獅子舞の中で口づけて
勿論、フィクションです
今日は1月2日。
久賀家が氏子総代を勤める神社の境内では、神楽囃子が鳴り響いて獅子舞が踊られていた。
獅子舞とは。
元々、疫病を退治したり、悪魔を払って良い年を迎えられるようにと、始まった行事である。
頭を噛む仕草には、実は人に取り付いた邪気を食べて取り除く、という意味が込められている為、人々は競って頭を噛まれたがったという。とりわけ災厄に見舞われた人、そして災厄から護りたい子供等を率先して噛んで貰うことが多い。
転じて檀達の実家である久賀家を心の領主と慕っているこの地域では、この日、昨年の福男達が獅子舞を踊る、という行事となっているのだ。
昨年、家を建てた、とか。
子供が生まれた、とか。
あるいは結婚が決まった、等。
慶事があった男達が、福を振る舞うのだ。
そして今年、獅子舞の演者に選ばれたのは文句なしにこの男。
久賀 歩の婚約者、小瀬良裕哉だった。
事の起こりは去年二人揃って帰郷して、婚約した事をまず歩の義兄であり、久賀家の現当主、輝久に報告し。
その際、縁者達から宴会という名の大祝福の嵐に巻き込まれ、あれよあれよという間に福男に任命されてしまったのである。
勿論、内々に裕哉を歩の夫候補の一人に選んでいた輝久にも否やはなく。
裕哉の実家である小瀬良家でも、縁主である久賀家との縁組に誰よりも歓びに沸き立っていた為、反対する意思など当然あろう筈もなく。
当の裕哉の意思等、お構いなしに段取りが進行していったのだった。
暫し、ぶすっくれた様子の裕哉ではあったが、婚約者の歩がころころと笑い転げていたので、ようやく愁眉を解いて彼女を抱きしめると、その天辺にキスを贈った。
観念した裕哉は仕事の調整をすると、歩ともども早めに帰郷し、獅子舞のレクチャーを受けた。
舞踊を生業にしているだけあって、指導に当たっている本職に負けず劣らず勇壮で華やかな踊りを、神主と氏子総代の前で行う試舞いで披露してくれたのだ。
その出来映えは、福男達に獅子舞を教えてくれていた指導者が、
『俺っちの後継者になって欲しいが、久賀の若殿さまになっちまうんじゃあなァ』
とぼやいていた程だ。
そして今。
獅子舞を見る為に集まってきた皆に、福を踊って振る舞っている、という訳である。
禊場から神社へ練り歩く間、道中で獅子舞を観ようという人々に会った時、既に色々な人を噛んで来たようだ。
特に子どもが頭を噛んでもらうと強い厄除けになり、子どもの成長・学力向上・無病息災にご利益があるとされているので、優先的に子どもを選んで頭を噛んでいたようであるが、久賀家の片翼を担うことになる若者が獅子舞をするとあって、噛んで貰いたがる者、後追いをする者達が増える一方であった。
神社には縁者以外の住民たちも集まっており、福男達の一行が到着すると、わ、と囲まれた。
ほうっ・・・
どこからかそんな悩まし気なため息が聞こえてきた。
それも無理もなかった。
なんとなれば獅子の頭を被る前の彼の姿は。
豆絞りをきりり、と頭に巻き。
いなせな鯉口シャツに揃いの前掛・腹掛・股引、地下足袋に身を包んだ裕哉は、切れ長の黒い目、す、と通った鼻筋という和風で優美でありながら、若武者のように凛々ししく整った目鼻立ちと相まって、呆れる程男前だ。
福男である事に加えて男前。
そして華のある踊りを披露するものだから、老若男女皆が裕哉の獅子舞に噛まれたがっていた。
◇□◇◇□◇◇□◇◇□◇
「うわー、裕哉さん、華があるねえー!」
設えられた桟敷席で、華やいだ声ではしゃいでたのは妹の檀だ。
傍らには、姉の歩、そして現当主であり氏子総代の輝久、次代当主の美津久、先代当主の妻で三姉妹弟の母の芳野、と久々に久賀家の人間が正装して、一堂に会していた。
久賀家の人間を一目見るべく、そして彼らに年賀の挨拶をしたくて縁者達、及び近隣の住民達が更にその数を増していた。
境内には既に人の入る余地もない。
久賀の人間に近寄ることの許されている、格式の高い縁者達が次々に挨拶に寄ってくる。
にこやかに人々に笑顔を挨拶を振りまきながら、檀が気づかわしげにちら、と見遣った桟敷席より一段低い処には、久賀家の縁者達がずらり、勢ぞろいしている。
