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第二十八話 茜に生き写しのおなご(1)

 雫が茜を探し始めてから、すでに三日が経過していた。雫の知り合いに茜の居場所を知る忍びはひとりもおらず、確かな情報はこの日までひとつも入ってこなかった。

 雫は、残り四日の間に、茜が見つからなければ捕らわれの鞠乃は辰影に殺されてしまうだろうと思った。しかしなすすべがない。

 そんな時だった。幻八の知り合いの小磯という忍びが稲荷屋を尋ねてきた。


 小磯は、王子の稲荷神社の付近で、茜と姿がそっくりのおなごが歩いているところを目撃したという話を知り合いから聞いたという。雫は、この話を受けて、幻八と共にすぐに王子へと向かった。


 王子稲荷は当時、狐火が出ることで有名な神社だった。

「ここにはもういないね……」

「そうだな。しかし、とりあえず一周するか……」

 ふたりはそう言って、王子稲荷に参拝し、境内をめぐることにした。



 雫は、王子の稲荷神社の境内を見て歩いた後に、幻八と近くの小料理屋に入った。雫は茶飯と煮付けで軽く腹ごしらえをすると、幻八と手分けして茜を探すことにして、ひとりで桜の名所である飛鳥山へと向かった。

 真冬のこの季節に桜の花は咲いていなかった。しかし雫には、春になって桜の花が咲き誇っている光景が容易に想像できた。


(今はこんなことをしている暇はないのに……)

 と雫は、焦る気持ちと一息つきたい気持ちがない混ぜになっていた。


 雫は、飛鳥山の土と草が剥き出しになっている丘が続いている先に、ひとりのおなごが横向きに立っているのが見えた。飛鳥山から江戸の方向を眺めているようだった。

(あれは……)

 そこにいたのはまさに茜に生き写しのおなご。

(お姉ちゃんだ……!)

 雫はそれを見た瞬間、全身に稲妻が走ったかのように感じた。そしてどう話しかけてよいものか分からず、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 するとそのおなごが、田畑の広がる景色をうっとりと眺めながら、雫のいる方へとふらふら歩いてくるのだった。

 雫は逃げることもできずに、その場で二歩後ろに下がっただけで、気まずさに顔を背けた。おなごの美しい足が雫の足の正面に並んだ。

「失礼しますがお嬢さん」

 とそのおなごが美しい声で話しかけてきた。雫はもう身の毛がよだち、なんと答えてよいか分からない。

「は、はい……」

 とだけ小さく答えて、顔を上げる。

「ここから江戸の日本橋まではまだかなり遠いのでしょうか」

 おなごは雫の顔をまじまじ見つめているのに、自分の妹であることにまるで気がついていない様子で、そんな呑気なことを平然と尋ねてきている。雫にはそれが不自然に感じられた。雫はしかし、そのおなごの声を茜のものと思って懐かしく感じた。


