第18話、白銀の剣と歪な正義
〔シルヴィアside〕
アシュリーの元に近寄ろうとした。
だが、その間を観光客の集団が割った。
別に急ぐ必要などない。
そう思い、観光客の集団が通り過ぎるのを待った。
けれど、その中に居るはずのない人間がいた。
紫苑がその中にいた。
死んだはずの紫苑が、変わらぬ姿でその中を悠然と歩いていた。
紫苑の姿を見た私の思考回路は止まった。
何秒止まったか分からない。
「シルヴィア?どうかした?」
不審に思った月宮紅莉が声をかけてきた。
その時には観光客の集団の最後尾は私から10メートルほど離れていた。
我を失い、その集団へ駆ける。
歩いている集団の最後尾の人間の肩に触れることなど造作もなかった。
「えっと……何かな?」
最後尾の人間は男性だった。
20代前半くらいの男性が不審に思っている。
なぜ動物園で知らない白人の女子に肩を触れられたのだろうか、と不審に思っていた。
私も私だ。動揺していたとはいえ、最後尾の人間の肩を触って何になる?
「失礼しました」
男に軽く謝罪して、私は集団の中に紫苑の姿がいないかを確認した。
だが、居なかった。
人違いかと思ったが、私が見た紫苑と似た風貌の人物は居なかった。
服装、背丈、髪型を紫苑と見間違えるような人物は居ない。
…………逃げたのか?
いや、逃げる意味が分からない……違うな、逃げるも何もない。
紫苑はもう死んでいる。何を勘違いしているのだ。
私が看取ったではないか。私が葬ったではないか。
生きているわけがないだろ。
「ちょっと、シルヴィア、なにやって……え?ど、どうした?なんで泣いてるんだ?」
追ってきた月宮紅莉の言葉を聞いて、私は自分のこみ上げてくる涙に気づいた。
「あ、あぁ……すまん、ちょっと目にゴミが入ってな」
「さすがの私でも分かるレベルの嘘は止めてもらえるかな」
穢れを知り尽くしている少女には、この程度の嘘はバレるか。
嘘は嫌いだ、得意ではない。
私はバカなのだ、皆が私を買いかぶる。
瞳からは涙が溢れる。情緒不安定だ。
自嘲する。本当にマヌケで哀れな女だ。
どんなに強がっても、心は弱い子供のまま。
悲しいな、親友1人の死すら受け入れられないなんて……。
「ティッシュ、要るかい?」
「……いただこう」
月宮紅莉の善意を受け取り、涙を拭う。
そのまま近くのベンチにふらつきながら腰掛ける。
そんな私を見た月宮紅莉はアシュリーの元へ行き、何かを伝えた後で私の元へ戻ってきた。
「どうした?」
「私にだって良心くらいある」
「……そうか」
それしか言葉が見つからなかった。
礼を言える相手ではない。
私は先日、こいつを殺そうとした。
そんな相手になんて言えばいいのだ?
照れているわけではない、分からないだけだ。
心が落ち着かない。
肩がわなわなと震える。
過呼吸気味になる。
脳は理解しているはずだ。
なのに体が認めたがらない。
あと何回だ。
あと何回、この不愉快な感覚に苛まれればいいのだ。
「気分でも悪いの?救急車を呼んでもらう?」
「いや、そこまでではない。……それに最悪の場合、1人で帰るさ」
「…………」
1人で帰らせられない、そう言いたいような顔をしていた。
だが、私と月宮紅莉の関係は最悪である。
お互い、殺したいと恨みあっているわけではない。
それでも、私たちは友情を育むような関係ではないはずだ。
「心配するな。私を誰だと思っている?」
また強がった。
この強がりは、月宮紅莉でなくともバレていただろう。
「そんなに強がるなら、少しくらい話したらどう?」
「……そうだな。話したら楽になるかもしれない……」
すうっと、深呼吸をして覚悟を決める。
「紫苑が……死んだはずの親友が居た気がしたんだ……」
「……そう」
「あぁ、参ったな、幻影を見るほど私は病んでいるらしい。一度医者に見てもらうとしよう」
ジョークでも言うように明るく自虐した。
だが、月宮紅莉の顔は暗かった。
「ごめん、こんな時、なんて言えばいいのか分からない」
「気にするな、正解などない」
むしろ、正解があるのなら、私が知りたい。
親しい友が亡くなった時、人はどうすれば立ち直る事ができるのか、私が知りたい。
いや、一度あの男が言っていたか。『死んだヤツのことは割り切れ』と。
「死んだヤツのことは割り切れ、か……」
「え?」
つい、口から漏れていたらしい。
「この前も言っただろ。貴様の兄、月宮紅蓮はそう言ったのだ。親友が死に、寂寥感に苦しんでいる私に」
「…………」
「あの男の考えも分かる。割り切らねばならんのだ、割り切らねば……」
それができないから、私はこんなにも苦しんでいる……。
強くなりたい。この感覚を克服できる強さが欲しい。
でも、その強さを手に入れれば、私は私ではなくなる気がした。
「私はさ、お兄ちゃんが好きだよ。だけど、お兄ちゃんがいつも正しいとは思ってない。私も、友達の死を割り切る自信はないよ……」
「慰めか?それとも同情か?」
「違う、そんなんじゃない。ただ、私は……」
