第1話、真紅の炎は未知と出会う
「ふんふんふぅ~ん♪」
寝起きの気分は最高だった。
午前5時55分と言う早朝に私は目を覚まし、髪形を整えるために洗面所でヘアアイロンを当てている。
昨日は9時前に寝たから睡眠時間は十分取れているのだ。
そう!だから!
「おっにぃちゃっ~~~ん♪ 朝だよーーー!!」
私はお兄ちゃんの部屋に忍び込んでお兄ちゃんが寝ているはずのベッドにダイビングした。
けれども、そこはなぜかもぬけの殻。
お兄ちゃんはベッドに居なかった、けどまだ体温で暖かい。
そして残り香もちゃんと残っている。
すーはー……すーはー……。
「それで?朝からお前は何をやっているんだ?紅莉」
クローゼットの前で既にスーツに着替え終わっているお兄ちゃんが居た。
「なぬっ!?お兄ちゃん!なんでもう起きてるの!?」
「アホ、紅莉が早起きして洗面所で髪をとかしている時にはもう起きていたぞ?紅莉が早寝していた時点で何かを企んでいることくらい予想できたさ」
「ちくせう……」
25歳のお兄ちゃんには全てお見通しだったみたい……。
くそぉ……まるで思考が理解されているかのようだ。
なぜだっ!なぜ私の思考が読まれる!
友達からは『アカリンの考えてることはわたしの理解を超えてて怖い』と言われるのに!!
「俺はもう12年も兄をやっているんだぞ?分かるに決まってるだろ」
「はぁ……じゃあ12年もお兄ちゃんは兄を演じれば私の考えていることくらい分かるってことなの?」
「そうだな、それが年の功ってもんだ。さ、とっとと朝飯にしようか」
そう言ってお兄ちゃんは自分の部屋に襲来してきた妹をまるでやんちゃな子猫が窓から侵入してきたかのようにあしらった。
……もうちょっと、こう……ラブコメ的なイベントがあっても良いんじゃないですか?
ラブコメであるじゃん?ねぼすけな主人公を可愛い幼馴染が起こしに来るイベント。
「小学生の妹に起こされるほど、俺は出来損ないではない」
スペックが無駄に高いのも考えものですね。
これじゃあハプニングスケベも発動できないよ。
▽
ウチの両親は10年くらい前からハワイで仕事をしている、その前は普通に日本で仕事していたらしいけど、12歳の私はもちろん知るわけが無い。
にもかかわらずお兄ちゃんは有名進学校への推薦が貰えていたいう理由でハワイに行かず日本で暮らすことを選んだ。
そこでお兄ちゃんが1人暮らしをすることになるのが普通なのだろうけど、なぜか『じゃあ紅莉のことをよろしくね』と私も日本に滞在中なのだ。
本当に何故だろう?いや、その選択はありがたいのだけど、正直謎でしかない。
普通置いていく?2歳児を?
そんなわけで、我が家の朝食は基本的にお兄ちゃんが作ることになっている。
私ももう12歳なので学校の調理実習をしているのだけど『朝の忙しい時に料理教室をしてやるような暇なんてない』と怒られたので私は食パンをトースターで焼くくらいしか仕事がない。
調理開始から数分後、半熟の目玉焼きとサラダに味噌汁がテーブルに並べられた。
トーストに味噌汁という謎の組み合わせが我が家のデフォルトであり、異議を唱えることは無駄。
むしろこの組み合わせが普通だと小学校入学まで思ってました……。
『味噌汁にはやっぱりパンだよね』と言ったときに隣に座っていたカホタンの顔を私は忘れない。
「いっただっきま~す!」
「いただきます」
まずサラダから食べ、次に味噌汁、そしてトーストと目玉焼きと言う順番が私の王道である。
和洋折衷の朝食で王道もクソもないだろうけど。
「そういえば今日はお前の方が帰るの早かったっけ?鍵忘れるなよ?」
「うん、今日は2時前には学校終わるよ」
「……小学生は楽な生活だな」
「小学生だもん。でもちょっと微妙なんだよねぇ~。刺激が足りないと言うか……」
トーストに苺ジャムを塗りながら平和な毎日を愚痴る。
面白いゲームでも発売してくれないかな?
