カドワールという国
重い話です。話中の国名、人物も全てフィクションです。
絶景ポイントの展望台で小休止した際、輝久が口を開いた。
「カドワールで何があった」
良は一瞬顔を強張らせたが、穏やかな口調で問い返した。
「・・・調査済みじゃないんですか」
「流石に海外については詳しいことはわからない」
良は独り言のように呟いた。
「ある女の尊厳を傷つけました」
*
植野 良はボランティア好きな学生だった。
高校の頃からバイクに宿泊道具を積み込み、あちこちの被災地に行っては、瓦礫の運び出しや泥の掻きだしを手伝った。
現地にとってはそういった人手はありがたい反面、ただでさえ住宅や街が壊滅していて、寝る場所も食べる物も不足している時に受け入れることは難しい。
良はやがて、ボランティア協会の専属スタッフとして現地に一番に入り、後発で来るボランティアの受け入れについての宿泊所の準備とそこから被災地への送迎、そして彼らに仕事の割り振りを指示するようになっていった。
そんな男が将来の活躍の場として国連を視野に置き、世界の実情を知る為に海外青年協力隊に志願したのは自然な成り行きであったのかもしれない。
外国語の強い大学へ進学し、国際政治を学んだ4年間。卒業後、この国を善くするのだという希望と、未来への野望を胸に、意気軒高とアフリカの小国カドワールという最初の赴任地に降りたった。
(・・・)
想像以上だった。
日本の被災地で、現地の状況の過酷さについては覚悟していた筈だったが。
貧困も、疲弊した大地も、荒廃した街も。
そして横行する犯罪と病気と売春と人々の惨状にも。
突きつけられた現実に絶句し初めて自分の認識の甘さを思い知った。
恐怖と怒りと、”自分はこの国の人達に何もしてあげられない”という焦りと絶望で、気が狂いそうになりながら、心に蓋をして来る日も来る日も働いた。
ノイローゼと躁鬱の間の細い健常の道をなんとか綱渡りで渡っていた二年目、明日はとうとう日本に向けて帰国の途につくという最後の日の真夜中。
その土地の実力者が、ある女性を伴って良のテントに訪れた。
その女性は自分と同じ位であったが既に子供を3人抱えて、夫とは死別。海外青年協力隊のキャンプに、スタッフとして雇われていた女性で、良も何度か話したことはある。
痩せこけて、昏い眼の彼女。
子供のことを語る時だけ、輝くような笑顔を見せてくれ、良は依怙贔屓をしてはいけないと思いつつ、彼女の子供へと日本から持ってきた菓子を与えたこともある。
実力者が言うには、この地を訪れて尽力してくれた人間達に”ちょっとした御礼をして回っている”のだという。
真夜中に、男の寝床に女を連れてくる、そんな”御礼”は一つしかない。固辞する良に対し、実力者は言葉巧みに彼を説き伏せた。
『この地ではこれしか彼女達には現金を稼ぐ方法はないんだ』
『だけど・・・っ、』
尚も躊躇っている良に、実力者は重ねて言った。
『彼女も納得しているし、これも人助けなのだから』
実力者が良のテントを去り、女性と二人きりで残されて。
心が麻痺していた良はそのまま、怯えきった眼で自分を凝視している彼女に手を伸ばした。
・・・心が擦り切れて麻痺してたなんて、後付けの言い訳にしか過ぎない。
『納得ずくだ』
実力者が言っていた、そんな言葉は嘘だと頭はわかっていた。
だが、”金を得ることは大事なことだ、これは彼女の為なんだ”と自分に言い訳をした。
良はただ、ぐっすりと眠りたかった。
亡者のような人々に助けを求められているのに助けられなくて、絶望した自分の絶叫で起こされる夢。
血塗れになって次々と人が斃れていき、次は自分だという処で眼が醒めるという夢。
それらが訪れない泥のような眠りに沈みたい。ただ、その為だけに彼女の躰を使った。
翌朝。
眼を醒ました良は、ぎょっとする。
うす暗い中で自分に背を向けていた彼女。その背中は、泣いていた。
*
「納得ずくだった訳がない。」
良は、翌朝の彼女の背中に思い知らされた。
おそらく、土地の実力者に強要されたのだと初めて思い至った。
「身勝手にも『彼女が断ってくれたら良かったのに』と思いました」
そんな事が出来ないのは、この国に滞在中に嫌と言う程思い知らされていた筈なのに、良は自分を正当化する為、心の中で彼女を責めた。
女性の人権が認められていない国。
女は子供を産む為の道具で、彼女らの父親や兄弟によって、男達の財産である家畜達と同様に金銭で遣り取りされる。
否。
