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美死麗軀  作者: 御茶
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6

僕らが今追っている「ヤマ」は、最初はそれなりに犯人の目星が直ぐにつくと思われた。

被害者は独り暮らしのお婆さんで、近所でも変わり者として扱われていて「うちは盗られる物なんて何もないから」とこのご時世、戸締りもせずに過ごしていたようだ。

荒らされた部屋は荒らされているのか最初から荒れているのか解らないようなぐちゃぐちゃ具合だったし、それでも財布からはお金は抜かれていて、金品を物色した跡はある。

凶器はその家に有った出刃包丁だけど、先に殴られた跡があり、犯人は被害者と鉢合わせしてとっさに殴り倒し、顔を見られた混乱故に殺人を犯した…。

というのが大筋の見立てだ。

単純な物取りから派生した殺人事件だと。

証拠を拾っていけば挙げられる仕事のはずだった。

でも、何か奇妙な事件だったんだ。

鑑識が何一つ物的証拠を拾えなかったのだ。

足跡、毛髪、指紋。

何一つだ。

そんな事はありえない。



運転席で先輩が大きなため息を吐く。

「鑑識ちゃんと仕事しろってんだ…あいつら…俺らがどんだけ無駄足踏んでいると思ってんだ…」

助手席で僕が神戸にラインを打ち終わり、顔を上げた。

「鑑識の丸太さんですら何も見つけられないなら…計画犯なんですかね…」

「あぁ?丸太の野郎なんて俺に言わせればクソだ」

「またそんな…」

そう、先輩は口が悪い。

「朝、お前が調書作っている間に鑑識にもう一回寄ったんだ。ハッパかけてやろうと思って」

「はぁ…」

「あいつ舐めた事言いやがって、そちらの初動捜査ミスでしょ?とか、すかした顔してぬかしやがって思わず胸倉掴んでやったわ」

「えぇぇ…」

そう、先輩は手も早い。

「今のわざと嫌味言ったのか?汚い性格しているなって、そっちが仕事しないからこっちが苦労してんだぞって、何様だって言ったら、怯えた顔して横向きやがって、喧嘩もろくにできない癖に口挟まず黙って仕事しろってんだあの豚」

憎々しげに吐き捨てる。

「はぁ…」

相変わらずパワハラだなと顔を引きつらせながら相槌を打つも、先輩は僕に対してもそう言う所があるから…丸太さんの気持ちもよく解る。

嫌だったろうなぁ…。

先輩は犯人を追いかけるあまり周りに自分と同じぐらいの熱量とクオリティを求める。

マジ切れするし、手も出してくる。

全身で怒りをぶつけられる相手は疲弊する。

皆頑張っているのだけど…、結果がでない仕事はお互い辛い。

僕のスマホが揺れた。

画面をタップすると神戸からのラインで、可愛いスタンプが押されている。

キラキラしたウサギがウィンクしているスタンプ…女子か…。

しかしその下のコメントに僕はゾッとした。

『君の先輩、誰かから呪いを受け取ったんじゃない?』

続いて又文章に似つかわしくない可愛いスタンプが押される。

今度はウサギが親指を立てていて「good」の呑気なポーズだ。

何故ココでこのスタンプなんだ。

そして『呪いがとけたら元に戻るんじゃない?』と。

『呪いってどうやって受け取るの?そんなに簡単にあちこちある事なの?何で呪いって思ったの?というか、その呪いどうやってとくの?元に戻る??後で電話していい?!』

僕はスマホに必死に打ち込む。

そんな僕を、車を運転しながら横目でチラリと見た先輩が言った。

「彼女か?大事にしてやれよ。俺たちの仕事は急に帰れなくなったりざらだから、相手を不安にさせる事が多いからな…」

僕はスマホから顔を上げて先輩の横顔を凝視した。

どんなに酷い所があろうとも、一年で死んで欲しいと思ったことは流石に無い。

殴られたこともある、罵声を浴びせられるときもある、でも心底心配もしてくれる。

助けたい、助けなきゃいけない。

でないと僕は後悔する。




警視庁に戻り、刑事課に先輩の後ろから入って行った瞬間だった。

うつむいて歩いていた僕はハッとして顔を上げた。

そこにはもう誰も居なくて、そんなの有り得なくて。

時間は16時前。窓の外は明るい。

一番刑事課が慌ただしいと言っても過言じゃない。

絶え間なく出入りの人やら電話が鳴り続ける部署なのだ。

無音の世界は何度来ても足元から一気に背筋が凍る。

この使い慣れた巨大建物の中に誰も居ないという初めて見る光景は恐怖でしかなかった。

「神戸さん…」

助けを求めて声を上げる。

ここにそんな何か黒いのが出てくるような何かがある?!…あるだろうよ!!!