人気シリーズの超大作RPGみたいなの。
いや、むしろベンキャー企業ならではの斬新なゲームの方が……面白ければどっちでもいいか。
「6年生が『刺激が足りない』とか言うな」
「でもさ、なんかこう……面白みがない人生と言うか……」
「オレは達観するには早い過ぎると言ってるわけ」
「けど、テレビで言ってたよ?最近は性の低年齢化が進んでいたり、小学生から複雑な恋愛事情になってきているって」
だから、私とお兄ちゃんの禁断の愛をね!!
「あんなもんを真に受けることはないぞ。ああいうのは自分の本当の気持ちじゃない、他人に押し付けられたようなものに等しい。
『恋愛しない奴は人格破綻者だ!』とかな。余計なお世話だって」
「お兄ちゃんが言うと重みが違うね。彼女が居ても長続きしないことで定評があるお兄ちゃんが言うと」
私のお兄ちゃんはモテる。
容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備、非の打ち所が無いと言っても過言ではない。
これでモテないなら女の見る目がないとしか言えない。
まぁ、モテなくても、いやモテない方が私としては都合が良いんだけど。
けれどもなぜかは知らないけど、すぐに振られる。
向こうから告白しているのになぜかすぐに振られるのである。
まったく、世の女性と言うのはどういう男に惚れるんだろうか?
いい加減でチャランポラン、モラルなんて気にしないような社会の底辺?
はっ、頭オカシイんじゃないの?
「さらっと嫌味を言うな……というか、なんで俺って長続きしないんだろうか?」
落ち込んでいる風ではなく、自分の人間性に対して疑問視しているらしい。
振られた経験がないから分からないけど、そんなに重要な事なんだろうか?
でもねぇ?振られる原因で思い浮かぶのは……。
「やっぱりDQNネームのせい?彼氏の名前が痛々しかったらなんか嫌なんじゃない?」
もしくは女が自分に都合の良い男にしか興味を持っていないか、だけどそれはルックスで補正されるはず。
「はぁ……何が嬉しくて『紅蓮』なんて名前を付けたんだよ、あのクソジジィ……」
月宮紅蓮。
それがお兄ちゃんの本名。
私たちのママはフィンランド人とアメリカ人のハーフで、パパは純血の日本人、けれど国籍はアメリカ人でもある。
だから厳密には私たちはフィンランド人とアメリカ人のクォーターであけど、半分は日本人の上に日本出身と言う面倒くさい経歴になってる。経歴自体は面倒くさいけど、遺伝子的にはゲルマン系とアジア系の混血だから外見はハーフのそれに近い。
「き、きっと外国人みたいな名前にしたかったんじゃない?この前見たドラマで『グレン』ってアメリカ人居たし」
「俺は生まれも育ちも日本の日本人なんだが……アメリカかぶれでもない……なのにあのクソジジィめ」
私たちは生まれから変わっているため、アメリカでも通用する名前にしたかったんだろうけど、どうやらお兄ちゃんは『紅蓮』って名前を嫌ってるみたい。
そんなに嫌いなのかね?『紅蓮』
私は好きだけど、お兄ちゃんにとっての唯一のコンプレックスになってる。
まぁ世の中もっと酷い名前の人とか居るらしいからまだマシだと思うけど。
私の名前の読み方は普通で良かった。だって『あかり』だもん。
「ま、まぁパパのことは置いておいて、何かないかな?」
「何かって何の話だ?」
話を転換されて意味が分からないと頭に疑問符を浮かべながら質問してきた。
「こう……皆はやっていないんだけど、一部の女子はやるような流行の最先端のような趣味、みたいな?」
「お前は小6病か……」
味噌汁を飲みながら溜息を孕んだ声でお兄ちゃんが独り言のように呟いた。
「小6病?なにそれ?」
「小学生6年生の頃にありがちな『他人とは違うことをして自分のアイデンティティーを確立しようとする習性』をそう言うらしい」
他人とは違うこと……。
ピキーン!閃いた!
