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岡田章介28歳。
トレードマークはふんわり天然パーマ。
僕はこのゆるい髪質のせいで周りから気弱に見えているのではないかと気にしている。
しかしそんな事は事実全く関係無く「自信のなさが顔に出ている」と諸先輩方からご指導ご鞭撻を山のようにいただく日々。
警視庁刑事課勤務のまだまだ青い警察官だ。
何故こんな課に配属になったのか…僕は生活安全課で希望を出したはずなのに。
もっと見た目も強くたくましく、眼光鋭い奴が配属になる課だと思っていた。
自分で言うのも何だけど僕みたいなひょろひょろした人間が配属されるわけないと思っていたのに…人事異動はいつも不可解だ。
そんな刑事に向いてないであろう僕が今目にしているのが「死神」で。
それもとびっきり美形の男。
僕の肩を掴んだまま離さない。
特別大柄なわけでもなく、黒いマントとか大きな釜とかも持っていない。
高そうなスーツを着こなして、丸の内辺りを闊歩していそうなリアルビジネスマンの見た目。
口角は上がり、微笑みをたたえるその顔は死神というよりむしろ聖母マリア系。
だけど「死神」。
「あ、あの…マントとか…羽織ってないんですね…死神なのに…」
真っ直ぐ僕を凝視したまま微動だにしない神戸の視線に耐えかねて、場を濁すようにそう言うと相手は顔を曇らせ肩から手を外した。
「人間の悪い所だよ。何でも決めつけてかかる。死神は黒いマントを羽織った骸骨だって今でも信じてる?タロットカードの絵柄みたいな??偏見持ち過ぎだよ。死神は青白くて怖い。天使はバラ色で可愛い。バカバカしい。そういうの人間が勝手に決めつけて作り出した物として自覚すべきだね。言っている意味わかる?周りが全員この子は悪い子だって決めつけて育てたらそういう風になって行くように、テンション高いラッパーみたいな葬儀屋が居たら嫌だと皆が思うから、静かな生真面目そうな葬儀屋になっていく。そうならざるを得なくなっていくんだ。皆が思う気持ちやイメージが世界を作っている。それらは人間が考えている以上にパワーがあるんだよ」
ややオーバーに身振り手振りをつけて強く言い放った神戸は不満げに、しかしどことなく可愛らしいふくれっ面だ。
これが本当に死神なのだろうか?
「あの…ココは何処なんですか…」
辺りをぐるりと見渡すも相変わらず人は居ないし音はしない。
自分の声が何処か吸い込まれていくような感覚に陥る。
変な所へ来てしまったという現実を受け止めきれず、不安は後からとめどもなく体を汚染している。
「僕、元の世界に帰らないと…先輩にどやされるんですけど…」
何とも情けない逃げ腰の声に神戸は困ったように笑った。
「あぁそうか。君達は世界の事何も知らないんだったね…」
そう言うと何処から取り出してきたのかチョークでその地面、アスファルト上に大きく円を書きだした。
「ここが君たちのいる空間。物質の世界ね」
「…はぁ…」
その上に又同じ大きさの円を書く。
「こっちは僕が居る空間。精神の世界ね」
「…はぁ…」
その横に小さな円を幾つも書く。その一つを指して言った。
「ここが今いる空間。枝分かれしているずれた世界ね」
「…はぁ…」
「世界は何層にも枝分かれしているんだよ。君達が知らないだけで。因みに君…岡田君のいる世界は最下層。別名“地獄”」
「地獄!?」
「まぁ、別に「修行地」とも言われている」
「…あ、あの…何で僕の名前を知っているんですか…?」
しかし、次の瞬間、神戸は声を潜め早口にささやいた。
「しっ!大丈夫。もう、ここに長く居られない」
神戸が唇に指を当て、静かにしろと視線だけで僕を諌め、周囲に目を配る。
「黙って。僕と歩調を合わせて…二人三脚するみたいに…」
僕の肩をグイッと抱き、周囲から守る様に足を踏み出す。
でも僕は見てしまったんだ。