その中には、檀が勤める会社の社長及び常務、元知事の三ツ谷とその息子であり檀と良の同僚でもある恭介、そして植野 良が居た。
・・・表向きには三ツ谷と良、そして檀が所属している雑誌が『郷土料理を取材に訪れたので地元有力者に挨拶する』という名目だ。
そして取材を通じて、当主の輝久が良を『見染めて』久賀グループに引き抜く、という何とも面倒くさい段取が仕込まれているのだ。
それも皆。
檀と良を穏便に結びつける為の『小芝居』であり、何の実績も持たない男に久賀の娘を嫁がせる為には、どうしても必要なものだった。
『妹の自由恋愛を認めてやりたいが』
当主の言わなかった言葉を裕哉は察した。
長女が片付いた今。
次女の檀との縁組に、こぞって縁者達が名乗りを上げてきたのだ。
表向き、当主の命令に絶対服従を誓っている縁者達ではあるが、やはり外様で、しかも何も力を持っていない一般市民と久賀家の娘との縁組を快く受け入れる筈もなく。『我こそは、姫君を手中にせん』との我欲、剥き出しとなる。
輝久としては素直に『植野 良』という男の、一個の人柄と才覚に惚れた。
だから、妹の夫となってもならずとも自陣に引き込む心づもりであったが、そこまで当主の心を縁者達は推し測れないだろう。
否。
久賀家に、その当主に心服しているからこそ、輝久のそんな心情を察したくないのだろう。
表向き服従を誓いながらも底に深く沈んだ縁者達の嫉妬が、久賀家の結束を壊すことを輝久は危惧したのだ。
・・・それよりも何よりも。
『今、檀の婚約を披露すると、歩が霞むのが必至だからな』
檀は日向に咲く大輪の華だ。
先代当主の、後妻とはいえ正妻の胎から生まれた檀は、一時期”次期当主”にも指名された事もあり、後妻の連れ子である姉の歩よりも、圧倒的に縁者達から慕われている。
無論、歩とて先代当主の”長女”として、縁者達に周囲の住民達に愛されてはいるのだが、その熱狂度が桁違いなのだ。
下手をすると、現当主の輝久より、次代当主の美津久より愛されている。
檀は誰からも大事にされ、愛される。
そして愛されて受け入れられた経験があるから、どこでも華を咲かせ、実を付けることが出来る。
しかし、歩は。
いつも次女より目立たぬことを強いられていた、日陰の長女。
彼女は久賀でありたいが、忸怩たる思いに囚われて、久賀に成り切れないでいる。
そんな彼女が、妹に一世一代の場すらも奪われてしまったら。
『『・・・。』』
歩は文句を言わないだろう。
俯いて涙を堪えたとしても、表面上は何食わぬ顔を装い、誰よりも妹の幸せを寿ぐだろう。
が。
兄としては同じ日陰者だった同士、歩を堂々と久賀家の人間として送り出してやりたい。
母も、檀や美津久と同じ位に歩を愛し、彼女の幸せを願っている。
輝久も芳野も、苦労させてきた長女が幸せな路を歩もうとしているのに、その路に一遍足りとも陰を落としたくなかったのだ。
そして裕哉だけは、他の誰が幸せになることよりも、歩の幸せを一番に願っている。
『歩を”久賀家の姫君”として、陽の当たる路から盛大に送り出してやりたい』
輝久のその言葉に、裕哉はほう、と安堵のため息をついた。
裕哉も、時をおかず檀の婚約を知らされた時、同じことを危惧していたのだ。
義理の弟になる予定の男は黙って当主に頭をさげた。
檀と良の事は暫く伏せて置き。
植野 良という男が、久賀家の片翼を担うに相応しいと周囲に認知されてから、”輝久がとりもった縁”ということで二人の婚約を披露することが決定している。
・・・それについては、とうの良は歩に花道を用意したい、という当主の意を汲んだという。
尤も『歩さんの結婚式から3か月しか待たない』とぶすっくれていたそうだが。
(つまり、その男は。
そんな短期間で己を、このかっちん頭の縁者達に認めさせる心つもりがある訳だ。)
と裕哉は思った。
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福男達の群舞が終わり、夕刻前ではあるが篝火が焚かれると、囃子衆がいよいよ終曲を囃し始めた。