「お兄ちゃん、私バイクに乗りたい!」
「は?ウチにバイクなんてねぇだろ?」
「でもお兄ちゃんは免許持ってるじゃん?大型二輪の免許の免許も大分前に取ってたよね?だから私を乗せて二人乗り!」
「免許が有ってもバイクがない」
「買おう!」
妹の発言を無視しながらトーストを齧るお兄ちゃん。こんなのが我が家ではデフォなのです。
「我慢しろ、俺にはそんな金はない。」
「お金なら私も頑張るから!」
「お前、大型バイクがいくらするか知ってるのか?原付なら大学生でも頑張れば買えるくらい手頃だけどさ」
「じゃ、じゃあその原付の二人乗りでいいから!確か、ゆうくんが原付持ってたよ!」
「原付で二人乗り……これは先生に相談しなきゃな……」
え?なんで?
「『ウチの妹が原付、二人乗り用じゃないバイクで二人乗りをしようとしています。どうしたら良いですか?』とな。
あ、一応ババァにも言っとくか。妹が犯罪に走りたがってると……」
「ごめんなさい、二人乗りは諦めます」
お兄ちゃんとの幸せな二人暮らしを邪魔されては困る!
例えそれがママとパパだろうと!!
「よろしい」
▽
「それじゃあ、いってきまーす!!」
お兄ちゃんが家に鍵をかけているのを待ってから私は愛するお兄ちゃんに別れ(?)の挨拶を告げる。
「おう、気をつけてなー」
何に気をつけろと言う意味なのかイマイチ分からないその挨拶は、きっと全てに気をつけろと言うことなのだと理解しながら私はいつも通りに登校する。
何の問題もなく今日も平和に登校完了。
教室に入ると親友のマーちゃんとななちゃんが挨拶してきた。
「紅莉ちゃん、おはよう」
「おはよう、紅莉」
「マーちゃん、ななちゃんおはよう!」
二人に元気に挨拶をしてランドセルを机の上に置いて引き出しに教科書とノートを入れる。今日もこれから面倒くさくて将来の役に立たなそうな授業が始まるのである。
「ところで、宿題やった?」
マーちゃんが何気なく昨日出た宿題をやってきたかと訊いてきたが、それの答えはもちろんイエス!
「ふ、もちろん。計算ドリルなんてお兄ちゃんに微分積分まで教わった私の敵じゃないよ!」
「何処の世界の小学生が微分積分を勉強するのよ……」
おっと、ななちゃんはどうやら微分積分ができないみたい。
あんなのは頭を使わないから仕組みが理解できたら簡単なのに。
「安心してななちゃん、二次関数くらいは朝飯前だから!」
「誰もそんな心配してないわよ!!というか小学生のレベルじゃないわ!!」
さてと、親友にボケをちゃんと突っ込まれたので相談に移ろう。
「ところでななちゃん、聞きたいことがあるんだけど?」
「なにかしら?」
「大型バイクっていくらくらいするものか知ってる?」
「車種にもよるけど安くても40万はするんじゃない?というかなんで朝イチからそんな質問?」
小学生がする質問じゃない、と言いたいような顔をされると説明せざる終えない。
いや、ちゃんと説明する予定だったよ?
でも説明するとノロケ話になっちゃ……わないね、ノロケる要素がないもん。
くっ!何かないの?もっと愉快な日常になりそうな面白イベントは!!
「単純に言えば、お兄ちゃんとツーリングしたかったんだけど、40万か……5年くらいお小遣いを我慢すれば買えそうだけど……」
「5年もお小遣い我慢とかできるの?」
「……ムリだね」
マーちゃんの素朴な疑問で現実を再認識する。
バイクって子供が頑張ってどうこうなる次元の話じゃないんだね。
だって月のお小遣いが2000円だもん。
2000円だから40万円までは…200ヶ月、16年超……?
あれ?計算ミスった?