湧き上がるような人の形をしたゆらゆらと揺れる影のような陰影が幾つも幾つもポコポコと何処からともなく地面から壁から湧き出てくるのを。
そしてそれらがゆっくりと僕らに向かってきているのを。
その異形。
「ひっ」と口の中だけで吸い上げる様に上げた小さな悲鳴。
「目を見ちゃだめだ」
目を見ちゃだめと言われても、どれが目なのかすら確認できないその黒い影達。
「いいかい。万が一、一度目をみてしまったら今度は絶対に目線を外してはいけない。目を反らした者からのみこまれる」
声は緊迫しているが飽くまでも微笑みをたたえたまま神戸が大股で踏み出し、肩を抱かれた僕が合わせて大きく震える足を踏み出す。
そのままその一歩は大きくジャンプするように踏み出され、僕の体は浮き、もう一歩踏み出した時、僕は聞きなれた音の中、多くの患者と医療関係者が忙しなく歩く元の世界の病院の廊下に居た。
「何か飲もうか」
ニコニコと神戸が自動販売機を指さす。
僕は何がなんだかわからなくて、操り人形のように言われるまま胸に入れっぱなしのスイカカードで自動販売機から飲み慣れたお茶のボタンを押した。
慣れた日常の動作をする事で、自分が元の世界に突然戻れたことを実感する。
戻って来られた…良かった…という安堵に自然と声のトーンが上がった。
「さっきのあれ、何ですか?…あっ、このお茶で良かったですか??何か他の…」
「構わないよ。何だって」
ニッコリ微笑んだ神戸が僕からその缶を両手で受け取ると、直ぐにふたを開けて僕が見つめる中、そのお茶を一気に飲み干した。
そんなに喉が渇いていたのかと思っていたら、目の前で神戸がゆっくりと、それはそれは深く―――凄みのある笑顔を作ったのだ。
ニコリというよりニヤリ。ニヤリと言うより…。
「ありがとう」
神戸がそう言うと、周りの空気がざわっと揺れたように感じた。
何が起きたのか解らなかったし僕はまだ現実に戻れた安堵で茫然としていたし。兎に角混乱していたのだ。
だけど、直ぐに気づいた。
それは視線。
周囲の女性達が神戸を見ているのだ。見ていると言うか見つけたと言うか。
さっきまで誰も気にも留めていなかった彼の事を。
異質な美しさの彼を認識しているのだ。
どういう事かと思った時、先輩の声が背後から飛んできた。
「岡田!」
飛び上がらんばかりに驚く。そう、僕は仕事中だった。
「勝手に何処ふらついてんだおま…」
そこまで言いながら先輩は足と言葉を止めた。
神戸に向かい頭を下げる。
「失礼しました。会話中とは気づかず」
神戸は人好きする笑顔で答える。
「いえ、こちらこそ。つい友人の岡田君に偶然会って盛り上がってしまいまして。僕が呼び止めたものですから。すいません、お仕事中なのに」
そう言うと今度は僕に向かい旧知の仲の如くフランクに言った。
「じゃぁ、岡田、またね」
軽く会釈してその場を去った神戸は確実に周囲の視線を集め、皆がその背筋がピンと伸びた後ろ姿を見送ったのだ。
「おい、何だよ。あのすげぇ男前。男前というか、なんか美人だな」
先輩が耳打ちするようにそう言った言葉は、本当にその通りだなと思ったけれど。
僕は立ち尽くしたままだった。
何が起き、僕が一体何をしたのか解らない。
だけど、僕と関わり、あの死神はこの世界で認識されるようになったのだ。
僕が解き放ったのだ。
この世に。
それは何を意味するのか。
僕は先輩に頭を軽く叩かれるまでその場に棒立ちだった。
日常とは抗えない流れる時間の河のようで、先輩と聞き込みの続きを行い、警視庁に戻り書類作成に追われだすと、じきに昼間出会った死神と名乗る男との出来事なんて夢か何かだと思えるようになっていた。
夢なんかじゃないと解っていても、今となっては相手に連絡しようがないし目の前の仕事という日常は目まぐるしくて。
現実主義と記憶の境界線は時間がたてばたつほど曖昧で。
仕事と時間が優しく、確実に、昼間の奇妙で不安定な記憶を消していった。
