#06 毒茸と全能眼
キーンコーン カーンコーン
響き渡る鐘の音、教室内がゴソゴソと少し騒がしくなる。
「ふぅ、これで今日の授業も終わりだな、やっと土日で休みだぜ〜」
大きく伸びをする倉落が数学の教科書を鞄にかたしながら、桑場屋武蔵に呟きかける。
「え?あ、そ、そうだな..?」
しかし桑場屋武蔵は午前中に聞いたショッキングな内容の話の事で頭が一杯だった。
遂に来ちまったぞ放課後.....!岡月から死の宣告がくるのか...?
「何かジュージャンの後からクワ、挙動不審じゃね?」
ソワソワして何故か周りを気にしている桑場屋武蔵に、倉落が疑惑の目を送る。
「え〜?そ、そんなことないよぉ〜?」
倉落に決して目を合わせない桑場屋武蔵。
こいつに相談したってな.... 余計な心配するだけで何の解決にもならないだろうな.....
下手したこいつもまとめてボコられる展開もあり得る....!
「本当か〜?な〜んか怪しいよな〜?」
「ほら!もう帰りのホームルームが始まるから前向けよ!」
丁度橋本が教室に入ってくる所だった。
そして桑場屋武蔵は倉落の体を無理矢理前方に向けさせた。その時彼は一瞬橋本と目があったように感じたが、今の彼にとってそれはどうでもいい事だった。
「どうだ〜?この学園には慣れたか〜?」
桑場屋武蔵は橋本のホームルームを全く気にせず左横を窺う。
だが、彼の視線の先の少女は窓の外に目をやったまま、若干憂鬱そうな面持ちでしゃんとしていた。
う〜ん?わからん!こいつは今何を思って、この先どうするつもりなんだ....?
いつも通りの岡月に違和感を覚えたまま、桑場屋武蔵は高鳴る胸の鼓動に耳を傾ける事しか出来なかった。
「キリツ!キオツケ!レイ!!」
突然聞こえてきた声に状況を理解出来ないまま、慌てて岡月は周りの人と同じように席から立ち上がり、橋本に向かって一礼をした。
おぉ〜、焦ったぁ〜!知らない間に帰りのHRが終わってたのか....!
次々と自らの荷物を持って廊下へ吸い込まれていくクラスメイト達、その光景を見て、やっと自分の置かれた状況を彼女は理解した。
ってことはいよいよか..... ふぅ.... 気合入れないと......
前の黒板の上に設置された今では珍しいアナログ時計は3時35分を指していた。
既にいつでも教室を後にできるように帰りの準備を終了させていた彼女は、まだ何人も人が残る教室を少し見渡した。
そして、自分の因縁に決着をつけるきっかけを作ってくれた不思議な男子生徒を少しだけ、ほんの少しだけ見つめた後、岡月真子は他の大多数の生徒と同じように喧騒に満ちた廊下へ消えていった。
「........え?行っちゃったよ!?」
一瞬視線を感じたと思い、すかさず岡月の方を見た桑場屋武蔵だったが、もう廊下に向かい歩く岡月の背中しか捉えることしか叶わなかった。
「よ〜し、俺達もそろそろ帰ろうぜ?」
「おめぇらは2人共自宅組だっけか?」
「ザキは寮生だっけか?残念ながら俺もクワも自宅組だぜ〜!」
倉落と崎山も既に帰り支度を終えて、桑場屋武蔵を囲む様にして世間話をしている。
だが、桑場屋武蔵はそんな2人の会話に参加する事もなく、必死でこの先の自分のとるべき行動を考えていた。
岡月は行方との約束を守らず、俺を罠に嵌めること無く帰ってしまった.... これが俺の為なのかはわからんが、これはマズイんじゃないか....?
この事がきっかけで来週から岡月が行方に報復を受けるのは間違いない..... それが俺のせいって事だろ?
でもだからって、今からわざわざ行方に所に行って全身痣だらけになるのか?
............ 嫌だ!それは嫌過ぎる!!
