったく思っていなかったのだ。


 山賊たちは、夜の野山を獣のように駆けて、川のせせらぎのもとで、月あかりに身を輝かせているユズナをようやく見つけた。

「月のあかりの中でも、なんという美しさだ……」

 と竜五郎が言ったので、残りのふたりもついぼんやりとユズナを見つめてしまった。


「よしっ。かかれっ!」

 と蜘蛛八が言うと、三人は茂みが飛び出して、ユズナのもとに駆け込んだ。

 蜘蛛八の手は宙を空振りし、彼はそこにいると思ったユズナがいなくなっていることに気がついた。

「いない!」

 三人が驚くと、杉の大木の上に白い肌のおなごが立っているではないか。

「やっ! い、いつの間に!」

 ユズナはふふっと笑うと、なにかに掴まりながらするりと大木から降りてくる。

 すると今度は、ユズナのその右手から分銅のついた鎖が投げ出されて、三人の山賊の胴にくるんと絡みついてきたと思うと、たちまち三人は背中をくっつけあって、どっと倒れてしまった。


「これはなんという恐ろしいおなごだ!」

 と蜘蛛八は叫んだ。

「これでわかったの。あんたたちは所詮、あたしの命を奪うことはできないんだよ」

 これ以降、山賊の三人はすっかりユズナの子分となってしまった。


 それから後、山賊の三人は、ユズナが妖術を使えることに次第に気がついていった。

 ユズナは常に、山賊の子分の三人を連れて歩いているが、山の向こうに異様な気配を感じると、子分の三人をたちまち、小さな野鼠に変えてしまって、背中をつまんで、自分の豊満な胸の谷間にひょいと放り込むと、そのまま子分を浴衣の内にしまい込んだまま、勢いよく飛び上がり、風に身をまかせて山すらも越えてしまうのだった。

 このユズナとは一体、何者なのだろうか……?

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