「それで、お兄さんとツーリングに行きたかったってわけ?」
「そうそう、そういうわけだよ」
話が分かるななちゃんは要点を確認してくれる。
「超ド級のブラコンもここまで来ると大変ね。ツーリングしたいって理由で数十万はするバイクを欲しがるなんて」
あ、分かった上で罵倒が始まりました。
ここにマーちゃんも加わった。
「湯布院に旅行に行ってもそんなにお金かからないよね」
「マヤ、あなたはどうして九州大分県にある温泉で有名な地方を例にしたの?伊豆とか熱海とか他にもいろいろあるのに」
「でもこの前『温泉県』と自称しようとして怒られてたよ?」
「そこら辺は放置してあげなさい、それが優しさよ」
突っ込んだら負けな話題だったからスルー安定、そして脱線しているから話を戻そう。
「でもさ、バイクってカッコいいじゃん?」
「そんな不良の高校生みたいなことを言われてもね?」
「不良ってバイクが好きだよね。無駄に改造とかしてたり警察に追われたり高速道路で暴れたり」
「それはただの暴走族だよ、マーちゃん!!」
「最近は不景気のせいでバイクも売れないから暴走族って少ないらしいわよ?」
マジですか。最近はバイクも売れてないんですか……なんとまぁ世知辛い。
「ヤンキーもマイルドヤンキーとか言われてるからねぇ~。仕方ないと思うよ」
マイルドヤンキー?なにそれ?優しいの?ヤンキーなのに?
「『家族』や『仲間』などの『絆』を重視して、地元愛が異常に高く、ついでに学歴も収入も低い。粋がっているのかタバコや酒を好んでいる頭の中身が空っぽな人たちのことを最近はそう呼でいるらしいわ 」
「あー、最近は地元愛ってのが強い気がするよね。マンガとかアニメとか見てても露骨に地元アピールしてて不快。ネタがディープすぎて全く分からないのとかあったり」
「最近のマンガとかってそういうのが一般的なの?」
「一般的かは知らないけど多いらしいよ?アニメの舞台にして町おこしをしようとしたり」
「はぁ……浅はかね。オタクってそんなに簡単につれるような人間なの?」
「釣れる釣れる、入れ食いに近いくらい釣れるんだよ」
当った時に限るけど。
「まぁ、私もアダルティなゲームとか嗜んでいるけど、オタクの感性と言うのは理解しがたい」
「……え?アンタ、エロゲとかやってるの?いくらなんでもそれは引くわね」
「え?…………いやいやいや!さすがの私でも18禁くらい守るよ!お兄ちゃんはそういうの五月蝿いからね!!」
「ほっ、安心した……」
「ちゃんとプレイしたのは全年齢対象版だから」
「大差ないわよ!!」
ななちゃんに大声で怒鳴られる。
いいえ、大きな違いです。チーズの入っていないチーズバーガーみたいなものなのです。
マジになっているななちゃんを無視してマーちゃんが質問してきた。
「それもサイレンさんに勧められたの?」
「いんや、レンタルビデオ店でアニメ版のを借りてみてハマった」
「借りるなよ」
ななちゃんは相変わらず目が蛆虫か何か汚らわしいものを見るような目である。
なんと悲しい、偏見だ!
「原作エロゲーって言っても、中には比較的マトモな恋愛物語で『なんでこれ、エロゲーにしちゃったの?』と疑問になるようなのや、人気になりすぎて原作がエロゲと言う事が忘れられてるようなのだってあるんだよ!!」
「確かに偏見だけど、深夜アニメを見る小学生はありなの?」
「ありなの」
「なしよ。子供が見ないように深夜に放送してるんだから」
正論のように聞こえるけど、それはもう過去の話である。
深夜に放送している理由、それは単純に夕方の枠が取れなかったかららしい。そのため、公共放送でも深夜アニメの再放送が行なわれているのだ。
「今は動画サイトのおかげで小学生だって深夜アニメを気軽に見れる時代なんだよ」
「放送倫理とかなんて、もう存在しないのね……」
「だいたい昭和のバラエティ番組はゴールデンタイムでも上半身裸の女性とかを普通に流していたらしいじゃない?」
「いや、確かにそうらしいけど……」
「大人ってのは酷いもんだよ。自分達が育ててくれたものを否定しだすんだから。自分が嫌いなモノを淘汰することは正しくは無いよ」
「どうしてあの流れから紅莉が社会非難する流れになっているの……」
流石のななちゃんも突っ込むのが疲れてきたようです。それを察したマーちゃんが話を切り替える。
「ところで紅莉ちゃんが見たのってのは面白かったの?」
「面白かったよ、『初恋グレイブヤード』って言うんだけどね」
「……『グレイブヤード』って確か『墓地』とか『墓場』って意味よね?」
「どんな内容なんだろう。ごめん、わたしには想像できない」
「タイトル詐欺だから!!タイトル詐欺だから!!」
本当に面白いんだよ!3部の主人公がトラックで死ぬところなんて涙なくしては語れないくらい面白いんだよ!!
