第三十六話 水幻塔の戦い (5)
「お姉ちゃん……。今までどこにいたの……?」
雫は意を決すると振り返り、そう囁くように姉に言った。
「全国を旅していたんだよ……」
茜は、自分の正体が妹に気付かれていることを知ってどきりと肩を揺らすと、さも気まずそうに背中を向けたまま、ぼそりと乾いた声で言った。
「お姉ちゃんがいない間に、風魔一族の里は妖によって壊滅させられたんだ」
「………」
「全然知らなかったでしょう」
「知らなかった……」
そういうと茜は、雫の方を振り返る。茜の瞳は激しく動揺している。
「みんな殺されたんだ……」
「ここに来なければ、わたしはずっと知らないままだっただろう……。先ほど、幻八にその事実を教えてもらった後、わたしはしばらく信じることができなかった……」
「どうして里から出て行ったの?」
「………」
茜は答えなくない気持ちだったのだろう、しばらく湖の彼方を黙して見ていたが、妹を裏切ることができないらしく、重々しい口調で語り始めた。
「わたしは若かった。見渡せば泰平の世で、商人の暮らしぶりは次第に豊かになってきているのに、風魔の里の掟といったら、武者の世と変わらず厳しいものだったし、わたしは忍者って人として扱われていないもんだと思った。わたしにとって、それはすごく息苦しくて辛い毎日だった。それに、真面目にやっても、どこかの大名家のお庭番になって一生を終えるだけなのが嫌だった。こう言うと馬鹿みたいだけど、人並みに恋をして、自由に生きたかった。でも里から飛び出て、娑婆を歩いてみたら、生活に苦しんでいる人が多いことに少なからず驚いたけれど……。ただ、里のみんなが殺されたと知った今、あの場にとどまってみんなと一緒に戦うべきだったという気持ちになる……。わたしが何を言っても後の祭りだけど……」
茜は、そう言うと雫に責められるだろうと思っているのか、深く肩を落としている。
「あの時、お姉ちゃんがいれば、殺されなかった人も確かにいたと思う……」
「………」
「でも、お姉ちゃんは、わたしのために戻ってきてくれた。お姉ちゃん。もう気を落とさないで……。過去を振り返っても仕方ないよ。風魔一族を復活させるためにも、わたしと一緒にあの妖を倒そうよ……!」
茜はその言葉にはっとして顔を上げた。その瞳は涙に潤んでいた。殺されていった仲間たちの顔が浮かんでくる。自分の内部に流れる先祖風魔小太郎の血が躍るようだった。
その時、水飛沫が舞い上がって、湖面から梅華が飛び出してきた。薙刀が巨大な半月を描いた。
と同時に茜の眼光を鋭くなり、天高く跳び上がったかと思うと、ふたつの影は交差して、橋の上に飛び降りた。
梅華が着地すると、背中の鋼鉄の晒しが外れて、艶めかしい背中に梅の花の入れ墨が咲き乱れているのが露わになった。
「ええいっ! この小娘ども、手こずらせてっ!」
梅華は、腹と背中が露わとなって今や、豊満な胸を圧迫する枷の如き鋼鉄具と、股上の丁字の鋼鉄具の他は、薄い紫の襦袢が妖艶にまとわりついているだけとなって、いよいよ素肌を保護する結界に隙間が生まれてきていた。
小刀を握って飛びかかろうとする雫を、梅華は薙刀の刃で突く挙動で牽制し、ひるんだ隙をついて腹を蹴り上げたので、雫は人形のように転がった。
梅華はすぐに振り返り、指を広げた左手を振り上げ、漆黒の水飛沫を茜に浴びせかけた。
「うわっ」
茜は叫び声を上げ倒れると苦しげにもがいた。
「そいつは毒だよ。すぐに全身が痺れて動けなくなるさ……!」
「なんだって……」
「これであなたもお終いだね。冥土の土産に教えてやるが、その毒を中和するには、この水幻塔の地下に溜まっている霊泉を全身に浴びなくてはならない。もっとも、今のあなたにそんな力は残っていないようだね……」
そう言うと梅華は愉快そうに笑い声を上げ、もう一度、茜に毒を浴びせようとその左手の指先から再び漆黒の液体を垂らしはじめた。
その時、雫が背後から切りかかってきた。梅華はうっと息を漏らすと、大きく仰け反り、まるで雨降る天を掴もうとするかのようだった。豊満な胸を覆うように圧迫する晒しの鋼鉄具が外れ、鈍い音を立てて橋の上を転がった。伸びやかに跳ね上がった両の美麗な胸が、素肌の上に落ち込んでなめらかに弾みをつけた頃、泡を垂らして仰け反っている美しき梅華は、左手の爪から噴き上がった毒水を自分の全体に浴びてしまった。
「うわあああっ……!」
いまや妖艶な裸婦と化した梅華は、苦しげな叫び声を上げ、ふらふらとその場で水を掻くように揺れ動いていたが、薙刀を拾って、華麗にとんぼ返りをし、湖の中に飛び込んだ。
「お姉ちゃん!」
梅華への追撃を忘れて、雫は橋の上に倒れている茜を助けに向かった。