この曲は福男達が福男になった由来、つまり妻であるとか、子、家族等の身内を寿ぐ為に舞われる。
福男達の一人一人が、やんやの喝さいを受けて獅子舞を踊って家族に寿ぎ終わり、最後の獅子になった時、周囲がどよめいた。
当主に後押しされ、福男のトリを務める裕哉の婚約者である歩が、一人舞台に残った獅子の前に出てきたのだ。
ぴいぃーっ
篠笛が鳴り、しん、と周囲が静まった。
しゃん、しゃん、しゃん。
獅子を舞っている裕哉が腰につけた鈴が響く。
舞いが始まり、篝火が爆ぜる音と神楽の音だけになり、皆、固唾を呑んで見守っていた。
壮麗で華々しく、神楽の終舞に相応しい舞い。
皆、見事な舞いに一年の福を予感し、幸福のため息をついた。
と。
屈んで踊っていた獅子が、く、と躰を立ち上げて、かぱ、とその口を開けて見せた。
わ、と周囲が湧いた。
婚約者を噛んで、その邪気を取り除こうとしている獅子に陽気な歓声がかけられた。
はにかんで立ちつくしている歩に、獅子が彼女の躰の周囲をくいくい、と強請り、まるで大型の猫のように踊りまわる。
コミカルな動きに周囲の手拍子が加わった。
「歩!お前が噛まれてやらないと、獅子舞が終わらないようだぞ!」
当主が笑いながら妹を促し。
覚悟を決めた歩が、ようやく、かぱ、と開いた獅子口に頭を差し入れると。
どよっ
なんと、歩は肩の付け根辺り迄、すっぽりと獅子の口に呑み込まれてしまった。
皆が見守る中。
獅子の首から下が、囃子に合わせて、噛まれている彼女を厄災から護る振付を踊る。
暫くして。
カカカっ
小刻みに頭を噛まれて歩が吐き出されると、また大喝采が沸き起こった。
やがて獅子達は残らず幕うちに探り、何が起こったのか、わかっておらぬような、ぼう、とした歩がそこには残された。
「あいつ・・・」
檀は隣の兄が苦虫を噛み潰すような言葉を呟くのを聞いた。
「?」
兄を見上げると、それ迄笑顔だったのが渋面となっている。
そして一段下の席からも。
ぶ、という音がしたので、何かと思ったら良の肩が小刻みに震えていて、ふい、と立ちあがると、幕内から再び獅子頭を持って出てきた福男達の一群に向かった。
「??」
「ソコのお義兄さん」
声を掛けられて、裕哉は振り返った。
「・・・」
へらへら、と近づいてきた男に裕哉はす、と眼を細めた。
久賀家当主より、内々にこの男が檀の婚約者だと知らされている。
遠からず、輝久の事業を手伝うべく、久賀グループの中核入りするのだと。
(力量を見極めてやる)
裕哉とて縁者の末席に連なる人間の一人だ。
久賀家の人間を不幸にする男は許さない・・・というよりは、関係者が不幸になることによって彼にとって一番大事な歩が傷つかないようにしたかったのだ。
(久賀の当主が認めたとはいえ、俺はアンタをまだ、”義妹の夫”とは認めて居ないからな)
「アンタに”お義兄さん”扱いされたくないけどね」
辛辣に言われたのを、捉えどころのない表情で良は躱した。
「俺も年下の兄貴が出来るのは新鮮」
((成程。あの当主が認めただけあって、いい面構えだ))
お互い、一筋縄ではいかない男だと。
口に出しては。
良が裕哉に耳打ちした。
「それより口紅がついてるぜ、お・義・兄・さ・ん。
歩さんが”噛まれて”た時間がちょっとばかし長かったし、殿様がカリカリしてるぞ。殿様に伺候する前に、何とかした方がいいんじゃないか?」
「!」
途端、裕哉がば、と唇を手の甲で拭き取り、は、と見ると、良がニヤニヤと笑っている。
(嵌められた!)
「じゃ、そのうち会おう」
そういうと、良は檀達の元へ戻った。
見ていると。
良が、舞い終えて獅子の面を取った裕哉に近づき、何事かを囁いた。
途端。
色白な裕哉が頬を染めて、ぐい、と乱暴に唇を拭った。
それを見て、檀の傍らに佇んでいた歩が真っ赤になって、トイレへ駈け込んでいった。
「?」
不審げにその後ろ姿を見守る檀と、何故か苦笑している兄の輝久が居た。
1人立ちの舞いだと、主に関東・東北地方などで主に見られる獅子舞らしいのですが、なんとなく久賀家は山陰地方にあるイメージです。