「エロゲのことはともかく、できもしないことをやろうとする前にできることを楽しみなさい」
「ごもっともです……」
しょんぼり。
ななちゃんはいつも一言一言が辛い。もっと優しさを足したほうが良いとおもうよ?それこそ『ななちゃんの成分の半分は優しさで出来ています』と言えるくらいに。
「ワタシは解熱鎮痛剤か何かか」
はぁー、と溜息を吐かれる。
おかしいな?話しかけられたと思ったら鬱陶しがられている?
「とりあえず、今度の休みに遊園地でも行ったら?」
「遊園地!良いね♪皆で行こうよ!」
「そこでナチュラルに皆でって言う紅莉のこと好きよ」
「わぁーお!このタイミングで告白されてもリアクションに困る~」
「……紅莉のそういうところは嫌い……」
好きだと告白された瞬間に嫌いだと告白された……。
上げてから落とす、中々の高等テクニック!
▽
「じゃあね、二人とも~。バイバイ」
「バイバイ、紅莉ちゃん」
「さよなら」
午後2時ちょい過ぎ、ホームルームが終わって放課後が始まった。
二人と帰り道が違う私は基本的に1人で帰っている。
別に寂しくないし、本当に寂しかったら放課後も二人と遊ぶし、強がってないもんホントだもん!
……ってあれ?1人で昼間の帰り道を歩いていると、いつも通りの帰り道のはずなんだけど何か違和感を感じる。
なんでだろ?誰も居ないからかな?
でも平日の午後2時に人気がないのは別におかしいことなんてない。
なのにまるで今まで自分の存在が異物のような妙な気分。
熱でもあるのかな?というよりも今日の気温が高いだけかな?
こんな日はコンビニでアイスでもを買い食いするのが一番だね。
校則?小学校って校則あるっけ?
まぁ、あっても守る気なんてさらさらないんですけど。
守る必要のないルールを遵守する必要性がこの世界の何処にあるのさ。
違和感のある帰り道を歩いて数分、いつも帰り道にあるコンビニに到着。
けど、このコンビニにも奇妙な違和感を感じる。
見慣れた存在のはずなのに始めて見るような感覚。
ジャメヴだっけ?でもこんな感覚は初めて。
ぅん?
コンビニに入ろうとしたのだけど、なぜか自動ドアが開かない。
故障かな?と思ったけど、店内に客はおろか店員すら居ない。
それどころか電気が付いているようにすら見えない。
閉店したのかと疑問に思ってコンビニの看板を見上げて、私は目を疑った。
看板の文字が鏡に映ったような左右反転になってた。
その瞬間、今まで感じていた奇妙な違和感の正体に気付けた。
そう、この帰り道に存在していた全ての建物は私が知っている建物の逆位置に存在していた。
いつも右側に見えていた建物は今日は左側に存在していたのである。
このコンビニもその例外じゃない。
だからきっとこの看板の文字も左右反転なんだと思う。
まるで誰かのイタズラでドッキリテレビでもされたかのような、間違い探しの本の中に入ったようなそんな不愉快な気分になってきた。
でもこれ以上こんな妙に怖い場所に居たくなくなった。
早く帰ろう、そう思ったその時、クマが道路で寝ていた。
……はぃ?クマ?クマ……クマぁーーーっ!!!?