「ーーいおい!さっきから無視しやがって、何を考え込んでんだよクワ!?」
はっ、と桑場屋武蔵が顔を上げると、やや怒った様な表情の倉落と、胡散臭そうな視線を注ぐ崎山がいた。
「あ、あぁ、ごめんごめん。ちょっとボ〜っとしてて。それとさ、今日何か気分が悪いからさ、保健室寄ってから帰るわ。だから先帰っててくれよ?」
「確かに何か桑場屋変な感じするぜ。少し頭冷やして貰ったほうがいいかもな。」
桑場屋武蔵の申し出を崎山は何故かしたり顔でうんうんと頷いた。
「クワはいつも挙動不審だろ!?そんなクワが保健室にサボり以外で寄りたがるなんて!」
倉落は友人を心配しているのかよくわからない台詞で驚きの声を上げている。
「ま、そういう事だから。じゃな」
桑場屋武蔵は難しい顔で手を振る。
「おう、頭ちゃんとして貰えよ、じゃあな桑場屋」
「死ぬなよ、クワ!じゃ、また来週!!」
倉落と崎山は友人に別れの挨拶を済ますと、軽快な足取りで帰路についた。
死ぬなよ....か、あいつ分かってて言ってんのか?さて、どうしたもんかな......?
彼の腕時計の針は3時55分を指している。倉落の言葉を反芻しながら最早自分以外誰もいなくなってしまった教室を、彼はゆっくりと見回した。
「まあどう考えても道はひとつだよな....」
席の主が既にいない左横の机を眺め、彼は独り言を口にする。
彼は自分の体が震えていることに気づいていた。そして何故震えているのかも、今の彼には完璧に分かっていた。
ゴクリ、と自分の喉を水分が駆け抜けて行くのを感じ取り、強めの炭酸に鼻が刺激を受ける、そんな感覚を味わいながら目を瞑り、周りの音に耳を澄ます。
これが彼にとって最高の時間だった。いつも何か楽しみなイベントの前に彼はこうして精神の高揚を鎮めるのが習慣になっていたのだった。
「ハ... やっぱりマウンテンビューは最高だぜぇ.....」
徐々に近づく軽めの足音を耳に捉えながら、行方は静かに目を開き、手に持っていた緑色の350m缶を足元に置いた。
「やっぱお前が来たのか、岡月?」
音のしなくなった方へ視線をやり、行方は自分の唇を舌で舐めた。
「フ.... 一応聞いてやるよ。その行動は俺に対して反逆の意思あり、って事でいいんだよな?」
行方の視線の先の短髪の少女は真っ直ぐに彼を見つめ返したまま、沈黙を貫く。
やる気満々って面だな.... ヘッ!相変わらずムカつくが面白い奴だぜ......
「イイぜ?そういう事なら、約束通りこの学園のルールを教えてやるよ、幼馴染のよしなでな!」
行方は白い歯を剥き出しにすると、足元の空き缶を目にも止まらぬ早さで蹴りつけた。
「ヒャハッ!!!」
行方の笑い声と同時に突如空き缶が岡月に電光石火の如く襲いかかった。
ヒュンッ!
さっきまで岡月の顔があった場所を空き缶が凄まじい速度で通り抜けていった。
「来いよ、特別にお前の体の時は止めずにやってやる」
行方がかかって来いと言わんばかりのジェスチャーをする。
空き缶を紙一重で避けた岡月は呼吸を整え、そして行方の方へ駆け出した。
そう、彼女には初めから桑場屋武蔵を素直に行方の所へ誘い込むという発想などなかったのである。
この学園で初めて行方を見かけた時から、絶対にまた戦う事になると、半ば運命のようなものを彼女は感じていたのだ。
だからこの日の午前中に行方から頼み事をされた時、彼女は2択を迫られたのではなく、ただ単に決着をつける時が早めに来た、という感情を持たせられただけだったのである。
「今度こそ止めてみせるっ!!あの人との約束を果たしてみせるっ!!!」
岡月の走る速度が上がっていく、体を包む風を感じながら、彼女の脳裏には過去の自分と今目の前に対峙する少年の姿が映し出されていった。
もう負けない.......!
