レシピ7.おでん
尾仁 優は資料室で檀にアプローチをかけ始めた。
「檀さん、彼氏はいるんですか?」
「居ません」
優がなんとか檀の視線の先に回り込もうとするが、檀は資料を探すのに一心不乱で彼のことを見ようともしない。
「じゃあ、俺立候補していいですか?」
「・・・なんでですか」
「なんで、て。そりゃ檀さんのことを気に行ったから」
そこで初めて檀は尾仁に向き合った。
優はにこにこしており、さりげなく、自分と書棚の間に檀を閉じ込めている。
檀は、す、と躰をずらすと、目当ての書物が見つかったので書棚から離れた。
「檀さん!」
男が追い縋ってきて、腕を掴んだ。檀は冷たい目で優を一瞥する。
「先ほど初めてお会いして、まだ数語しかお話していませんが。」
(なかなか手ごわいな)
優はこっそりと思った。
初印象こそ悪く思われがちな彼ではあるが、馴れ馴れしい程の人なつっこさと話術の巧みさ、そして真摯な仕事ぶりを見せてやると陥落しない女性はいなかったのに。目の前の女性は異物でも見るような眼で自分を睨んでくる。
(これくらいのアプローチは久賀のお嬢さまは慣れっこ、てことか)
おそらく、彼女を籠絡して久賀とのパイプを強固にしようと言う男達にスレてしまったのだろう。優はそう踏んだ。
(そういう女こそ、”久賀の名前じゃない、君自身を見て居るんだ”という顔をしてやるとコロ、と堕ちるんだよな)
男は改めてにっりと笑った。
「フィーリングてあるじゃないですか。俺、一目見て、びび!と来ちゃったんですよ」
くるり、と踵を返すを檀は編集室に向かいながら言葉を放った。
「私は来ませんでした」
「・・・だから、知り合いになる為、デートしませんか?」
「お断りします」
優はめげなかった。
「檀さん、飯食いに行こう!」
料理雑誌の記者故、あちこちの食堂やコンビニ惣菜、ファミレスメニューもチェックしておきたいから、基本昼は弁当を持ってきていない。1か月の食費に換算すると痛いが、勉強料だと思っている。
『領収書切れればいいのに』とは編集部員全員の切実な願いだ。
インターンを卒業し、就職してからは自身の収入が得られることもあり、檀もそうしている。
「あ、はい。じゃあ」
(どこがいいかな)
舌と、そして脚で蓄えてきた安くて美味しい店の情報を脳から引き出しながら檀は返事をした。
良をちら、と見るも席にはいない。それじゃあ、とばかりに他の編集部員を誘うと、何人かが同意してくれた。そうしたら優が、首を振り。
「俺、檀さんを口説きたいので皆さん遠慮してください」
と宣言するではないか。
そそくさとみんなが散る中、檀は優を睨みつけた。
「・・・本作りはチームプレイです。それはお父様の厨房でも同じだと思いますが」
「うん、でもね。どのチームにもスタープレイヤーはいて、そのプレイヤーを支える為のチームだってある。親父のところはそうだと思うよ」
(違う)
檀は思う。
確かに客は料理を通して『尾仁 義和』という男の思想を、気概を、人生を食べているのかもしれない。
しかし、料理と共に、雰囲気、スタッフの心配り、店の設え。そんな物も総じて『尾仁 義和』として味わいに来ているのだ。確かに彼がいないとその空気は生まれない。しかしその空気を完璧な物に仕立て上げているのはスタッフの力も大きい。
曲だって、イントロがあってサビがある。サビがその曲のメインであっても、サビ迄に気持ちが盛り上がる為には助走の為の距離、イントロが必要だ。
コースディナーだって同じことだ。
前菜があって、気持ちを高めて高めて、メインを初めて口にしてより一層の感動が広がるのだ。そして余韻を味わいながらデザートや食後の飲み物を口にする。
尾仁料理長の料理は一皿だって確かに芸術品だ。
しかし、オーケストラだって主旋律しかなければそれはなんと浅いものになるだろう。
チームワークなければ生まれない重厚さというものは確かに存在する。
自分は一端に名が売れて、読者からもファンレターを貰うことがある。雑誌に自分の頁を持たせて貰っている。著名な料理家に会いたいと思えば叶う。
それでも檀は自分が、三ツ谷や良のようなスター選手でないことを知っている。自分が曲りなりにもやっていけているのは、編集部の仲間の力が大きい。彼らの指導・鞭撻があって、今の檀が在る。
「私を口説くなら、皆さんの前でどうぞ」
檀は宣言し、そして彼女は社食に向かった。
「・・・。」
優はあっけにとられてその後ろ姿を見送りかけ、は、と気が付いて慌てて後を追った。以来、コメディムービーのような展開が社内に繰り広げられることになった。