「お、お姉ちゃん……」

 雫は震える声でそういうと今にも抱きつきたい気持ちを抑えているのだった。

「お姉ちゃん?」

 おなごは目を丸くしてその言葉を繰り返した。


「茜ちゃんでしょ?」

「あ、茜? わ、わたしをその名で呼ばないでよ。わたしは紬よ」

 とおなごはいかにも気分を害したらしく、眉を細める。

「お姉ちゃんじゃないの?」

「あなたは茜の妹なのね。それならば人違いよ。わたしは茜の宿敵の(つむぎ)。よく覚えておきなさい」

 と紬と名乗ったそのおなごは苦々しく呟きながら一度は横を向いたものの、茜の妹とやらに興味をそそられた様子で雫をもう一度、まじまじと見つめた。




 ふたりはそれからさまざまなことを話し込みながら、付近の音無川の不動滝まで歩いた。そこには巨大な滝壺があり、茶屋も出ていて、いかにも風光明媚なところなのだった。

 ふたりは滝壺の水面を見下ろす。そこには自分たちの姿が映っている。どうみてもふたりは姉妹と思えるほどに似ている。


「それでは、あなたは数日前にお姉ちゃんと戦ったばかりなのですね」

 と雫は、紬に尋ねる。

「うん」

「ということはお姉ちゃんは今、甲州街道にいるのですか」

「そうなるね」

 茜と紬が温泉で戦った出来事からすでに日数が経過していることを考えると、今からその場所に探しに行っても姉が見つかるかどうかわからない。ただ実の姉が生きていることが知れただけでも雫は、涙が込み上げてくる思いだった。


「まあ、あなたもわたしとあまり関わらないことだよ。わたしたちは所詮、敵同士なんだから」

 しかしここで雫は意を決し、先程から頭の中で考えていたことを口にすることにした。雫は土の上にしゃがみ込んだ。

「お願いがあります。紬さん。お姉ちゃんの振りをして、一緒に鯉沼藩の藩邸に行ってくれませんか?」

「は、はあ?」

 紬は素っ頓狂な声を上げた。


「でないと鞠乃さんが殺されてしまうんです」

「あら、わたし、他人には同情しないことと決めているの。それにその辰影とやらの側室になったとしても、忍びの里を壊滅させるような妖なら、あなたが思うほど簡単には寝首なんてかけないと思うけど……」

「どうしても駄目ですか……」

「断るわ」

 紬はそうはっきり言うと、気まずそうに顔を背けた。


 しかしふたりは相手を憎むことができなかった。紬の心は茜の心に似せて作られている。その心が雫をどこか妹のように思わせているのだ。

 雫も姉に再会できたような気がして、その懐かしい姿から離れることができないのだ。


 それから、ふたりは打ち解けて、近くの湯屋に入ることにした。

 着物を脱いで、露わになった紬の白い素肌はさすがに茜の素肌そのもの。ただ異なるのは素肌に蜘蛛の入れ墨が彫られているところだけだ。

 雫も着物を脱いで一緒に風呂に入る。


「紬さんはこれからどこへと向かうおつもりですか」

 雫は湯に浸かりながら、紬に尋ねる。

「わたし? なんの考えもないわ。いつか、どこかの殿方と愛し合いたいものだけれど、どこ探しても、わたし好みの人ってなかなかいないし……」

 紬は、鉄海の死後も以前のような愛を求めて彷徨っているらしい。


「それでしたら辰影はちょうど良いかもしれません」

「えっ、その妖が取り憑いている藩主?」

 一体、何を言い出すんだ、と紬は雫の顔をまじまじと見つめる。


「ええ。今は悪心に取り憑いているけれど、そもそも、とても美麗な殿方です。もしあなたが辰影を気に入ったなら、そこでわたしと袂を分かち、あなただけは辰影の側室として残ればいいんですよ」

 紬はその言葉に、笑い声を上げた。

「馬鹿だね。そんな苦しまぎれの口車にわたしが乗ると思っているの。それに、わたしが求めているのは側室なんかじゃなくて、正室の座だし……。でも、わかったわ。そんなにいうのなら、あなたの苦しい気持ちもわかるし、その辰影がどんな男か分かるまでの間だけでも、あなたにちょっとだけの協力をしてあげるわ」

 その紬が言ったので、よほど美麗な殿方に会うのが楽しみなのかな、と雫は思った。紬はふふっと笑って、湯に美しい体を沈めた。その時。


「水……」

 と紬は呟いた。

「水?」

「わたしのこの世のものではない感覚が、水が不吉だと伝えている……」

「水が不吉。一体、それはどういう意味ですか?」

「わたしたちがこれからゆく先にはなにか水に関する不吉なものがあるんだわ。あなたもよく覚えておくことね」

 そう言うと紬は、飛沫を上げて、湯からあがったのだった。



      「茜に生き写しのおなご(1)」完

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