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日本の大動脈。首都高速は夜中だろうが早朝だろうが眠らない。
夜の闇と都会のネオンの間に浮かび上がる首都高は等間隔に並んだオレンジの照明灯に照らされ、4車線道路をひっきりなしに車が走る。
まさかいつも利用しているこの道をこの位置から見下ろす事があろうとは。
防音壁の上は風が強く僕と神戸の髪がひっきりなしにはためいていた。
「何が起きるんですか…」
僕の不安げな声に神戸はまるで今朝食べた朝食の内容を伝えるように抑揚なく言った。
「今からここで居眠り運転のトラックが玉突き事故を起こす。トラックとトラックに挟まれた小さな軽自動車がクラッシュして両親とその子供の3人が即死だ」
「止めて下さい」
強い口調になった僕に神戸はキョトンとした表情で「何故?」と小首をかしげた。
「だって!!!あなた!?何故って!?」
至極当然のことを言ったつもりの僕に「何故」と疑問を返されて言葉に詰まるも、目の前にいるのは死神で。
口ごもりながら一生懸命訴える。
「……!それは…あなたは、…あなたの仕事なのかもしれないけど…僕は…僕は…警官です!」
神戸はちょっとよく解らないという表情だった。
「それが?」
「だ、だから、止めてください。そんな…人の命を何だと思っているんですか…」
死神相手に何と説明すればいいのだろう?
「止める事はできないんですか?」
必死な僕に神戸は不思議そうに言った。
「何で止めたいの?止めて何になるの??」
「何になるって…」
「人は産まれた時に人生の数式ができている。式は…素人の岡田君に説明するのはちょっと難しいけど、乱暴に言えば(与えられた初期寿命×先天的因果)+(後天的因果×本人の生きたいと言う気持ち)…決まっているんだ。神はサイコロを振らない。世界は全て数式で埋め尽くされている。今ここで彼らを助けても又次の死に遭遇するだけだよ。途中で変わろうと若干の修正が入るだけにすぎない。カーナビみたいなもんだよ」
「カーナビ!!」
「ほら、そろそろくるよ」
「ちょっと!!ちょっと待って!!!」
「何を?」
価値観が違う相手に「何を」と問われて「何と」答えれば良かったのか。
今から目の前で人が死ぬというのを黙って見ていろというのが酷だと思わないのかと。
「君は死神で、迎えに行くのが仕事かもしれないけどっ!僕は、僕は…警察官でっ…!」
ビュービューと風が吹き、僕の唾を飛ばさんばかりに口に舞い込んでくる。それは死へのカウントダウンのように僕たちを巻き込むように吹いてゆく。
神戸は怒るわけでもなく、諭してくるわけでもなく、ただ淡々と言った。
「君が警察官だというのが何の理由になるのか僕にはさっぱり解らない。今から死ぬ予定の家族3人を死なせたくないと考えるのは自由だよ。誰だって好きな事を考えるのは自由だ。でも、もう一度言うけど、一緒なんだよ。今自分の目の前で起こる事故を避けても、いずれ神の数式に基づいて彼らは死ぬ。時間の先延ばしはプラスアルファとして彼らに圧し掛かる」
「…」
僕はきっととてつもなく情けない顔をしていたのだと思う。
神戸が困ったように笑った。
「そんな顔しないで」
「…でも…僕は助けたい…人間だもん…君とは違う…助けられるなら…助けたいと思うんだ…誰だって…」
神戸はやれやれ困ったぞという顔だったけど、そんな表情一つ絵になる優しい顔で。
こんな優しい顔をした人物が死神だなんて。本当に何もかも意味が解らない。
吹きすさぶ風が容赦なく頬を打つ中わずかな沈黙の後神戸がポツリと言った。
「チャンスは1回だけだよ」
僕は目を見開いた。
「あのトラックの運転手を起こせばいい」
神戸が指差した先に高さ4m越えの大型10tトラックが走っている。その前を走る小さな可愛い軽自動車。
既に車間距離が近い。
「ど、どうしたら?!」
僕がそう叫んだ時には神戸が僕の肩を抱き、一歩踏み出していた。
耳に突然空間を締め出された風の悲鳴音が聞こえたと同時に僕は無風の温かなトラックの助手席に一人で座っていた。
はっとして横を見ると半分眠りかけの運転手。
「起きて!!!!!起きて!!!!!起きてください!!!!」
絶叫した僕。だけど、全く反応しない運転手。
「ちょっと!!!」
そこまで叫んで気付いた。
運転手は半目で白目をむきかけていて、口からわずかに泡を吹き出していた。
この人っ!?心臓発作か!?