あぁ、そうだろう、貴様は私のことなど心底どうでも良いはずだ。
今、ここにいるのも、私のためではなく、私を放置した自分が気に食わないからだろう。
「私も……いや、私は過去に縛られている。今に生きていない。紫苑の願いを聞いた。彼女の想いを引き継いだ。だから、私は彼女の正義を捨てられない……」
「願い……?」
「あぁ、彼女は願った。誰も傷つかないで済む優しい世界の存在を」
「優しい世界……」
「あぁ、だから私は貴様を殺そうとした」
自白、いやこれではまるで懺悔だ。
「モンスターに惨殺されるような死に方よりも、人に殺される方が良いだろうと私は思った。私が咎を負えば、貴様も私を呪えるはずだと考えた。だから……」
「それがアンタの原点か……」
「あぁ、悪いか?」
「良いか悪いかなんて偉そうな事は私には分からないよ……けど」
「けど?」
「いや、そんな大したことじゃない……ただ、自分のせいで友達に重荷を背負わせたくないな、って思っただけ。ごめん、外部の私が好き勝手言うことじゃないね」
その通りだ。紫苑は決して人殺しを肯定していたわけではない。
あれは私の偽善だ。断じて善意ではない。
貴様を殺すことに、私は大義名分を求めただけだ。
ふっ、幼児の言い訳にしては、仰々しいな。
「……気にするな、貴様は間違ってない。むしろ私が間違っている」
「おや、嫌味の一言もないとは」
素直に驚いたらしい。
「なに、私は別にそんなつもりはない。前にも言っただろ、あらゆる善意は自己満足から派生する、と。私は私がなりたい自分になるだけなのだ。この道は私が進みたかった道だから、紫苑のせいではない。天国にいる彼女にそれが通じていれば良いのだが」
「そっか。……きっと、通じてるよ」
「悪いな。今日は帰る。アシュリーには今度埋め合わせをすると言っておいてくれ」
動物園を楽しめるような気分ではないため、私は帰宅する事にした。
■
約8ヶ月前の1月1日、紫苑はベッドの中で新年を迎え、自分の人生に幕を下ろそうとしていた。
クロの訃報を聞いてから、紫苑の容態は日に日に悪くなっていった。
元々、持病を患っていたらしく、あまり長い命ではなかったらしい。
だが、あまりにも急すぎる。
どうしてだ、どうして彼女まで死ななければならない。
「シル……フィ……」
見ているこっちが辛くなるほどの虫の息である紫苑が死力を振り絞って話しかけてきた。
「止めろ、体に障る」
「いいんだ……どうせ、もう長くない。いやもう限界だから……」
「だから喋るな!」
私はイヤだった。紫苑が、親友がまた居なくなる事がイヤだった。
「ごめん、その気持ちだけで心が痛くなる。けど本当にもうムリなんだ……実は光も見えてない」
もう、そこまでなのか……。
どうすれば良いのかわからない。
何が、魔法少女だ。
魔法だと言うのなら、今ここにいる少女1人救って見せろよ。
歯痒い、私にできることなんて、ただの『暴力』でしかない。
「だから、最期に一言だけ言わせて」
「……なに?」
穏やかに笑ってみせる。
せめて、彼女の最期が幸せであるように。
泣くものか。彼女に重荷を背負わせてなるものか。
「わたしのことを、わすれないで」
「……あぁ、当たり前じゃないか。忘れるわけがない、忘れられるわけがない。君達と過ごしたこの半年強は、私の人生でもっとも有意義な時間だったよ」
無意識に涙が流れる。
想いとは裏腹に感情が爆裂する。
けれど嗚咽を漏らさず笑顔で居続ける。
それが紫苑のため、もう光が見えてないと言っても、きっと感じてくれている。
親友だから、家族同然だから、きっと感じてくれている。
「そう……その言葉が聞けただけで嬉しい……」
紫苑は笑った。朗らかに笑った。
「せめて……誰も傷つかないで済む優しい世界があれば良いのに」
そして、御崎紫苑は亡くなった。
最後に彼女は願いを呟いてこの世を去った。
だから私は決意した。紫苑の願いを叶えるために。
誰も傷つかないで済む優しい世界を手に入れるために。
そのためには力が要る。誰も彼も守れるくらいの力が。
それから数日、私は一人部屋に篭り、剣を『創造』した。
通常の剣1本を『創造』するのに必要な時間はせいぜい5分。
けれど、そんな鈍では話にならない。
ゆえに、剣を鍛錬した。
古今東西のあらゆる武具を超越するほどの至高の剣にするために。
そして、できた1本の剣。
この剣は私の覚悟の具現化。
白銀の刀身は雪のように美しく、美術品のように無駄がない。
名は体を表すと言う。さすれば名を与えるべきであろう。
その名は『魔狩の聖剣』
世界に存在する害悪を狩るための我が聖剣。
再度、私は誓おう。
親愛なる友の願いを叶えるために、身命を賭して闘う事を。
これからの私に無駄などない。
ゆとりも遊びも有ってはならない。
忘れるな、この想いを。
紫苑の願いと共に生きてゆこう。
だから友よ、安らかに眠っていてくれ。
私は必ず君たちに誇れる人間になってみせるから。




