第3話、漆黒の戌は暇を持て余す
はぁ……暇だ。
少し前まではこんな孤独な生活は当然だったのに急に寂しさを感じるようになった。
アカリンのせいか、五月蝿いのが恋しくなるのは。
明日から小学校は夏休みに入る。
そうなればこんな寂しい日常はなくなるんだろうけど、それはそれで求めている物ではない気もする。
ならアタシはアタシが求めている物とは何なのかと自問自答してみる。
こんなことでもしないと時間つぶしにもならない。
今までは紫苑と言う目的が……。
そうか、紫苑だ。
アタシは紫苑が居ない現実に物足りなさを感じているのだ。
シルフィーの言うように、アタシは紫苑を殺したかったわけじゃない。
ただ一言聞きたかった。なぜあんなことをしたのかを。
それを聞いた後に縁を切るか、仲を直すかと考えれば良いと思っていた。
でも、その紫苑はもうこの世には居ない。
だからアタシは……今になってこんな喪失感に苦しんでいるんだ。
この喪失感はきっとそのうち消える。
アカリンが消してくれると思う。
だけど、紫苑が居ない事実は消えない。永遠不変の現実なんだ……。
プルルル、プルルル。
ナイーブなことを考えていると電話のベルが鳴った。
お兄さんもアカリンも居ない。ナンバーディスプレイの番号は今朝の着信と同じだ。ということは電話の主は月宮家の母だろう。
なら、無視が得策かな?今電話に出てなんて答えろと?『お宅の家に居候させてもらってます』とでも?はっ、ナンセンスだ。そんなことして何のメリットがある?
『こらこらー、そこに居るのは分かってるんだよ?謎の居候さん。追い出したりしないから電話に出てくれないかな?』
居留守を貫こうと思ったら留守番電話のリアルタイムメッセージ(と表現すれば良いのだろうか?それ)でアタシに話しかけてきた。
どうやら月宮母はアタシの想像を数段階上回っているらしい。おそらくアカリンが把握して無いような監視アイテムがあると思われる。
仕方が無いので指示通り電話を取る。
「あー、はい、もしもし?」
『はぁーい!はじめまして、ところで紅蓮は居る?』
「いえ、お宅のお兄さんは既に出勤済みです」
『あらそう、じゃあ紅莉は?』
「もう学校に行きました」
『あら?まだ夏休みじゃないの?』
「それは明日からですね」
『そうなの、それは誤算だった……ところで、アナタはなんで学校に行ってないの?』
「えぇっと……まぁ、その……いろいろありまして……」
『へぇー。でも私も偉そうな事言えないのよね。飛び級で大学入ったから普通の学生生活と言うモノを送ってないし。ほら、私天才だから』
なるほど、その結果あの変人兄妹の誕生ってわけですか。
しかし、自分のことを天才って言う人間って最近じゃマンガでも見ないよね。
『んじゃあ言伝頼める?私紅蓮に着信拒否されちゃってて』
息子に着信拒否されていると言う悲しい事実をさらっと告白する月宮母。
この一家には恥という概念が無いのだろうか?
気になる、この人の旦那は一体何処に惚れたのだろうか?
だってあの兄妹の母親で、あのアカリンに『私以上の変人』と言わせるくらいの変人だもの。
「別に良いですよ。何ですか?」
『もうすぐ日本に帰るから色々と準備しておいて、と』
「えぇ、分かりました。伝えておきます」
『それじゃあねぇー、バイビー!』
時代遅れな挨拶を放ち、月宮母は電話を切った。
どうやら月宮母は日本に帰ってくるらしい。
うーん、もうすぐ居候(より正確にするなら留学生?)が一人増えて、おまけに月宮夫妻も帰ってくるってこと?
月宮夫妻がハワイに戻るまでは別の住処を考える必要があるかもしれない。
……よし、とりあえず墓参りに行こう。
▽
「というわけで、墓参りに行かない?」
「何が『というわけ』なのか小1時間くらい説明してもらいたいな」
機関に忍び込み、シルヴィアの自室っぽい部屋に入りシルヴィアに話しかける。
アタシの能力『暗黒』を使えば他人に認識されないことなど容易い。
「紫苑って死んだんでしょ?」
「あぁ、そうだが?」
「だから線香くらい……あれ?線香ってなんて言えば良いの?使う?祭る?」
あ、『あげる』だ。正解は『線香をあげる』か。
「日本人が知らないことを、外国人であるこの私が知ってると思うか?」
「まさか、シルフィーって基本バカだし?」
「君は本当に失礼だな」
「何を今更。アタシとシルフィーの仲じゃん?」
「……君は私を友達と言ってくれるか?」
「は?うん、まぁそうだね。そりゃもちろんイエス」
「月宮紅莉にあんなことをしたのに?」
「それはシルフィーのせいじゃないでしょ?アカリンが無謀に突っ込んだから返り討ちにあっただけ。でも、そんなアカリンだからこそ好きだって話」
「君はそういう人間だったな。一応言っておくが、日本に紫苑の墓はない。アルジェント皇国にある」
「はぁ?そりゃまたなんで海の遥か彼方の外国に?」
「……それは守秘義務に値する」
どんな守秘義務だ!とアカリンなら突っ込むだろうけど、シルフィーだからふざけてるわけじゃないと思う。本当に守秘義務とやらがあるんだと思う、たぶん。
「ところでさ、アタシと話してて大丈夫なの?」
ふと気になったのでシルフィーに質問する。
先日までアタシは悪の魔法少女として機関の魔法少女を半殺しにしていた。
そんなアタシとこんなくだらない会話をして問題じゃないの?