全身の汗がドッと出た。
助手席から飛び込むように大きな広いトラックの運転席のハンドルを無理な体勢で僕が握る。
もう、目と鼻の先に見える小さな軽自動車。
クラクションをベタ押し。大型トラックが発する地鳴りのようなクラクション音が周囲にまき散らされる。
頼む、逃げて!!!
頭の中の絶叫。
そのままサイドブレーキを一気に無理矢理引いた。
汗という汗が出る。
くい止めるとかじゃない。
このままじゃ僕が目の前の3人の親子を轢き殺す。
神様!!!
「うわぁあぁぁぁぁあああああああ!!」
叫びながら僕は思いっきりハンドルを左に回す。
瞬間、ドドドドドと縦横の衝撃。脳味噌をシャッフルされたような激しい圧がかかり、僕は片手でサイドブレーキを握り片手でハンドルを握ったまま顔を伏せた。
防音壁に自らトラックの車体を体当たりさせたのだ。
無理な体制からの激しい衝撃を全身に受け、頭を何処かにぶつけ、こめかみからタラりと生暖かい血の感触があったのも一瞬。
加速と車体の重量、そして重力の付加がかかるトラックは早々には止まらない。
このまま行ったら…その先の衝撃値は…。
激流の渦に振り回されたような状況下、血走った眼で何故か頭は妙に冷静で。
やっとの事で運転手を押しのけブレーキに足を伸ばした。
「とぉまぁれぇええええええええええ!!!」
防音壁に車体をぶつけながら火花を散らし、キィヤーーガリガリガリと金属の悲鳴と物質がぶつかり合う衝撃波が数秒続き、最後トラックは止まった。
軽自動車がずっと先を走り、見えなくなるのが目の端に映った。
「…」
誰かを助けたとか、安堵とかそんなんじゃなくて、ただ、自分が生きている事を実感していた。
虚脱状態。
そんな僕の横でぽわんと、光が見え顔を上げると、運転手の胸から輝く光の玉が浮き出てそれがトラックの屋根を素通りして出て行く。
まさか?
ハッとして、運転席の窓を開け、身を乗り出す。
そこにトラックの屋根の上に仁王立ちしている神戸が居た。
両手の中には光る玉が浮いている。
「ちょっと!待って!」
そう叫んだと同時に光の玉はくるくると神戸の周りを高速で周回すると、ボンっと弾けるように強い光を最後に放ち、そして、消えた。
「…」
僕はのろのろと運転手を乗り越え、窓から体を無理やり外へ出してトラックの屋根へよじ登ると神戸の横に立つ。
「待って、って言ったのに…」
神戸が優しく微笑んだ。
「待っていたらどうなったの?」
「僕が救急車を呼んで、…助かったかもしれない…」
「決まっている事だったんだよ」
「…居眠り運転って言ったじゃないか…」
そこで神戸の顔を非難するように見つめた僕。
神戸は穏やかな顔のまま何も答えなかった。
沈黙に耐え切れず僕が問う。
「彼も最初から死ぬ予定だったの…」
「予定だったよ」
至極当然と答えた神戸。
顔に当たる風は一様に冷たくキツイ。
なのに、神戸の顔は仏様みたいに穏やかで、その微笑んだ横顔は何故か静寂をたたえた美しさがある。
足元で煙くすぶるトラックの頭の上から見下ろす東京首都高速の景色はとても奇妙で。
目に映る全てがアンバランス。僕は無性に切なくて。
どうしてそんなに簡単に死んで行くのかと。
それが決まり事で最初から全て決まっていて何も変えられないと言うのなら、僕の仕事は何なのかと。
刑事課に異動して大なり小なり出会わざるを得ないそれらが一気に心に差し迫り、泣きそうになる。
「泣いているの?」
「泣いてない」
神戸の柔らかな口調の問いかけにつっけんどんに答えると。