彼女の拳は本人の知らぬ間に固く、強く、握り締められていた。
岡月が初めて行方に出会ったのは彼女が小学校1年生の頃である。
『お前には自分で自分の身を守る必要がある』そう彼女の父は言い、彼は彼女を行方流の道場に入門させたのだ。普通はそう簡単に入門できる場所ではないが、彼女の父の立場上簡単に入門する事が可能だった。
そして岡月は行方を知っていた、なぜなら行方は同じ小学校のちょっとした有名人だったからだ。
日本に古くから伝わる行方流武術の歴代最強の男と呼ばれる、行方旭の長男にして、その才能は父に匹敵するとすら言われている天才児、それが行方苳也だったからだ。
だが、行方苳也は違う面でも有名だった。そう、彼の凶暴性は小学生の時点で発揮されていたのだ。
岡月は彼女の友人同様行方に対し恐怖心を持っていた、だから道場に入門してもあまり行方に関わらないようにしようと思っていた。実際初めて彼女が行方と手合わせした時も、行方は初心者である彼女にも容赦が全くなかった。彼女は行方に対し負の感情以外は持たなくなっていったと言っていいだろう。何度も道場を辞めようと彼女が悩んだ事は言うまでもない。
しかし、1人の女性が岡月の考えを変えた。
いつも激しい稽古の後、岡月の元へ駆け寄ってくる女性がいた、その人物は行方の姉の行方千歳である。
『今日もお疲れ様、はいトカリ』
そう言う千歳の笑顔に何度岡月が救われたかはわからない。
そんな千歳が岡月がいつも通り手痛く行方に捻られた後、こんな事を言ったのだ。
『ごめんね、真子ちゃん.... 苳也も本当はいい子なんだよ?信じられないと思うけどね...誰も苳也を止められなくなってからあの子は変わってしまったの。でもね、本当は苳也も寂しいと思うんだ... きっと誰かに止めてもらいたいと思うんだ.......』
この言葉を受けた後、岡月の稽古への態度が激変した。これまで嫌々だったのが、突然積極的になったのだ。理由は行方の暴君的態度を改めさせる事にあった、つまり彼女は行方苳也を倒す事を決意したのだ。
もちろん千歳に直接行方を止めるよう頼まれた訳ではないし、そもそも行方を倒せば彼が態度を改めるのかも定かでは無い。
しかし、彼女は決意していた。それが自分の心の支えになってくれた人への唯一の恩返しだと信じて。
それでも打倒行方への道は彼女の想像より遥に困難なものだった。
彼女がいくら必死で行方に向かおうと彼はそれを簡単にいなし、そして彼女を毎回地面にひれ伏せさせた。『ア?いい目つきになったじゃねぇか?』、この行方が勝利を夢見る岡月に放った言葉が、行方の圧倒的優位性を示していたと言えるだろう。
だが、行方が彼女を叩きのめす日々の中である日、彼はこんな事を彼女に聞いた、『何故お前はそんな必死に俺に立ち向かう?』と。そして岡月の『苳也を止めるため』という返答に闇を纏った笑顔でさらにこう言った、『俺の邪魔をするなら気をつけろ、お前じゃ一生俺には勝てないからな。』
その後岡月は小学校5年生にまでなったが、その間行方の言葉通り彼女は彼に1度でも膝をつかせる事すら出来なかった。
そして、行方苳也は小学校5年生の終業式を最後に父旭の意向で海外で過ごす事が決まった。
『褒めてやるよ、こんなに闘っててムカついたのはお前が初めてだ』
これが最後に岡月が聞いた行方の声だった。最後の手合わせすら行方に一撃を食らわす事もできずに、彼女の挑戦は一旦終わりを告げた。
『苳也が帰ってきたら必ず倒します!』
行方が去った後、千歳に岡月は涙ながらに言った。千歳は優しいけれど悲しそうな表情でそんな岡月を慰めた。『本当は私がやらなくちゃいけない役目だったのに.... ごめんね、真子ちゃん.......』憂いを帯びた千歳の言葉に岡月は自らの不甲斐なさを悔んだのだった。
そしてまた時が経ち、岡月は小学校を卒業し、彼女の3つ上である千歳は中学を卒業すると同時に弟と同じように海外へ旅立っていった。
『さよなら、真子ちゃん。私も強くなるから』
『苳也は私が倒しときます』
それが、岡月と千歳の交わした最後の言葉、岡月が最後に行方苳也の名を口にした最後の日だった。
その時見た何かを悟ったような千歳の深い海を思わせる眼を彼女は今だに憶えている。
その後岡月は道場に残った唯一の行方家の者である行方苳也の祖父ー行方十勝の下で中学卒業までひたすらに修行を積んだのだった。
たった1人の男を倒すという彼女の最も大切な人との約束を果たすために。
岡月の地面を踏みつける音が大きくなるにつれて、彼女と行方の距離がグングンと狭まっていく。
「はあああああ!!!!」
行方の目前で岡月は突如ふわりと浮かび、それまでの加速度を全て乗せた回し蹴りを繰り出す。
だがその瞬間行方はしゃがみ込み、そのしゃがみ込んだ勢いそのままに岡月の股下をくぐり抜け、岡月の背後に回りこんだ。
「ハッ!!後ろががら空きだぜぇ?」
「まだまだっ!!!」
岡月も空を切った回し蹴りをそのまま踵落としに変化させる。
「オ?やるじゃねぇか!!」
シュンッ!!