「気にしなくて良い、君に対する処遇は全て私と紫苑が担う。君は何も考えずに月宮家で暮らしていて構わないよ」
期待していた回答とは180度違う回答が返ってきた。シルフィーの説明はいつもこうだ、説明力が低いせいか納得できない。頭が良い人間が説明が上手いと言うわけではない。大学に行った事がある人間の多くは『大学教授は説明が下手な人間ばかりだ』と感じるらしい。つまりそういうことだろうさ。
「もうちょっと分かりやすく言ってくれない?なんでそんなことになったのかから」
「ソレイユ閣下は全てを機関の幹部に説明し、キミが機関のメンバーを秘密裏に抹殺している紫苑から魔法少女を守るために悪を徹したと言う事で、今回の件は全て不問にした」
「随分と都合が良い展開じゃない?」
出来過ぎている、と思った。
私にとって都合が良いけど、あのソレイユさんはシルフィーよりも人の心の裏を読むのが上手い。
有体に言えばカリスマってヤツかもしれない。
シルフィーが読心術ならば、ソレイユさんは人身掌握術と言える。
シルフィーは尊敬されてる、でもきっと憧れられてない。
そのはずだ、シルフィーの根源にあるのは自己犠牲。
ボランティアに勤しんでる人間を立派だと褒める人間は居ても、そんな風に自分もなりたいと思う人間は基本的に居ない。ボランティアってのは資本主義に反する。利益が生まれないことに必死になる人間ってのは多分居ない。それこそアカリンの言うように『他人を救った自分に愉悦を感じている』だけだと思う。
あの人の怖いところは自分にも他人にも厳しいところ。
言葉だけなら昔気質のようだけど、そんな次元じゃない。
10キロのダンベルを持てない人間に容赦なく15キロのダンベルを持ち上げろ、と言い放つような人だと思ってる。あの人は優しい。けれどその優しさは人にとっての優しさではない。
『陽光』が無ければ人は生きていけない、しかし紫外線が人の体を蝕むように、あの人の優しさも人を、無慈悲に傷つける。司法のように平等で理不尽。
無情にして冷徹な機械人間が紫苑に罪を押し付けてアタシの所業を無かった事にする?むしろアタシを地の果てまで追いかけて『罪を償え』と言ってくるような感じがする。
……うん、違和感ない。
それともアタシのイメージが間違っているのだろうか?
もしかすると、実は花を愛でるくらい優しいとか?昔のマンガのヤンキーみたいに雨でずぶぬれのわんちゃんの入ったダンボールに自分の傘を貸し与えるくらい優しいとか?
これはダメだ、想像できない。
「さぁ?少なくともあのソレイユ閣下の決断だ。そして閣下の決断に異を唱える人間は居なかった。それだけで十分ではないか?」
「不十分だと感じたんだよ、少なくともアタシはこの件に関して納得できない事が多過ぎるわけよ」
「ならなぜ私の発言を信じる?」
「は?シルフィーを信じない理由ってあるわけ?」
この子はまた変なことを言う。私がシルフィーを信じない理由でもあると言うのだろうか?
それとも、何かあるのか?シルフィーと紫苑の間に私が知りえない何かが。
紫苑は今年の元旦に死んだらしい。と言う事はあの事件から一週間程度しか経っていない。
そもそも死因はなに?病死?事故死?自殺の線は?
アタシを殺しかけた自責の念で自殺した可能性は?
……いや、これは無いだろう。それならシルフィーが私の死を知らないのはおかしい。
なら何があった?紫苑の威信を損なわずに、尚且つシルフィーの人生観が変わってしまうような何かが。
………………ダメだッ!全然わかんない。こういうのは私の分野じゃない。
はぁー、まぁいいや。情報の整理をした後でアカリンにでも考えてもらおう。知恵だけはあるからね、あの子も。
「どうかしたかい?月宮紅莉みたいな面白い顔になっているぞ?」
「え?マジで?」
「あぁ、本当だ。そういう所は変わったな」
「アタシが変わったなら、シルフィーは凄く変わったよ」
私が知ってるシルフィーなら『あぁ、本当さ。そういう所が特に変わったよ』と言ったよ。口調は人の心を表す、それが作り物ではなく素なら余計に。
「……そうかい」
溜息交じりにそう呟いた。まるで年寄りだな、いや中年かな?管理職レベルのベテランが部下の発言に飽き飽きしているみたいな言い方。
「なんか疲れてるみたいだし、今日はもう帰るよ。でも最後に訊いても良い?」
「もちろん、答えられる範囲なら何だって答えるさ」
「どうしてシルフィーは機関についてるの?アルジェント皇国のせい?」
アルジェント皇国と機関は癒着しているのは極一部しか知らない情報だけど、確かなもの。そしてシルフィーはその皇族。なんらかの圧力があっても不思議じゃない。
「母国は関係ない。今の私は紫苑が望んだ『誰も傷つかないで済む優しい世界』を実現させるためだ」
「紫苑が望んだ?そんな世界を?」
「あぁ、彼女の遺言だ。もっとも、あれは願望を漏らしただけだったけれど、私は友としてそんな世界を実現させると決めたのだ」
「誰も傷つかない、ねぇ……有り得るのかね?そんな理想郷」
「無いなら『創造』だけさ」
独り言を呟くように言ったシルフィーの目は冗談を言っているようなモノではなかった。
確固たる意思が宿っている、アタシには分かる。
シルフィーは乙女の幻想のような世界を本気で実現させたいのだと。
だけど、そんなものは幻想だね、紫苑もそれが分かっていたからこそ願望に留めたはずだよ。
少なくとも、アタシはそう思う。
どんなに願っても叶わない夢があるから、人は祈りを止めないのだろう。




