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第三十二話 水幻塔の戦い (1)

 私はどうやら霧のかかった白緑(びゃくろく)色の湖の上にいるらしい、と雫は思った。


 その湖上の真ん中に浮かんでいる竜宮城のような塔は、一見すると徳利の上に筒が伸びて、そこから蓮華が咲いているような、不気味に変形した形をしており、その巨大さから天にも届きそうな印象を与えた。

(これぞまさしく幻術……)

 雫はぼんやりとその異様な光景を眺めていた。


 その時、二重にも三重にもなった女の笑い声がどこからともなく響いてきた。

 それは成熟した大人の女の笑い声であったが、どこか狂気じみた響きを持って、雫の小さな体を包み込んでしまった。

 雫は恐怖を感じて、小刀をそのかよわき胸に引き寄せる。


(敵は、この幻の湖の上で、わたしを殺そうとしているのだ……)

 雫は細長く湖上に続いている橋の上にいる。

 このまま、真ん中のあの不気味な塔まで歩いていく他、方法はないのだろう。

(おそらく、あの塔の中に敵はいるのだろう……)

 雫は、この場にじっとしているわけにもいかないと思って、その桟橋の如き道を歩いてゆく。

 真ん中の塔にたどり着くとそこには、竜宮城のような半円形の入り口が白い壁の真ん中にぽっかり空いていた。


 雫が勇気を出し、小刀を握りしめ、中に飛び込むと、そこは徳利の内部のような形をした、だだっ広く高い天井の空間で、細い足場が十字にかかっているその下には大量の水が溜まっていて、青々として底が見えないほどであった。


 天井のいたるところから滝のような水流がどどどっと落ちてきている。それは雫の足元の水に入って、激しく波打っている。


(奇っ怪な幻を作ったものだ……)


 真ん中には、巨大な木製の水車がゆっくりとまわっている。

 それがゴットンゴットンと物音を響かせて飛沫を飛ばしている。まるで大和東大寺の大仏を思わせる壮観な眺めである。


(これは見事な幻術だ……)

 雫は敵の忍術とはいえ、これほどのものとなると感心せざるを得なかった。


(間違いない。敵はこの水車の上にいる……)

 これはくノ一の勘というやつである。


(しかし、この水車を登るにはどうしたらいいか)

 雫はあたりを見まわす。

 この巨大な水車は、ゴトンゴトンと音を響かせながらゆっくりと回転し、幾つもの酒樽を吊り上げてゆく。

 つまり一般的な水車とは反対に、水を汲み上げているようである。

 雫も忍者の里で、毎日のようにこのような水車を見てきた。

 しかし、それは水流を動力にして、玄米を杵で突いて精米するものであった。この水車は妖術を動力にして回転し水を汲み上げているので、まったく反対の原理なのである。


 雫の足の下の水槽の水は、水車に無数に吊るされた樽によってざばりざばりと音を立てながら汲み上げられている。

 その樽は、水車の回転と共に天井近くまで運ばれて、そこで天井から垂れている縄と鉤爪にからめとられて、水車から切り離されるや、さらに天井の上の小さな穴の中へと釣り上げられてゆくのだった。

(つまり、この樽に飛び込むしかないのか……)

 雫は他に良い手がないかと考えたが、まったく思いつかなかった。


 雫は、意を決して今、水槽から引き揚げられつつある樽の中に飛び込んだ。

 そこには生温い水が満ちていた。無数の気泡が雫を包み込む。

 雫は小ぶりで柔軟な胸が跳ねるようで、水に揉みくちゃにされたみたいに、ぶはっと息を吐き、犬掻きをするが、溺れそうになる。

(うわっ。深い……)

 そのまま、樽は水車に勢いよく吊り上げられてゆき、巨大な塔の内部を昇ってゆく。

 雫は、樽の水の中で溺れないようにするだけでも大変だった。


 樽はそのまま、次々と天井から垂れている縄の鉤爪に引っ掛けられて、水車を離れると共に、さらに天井近くへと吊り上げていった。

 そして雫を入れた樽は、天井に空いている円形の穴へと入ってゆく。

 穴の中は一切の暗闇である。ただ、車輪のまわる音と水の音が響いている。雫は水に溺れないようにだけ気をつけている。

 樽は突如、逆さまになり、雫は水と共に落ちて、樋の中を流され、円形の水槽に勢いよく落ちた。

 そこには大きな渦が巻き起こっていた。

「うわっ……!」


 雫が慌てて、水をかき、渦に呑み込まれないようにしながら、外側にある足場を手で掴むと、どうにか這い上がった。

 雫が振り返ると、そこは円形の広間で、震旦の山水画が描かれており、八方の樋から水流が滝のように落ちて、渦を巻いている水槽が床下に広がっていた。

 その渦の真上に、天井から鋼鉄の鎖で吊り下げられている姉の如き鞠乃の無惨な姿があった。

 乱れた着物越しの水に濡れたその体、艶めかしく盛り上がった胸元や、太腿には醜い傷跡が目立っている。

「鞠乃!」

 雫が呼びかけると、四方から先程の妖しい女の笑い声が再び響いてきた。

「無謀にもあなたひとりでこの女を助けに来たのだね……!」


「あなたは一体何者。このような幻術を使えるほどの忍びとなると……」

 それもくノ一である。雫は小刀を握りしめて、どこから敵が襲いかかってくるのか見極めようとする。

「あっ!」

 雫は突如、飛沫が上がった前面に美しい女人が現れたのを見て、飛び退った。

 そして鼻先を通り過ぎたばかりの刃を見ると薙刀であった。雫の着物がひらりと切れて、宙を舞っている。

(これが……)

 雫は間一髪のところ、手裏剣を投げていたので、敵のくノ一、梅華もやはり着物の一片が飛んでいた。

 雫がさらに二つ、三つ投げようとすると、すぐに梅華は水の中に飛び込んでしまった。


(あれが敵のくノ一か……!)

 雫は慌てて水の近くまで走ったが、渦の中には何も見えなかった。

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