日本の首都、東京中の凶悪犯を取り扱っている。

アレが出てくる前に必死でスマホをタップする。

何で何で何で。

神戸を探しぐるぐるまわりを見る。

廊下の端だった。

黒い…塊。

見ちゃダメだ。

そう思って目をそらそうとしたけど、そいつが今までと違う動きをしたのだ。

そいつから一本の黒い筋が廊下を這う様に現れ、真っ直ぐこっちへ向かってくる。

僕はわずかに避ける様に横に移動すると、その黒い筋は刑事課の中へ入って行き、そして先輩のデスクへたどり着いたのだ。

先輩の椅子をぐるり取り囲む。

「えっ…」

ふり返り廊下の端を見ると、その黒い筋は何本も伸びていて、各部署へ数本ずつ伸びていくのだ。

何だこれ!?

不吉以外何物でもない。

いつの間にか蜘蛛の巣を張る様にその黒い筋は廊下へ、壁へ黒を何本と這っていく。

警視庁の内部を巣食うように張り巡らされていく黒い筋。

そこに一人ぼっちの僕。

耳に当てたスマホ、鳴らしっぱなしの電話に神戸が出る気配は未だない。

この状況で、一人でどうしろと…。

目の前で細かった黒い筋はドンドンと太くなり、先輩の椅子をぐるぐると囲む。

神戸のラインの台詞が頭をよぎる。

『呪いを受け取ったんじゃない?』

僕は先輩の椅子を囲んだ黒い筋を、力いっぱい踏んづけた。

ブヨン。この微妙な弾力、前と同じだ。掴んでも殴っても跳ね返してくる。

デスクの上に置いてあるハサミが目に留まる。

神戸が刀で切れるのなら、刃物なら…。

何の確証もない、やれば自分が何か受けるかもしれない。でも何かせずにはいられない。

この世界で立ち止まると永遠に無の中にいるような気分になる。

必死でハサミの刃を立てて振り下ろす。

ブヨン。

思わぬ力に弾かれて、ハサミが後方に飛んだ。

そのハサミを目で追った時、背後には居たんだ。もう、黒塊が。

目が合った。

その限りなく闇色の眼。一色の深い穴。僕はその目を見たまま固まった。完全に動けなくなったのだ。

「先輩に何をする気…」

目を外せない、語りもしない悪魔と呼ばれる相手と見つめ合う。

いつこの腹が割れて、吸い込まれても可笑しくないのだ。

だけどこいつを倒せば先輩は助かるのかもしれない。そのかすかな希望。

この見てはいけない目を潰せば…。

僕がそいつの眼に向かって拳を振り上げた時、その手を誰かが握った。

反射神経で振り返る。驚いて。

瞬間、僕の背後から無数の黒い何かが顔、腕、腹、足、指先、髪の毛、全てに絡みつくのを感じた。

その冷たさ。

痛いほどの冷たさに全身が包まれた一瞬、黒の隙間から神戸が僕を見て微笑んでいて、神戸の片手にある大太刀が僕の横から、黒塊に突き刺さっていた。