お、落ち着け私。
こんな街中にクマが現れるわけがない……。
落ち着け……落ち着くんだ……。
クマ、食肉目クマ科の哺乳類、四肢はがっしりとした筋肉質であり、頭は大きさのわりには耳と目は小さめ、頑丈な爪と牙を持ち空腹時は非常に凶暴なことで知られている。
日本に生息するヒグマはクマの中でも最大級であり人間を襲う野生動物である。
時速60kmで走ることが可能で、石のような飛び道具で威嚇すると怒るので大変危険、木登りが得意なので高いところに逃げても意味はない。
体長400cm、体重300kgを超える固体も多く、中には1tを超えるものまで居る。補足として嗅覚と聴覚は強いが視覚は弱いらしい。
なんてクマの特徴を思い出している場合じゃない!!
どうする?どうしちゃう?どうすればいいの!?
落ち着ける状態なんかじゃなかった!
というか、何がどうしてこんな所にクマが居るの?
分かった!これは幻覚なんだ!
熱のせいで変な幻覚を見ているんだ!
落ち着け、落ち着くんだ。これは幻覚なんだ、だから大丈夫、大人しく帰路について……。
「シュルルゥゥ~~スピ~~……」
妙にリアルな寝息と野生動物特有の臭さが鼻を襲った。
こ、これは本当に幻覚なの?!
現実逃避している場合なんかじゃない!!
『良いか紅莉、危険な野生生物ってのはだいたい目を見ることが一番大事らしい。目を合わせることで本能的に警戒するそうだ。そして目線を逸らした瞬間襲ってくる、そういう奴らだ。つまり野生動物には油断するな、大事なことだからもう1回言う、絶対に油断するなよ』
いつかお兄ちゃんが教えてくれたことを思い出した。
そうだ、相手は寝ている。
大丈夫、トラの穴に入って子供を手に入れることに比べたら難易度は低いように思われる。
クマの寝ている道路から後退り、遠回りして家に帰ろうとしたその瞬間。
「ぐわぁぁああ~ぉ……」
なんと言うことだ!?
クマが起きてしまった!?
「ぐわっ……?」
クマに恐れおののいているとクマと目が合ってしまう。
これは非常に由々しき事態!
紅莉ちゃん、絶体絶命の大ピンチ!!
けど、目を逸らさなければ……逸らさなければ……。
なぜだろう……私は後退りしているはずなのに距離が開かない……。
えっとつまり……クマがこっちにゆっくりと近づいてきている?
うそ……ウソウソウソ!!!!
ちょっとどういうこと!
どういうことなの!
こんなはずじゃ……。
こんな意味不明な場所で死ぬ……。
イヤだ!絶対に!
けど、この恐怖が私の命運を決めたのだろう。
これのせいで、この恐怖のせいでクマは私のことを敵じゃなくて獲物と判断したらしい。
「グワァオッ!!!!」
耳をつんざく咆哮が私とクマしか居ない世界にこだまする。
そして咆哮が終わったその時、クマは私に疾駆してきた。
「ひぃ!!」
無様な悲鳴をしてクマから必死に逃げる。
クマの速さは時速60キロメートル、つまり車と同じくらい早いのである。
そんな生物に人間が勝てるはずはない、それどころか負けるのが必然である。
なのに私は逃げられている。差は開かないけれど縮まるともない。
これが火事場のバカ力と言うのなら都合が良い、と私は延々と走った。
けど、この世界が左右反転のあべこべ世界だという事を忘れてしまっていた。
そう、行き止まり、袋小路である。家に向かって逃げていたけど、いつもの感覚で逃げていたのが失策だった。
2メートルほどの壁が私の退路を邪魔してる。
後ろのクマがあと数秒で私を食い殺しに来る。
策なんてない。となれば躊躇することはない。
私は全力で壁に跳んだ。いつもなら手が届くことすらかなわないその壁にすんなり手が届いた。
今日の私は全ておかしい。けどそんなことを気にしていられるほどの余裕なんてない。
火事場のバカ力が利用できるなら最後の最後まで利用しないと本当に死んでしまう!