神戸が少し困ったように言った。
「人間は有限だ。全てに限りがある。何故それを忘れて感情を高ぶらせるのか僕にはわからない」
「…ごめん…君を責めているわけじゃないんだ…君も仕事なのに…ただ、僕が…僕が勝手に情けないだけで…」
「でも、その感情は…いいエサだ…」
「えっ?」
「来るよ」
何が?警察?消防車?高速隊?と顔を上げた時、世界は静かになっていた。
真っ直ぐにどこまでも続く高速道路を走る車は1台も居ない。
その異様な風景。
僕らと足元の大型トラックのみが存在する首都高。
神戸は真っ直ぐ前を見たまま微動だにしない。
その視線の先を追った時、ポコポコと道路から壁からゆらりとした黒い塊が浮き上がってくるのが見えた。
「…?!」
小さな悲鳴を口の中で噛み砕く。
それは前にも見た、形無い真っ黒な影の塊。
「みちゃだめだ。でも、瞳を見たら、目をそらしちゃダメだ」
「どういう…っ!!」
耳鳴りがする。
それら3つ5つ…いや10はいる。
「事故現場、君の感情、マイナスに寄ってくる…。そこに立っていて、本当は魂を食べに来たんだよ。でも、僕が昇華させてしまった。お腹を空かせているからね。じっとしていて。動いちゃダメだ」
言うと同時に神戸が4m強のその場所からトンっとまるで体重と重力なんて存在しないみたいに身軽に飛び降り、真っ直ぐにその黒い塊に向かっていく。
最初はゆっくりと、そして徐々に加速し走り出す。あっという間に物凄い速さだ。
風の中を1人舞踊る様に飛ぶ。
いつの間にか何処から出て来たのか片手に長い大太刀を持っていた神戸。
それを軽い指揮棒の如く華麗に振り回す。
ゆらゆらと揺れる黒い塊は鈍い動きなのかと思えば突然俊敏に神戸へ向かい突進して行き、僕が息を飲むと同時に神戸はくるりと身を翻した。
その黒塊の周りを大きくぐるりと一周した神戸がその場を駆け出した後には黒塊が一瞬にしてワッと細かな黒い微粒子となり飛散し、消えていくのだ。
だけども、相手も神戸を敵とみなしているのか、食べようとしているのか、次々と向かってくる。その一つが突然大きく膨らんで神戸を包むように覆い被さった。
「あっ」
神戸が黒塊の中に包まれる様に消えた時、恐怖で声が漏れた。
反射的に僕も駆けつけようと足に力が入った時にはその黒塊がワッと粉になって、真一文字に刀を持つ神戸がその黒霧の中心にいた。
僕はトラックの屋根の上、1人で「あっ」とか「うっ」とか、まるでTVゲームに夢中になっている子供みたいにうめき声をあげながら神戸の動向を直視する。
神戸は踊っているようだった。
一つの黒塊を切る度に大太刀をその場に投げ捨て、次の新しい太刀がスルリと手元にあるのだ。
あの黒塊はいったい何なのか。
今、目の前で繰り広げられている事は夢で片付くのか?
たった一人の死神が次々と流れ踊る様に黒塊を切って塵にしていく。
僕はただただ神戸の姿を追い、神戸の華麗なる刀さばきに見惚れるだけしかできなかった。
全ての殺陣が最初から割り振られ、決まっている美しい演舞を遠くの観覧席から見るように。
だから突然のそりと自分の足元からその黒い塊が這い上がって来て、目の前鼻先20㎝程の真正面に突如現れた時、驚きと恐怖で体は1㎜も動かなかったし。
目なんてどこにあるのかと思っていたけど、その近距離で目が認識できてしまったんだ。
その体と同系色の真っ黒な、どこまでも黒く暗い闇の眼を。
僕はその黒い化け物と今、バッチリ目が合っていた。