ワッと僕を引きずり込もうとしていた黒い力が、冷たさが、弾ける様に消え、黒い霧となり周りに散った。

「目をそらしちゃダメだよ」

静かにそう言う神戸の目の前で、へなへなと僕は座り込む。

「先輩の椅子を囲んでるんだ…あの黒い筋が…」

「…ふぅん」

気のない返事をする神戸がぐるりと辺りを見回す。

僕の背後に居た黒塊が消えても、庁内の壁や床に伸びた黒い筋は残っている。

先輩の椅子を取り囲む黒も。

「大元はココに居ないね」

黒い筋を一瞥して神戸は歩き出す。

「待ってよ!これ何?何が起きてるの!?」

神戸は僕を振り返りもせずに前を向いたまま答えた。

「…人が闇を見つめ過ぎたら闇に飲まれる。近づこうと、操ろうとすると己が魔に飲まれ、最後は何よりもみじめなものになってしまう…」

「意味が解らないんだけど!!」

廊下に出るとポコポコと他の黒塊がそこかしこから出てきていた。

「走るよ…」

言った時にはもう走り出していた神戸。

慌てて追いかける。

目の前を風の如く走る神戸のその華麗なる刀さばきを何と言えばよいのだろう。

神戸が大太刀を振るうその様。

壁に足をつけ、重力を無視し壁を真横に駆け抜け黒塊を斬り裂いていく。

刀を投げ捨て、大きく背面跳びをしたら新しい大太刀を胸に抱くようにして天井から出てくる黒塊を真っ二つ斬る。

一体斬っては刀を捨て、滑り出る様に新しい刀で又斬る。

斬って斬って斬って、最後神戸がエレベータ前で片膝を着け低い位置から横真一文字に刀を振るった無駄の無い後ろ姿は、ただ、美しかった。

「行こう」

立ち上がった神戸が振り返って僕に微笑みかける。その手に持つ刀から漂う残り香のような禍々しい黒い霧と神戸の華々しい笑顔のコントラストは鮮烈だった。




当たり前の様に二人でエレベータに乗る。

わずかな音、空調の音すら無い、無音の世界をエレベータが下に降りて行く。

「何が起きてるの…」

「うーん。何がってわけじゃないけど…。真っ直ぐに逝けない魂が不自然な場所で留まり続けるといずれ黒塊の魔となってしまう。己が何だったかも忘れ、心を無くし、ただただ魔を呼ぶ存在になる。ブラックホールだよね。だけど、今この建物の中に居るのは…生きながら魔となったモノだね…。魔だけを呼び続けている。…何て言えばいいのかな、もう本当に、僕からしたらとっても迷惑だよ。世界の均衡を崩す迷惑な存在」

困ったものだねと。大したことない様に話す神戸の言葉はいつも解るような解らないような説明で、でもエレベータの扉が開き、神戸は内部の構造を全て理解しているかのようなしっかりとした足取りで歩いていく。

