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美死麗軀  作者: 御茶
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3

のっぺりとした黒塊は生きていて。動いていて。意思があり。目があり。僕を見ている。

動物じゃない。人間じゃない。その奇異な風貌。

そして、丸腰の僕は勝てる気もしない。

風も無い、音も無い世界は静寂で。自分の心臓の音すら聞こえそうな程静かで。誰も居ない。

僕がココで死ぬ事があっても誰も気づかないだろう世界。その孤独感。

僕はただただジェル状の液体の様にぬめぬめぶよぶよして見えるそのマーブルな黒さを凝視する。

目を認識した事で俄然、生き物っぽい。その人ならざる者。

そいつと見つめ合う僕はこいつに飲み込まれるという恐怖しかなく。

神戸が斬るという事は神戸には邪魔な物なのであろう。

死神が邪魔だと思うモノってなんだ。

体から冷や汗が出ている。

心がひりつくような恐怖。

1秒が1分か10分にも感じた。

でも頭で目をそらしちゃダメだという神戸の声が警告音の如く響いていて。

僕はどうしようもくそいつを凝視するしかなく。

足は根が生えたように動かない。

そいつと随分見つめ合っていたのだ。本当はわずかな数秒だったかもしれない。

フッと突然心が軽くなるのを感じた。

僕の中を駆け巡っていた不安や恐怖が一気に消えたのだ。

それは急激な変化で、でも確実に心から体中に広がる安堵感というか不思議な懐かしさ。

安らぎという感覚だった。

僕は無意識に呟いていた。

「お母さん?」

自分の声が耳に入り、それが自分の考えの念を押す。

目の前にいるのは相変わらず黒く渦巻くその塊。

手もなければ足も無い、ただ目があるだけ。鼻も口もないのだ。

だけど全然怖くなくなっていて。

むしろ好きで。

大好きな懐かしい気持ちが溢れだしていて。

黒い塊だと思っていたのは人間で。

その目が優しい目だと。

何故だかそれはずっと昔、学生時代に既に亡くなっている僕の母親に違いないという確信。

僕は自らその黒塊に抱きつこうとしていた。

「おかぁ…」

その瞬間、目の前の黒塊がドチャっと溶解するように崩れ落ちた。

「えっ…」

何が起こったのか解らず両手を広げて立っていた僕の周りを黒い霧となり飛散していく黒、黒、黒。

僕の背後より大太刀を綺麗な構えで真っ直ぐに黒塊に突き立てた神戸が立っていた。

神戸は大太刀をその場に投げ捨てると一気に僕の肩を抱き、トラックの屋根から飛んだ。





僕はいつもの家に向かう帰り道に立っていた。

電車の遮断機がカンカンカンと甲高い音を鳴らしているし、電車の走り去る轟音はいつもの日常音だ。

帰ってきている…。

さっきまでの事は何だったのか。道の真ん中で呆然と立ちすくむ。

「歩こうか」

神戸が隣で何もなかったように微笑むと真っ直ぐ姿勢よく僕を置いて歩いていく。

その背中を見つめ、本当は神戸に聞きたいことが山のようにあるのに、どこから聞いていけばいいのかすらわからなかった。精神の疲労が口を重くしていた。

よたよたと神戸を追いかけ、その隣に並ぶ。

「岡田君すごいね」

「……何が……」

「あれをプラスの感情に持って行けるなんて」

「あれ?…あれってあの黒いの…」

「うん」

「あれ、何?」

「悪魔」

「あれが???」

「人間の中にいる悪魔。人間の弱さから産まれたもの。人が産みだすんだよ。悪魔を。自分自身を、自分の弱さを見つめられずに目をそらしたものから飲み込んでいく。弱い生き物なんだ。悪魔って。最弱。だけど、それに飲み込まれる人間は多い。恐怖や不安から形になって徐々に肥大する」

「意味が解らないんだけど…色々…」

神戸が悪魔と称したモノを僕は最後母親と認識したのだ。

「…君と居ると何がなんだか…」

『君と』の『と』の部分で神戸が会話を遮った。

「僕は岡田君の事を岡田君って呼ぶのに岡田君は僕の事を君と呼ぶの?」

「…」

「神戸君でも、神戸ちゃんでも、べーやんでも、下の名前の呼び捨てでもいいよ」

疲れた頭の中だけでベーヤンってキャラじゃないだろうと突っ込んだ。

先ほどまで飛び回り、あの幾つもの黒塊を、悪魔を叩き斬っていたとは思えない、髪の先ほども疲れを感じさせないイキイキとした瞳。生命体の塊のような、弾けるその質感の神戸はCG加工された映像のように作り物みたく…綺麗だ。

