プロローグ、深紅の師は灰へと還る
〔紅蓮side〕
「わざわざすみません。こんな面倒な検査をしてもらって」
紅莉の見舞いのついでに、オレはポンコツの右腕のせいで精密検査を行っていた。
こんなガラクタさえなければ、わざわざ院長先生の世話になる必要もないのに。
「気にしなくていいよ。私にとって君は甥みたいなものだし、この検査に保険なんて降りないからね。診察書と請求書は?」
「ババ……母さんに送っておいてください」
「はいはい~、そういや、紅莉ちゃんも最近入退院を繰り返してるけど、そういうこと?」
この総合病院は機関と深い関係を持ってる。
もちろん、院長であるアンナ先生がそれを知らないわけがない。
娘であるグレイスは機関に所属しているしな。
「おそらく、あなたが想像している状況だと思いますよ」
「大変だね。君は君でいろいろと隠れてやっているみたいだし」
この人がすでに知っているということは、ババァには全ての行動がバレていると考えて良いだろう。
「大したことではありません。紅莉のためならヴァーミリオン家だろうとアルジェント皇国だろうと大した労力ではありません」
「大丈夫なの?アルジェントはともかく、ヴァーミリオンの方は面倒でしょ?あそこは堅物ばっかの印象だけど」
「大した労力ではありません」
面倒なので同じセリフで答えることにする。
「ふーん、まぁいいか。ところで話変わるけど、今彼女居るの?」
「唐突ですね、今は居ないですがそれがなにか?」
「ウチの娘を嫁に貰わない?」
まったく、この人は。
ババァと同じくらい頭のネジが飛んでると思ってたが、自分の娘を甥同然の男に売るような人間だったか。
「もらいませんよ。だいたいアイツの自由意志がそこにあるんですか?」
「そう?あの子はまだ君に惚れてるだろうし、付き合っていた事実もあるんでしょ?何も問題はないんじゃない?」
こういう話は苦手だ。
オレは異性よりも同性同士でワイワイやってる方が気楽に感じる。
なぜ、世の男共の思考回路は下半身と直結している?
「だとして、普通それで結婚させようとしますか」
「私はもうちょっと本人達に任せて良いと思ったけど、かりんが行き急いでてね?」
あのババァ……。
まだ41だろうが。
その歳でもう孫が欲しいとか言い出すか。
近年の感覚で言えば、アラフォーの未婚女性は意外に多いぞ。
そんなに欲しけりゃ養子でも作るぞ。
そうだな、クロ辺りで手を打つというのも悪くはない。
「ババ……母さんがどう思おうと、オレは紅莉が高校に入るまでは結婚を考えるつもりはないです」
「シスコンだねぇ~。君は」
「オレにとっては褒め言葉でしか有りませんよ」
紅莉こそがオレの生きがいだ。
紅莉の幸せこそがオレの幸せだから、アイツのためなら喜んで死ねる。
例え、それでアイツが泣いたとしても、オレに後悔はない。
あぁ、そうさ、死者は生者の重荷になってはいけない。
それはオレが一番よく知ってるだろ。
「紅莉ちゃんのことは良いとして、君はもっと過去と決別するべきだと思うよ」
「過去……そうか、あなたはオレとアイツのことを知ってるんでしたっけ?」
「まぁね、あの件は君とその子だけの問題じゃないし。ウチの子もその場に居たそうだし」
「……正直な話、アイツとの件を忘れられれば楽ですよ。でも、あの最高の日常はそう簡単に忘れられない。いや、どんなに頑張っても忘れられるわけがない」
忘却、とは人間のみに存在する概念らしい。
他の動物は学習したことを忘れることはないのだが、どういうわけか人間だけが過去を忘れる。
オレも忘れたかった。だから他の思い出で上書きしようと思った。
けど、どれだけの思い出で上書きしようと思っても、あの思い出に勝るものなんてない、いやあの思い出はそういう次元じゃない、もう確立してしまってる。
オレがオレでないあの時間、そしてオレがオレになるきっかけをくれたあの出来事。
それに、今のオレには紅莉が居る。
だから大丈夫なんだ。
紅莉が居る限り、オレはオレで居られる。
紅莉がアイツの……るりの代わりじゃないことは理解してる。
けど、紅莉が居たからオレは今のオレになれた。
だからこそ、オレは過去に生きてない。
「人間ってのは、忘却することで幸せを手に入れることができるって研究もあったはず」
「その通り。だからこそ忘れるべきなんですよね……」
そんな簡単に人は記憶と決別できない。
できないからこそ人は過去に苦しむ。
どれだけ求めても、失った過去を取り戻す方法はない。
「でもそんな簡単に過去と決別するのは大変だよね」
「やけに物分りが……」
そういや、この人バツイチだったっけ?
「人間、失恋なんてあって当然。よく言うじゃない『初恋は実らない』って」
「嫌なことを平然と言う人だ」
「正直、初恋の相手と結婚なんてすべきじゃないよ。相手の醜い部分に耐えられないから」
「それ、自分の娘に言ってやってください」