廊下にはびこる黒い筋はドンドン多くなり、一つの部署の前で立ち止まった。

「鑑識課」

躊躇なく扉を開いた神戸。

誰も居ない世界なのに。中にたった一人、デスクに向かう人が居た。

丸太さんだった。

「…何で…この世界に丸太さんが…丸太さん死ぬの…?」

怯えた僕の声。

デスクから顔を上げた丸太さんの顔はほぼ青色で。顔色が悪いとかいうレベルではなくて、絵の具で塗ったみたいに青色で。

僕が絶句していると神戸が言った。

「生きた人間なのに…もう心は闇に飲まれている…。死体を苗床にして恐怖と不安を召喚させたね…」

「どういう…」

「この人は」

話し出そうとした神戸の声を遮って、丸太が声を上げた。

「岡田ぁぁああああ!お前北山ん処の岡田だなぁぁあああ」

僕はびっくりして目を開く。

だって彼は大人しくて、声も小さくて、オドオドしているタイプで、そんな風に名を呼ばれたのは初めてだったから。

青いボールみたいな顔で、僕が見つめる中、みるみる目が有り得ない程両端に離れていく、舌がべろりと長く顔から垂れ下がって、それはもう人間じゃなかった。

そんな丸太の形をした何かが突進してきて、そのまま突っかかり、ぎゅうぎゅうと僕の首を絞めだしたのだ。

「か、神戸さん!!」

驚いて神戸に助けを求めながら棒立ちだったし、どうしていいのか解らなくてされるがままで、でも首は苦しいし、間近で見る丸太風味の何かは恐怖でしかなくて。

神戸が困ったように言った。

「彼は生きた魂だから僕はどうこうできないんだよ。…僕が岡田君の友達としてできる事はこれくらい」

そう言うと丸太の足元から幾筋も出ている黒を大太刀でくるりと切り取ったのだ。

パチンと何かが丸太から外れた。

縦横無尽に庁内の壁や床を這いずり回っていた黒い筋がするすると鑑識へ戻ってくる。

あっという間に一つの大きな黒塊となって神戸の横に立った。その巨漢。

「僕はこっちの相手をするから、そっちは岡田君が何とかして」

僕に背を向けそう言った神戸は大太刀を自らの真正面で構えた。

同時に僕は丸太風味の腹を思いっきり蹴とばす。

一気に酸素が体内に入ってきてぜいぜいと空気を吸った。

「何やっているんですか!丸太さん!!!しっかりしてください!!」

叫んだ僕をゆっくりと見た丸太の眼球が前へ飛び出してきている。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…、北山憎けりゃ岡田も憎い…」

ぼそぼそと呟く丸太。

「何言っているんですか!?元に戻ってくださいよ!!」

「お前も消えればいい…俺にはその力がある…。俺はすごいんだ…お前達なんかより凄いんだ…腕力で物言う野蛮なお前らとは違う。知的レベルが違うんだ…」

ぶつぶつ言いながら又こちらへ向かって両手を伸ばし、首を絞めてこようとするので恐怖と相まって思わず足で又相手の腹を蹴る。

「ぐぇっ」と蛙が潰れたみたいな声を出して後ろへすっ転んだ丸太の口から黒い液体と一緒にゴンッと大きな音を立てて何かが出た。

指を通す穴があいている、人を殴る時のメリケンサックだった。

「これ…」

僕は今先輩と追いかけている強盗殺人事件の内容が一気に頭に回った。

鑑識から何一つ証拠が挙がらない事件。

そんな中、最初に殴られたであろう老婆の外傷痕はとても力強いもので、屈強な犯人像を皆想像していた。

「まさか…丸太さんが…殺したの…まさか…」

背後で神戸が黒い霧の中から出てくる。

「戻ろうか」

「丸太さんは…」

「生きた魂だ。元に戻る。彼が呼び寄せた魔は僕が今切ったから。少しはましになるんじゃない?」

「…彼が、あのお婆さんを殺した犯人…?」

「そうだね。古い手法だ。人を殺めて自らに魔を取り込む。彼は自分の中の闇を見つめ過ぎたんだ。人間の中には陰の部分と陽の部分が必ずある。どんなに明るい人でも負はどこかにある。それを見つめるか見つめないかの差だ。何に注目して生きるのかは大事な事。具現化してしまった魔は目をそらしちゃダメだけど、まだ形になってない自分の中にある魔は見つめ続けちゃだめだ」

「丸太さんが先輩を呪ったんだ…」

「君の先輩も悪いよ。相手を不必要に不快にさせる行為は悪い因果を生むに決まっている。だから君の先輩の額の数字は又変わっているだろうけど、別のいい因果を踏まないと、完全には戻らないだろうね」

「戻らないの?」

「一度結んだ因果って消えないんだ。その本人が死んでもね。消える事がない。自分の子が背負うなり家族や周囲が背負う。そういうものだから。岡田君や僕がどうこうできるものじゃない」

ぐえっ、ぐえっと床に黒を吐き続ける青い丸太を見る。

そのドロドロの黒の吐瀉物の中からメリケンサックを拾った。

これが物的証拠となるだろう…。

「…元の世界では…僕が丸太さんを検挙します…ありがとう、先輩の事も、丸太さんの事も…事件が一つ解決しそうです。神戸さんのおかげで…」

「ふふふ。岡田君っていい奴だね。又お茶奢ってね。僕も奢るし」

「本当?」

神戸から奢られるという言葉が新鮮で、笑顔を見せた僕に神戸もつられたように笑った。

その太陽みたいな笑顔は、この人は本当は死神じゃなくて、神様の使いの天使なんじゃないだろうかと僕は思った。




だから、それから数日後に偶然「神戸一」の墓石を都内の霊園墓地内で見つけた時、僕は腰が抜けるほど驚いた。


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