「神戸さん…。本当に死神…?」

「さん付けかぁ…。まぁ気に入らないけど仕方ないね。譲歩しよう」

「…」

「死神じゃなかったらなんだと思う?」

「…解らないよ…。解らない事だらけなんだよ…僕の常識とかけ離れたことばかりで…」

「その常識、全て捨てていいよ」

「…神戸さんが悪魔と言う…あの黒いの…僕の母親だったかもしれない…」

「…」

「僕はあれを最後母親だと認識したんだよ…どういう事…」

声に出すと、急に泣きそうだった。

神戸は静かに言った。

「…お母さんだと思って怖かった?」

首を細かく振る。

「全く」

「嫌な気持ちした?」

「全然」

「…お母さんが守ってくれたのかもしれないね。岡田君の事」

ぼんやりとしたその物言いに僕は非難がましく言った。

「…そういう事を死神が言う?」

神戸は苦笑する。

「僕だって万能じゃない。岡田君より少し世界のことわりを知っているだけに過ぎない。もっと自分の全ての常識を疑った方がいいよ。世界は不安定で岡田君の気持ち次第でどうだって変るんだから」

「何が…どうなったのか…」

「悪魔は自分自身。目が合った人間の奥の恐怖と不安を引きずり出そうとする。けど、岡田君は根底にきっと、そうだね、愛がいっぱいあるんだね」

「は?」

「僕、とてもいい友達を持ったな。嬉しいな」

弾けるような笑顔で僕に笑いかけてくる死神こそ、本当に育ちのいい純粋な愛の塊みたいな優しい顔で、僕は条件反射的に照れることしかできなくて。

亡くなっている母が救ってくれたという回答が眉唾だろうとなんだろうと、心は温まったし、神戸に褒めてもらったことも何だか嬉しくて。

神戸と居る時間は目まぐるしく、歩きながら話をしているうちにこのままでは僕の警視庁の独身寮についてしまう。

「僕が普通の一人暮らしの家なら家に上がっていく?って、気軽に聞くとこなんだけど…寮なんだよ…」

神戸が『それがどうした?』という顔をする。

「…もう少し神戸さんと話したいけど…」

「じゃぁ少し寄り道する?」

悪戯っ子みたいな顔で提案してくる美しい男の誘いを断る理由なんてなくて。

人は同性とか異性とか関係なく、純粋に美しい物に惹かれるんだなと思った。





僕の家、むさ苦しい独身寮を通り過ぎて、5分ほど歩くと小さな公園がある。

遊具は2つしかないし、余り手入れもされてなくて雑草も結構伸びている。

誰が使っているんだろうという寂れ具合だけど、昼間に通る事が無いので気にしたことも無かった。

夜の公園というのは何故かとても…暗い。

子供が昼間に利用する場所が夜というだけで違和感を作るのだろうか。

誰も居ない公園をたった一本の街灯が寂しく、心もとない明かりで照らしていて。

いつもより一段と荒んで見えた。

神戸は楽しげにその小さな子供用のブランコにやや無理矢理座った。

光量が極端に少ない、寂れた公園のブランコに座る死神は夜の闇にまぎれず浮き上がり、陶器の様に美しく…その極端な美しさが不気味すら誘った。

僕は異質なものに対する気持ちを切り替えたくてまだ明るい公園の入り口にある自動販売機で飲みなれたブラック珈琲を買う。

少し離れた神戸に声をかけた。

「神戸さんも何か飲む?」

「何でも」

「ていうか、前もおごったけど、神戸さんお金持ってないの?」

「持っているよ」

「えぇぇ!?じゃぁ、自分で買ってよ」

「君からもらう事に意味があるんだ」

「何だよそれ…」

たかられているのか何なのか。見るからに高そうな生地の服をいつも着ているくせに。

安月給の公僕の僕に払わせるなんて。何ていう死神だ。

不満でふくれながら「じゃぁ、選ばせないからね」と、勝手に同じブラック珈琲を買うと神戸にそれを手渡した。

「ありがとう」

滅茶苦茶いい笑顔をする。

そして、前と同じようにそれを僕の目の前で一気飲みしたのだ。

「…そんなに喉乾いていたの?」

「ありがとう」

再度お礼を言われて黙った僕に神戸は淡々と言った。

「岡田君から物をもらうことに意味があるんだ。僕と岡田君に因果が生まれる。お金のやり取りがあるとチャラになるからね。ただの等価交換だから。誰かがモノを渡す。それを受け取る。それが大事で、全ての基本。一度生まれた因果は消えない。僕はこの世界のモノじゃない。けどこの世界の岡田君からモノをもらい受け取った。因果が生まれたんだよ」