だけどポケットには彼からもらった名刺が入りっぱなしで、時折手を突っ込んでは指先に触れるその紙の手触りで、それがまだある事を無意識に確認していた。
「お先失礼します」
今日はもうこれ以上頭が回らないと、僕が切り上げるように声を上げたのは21時が少し回った頃。
「いいご身分だな、何様だ」
先輩の北山が嫌味混じりの冷たい声をだす。
それに会釈だけ返して僕は席を立った。
北山先輩は昇進も目指しているし犯人逮捕に対する執念が僕みたいなのとは違う。
そう、心の中だけで言い訳をすると、とぼとぼ家路へ向かう。
やり残した仕事はあるがもう帰って寝ないとパフォーマンスが保てない……それでも先輩が言いたいこともわかるし……うだうだ疲れた頭がマイナスな思考に浸り出す。
僕、やっぱりこの仕事向いていんじゃないかな……。
最近の行き着く思考の先はいつもここだ。
コンビニでカップラーメンとおにぎりを惰性で買って外に出る。
空に月は無い。
線路脇の細い道を歩いていた時だ。
「おーかーだくん。あーそーぼ」
背後から小学生が学校終わりにサッカーに誘いに来たみたいな呼び掛けで名を呼ばれた。
反射的に振りながらも、その声に、そのトーンに、もう相手は誰だか僕は解っていて。
全身が一瞬で緊張する。
夜中、線路脇の街灯の真下に立つ男。
下町の裏寂れた背景は線路と汚れたフェンスに無秩序な雑草。消えかけの道路標示に古ぼけて立ち並ぶ民家。
その美しいと形容しがたい背景に1人。
いつもならこの時間、何人かは人が歩いているこの道に誰もいない。彼以外。
古い街灯に照らされた彼は、それすら彼を照らすために設置されたスポットライトのように感じる程キラキラしていて。
これが死神だというのなら、悪魔や天使はいかほどの美しさと言うのだろうか?
背景の暗闇から彼の陶器のような白い肌が際立ち漆黒のストレートの髪が闇に紛れる事無く瑞々しい。
昼とはうってかわって真っ黒な細身のロングコートに黒のシャツに黒のパンツに黒のブーツ。
黒一色なのに、それは彼によく似あっていて。今から何処か外国のファッション雑誌の撮影でも始まりそうな洒落具合。
やっぱり現実だったんだと言う何とも形容しがたい感情が体の奥底から湧き上がる。
「聞きたいこと、色々あるんだ」
無意識に生唾飲み込みながら僕は開口一番そう言った。
「いいよ。何だって。いっぱい喋ろう。僕たち友達なんだもん」
この年齢になってそうそう「友達」という単語を面と向かってだされるのも違和感があるし、面はゆいと言うよりそれは、そう、…友達じゃないからこそ出る言葉。本当の友達は「僕たち友達」なんてわざわざ言わない。
「…」
言いよどんでいる僕に神戸はニッコリと笑う。その完全なる微笑み。
「でもね。その前に一緒に来てくれる?」
そう言うと一気に僕との間合いを詰め、神戸は僕の目と鼻の先に立っていた。
驚く間も無く、グイッと僕の肩を持ち「踏み出して」そう言うと大きく一歩踏み出す神戸に肩を手で押され、言われるまま足を踏み出した。
その次の瞬間に目の前に広がる風景は一気に変わり。
僕は握っていたコンビニの袋を思わず手放した。
首都高のど真ん中の防音壁の「上」に立っていたのだ。
「うわぁああぁあぁぁ」
情けない声をだし神戸にすがりつく。
夜の東京をゴーゴーとひっきりなしに力強く走り抜けていくトラック車両。夜でも解る、舞い上がる粉塵。
不安定な足元の感覚。
手から離れたコンビニの袋がそのまま風に舞い高速道路の上に落ち、そして車に轢かれた。僕の晩ごはんのおにぎりとカップラーメン。
「大丈夫。僕らは人からは見えてないから。後、そんなにくっつかなくても落ちない」
「だって…」
へっぴり腰で神戸をみるも変わらず笑顔だ。
「何でこんな所に…」
震えそうな声でそう言うと神戸は淡々と言った。
「今から、ここで3人の人が死ぬ」
「えっ!?」
その聞き捨てならない言葉に目を丸くした僕を見る事無く、神戸は高速を次々と走っていく車たちをただ見つめていた。




