第二十六話 内藤新宿の侍(3)
坂口泉十郎は、居酒屋から飛び出すとすぐに件の三人組が辻の端で、馬に乗っているのを見て、人気のない方へと逃げていった。
無宿人の三人組は、坂口泉十郎を追い詰めるために付近の村から三頭の馬を強奪してきたところだった。そして坂口泉十郎の後を静かに追った。
(馬鹿な男たちだ……。馬なんて用意しても、所詮、俺の敵ではあるまい)
泉十郎はだだっ広い、甲州街道の真ん中に立った。旅籠屋も茶屋も並んでおり、人馬の絶えないこの道で、また三人の男を斬り殺すことになるのだ。
坂口泉十郎は手にしていた笠を被り、日差しを眩しそうに見上げた。
(天は俺に味方するだろうか……)
泉十郎ほどの剣豪であっても、最終的に生死を分かつのは天運でしかない。それが尽きた時には誰しもが死ぬのだ。
(先程のくノ一。茜と言ったな……。あれほどの腕前を持つ者はこの世に十人もいないだろう。俺は風魔一族の末裔だと睨んだが……)
まだ酒の酔いがまわっている。ふらふらと足元がふらつくようである。しかし泉十郎は余裕綽綽である。
(あの三人組如き、これぐらいが丁度いいわ!)
と泉十郎が唸ったその瞬間、街道に轟いた叫び声、きゃあという女の悲鳴が連なって、逃げ惑う人々の影、馬の駆ける足音が波のように迫ってきていた。
「ええい!」
泉十郎はそう叫ぶと、日本刀を引き抜き、天に向かって振り上げた。すれすれを駆け抜ける馬はドタドタと足音鳴らし、突き当たりで立ち止まっていななき、体を震わせる。背中に寝そべっている死骸が落ちて、砂煙がどっと立ち昇った。三人組の一人だった。
すぐに二匹の馬が走り込んでくる。泉十郎は、今や乗り手のいない一頭の馬に向かって駆けてゆく。
「一刻の間、俺のいうことを聞け!」
泉十郎はそう言って馬に飛び乗ると、すぐに街道を一目散に走り出した。バキバキという鈍い音を立てながら、馬はものすごい勢いで街道の中央を駆けてゆく。路上の人馬が叫び声を上げて、両側に避ける。その背後を無宿人が乗った二頭の馬が追いかけてくる。
泉十郎はすぐに街道の横道に入って、店並みを抜け、畑の広がる景色の中を馬で駆けていった。
泉十郎は背後から音を立てて飛んできたものを伏せて避けた。それは矢だった。無宿人の一人がどこで手にしたのか弓矢を持っているのだ。
「そんなもの、当たるものか!」
泉十郎は、崖のある細道に入って、さらに速度を上げる。再び飛んできた矢を刀を振って弾き返そうとするが、見ると首にぶら下がっていた笠に深く突き刺さっていた。
(一生とはこの連続だ!)
泉十郎は苦々しく呟いた。
泉十郎の馬は崖の下に広がる沼を飛び越えようとして、水飛沫を上げる。そして馬は後ろ足が泥だらけになって、沼にはまり、身動きが取れなくなる。無宿人のふたりは驚いたようなおどろおどろしい表情を浮かべて、馬でゆっくりと迫ってくる。
「こ、ここまでだな……」
無宿人の一人がそう声を震わせ、弓矢をぐっと自分の身に引き寄せて、身動きの取れない泉十郎に矢を射かけようとしているのである。
泉十郎はそれでも、にやりと不気味に笑った。
そしてすぐさま腰を屈めたかと思うと、右手をさっと振り上げた。途端に無宿人の一人は、うっと呻くと、天を仰ぐような姿勢になり、杉の枝に向かって矢を放った。矢は弱々しい音を立てて宙を舞った。と思うと、そのまま無宿人は体ごと馬からずり落ちるようにして沼に勢いよく落ちた。水飛沫が上がる。
浮き上がったその胸には矢が突き刺さっている。それは先程、泉十郎の笠に刺さった矢だった。
「ぎゃあ!」
残された無宿人は悲鳴を上げて、すぐに馬を蹴って元来た道を走らせる。逃げようとしているのである。
(一人残らず片付けてやる……!)
泉十郎は、沼から馬を飛び出させると、そのまま無宿人を追いかけた。ふたりの乗る馬は砂煙を上げながら、崖に面した細道を駆ける。そしてついに二頭の馬は横に並んだ。
「やめろ! 殺さないでくれ!」
無宿人はそう叫ぶ。
「俺はやりたくないって言ったんだ!」
泉十郎は、ええいっと唸り声を上げると、日本刀を振りかざして、勢いよく横一文字に切り捌いた。
無宿人の首は一刀のもと、鮮血を撒き散らしながらどこかへと飛んでいった。
そして馬は、首のない胴体を積んだまま、田んぼの畦道へと弱々しく駆けていった。胴体は横に振り落とされるようにして、田んぼの中に落ちて、血の色の水飛沫を上げたのだった。
泉十郎は、それを見届けると、日本刀を鞘に収めて、また元来た道を駆けていったのだった。
「内藤新宿の侍(3)」完




