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第二十四話 内藤新宿の侍(1)

第十二話「茜の気持ち」を追加投稿いたしました。よろしければそちらの方も御一読ください。

 茜は数日前に甲州街道の宿場町、内藤新宿(ないとうしんじゅく)に到着しており、しばらく滞在するつもりでいる。

 ここは甲州街道の宿場町のうちでは、もっとも江戸に近く、人馬の賑わいに満ちている。そのせいか、茶屋が軒を連ねている路上の至るところに落ちている馬糞がひどく目立つ宿場である。汚らしいようであるがこの宿場には、立派な旅籠屋が五十も並んでいる。


 茜は一軒の茶屋の縁側に座り、そこで出された茶をすすり、一服している。隣には小猿の三平が座っていた。


 挿絵(By みてみん)

 

「猿回しですか……」

 と茶屋の旦那に尋ねられる。ひどく物珍しそうに茜と小猿の三平を見つめている。

「ええ。まあ、そんなもんです」

 茜は小猿の三平を利用して、人に尋ねられた時には、猿回しの芸人と名乗ることにしている。

 カラッとした冬場のことであるから、風が吹くと砂煙りが立つ。茜は砂混じりの茶を飲んでいるような気がした。砂煙りの中から笠を被った人が次から次へとこちらへ歩いてくる。


「このあたりにはまるで妖気がないね……」

 と茜は小猿の三平に囁くように言った。

「まあ、仕方ないさ。あの宿場が特別だったんだ……」

「三平は、栄之助はどちらへ行ったと思う。江戸かな、それとも甲府かな」

 栄之助は甲州街道のどちらの方向に向かったのか、丁半博打のようなものだが、茜は江戸にかけている。栄之助を追って江戸へと向かっているのが正直なところなのだ。それに栄之助が奔走しているのは藩の騒動であるから、そこにいずれかの大名家が関わっていることは間違いない。江戸に入って、その大名家を突き止めるのもひとつの手だと茜は思っていた。

「さあ、案外、甲府かもしれないね」

 と三平は言うと、呑気に伸びをする。


「そうかな。わたしは江戸にいる気がするよ。それにどこにいようといずれ、栄之助は報告のために藩の上屋敷に戻るだろう」

 茜はそう言ってちらりと三平の顔を見る。三平の顔はただ眠そうに瞳を瞬かせているだけだ。

「ねえ、三平。ここを出立すれば、甲州街道の宿場から抜けて江戸に入ることになる。そうなればかえって手掛かりを得られなくなるというものさ」

 茜はぬるくなった茶を一口すするとそう言った。茜が数日前から内藤新宿で粘っている理由は、宿場こそがもっとも情報の集まる場所だからである。


「三平、見てみな。旅人がそれぞれ想いを馳せてこの辻を歩いてくるよ。みんな江戸で金儲けがしたいのだろう。栄之助のような若いお侍が、出会った旅人に色々尋ね歩いているとしたら、尋ねられた旅人は栄之助のことを忘れはしないだろう」

 茜はそう呟くと、銭を置いて、すっと立ち上がった。

「もう行くのかい?」

 と三平が声をかける。


「いつまでもこんなところでゆっくりしていられないよ……」

 ところが、茜は茶を一気に飲みすぎたせいもあって茶屋の裏手の庭にある厠へと急ぐ。当たり前だが当時、厠というと目が痛くなるような匂いが立ち込めているもので、そのため風通しのよいところに建てられていた。


 厠の外の庭に、三人の無宿人と見える男がやってきて、ひそひそと会話をはじめた。

「まさかあの侍があんなに強いとは思わなくてな。でも、惜しいことをしたな……」

(侍……?)

 茜はその言葉に耳をそば立てる。三人の男の声は鮮明に聞こえてくる。


「仲間を叩き斬られた以上はこちらも黙ってはいられねぇな。虎吉の菩提を弔うためにも、よし、あのお侍やってやるか、おめえら」

「お、おい、馬鹿言うなよ。俺たち三人集まったって同じことになるだけだよ。俺は死にたくないね」

「なに言ってんだ。相手は侍とはいえ、まだ若造だ。三人で取り囲んじまえばどうすることもできんさ……」

 興奮している男と弱音を吐いている男。そしてずっと黙っている男。


(栄之助のことかな……)

 茜は立ち上がると乱れた着物をささっと直す。そして木戸を開けてそろりと出てくる。無宿人の三人の男は、ギョッとして茜の方に振り返る。

「な、なんだ、女か……」

「あんたたち、面白いことを言っていたね」

「な、なに、てめえ。人の話を盗み聞きしてやがったな。厠に入ってんなら入っていると言え……!」

 太った入れ墨だらけの男が太い眉を引き上げて、唇を震わせる。


「まあ、待ってよ。そんなに怒らないでよ。それよりもそのお侍のことだけど、あなたたちはつまりそのお侍に仲間をひとり叩き斬られたのね。そのお仲間の名前は虎吉というのね」

 と茜はぺらぺらと話しかける。

「お、おめえ。噺家じゃあるまいし、そんなに人の話を覚えてどうするつもりだ……」


「あなたたちの言っているお侍、わたしの探している人かも知らないんだよね。ねえ、その人のところは案内してくれない?」

「なんでえ。するとお前さんはあのお侍の知り合いか……」

 無宿人は刀の柄に手をかける。


「待ちなよ。わたしもそのお侍が憎いんだよ。わたしもやくざの娘でね。話すと長くなるけど、死んだ親の仇なんだ……」

 と茜は嘘を並べる。嘘は喋りすぎるとボロが出るので、詳しくは喋らない。しかし熱っぽく喋るので、無宿人の三人の瞳には同情の涙が込み上げてきているようだった。


「するとお前さんと俺たちは同じ境遇ってことだな。まあ、お前さんの言っていることが本当かどうか知らねえが、これも一期一会の出会いだ。よし。信じてやろう。お侍の居場所くらいのことなら教えることはできるさ」

 その男はそう言うと、振り返って茶屋の入り口の方を指差す。


「そこの辻を抜けたところにある弁天屋って居酒屋で昼間っから酒を飲んでいるよ。あんなに酔っ払っているのに強えんだ」

(酒……。人違いかな……)

 茜と過ごしている間、生真面目な栄之助は少しも酒を飲まなかった。ましてや昼間から酒をあおるような男ではない。それでも茜は一度確認しないとならない気がした。

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