第二話
粒子の考察があります。これ一回ではありません。
この村に居ついてからすでに10日たった。その間、俺は新たな発見をしていた。例の粒子だ。俺は村の人々を観察している内に人間の中にも光の粒子が宿っていることが分かったのだ。そしてそれは人の体の中で循環していた。さらに、腰を痛めている人の粒子を見ると、丁度腰の辺りで流れが淀んでいたのだ。このことから粒子は生命エネルギー的な役割もあるのではという可能性が出てきた。
人間にも粒子が宿っているのなら他にも宿るのでは?
そう思った俺は人間以外の動物、植物、果ては石ころや土などを、意識を集中して観察してみた。
結果は予想通り、宿っているというものだった。ただ、宿っているとは言っても違いはあった。粒子は宿っているものの中で循環している。それは共通していた。ただ、人間を含めた動物と植物では、その循環構造に微妙な違いがあったのだ。どちらかというと動物の方が植物よりも循環構造が複雑だった。さらに同じ動物でも人間の方が遥かに構造が複雑なのだ。これは生物としての構造が複雑であることや、明確な意志を持っているかなどが影響しているのではと推測される。
なお、石ころや土などと言った所謂無生物の場合、一応循環はしているものの、その構造はあまりにも単純だった。
一つ言い切れることはあの粒子は万物に宿るモノである可能性が高いことである。
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一か月が過ぎた。その間、俺は猟師の男の狩猟をよく観察していた。相変わらず凄い技量だなと思いつつも息絶えた獲物を観察する内にまた新たな発見があった。
生命活動を停止した生物からは例の粒子が飛び出し、霧散する。しかし、亡骸をよく見ると、まだ粒子が残っているのだ。もちろん生きていた時に比べ、構造は単純化していたが。
まあ万物に宿るモノという説がある以上遺体に宿っていても何もおかしくはない。しかし、それならあの時飛び出していったのは何だったのか。ただ宿るだけなら別に遺体にそのまま居てもおかしくはない。
そこで俺は気づいた。粒子構造は生体である方が複雑だったことだ。それも明確な意志があるものほどその構造は複雑だったことを。
『ならあれは……魂の構成物質のようなモノで死亡時に霧散するのはいわゆる精神的なモノを構成していた部分なのか……?』
詳しいことはまだわからんが、まだまだ秘密はあるだろう。まあ気長にやるか。
考察はまだまだ続きます。