「…」

「だから僕は岡田君から飲み物をおごってもらう」

「何それ…」

「簡単な式でしょ?呪う時も愛す時も基本は同じ式だからね。渡す。受け取る。だよ」

「えっ、ちょっと。急におどろおどろしいんだけど…」

「例えが悪かったかな?…どっちにしろ受け渡しが基本でそこに因果が生まれる。僕が友達になろうって声をかけた程度じゃまだまだ因果関係が薄いんだよ。それを岡田君は直ぐにお茶を奢ってくれたでしょ?あれで決まり」

指をパチンと鳴らして流れる様な仕草で僕を真っ直ぐに指さした神戸が無駄に恰好いい。

「はぁ…」

「それに、躊躇せず僕に奢ってくれたでしょ。それがいい」

「いや…ジュースぐらいならね…」

「それすら嫌がる人は居るよ。とても、人がいい」

「何だよそれ…。お人よしだってばかにされているみたい…」

「卑下することない。素敵ないい人間だって言っているだから。心根が愛情深いとてもいい人間だ」

僕は照れに照れて、変な表情になった。褒められ慣れてないのだ。

社会人になり、警視庁に入庁し毎日叱られてばっかりでこんなに面と向かって人に褒められたのは本当に久しぶりで。

そんな僕にポツリと神戸が言った。

「でも、本当は、岡田君からお茶も珈琲ももらってはいけないんだ…」

「何で?」

死神である彼にそんな風に言われると途端に不安になる。

「僕の世界のルール。異世界のモノと因果を結ぶことは禁止されている」

「えっ…じゃぁ何で…」

「何故、岡田君は最初から僕が見えていたの??それが僕にも解らなくて。何もしていないはずなのに、僕が見え、僕と会話が成立し、僕に触れることができる」

「…」

「僕の事、…知らない?」

神戸の真摯で真剣な瞳は漆黒の深く高貴な色合いで、吸い込まれそうな瞳。

僕はゆっくり首を横に振った。

こんな綺麗な人、忘れるわけがない。

神戸が困ったように笑った。

「長く死神しているけど、僕が見える人間も触れることができる人間も会話できる人間も初めてで…僕はこれが神の采配なのか魔の手引きなのかはかりかねて…とっさに好奇心に従ったんだ。…これが好奇心で死ぬ猫となるか、世界を救う勇者となるのかはこれからの僕と岡田君次第」

「次第って…」

「言っただろ?世界は不安定で人の心意気でどうにでも変わるって。例え最初は禁断の果実だったろうと、まだスタートラインだ。結果を出すのはこれからだからね」

「結果って何の…」

神戸は空になった缶コーヒーを僕に向かい乾杯するように持ち上げ、ニッコリと屈託なく笑った。

「僕らの友情の」







朝、いつもの部屋で一人起きると昨日のことはやっぱり全てが夢だったのかなと思う。

リアルで激しい夢だったのかなと。

ぼんやり朝刊を手にした時、首都高でトラックが防音壁に激突している派手な写真が一面に載っていた。

僕がハンドルを切り、その屋根に立っていたあのトラックの柄と寸分違わない車体写真。

運転手に持病があった事が既に記事に載っている。

新聞を食い入るように見つめる僕の背後のTVが朝のニュースを流していて、キャスターの声が耳に飛び込んでくる。

「先ほど入りましたニュースです。本日明朝、神奈川県の一軒家で一家3人の死亡が確認されました」

僕はゆっくりと振り返ってTVを見た。

「…」

規制線が貼られた家の映像だ。

「この事件で自ら110番通報をしてきた男が現在取り調べを受けている模様です。又解り次第お伝えいたします」

速報で入ったニュースは情報が少なく。

いつもなら客観的に見ているニュース。

今、それが、昨日僕が助けた親子3人とただ同じ数字というだけで。

言いようのない気持ちになった。

だけど、僕の目の端で走り去った車が、このニュースになっている親子なのかどうなのか、それを確かめるすべはもうなかった。


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