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第二十三話 くノ一の雫(5)

 雫が、稲荷屋に駆け込むと、幻八は腹部を押さえて奥座敷の畳の上に倒れていた。どうにかここまで歩いて戻ってきたらしい。

「どうした! 幻八……」

「雫。腹が痛い。血反吐が出そうだ。すまない。そこの箪笥に入っている丸薬を飲ませてくれ……」

「うん」

 雫は、箪笥から黄色い和紙に包まれた丸薬を取り出すと、幻八に飲ませた。しばらく幻八は泡を吐きながら、ふらふらと畳の上でもがいていたが、そのうち上半身を起こし、全身にじっとりとかいている汗を手ぬぐいで拭って、深呼吸をした。

「ずいぶん楽になった……」

「一体何があったの」

「鞠乃が、不審な三人の忍者に連れ去られてしまったんだ」

「なんだって……」

 雫は今にも目眩が起きそうだった。その三人の忍者というのは松林辰影に仕える者に違いない。そして、鞠乃を誘拐したことこそ、辰影が先程思わせぶりに匂わしていたことに違いないのだ。

(鞠乃を捕縛し、その命を助ける代わりに、わたしと姉を手に入れようとしているんた)

 しかし雫は姉の茜がどこにいるのかもわからない。もし雫が鞠乃を助けたければ、まず茜を探し出さなければならない。

(そんなことは無理だ……)

 そもそも茜が生きているのかもわからないのだ。生きていたとしても、この日本中のどこにいるかもわからない者をどうやってあと七日のうちに連れて来れるというのだろう。


「雫。もしかして敵の正体に心当たりがあるんじゃないか?」

 と幻八は雫の顔を覗き込んだ。

「ん? いや……」

「もし知っているというのなら隠さずに教えてくれ。一刻も早く、鞠乃を助けなければならないんだ」

(そんな単純な話じゃない。相手は忍びの里を壊滅させた妖なんだ)

 やはり茜を見つけ出して、ふたりで相手の懐に転がり込む、そして、この小刀であの辰影の寝首をかいてしまう他ないだろう、それが鞠乃を助ける唯一の手立てだ、と雫は考えた。


「もし鞠乃を助けたければ、幻八も、わたしのいうことをよく聞いて……」

「ああ」

「あと七日のうちにお姉ちゃんを見つけなければならない……」

「茜を……?」

 幻八はその言葉に眉をひそめた。


「そうすればなんとかなる。あの化け物が欲しているのは、本当はわたしと茜なんだ」

「一体なんのことだ。もしお前が自ら危険な目に遭おうとしているなら、俺は賛成できないぞ」

 幻八はそうきっぱりと言い切った。

「でも、そしたらきっと鞠乃の命はないわ。それにわたしだってまったく勝算がなくて言っているわけじゃない。考えてもみてよ。わたしと茜が相手の懐に転がり込めば、いつでも相手の寝首をかけるでしょ」

「一体、相手の正体は何なんだ?」

 と幻八は尋ねてきたが、雫はこの問いには答えない方がいいだろう、と思った。もし己が対峙している敵が、忍びの里を壊滅させた妖と知ったならば、幻八は雫の無茶を止めるか、自分自身が感情的になるかして、どんな事態になるかまったく読めない。


「相手の正体はわたしにもわからない。ただ、鯉沼藩の松林辰影という藩主になりすまして、今、藩を牛耳っているということだ」

「なるほど。その藩主が茜を連れてこいと言っているのだな」

「そう。期限は七日しかない……」

 そんなことができるだろうか、と雫は考え込む。茜の居場所なんて、大奥女中になりすまして江戸城に潜入している鈴音に尋ねてもどうせわかりっこない。


「忍者の仲間に聞いてみよう。茜が生きてどこかにいるという噂を耳にしたものがいないかどうか……」

 幻八はそう言うとふらふらと立ち上がる。その刹那、幻八はくらりと目眩がした。

「馬鹿! もう少し体調が治ってから動き出しなさい!」

 雫は幻八のおでこをぴしっと叩く。幻八はぐえっと呻き声を上げて、陸に打ち上がった魚のように、畳の上にドタっと倒れた。


 雫は藁にもすがる気持ちで夜の町へと飛び出した。神田のように昼間賑やかな町であっても、夜になると死に絶えてしまったように静かになる。町木戸が閉じられるため出歩く者がいないのと、蝋燭が高価なので、はやく寝入ってしまうためであるという。


 雫は美しい月を見上げて、

(お姉ちゃんは今、どこにいるのだろう……)

 と思った。

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