*
「何なの、あの男!」
檀はおでんを装いながら、ぷりぷりしていた。
彼女のおでんは関西で言う処の「関東煮」と称されるものだ。
牛筋などは入っていないが、次作る時はトマトを入れてもいいかもしれない、と思っている。
醤油に酒にかつおだし。そして練り物から出る出汁で糸蒟蒻の結んだもの、ちくわぶ、大根、卵に味を沁み込ませていく。
昆布締めを入れれば、そこからも昆布の出汁が出てくるが、今日は買い忘れた。
檀は甘辛く煮つけるには味醂、しょっぱく煮込むには酒、と使い分けている。調理用酒もあるが、きちんと飲む用の日本酒のほうがより良い味になるのではないか、と勝手に思っている。
そして煮込み料理の最大の調味料は時間だ。
シチューもカレーもおでんも1日置いたほうが美味しい。なので、それらを作る時は前日は倍忙しい。2日分を1日で作るのだから。
その甲斐あって、今日のおでんは味が沁み通っており、とても美味しく出来上がっていた。
以前、ゆで卵に筋を付けて煮込んだものを供したら良に、『卵にわざわざ筋入れなくていい』と言われてショックを受け、おまけにご飯を用意しておいた処『おでんの時は飯は要らない』とも言われて驚天動地と思える程の大変なショックを受けた。なので、今日は卵に筋を入れず、おかずはおでんのみを用意している。
こんな日はビールより日本酒がいい。
良と歩はそっと目線を見かわしている。
歩は歩で、御庭番から妹に急接近してきている久賀の縁者がいると聞かされているし、良は良で尾仁の行動を見張りつつ黙認している。
(荒れているわね)
(荒れてますね)
(例のひっつき虫のせいでしょう?)
(そうです)
(植野さん、いつもみたいに駆除しないの?)
(奴が本気で檀に嫌われれば喜んで駆逐しますが。今のところ様子見です)
(そっか)
「時計を見てたら、”買ってあげましょうか?”て。
何で私が他人に買って貰わなければならないのっ」
「「・・・」」
(それは単に。”貴女と時を共に刻みたい”ていう恋人フラグよね?)
歩と良はこっそりと目で会話する。
(多分)
「セレクトショップに連れて行っては服をプレゼントしようとするし!
私のこと、”洋服も満足に買えない可哀想な貧乏OL”と思ってる訳?!
莫迦にするのも大概にしてよねっ」
「「・・・」」
(それは単に。
”お前にオレ好みの服を贈って着飾らせて。最後にそれを剥くのは自分だぜ”てことなんでは)
(そうよね)
触らぬ檀に祟りなし。
期せずそう思い、こっそりと自分を観ている歩と良には気づかず、檀はその怒りを更にヒートアップさせていた。
「服は間に合ってるし、必要に応じて自分で買うから他人に貰う理由はない、て断ったら次は口紅だの、香水入りの高級石鹸だのッ!
何よ、私のこと”化粧も出来ない野暮オンナ”とか、”お前、ダセぇんだよ、少しは女磨けよ”てメッセージを陰険に送りつけてきて!
もう、頭来た!そっちがその気ならこっちだって喧嘩を買ってやるわよッ」
「「・・・」」
(口紅贈るのは、確か。”キスしたいんだ”て意味だって聞いたことあるわ)
(ええ。それに誰が女に向かって”お前、ダセぇんだよ、少しは女磨けよ”なんてメッセージ送りますかね。そんな死亡フラグ、立てませんよね)
(そうよね)
頭からマグマを噴出しそうな勢いで檀が、それでも台所にモノを取りに行った時。暫し二人でその後ろ姿を見遣った後、良がこっそりと歩に話しかけた。
「歩さん」
「なに?」
「貴女とお兄さん。一体アイツにどんな教育してきたんです」
(・・・)
久賀の娘なら、常日頃友人知人から高価なプレゼントを貰い慣れているだろうに。
(なのに、なんだ。この過剰なアレルギーっぷりは)
照れたあまり凶暴になっている訳ではない。
自分に対しての反応とあまりに違う。
・・・それはそれで、自分については、オスとして受け入ることが出来るという認識をして貰っているのかと思えば嬉しいものだが。
目が据わっているということは、本気で優からのプレゼントを嫌がっているのだ。
「アイツ、過去、男からのプレゼント貰ったことないんすか」
歩が目を逸らした。
「あー・・・。実家は二重三重に障害があってねー。多分、私達の手元に男性からのプレゼントは過去、一度も届いたことないわ」
(それでか)
二人は別に尾仁 勝という男を応援している訳ではなかったが。
己の惚れている女性の、自分の妹の、認識がどれだけ一般常識からずれているのかを再確認して頭を抱えたのであった。
(なんなの、この女?)