私に向かって走っていたクマはおそらく標的が消失したせいだろう、袋小路の壁にぶつかった。
あの勢いで頭からぶつかったのだ、死んでもおかしくない、というよりも壁が壊れててもおかしくない。
なのに壁にはヒビすら入ってないし、クマも眩暈程度のようだ。
もはやこの世の全ての理が変わってしまったのではないかと錯覚してしまう。
けれど、知ったことではない。死にたくない、その一心で私は壁から人様の庭に飛び降りてクマから逃げた。
不壊の壁という遮蔽物があればクマから逃げられる。
人間の私はそう思ってしまったが相手はクマでクマは嗅覚が優れているし、木登りが得意。
そのファクターのおかげでクマは私の位置を特定して壁を登った。
「グルルゥ……」
クマが唸る。
腹が減っているのだろう。
今すぐに私を食べたいのだろう。
幼稚な私でも肉食獣の思考くらい読める。
そして怯えていたら食い殺されるだけというのは分かりきっていた。
だから逃げた、さっきまでのように、けれど地面を蹴った瞬間に違和感の塊が私を襲う。
何秒立っても地面に着地しないのである、重力が消えてしまったのかと思うように。
わけがわからない……世界が反転したかと思ったら、街中にクマが突然現れて、今度は重力が世界から消えた……。
パニックと言うのはこういうことを言うのだろう、とパニックのオンパレードの中で私は逃走本能のまま逃げた。
重力がないこの世界で私の体は随意的に動いた。
それが幸いだった、クマから逃げられた。二次元的にしか走れないクマと三次元的に移動できる私とでは追いかけっこにならない。
生存競争に勝てたことと生きていることに感動していると、鋭い何かが私をかすめ、クマの脳天を貫いて射殺した。
何かがクマを射殺したことを私の脳が理解するかしないかくらいの短時間の間に誰かが私を叩き落した。
(………………???)
クマの遺体と私の距離はわずか数メートル、その数メートルの間に謎の和装ポニーテルが立ちはだかった。
はぁ……なんだか良く分からないけど、どうやらこのポニーテールは私を助けてくれたらしい。
「どうも助けていただいて……」
と謝礼していると何故か氷で出来た日本刀を向けられた。
「ふぇ……?」
「お前も……魔法少女か?」
ポニーテールが右手に持った氷の日本刀を向けたまま、左手で私の胸倉を掴み、詰問してきた。
「魔法……少女……?」
氷の日本刀に無意識に怯え震えながら聞き返してしまった。
そもそもその一言の意味を理解できるほど、私のボキャブラリーは富んでいない。
だってそうでしょ?
普通、訊かないよ?
初対面の女子に『魔法少女か?』って。
というか魔法少女って何?
今時、幼稚園児ですらサンタクロースを信じてないのに魔法少女なんて空想上の存在を信じている子なんて居ないって。
でも私の感想など気にしないと言いたいように、ポニーテールは日本刀を向けたまま睨みつけている。
「聞き返したという事は聞こえてはいるという事か。しかし、それを理解する能力はない……」
失礼なことを言われている気がするが、正直こんなわけのわからない状況が理解できる人間が世界にそんなに居られても困ると思うんだけど?
むしろ1人でも居るの?
その子の適応率高過ぎない?
『蒼子、目的は完了したのか?』
「申し訳ありません教官。これより保護対象を確保します」
保護対象?それって私?あ、この失礼な人はレスキュー隊の人だったのかぁ……。
ほっと一息ついていたら失礼なポニーテールの拳が私の鳩尾を確実に命中した。
「グボラッ!?」
▽
目が覚めると、そこは知らないベッドと知らない枕と知らない天井と愛するお兄ちゃんが居た。
「おぉ、気が付いたか?」
「あ、お兄ちゃん……」
「大丈夫か?気分はどうだ?」
「え?……うん、だいじょ…ばない」
何かとんでもないことがあったのか全身的にダルい……。
おまけに腹部が痛い……。
渾身の右ストレートがクリティカルヒットしたみたいに痛い……。
おいおい、誰よ?こんな(自称)美少女に腹パンしやがったの?
「そうか……最初に言っておかないといけないことがある」
「なに?」
腹パンした犯人?よし、臨戦態勢だ!
「紅莉、お前は魔法少女になったんだ」
は?
