第十六話 宿場町の黒幕(4)
茜は、日本刀を掴んだまま、石段の上の畳に飛び出した。すると天井から何匹もの毒蛇が落ちてくる。茜はすかさず日本刀を振るって、それらを切り裂いた。
(どこだ。鉄海!)
茜は、小猿の三平と二手に別れて、鉄海和尚を探すことにした。
茜が本坊の廊下を走ってゆくと、金色の襖の前であぐらをかいて見張りをしている若い僧侶がいた。薙刀を抱えている。茜が近づくと、あっと小さく叫んで、平伏する。
「これはこれは若奥様……」
「わ、若奥様……?」
茜は驚きのあまり、思わず叫ぶ。
「先ほど御住職と寝所でお休みになられたと思っていたのですが、どこからお出になった……。いえ、これは拙僧、余計なことを……」
と言って、僧侶はなんと言ってよいものか困っている。
「ええい! 誰が若奥様だ……!」
茜は、偽者の自分と間違えられたことに怒ると、すぐに僧侶の日本刀を突きつけた。
「あっ!」
僧侶は驚いて、飛び退くと、抱えていた薙刀で日本刀の切先を打ち払った。
「す、すると若奥様ではないのか!」
「だ、誰があの薄気味悪い老僧の若奥様なものか!」
茜は、僧侶の懐に飛び込むと逆袈裟で斬り上げた。僧侶は叫び声を上げ、鮮血にまみれながら廊下を転がる。
「ええい! どこだ。鉄海!」
茜は、金色の襖を蹴り破ると、鉄海和尚の寝所目掛けて勢いよく走り込んだ。
鉄海和尚の寝所にたどり着くと、人が眠っているらしく、布団が膨らんでいたので、茜は中身を確認することもなく、真上から日本刀を突き刺した。ぐりぐりと念を押す。
「ん……?」
茜は首を傾げた。
(この感触、人の体ではない……)
おそらく、藁だろう。
はっとして茜が天井を見上げると、自分とまったく同じ顔と体つきの女子が、天井の格子にくっついている。すぐに日本刀を宙から取り出すと、茜めがけて飛び降りてくる。刀身が光った。
「くそっ!」
茜は、斜めに飛んで、間一髪のところでこれを回避した。
「おしかったね。もう少しであなたはわたしに殺されていた……」
そう言うと、茜とそっくりな顔のその女子は悪戯好きの子供のように舌を出して、うふふっと笑った。
「あなたがわたしの偽者ね」
と言ったのは本物の茜。
「そうかもね」
「わたしの振りをして勝手なことするのやめてくれる?」
「うふふ。でもね、わたしはあなたのお顔とお体、すごく気に入っているのよ。あなたが死ねば、わたしだけのものになるわ……」
「あなたは、鉄海和尚が作り出した人形でしょう」
「人形と言うのやめてくれる?」
その女子は、その言葉を聞いた途端、鋭い目つきに変わって、茜を睨みつけた。
「いいえ、言わせてもらう。あなたは所詮、泥人形なのよ。いずれはぼろぼろに朽ちて無くなってしまう。それがあなたの運命なのよ」
そう茜が言い切ると、泥人形の表情はすっかり凍りついてしまった。
「鉄海なんかの寵愛も、あなたの泥が溶けて、形が崩れてしまえば終わってしまう。そうすれば、あなたは捨てられるだけじゃない」
茜は辛辣なことを言いすぎている気がしたが、構わず言いたいことを言った。とにかく自分そっくりに作られた泥人形にこれ以上、勝手なことをされたくなかったのだ。
「いいえ。鉄海様は、わたしを心から可愛がってくださっているわ。たとえわたしが戦いの果てにぼろぼろになって、泥の姿に戻っても、わたしのことを深く愛してくださるのよ……」
そう言い切る泥人形を前にすると、茜はわずかに不憫に思えてきた。
「そうかな。でも、もし、そうだとしたら……」
「うん」
「ねえ、あなたは鉄海になんと呼ばれているの?」
「わたしの名前は、茜よ……」
「それじゃ、あなたはいつまで経っても、わたしの偽者にすぎないじゃない。鉄海もそう思っているから、あなたに新しい名前を付けないのでしょう」
泥人形はその言葉に、恐ろしい表情を浮かべたかと思うと、次の瞬間には、茜に手裏剣を投げていた。
「言わせておけば……!」
茜は、跳び上がってその手裏剣を避けると、畳の上を転がり、すぐに反撃の準備をした。ふっと唇の先から細く火を吐くと、たちまち巨大な煙となって、寝所を包み込んでしまった。
一寸先も見えない中、茜の耳に泥人形の物音がかすかに聞こえた。茜は、そこに向かって飛びかかると、腰を捻って、横一文字に切り裂いた。
「ああっ!」
茜の声とまったく同じ声が寝所に響いた。
煙が去った後、鉄海和尚は、寝所の奥の黒塗りの金庫から出てきた。老僧は、いまや泥人形になって、ところどころ形が崩れて、床に転がっている若奥様を見下ろす。
「どうやらわたしの泥人形は、本物の茜の前に敗れたようだな……」
「鉄海様、お願いします。わたしに名前をつけてください……」
泥人形は、か細い声でそう言った。
「なに、名前だと。わたしは、お前のことをいつも茜と呼んでいたな。それではいかんのか……」
「わたしは茜ではありません。わたしは茜の偽者ではなく、わたしはわたし自身なのです。本当の名前が欲しいのです」
「本物の名前か。お前にそこまで人間らしい気持ちが宿ってしまったか。ううむ。わしもお前を愛しすぎたのかもしれん。よし、冥土の土産だ。お前に名前をつけてやろう……」
と鉄海は言った。
「どのような名前でもいいですわ。鉄海様がつけてくださるのなら……」
そう言われるとすぐには思いつかない。そうこうしているうちに、茜が日本刀を握ってゆっくりと迫ってくる。
「お前の名前は……」
鉄海和尚は、茜を睨みつけ、数珠をこするとこう言った。
「紬だ……」
すると紬は、にこりと微笑んだのだった……。
「宿場町の黒幕(4)」完