下手をすると動物より彼女達の値段は低かった。
人攫いが横行し、持参金を用意できない男に安く買い取っていかれるか、もしくは”兵士になれば妻帯することが出来る”という雇用条件を満たす為、彼女達はあてがわれる。
男達は彼女達の意思など認めようともしなかっし、女達は意思を伝えただけで反抗的だと、死に至る迄折檻を受ける事も少なくなかった。
血を噴出し続ける心に蓋をして、男の言いなりになるしかない女達。
良は、彼女にその時持っていた全財産を渡して自分のテントから追い出した。
そして彼女からもっと遠くへ逃げる為に、日本へ向けて出発する飛行機が待ち構えている飛行場迄、良を連れて行ってくれるジープめがけて駆け出したのだ。
「”あんな事をした俺が国連の職員なんて、ふざけるなよ”と思いました」
良は、帰国はしたものの国連職員への夢を自ら絶ってしまった。
それからの良は、カドワールの夢を見たくなくて、彼女の絶望の眼差しで魘される夢を見たくなくて、遮二無二働き、昏倒するように眠り。
日が昇ると、また倒れる迄働く、ということを繰り返した。
「たまたま、人づてに聞いたんです。彼女が再婚して幸せにくらしていると」
あの時の実力者は売春斡旋の罪で処罰されたのだと。
良の声が震えた。
「彼女が、俺のことを”親切にしてくれた、ただ一人の人”と言ってくれたそうなんです。
『自分の事をモノのように扱う人間しかいなかったのに、その日本人だけが優しくしてくれたのだと。目が醒めてからずっと、”すまなかった”と謝ってくれた”』と」
良自身は罪悪感で覚えて居なかったが、知人がその続きを話してくれた。
『その日本人は、怒ったように”あの男にピンハネされるんだろ。これは見せ金だ。こっちを隠して持っていって”と言って、と彼の全所持金らしい金を二つに分けて渡してくれたそうだ』
隠しておけ、と言ってくれた金額は見せ金よりも遥かに多かった。
そして。
『”俺がこんな事言うのは何だけど、貴女はこんな商売をしてはいけない。だけど、どうしてもしないといけないのなら、せめて予防をして”』
と言って、コンドームの箱を全部彼女に渡したのだという。
・・・それは出発の際、友人が餞別にと良へ押し付けていったモノだった。
実際は使う暇など無く、在ることすら覚えていなかった。確かに帰国してからトランクを開けた時に初めて思い出して、探してみたものの見当たらなくて、不思議に思ったが。
彼女のことを尋ねてくれた知人に、もし彼女が生きていて、万が一にでも会えたら彼女に渡してくれるよう、今まで働いて貯め込んでいた、ありったけの金を託した。
だが。
「『貰う理由がない、あの時の代価はもう貰った。
私は忘れたい。
それなのに新たに金を貰えば、あの事がいつまでも私を苦しめる。貴方もどうか忘れて欲しい。それが償いだ』と。」
そのまま金を返されたのだという。
良の双眸が昏い虚無のような穴になっていた。
「その時俺は気づいたんです。
謝って済む事じゃなかったけど、俺はとにかく彼女に謝りたかった。
でもそれは単なる自己満足だったんです。俺は自分の気の済むまで謝って、無かったことにしたかっただけだったんです。」
そんな時、フェアトレードと、アフリカ女性の自立支援をしているNPO法人の主宰者と出会った。
「雑誌立ち上げは俺が提案したんです」
民族ごとの色とりどりな、鮮やかな衣装は部族ごとのアイデンティティを誇張なく伝えていて。
「これだ!て思ったんです。
彼女達にまず誇りを想い出して欲しい。自分の意思を伝える勇気を取り戻して欲しい。」
そして、彼女に渡そうとした金をそのまま主宰者に手渡した。
「・・・」
訥々と語る良の横顔を輝久は何事かを想いながら見つめていた。
輝久の物思いに気づかないらしく、良は続けた。
「そして、それらに必要な自活の途を支援したいと」
困難な道程であることはわかっていた。
そうして夢中で過ごしていたある日。
カドワールの暫定政権他、数か国の政府から圧力がかかり、団体を閉鎖せざるを得なくなった。
行く先を喪った良はフラフラと定職にもつかず、内外の被災地に向けて各地から集まった支援品の中でも、衣料品についての仕分けのボランティアをしていた。
そこで同じくボランティアとして知り合ったっ三ツ谷に今の雑誌に誘われたのだという。
(だから)
良の話を聞いて輝久は得心がいった。
(檀に、自らの意思で自分を選び取って欲しいと思ったのか)
お読みくださいまして、ありがとうございます。