「お兄ちゃん…………頭大丈夫?」
私は25歳のお兄ちゃんの頭の中を心配になった。
21世紀のこの時代、魔法少女を本気で信じている12歳が何処にいるんでしょうか?いや居ない、居るわけない。
もしも居たら夢が覚めるまで現実を教えるべきだよ。
「おいおい、さすがにその反応はないだろ」
「いや、この21世紀にそんなとんでもなことを言われて『うん!』と言える人が居るとは思えないんだけど?」
「そりゃ、俺だってお前の頭の中が年中お花畑なのかと心配するかもだけど、少しは実の兄を信じてくれても良くないか?」
「私はもう12歳だよ?サンタクロースが居ないことなんてとっくに知ってるし、子供はコウノトリが運んでこないってことも知ってるよ?」
「そうか、今年からサンタの仮装をしなくてすむのか……。まぁ、確かにサンタは居ないし、コウノトリも赤ん坊を運んでこない。けどお前が魔法少女になったのは紛れもない事実なんだ」
「……2回も言うってことはマジなの?」
「あぁ、マジだ」
……頭が痛い。まさかお兄ちゃんがこの歳でこんな頭がおかしいことを言い出すなんて……。
「というか覚えてないか?お前がここに来るまでのことを」
「……そういえば何があったのかよく覚えてない……」
なにかとんでもない目にあったような気がする……。
寝汗が酷いことからみて悪夢でも見たのかな。
具体的に言えば左右反転した奇天烈な空間で巨大な肉食獣が走ってきて、最後には怖い袴姿の少女に腹パンされたような気がする……
ずいぶん生々しく具体的な悪夢の内容じゃない?
というか、状況から考えてその女が腹パンした犯人じゃん。
殺す!息の根を止める!!
「お前は鏡に移ったような左右が逆になった世界でクマみたいな化物に襲われたんじゃないか?」
「………………え?あれって現実だったの?」
「そうだ」
「私が空に浮かんだのも?」
「そうだ、現実だ」
「礼儀を知らない和装ポニーテールに日本刀のような刃物で脅迫された挙句、鳩尾を思いっきり殴られたのも?」
「…………た、たぶん現実だ。……(蒼子め、保護対象の確保の方法について指導する必要があるな)」
何がなんだかまだよく分かってない私といろいろ知ってるらしいお兄ちゃんとの間に割り込むように誰かがノックをした。
「教官、そろそろ入ってもよろしいですか?」
「あぁ、大丈夫だ。入って来い」
さて、どういうことか説明してもらいたい。
なんとあの極悪ポニーテールが現れたのである!
「アンタはあの失礼な和装ポニーテールっ!!」
「うるさい女だ」
入ってくるなりポニーテールは『はぁ……』と溜息を吐いた。
なんと失礼な娘だ!
「そういう事は例え思っても黙っておくものなんだよ!!」
「そこはせめて否定しろよ、紅莉」
私が突然の乱入者に激高しているとまたノックする音が聞こえてきた。
「し、失礼します月宮教官。……え?椎名蒼子さん?」
「常盤ひな……そうか、これとこいつがメンバーなのか……」
凶悪ポニーテールがびくびくしているロップイヤーウサギのようなリボンをつけた女の子を見ておみくじで大凶を引いたような残念な顔をしていた。
やばい……本格的に意味が分からない……。
「よし!集まったな」
「ちょ、ちょっと待ってよお兄ちゃん。話がまったくつかめないよ!」
「ちゃんと順を追って説明してやるから少し待て……椎名蒼子、常盤ひな、問題はないな」
「問題しかないですが、教官の判断なら従います」
「えっと……あの……はい、がんばりましゅ」
あ、噛んだ。酷悪ポニーテールと違ってロップイヤーウサギは良い子そう。
けど、好感度が上がったところで意味はないよ。
「こほんっ、では改めて」
お兄ちゃんが咳払いをして今から何かを言おうとしてる。
これ以上、私の理解力を超えた展開は控えてもらいたいね。
「月宮紅莉、椎名蒼子、常盤ひなの3名により魔法少女第48班を結成したことを今ここで正式に決定する」
「…………………………はぃ?」
こうして私は強制的に魔法少女にさせられたのでした。