自分の中の恋愛マニュアル通り事が進まない女に優は混乱しまくってた。
ブログやFBには「こんな企画してまーす。順調でぇーす。お楽しみに★」等と記載していたが、それで鬱憤が晴れる訳ではない。行きつけのクラブで、友人たちに向かって憂さを晴らしていた。
「フツーさ、女なら問答無用で男からのプレゼント受け取るもんだろ?
初っ端から時計は確かに張り込み過ぎたかもしれないけど。洋服だって気張り過ぎたかもしれないけど。でも、タダでハイブランド貰えるんだぜ?
・・・なのになんで。あんなもの凄い形相になるんだ?」
最後の方は独り言に近かった。
よほど久賀の家風として収賄を禁じているのだろうか。
久賀家が元々周囲から媚び諂われる家柄で、賄賂を貰う側であって。
間違っても賄賂渡して便宜を図って貰う側じゃないということは後付けで知った。
数日後。
優は勝負に出た。
「じゃあさ、食事しよう、ラ・ロシェで!親父が喜ぶし、これからの企画のことを相談したいからさ」
「だったら植野さんやカメラマンを手配しないと」
優はにっこりと笑った。ちょいちょいと檀を手招きし、廊下で秘密を共有するかのようにぼそぼそと呟いた。
「だって。そんな輩を連れて行ったら。
いいの?檀さん、久賀のお嬢さまだってバレちゃうよ?」
檀は一気に警戒した。
「・・・やっぱり知ってたんですね」
「親父の書斎で檀さんが映っている写真を見たよ」
「お断りします。私そんな高いところお支払いできませんし」
「支払いは気にしないで。俺のおご」
「奢られる意味がわかりません。タイアップの企画ですから、立場はフィフティフィフティです」
最後迄言わせないように被せてきた、あまりの檀の鉄壁な拒絶に優も腹を括った。
「・・・わかった。じゃあ、割り勘で」
(勝負処で女に割り勘させるなんて!
見てろよ、勝負はラ・ロシェで付けてやる)
「で、売り言葉に買い言葉。ラ・ロシェに自腹で行くことになったと?」
「バカなの?」
「莫迦だよね、檀ちゃん!第一回大馬鹿大賞決定だな、オメデトウ!!」
公衆の面前でラ・ロシェへのお誘いを受けた後、二人で編集部を飛び出していった為、編集部員達に取り囲まれた檀はその後の二人での遣り取りを、一部始終聴取された。
檀はうず高く積まれた資料の山に隠れるように机に突っ伏して頭を抱え込んだ。
「ううう。仕方なかったんですよぉ・・・」
「だったら素直に奢られちゃえばいいのに」
がば、と檀は起き上がって抗議した。
「だって!好きでもない人に奢られたら、後々どんな言いがかりを付けられるか、わかったもんじゃないですかっ」
「「「・・・」」」」
(アンタ、どんな世界で生きてきたんだよ)
と、そこへ良が缶コーヒーと栄養ドリンクを檀の机に置いていった。
「無理すんなよ」
矛盾するセレクトだったが、檀はまだ校正が残っており、おそらく徹夜になる。それについての気遣い。
「ありがと」
と檀もごく普通に受け取っていた。
何の気もない遣り取りだったが、そこにあるモノを視て、周囲は目配せしあい慎重に檀に確認をした。
「・・・参考迄に。好きな男になら文句言わずに奢られるんだな?」
じいい、と周囲に見られて、檀は赤くなりながらコクン、と頷いた。
「「「・・・」」」
にやり。
そう言えば、飲み物一つでも、きっちりと借りを返す檀の性格に改めて思い至り。その檀が平然と”借り”を作っているのを目撃して。
(何のかんの言って檀ちゃん。良さんにフラグ立ててるじゃん)
同僚達はやがて即物的な方面に思考を戻した。
「取材ってことで経費で落ちないですかねえ」
「ラ・ロシェは難しいんじゃないか」
「俺達も付いていってやりたいのは、山々だがなー」
「「「懐がなー」」」
ふう、と檀はため息をついて。
「私的な行動なので自腹で行きます」
お読みくださいまして、ありがとうございます。




