表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/80

第十七話 宿場町の黒幕(5)

 暗闇の畳の上で泥の塊と化してゆく紬を見下ろし、鉄海は静かに合掌をした。

 そして一言二言、呪文を唱えて、心から念ずると、紬の体は泥水のようになって、畳の下に染み込むようにして消えていった。

 鉄海和尚は感慨深いそうに頷くと、茜の方を向いた。

「泥人形が壊されたのは残念だったが、泥人形はいくらでも作り出せるものだ」

 と吐き捨てるように言った。

「そう……」

 茜はその言葉を聞いて、鉄海が冷徹な悪魔のように思えた。


「茜。お前はもう逃げられんぞ」

「あなたの思い通りにはさせないわ」

 鉄海和尚は数珠を擦って、呪文を唱える。再び心から念ずるとたちまち本堂内に雷鳴がとどろき、激しく床が揺れ動いた。鉄海の指先から青色の稲妻が宙を走り、茜を正面から捕まえようとする。

(当たるか……!)

 茜は畳を蹴って横に転がって、稲妻を間一髪のところで避けると、すぐに三つの手裏剣を放った。

 鉄海和尚は、左手の人差し指から稲妻を次々と放ち、飛んでくる手裏剣を次々と撃ち落としてゆく。

(馬鹿な。そんなことではこの鉄海、殺せんわい)

 そう思った時には、茜はもうすぐそばまで迫ってきていた。


「いかん!」

 鉄海和尚は、空中から斧を引き出し、すぐに茜に斬り込んだ。

 茜は畳を蹴って、飛び込んだのと同時、刀を横一文字に振るって、ぴたりと止まった。


 ふたつの影が背中合わせに立っている。


 鉄海和尚は自分の腹から鮮血が滴っていることに気がついた。そっと腹を触ると上下に切り開かれている。和尚は血を口からドバッと吐き出すと、そのまま畳の上に崩れ落ちた。


「やったか……」

 茜は刀をくるりと回して小さくすると着物の内側にしまった。そして歩み寄って、鉄海和尚の亡骸を見下ろした。

「まったく罪深い僧侶だった。地獄に堕ちることだろう……」

 罪深いと言えば、紬を生み出したことがなによりも罪深かった気がする。紬は結局、泥水に戻ってしまったが、一度、生み出された魂がそんなに簡単に消えてなくなるとは思えない。愛されようとして愛されることのなかった泥人形の気持ちはこれから先、どこへと向かうのだろう。


「大丈夫か。茜!」

 と叫ぶ声がしたので茜が振り返ると、小猿の三平が寝所に走り込んでくる。茜は、自分の着物がわずかに切れていることに気がついて、背筋が冷たくなった。

「鉄海和尚はたった今、成敗したよ」

「そうか! そいつはよかった!」

 三平はほっとしたらしく腹をさする。


「そうね。これでこの宿場に平和が戻ることでしょう。でも、わたしとそっくりな紬って泥人形が暴れまわってくれたせいで、わたしはもうこの宿場にとどまるわけにはいかないだろう……」

 茜はこの宿場を後にして、次の目的地に向かうべきだと思った。

「だとしたら、この先、どこに向かうんだ?」

「江戸に向かうよ。江戸には全国の大名屋敷が揃っていることだし、栄之助がどうなったか分かるかもしれない。それに世が乱れて、妖が溢れている理由も探りたい……」

 茜は、そう言うと紬が泥水となって消えていった畳の上を眺めた……。



 その日のうちに、茜は人の目に触れないようにして宿場から出て、甲州街道を通って江戸へと向かった。小猿の三平を子分として引き連れている。

 夜通し歩いたので、茜は風邪を引いたらしく、寒気がしていた上、体から悪臭がする気もしたので、渓流の崖の上に温泉が湧いているところがあると聞きつけて、すぐにそこへと向かった。

 そこは露天の浴場で、本来は混浴であるらしいのだが、今は一人の女子が浸かっているだけということだった。茜は、小猿の三平を見張りに立たせると、安心して着物を脱ぎ、湯に浸かった。

(おや、幻かな……)

 茜はそう思って、瞼を指で二、三回こすった。

 白い湯気にまぎれて、うっすらと影が見えているだけだったが、確かに自分とそっくりな顔と体つきの女子(おなご)が美しい体を湯に浮かべている。


「あっ、紬……!」

 茜はそれが紬だと気づくと、慌てて湯から飛び出そうと身構える。

 しかし、紬はにやりと笑うと、茜のそばに美しい体を寄せてきた。まったく生写しの裸体が湯の中に並んでいるのは、美しくありながらもどこか奇妙だった。

「茜。わたし、死んだと思った……?」

「生きていたのね。紬……」

「そう。あの時、鉄海様はわたしを生かしてくださったの。自分の命と引き換えにね。それに、もうわたしは泥人形ではないわ。鉄海様はあの時、わたしの体を呪術で本物にしてくださったの」

 茜が視線を落とすと、確かに紬の体は茜のものと寸分違わず、暖かく息づいている。


「紬。それで、あなたはこれからどうするつもり?」

「さあてね。わたしのご主人様はあなたが無慈悲に殺してしまったんだもの。わたしはひとりぼっちよ」

「………」

「あの時、わたしは畳の下で、あなたに復讐を誓ったわ。あなたの息の根を止めることのみがわたしの存在する理由になりそう。でも、今日のところは許しておいてあげるわ」


 そう言うと紬は、ざばっと水音を立てて、湯から上がる。刺青の彫られた背中が生々しくも美しい。茜は鏡に映る自分の美しい体を見ているようである。

(泥人形を生の人間に仕上げてしまうとは、あの鉄海もただの僧侶ではなかったな……)

 茜は、この世にはまだまだ未知の呪術が眠っているのだろうと思った。


 その瞬間、紬は宙から、鋼鉄の(くし)を拾い出すと振り向きざま、茜に襲いかかった。茜ははっとして湯から一丈も跳び上がる。

 紬は、茜の着地するところを狙って、櫛を構えて再度、飛びかかった。

 茜は回避しながら、すかさず紬の櫛を持った手首を掴んで、右足を絡めると、紬を湯の中に勢いよく投げ落とした。ところが紬は茜の肩を掴んでいる。紬は茜の腹をぐいと蹴ると、湯の中を真鯉のように泳いで、ずいぶん離れたところで起き上がり、忌々しそうに茜を睨みつけた。

「ふん。今日はお預けにしてあげる。でも、あなたはわたしの手にかかって命を落とすことになるんだ……」

 そう捨て台詞を残すと、紬はそのまま渓流の川底に飛び込んだ。

 茜は、これから先、紬と対決することになるだろうと直感した。





     「宿場町の黒幕(5)」完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