しかし、その踵落としも行方を捉えることはできない、行方が高速でバックステップをしたからだ。
ここで引いたら負ける.....!
岡月はそれでも攻撃の手を休めることはしない、攻めの姿勢を止めたら最後、勝負は敗北に向かう事が彼女にはわかっていたからだ。行方苳也とはそれほどの男だった。
そして行方流とは攻めの流派である、その極意は圧倒的な連続攻撃に存在する。同じ行方流の者が戦う場合、より攻め抜けた者が勝利を手に入れる事ができる。
「ア?」
踵落としの勢いをさらに殺すどころか加速させ、前方に1回転しさらに踵落としを繰り出す岡月に行方は軽く衝撃を受けた。
この技は......
《月光車輪!》
シュンッ!!
今度は紙一重で岡月の踵落としを避けた行方だったが、彼の体勢が整う前に、岡月のさらに加速した3度目となる踵落としが彼を襲う。
畜生っ!避けきれねぇ......!
ゴッ!
行方の自分を守るために差し出された両手に鈍い痛みが走る。
チッ... ジジイの所で無駄にあれから過ごした訳じゃなさそうだな.......
衝撃を受け止めきれずよろける行方は、岡月の実力が自分の知っているそれより遥かに大きくなっていることを認めた。
よし、手応えはある....!でもまだ足りない!
体勢の崩れた行方に岡月が距離を詰め、拳を何度も突き出した。
「らああああ!!!!」
ドッ、ガ、ガッ
右、右、左、右、左、右と、不規則に繰り出される鉄拳を行方は捌ききれない。
岡月はそこでさらに踏み込んで、勢いをつけた裏拳を行方の顔面に向かって振り抜く。
ザッ!
そして上体を仰け反らせるようにしてそれをギリギリで躱す行方。
だが行方が躱したその瞬間、岡月は踏み込んだ足とは逆の足で足払いを行方に仕掛ける。
「.....ッア!?」
その足払いを咄嗟の判断で軽く跳んで避けた行方だったが、その代償として崩れた体勢で空中に放り出されるという危険な状態になってしまった。
ここまでが狙いか....
《鼬鼠独楽!!》
岡月は足払いをした足を軸足にし、体を高速で回転させ、裏拳をしなかった方の手で最大加速の鉄拳を行方の顔面に叩き込んだ。
ーーーもらった!!!
彼女は決定的な一撃が決まったと確信した。
しかし、彼女の行方を殴った左手に少し違和感があった。
あれ?手応えが軽い.....?
「足りねぇなぁ、それだけじゃ」
行方は空中でぐるりと一回転をし、逆に岡月に裏拳を浴びせてきた。
岡月に殴られると同時に殴られる方向に体を捻る事により、殴られるダメージを最小限に抑え、しかもその殴られた勢いをそのまま回転しながら左手に乗せ、その左手で逆に超高速のカウンターを仕掛けたのだ。
ベキッ!
「っうぐっ!!」
不意を突かれた岡月は行方の裏拳をもろに顔面に食らい、大きく吹っ飛んだ。
ドシャッシャァッ!!
「....っぐっ!は、はぁ....!」
しまった.... 頭がクラクラする.....
焦点の定まらない岡月には、数m先の行方が揺れる影のように見えていた。
「結構楽しませてもらったぜ?」
ま...まずい...!
彼女の目に映る大きく揺れ動く影が大きさを増していく。
「でも次は.....」
早く.... 立ち直らないと.....
知らぬ間に人の姿となっていた影はもはや立ちはだかる闇として目の前にいた。
「俺がお前を楽します番だよな?」
「ポジティブシンキング!ポジティブシンキングだ!!桑場屋武蔵!!!」
桑場屋武蔵は高等部第三学年校舎へと続く長い道を歩きながら、全力で自己暗示をかけていた。
恐いなあ〜!本気で!
不自然なまでに遅い速度で歩く桑場屋武蔵はすぐに不安になりたがる心を無理やり抑え込んでここまでやって来たのだった。
というか実際勝てんのか?俺にあるアドバンテージは時を止められないっていうのと、その事を知られてないって事だけだ。これじゃあ行方に正々堂々戦われたら最後、病院送りは間違い無しじゃないか.....
俺も一応空手習ったことあるけど、そんなんじゃあ意味無いんだろうなあ....
流石に殺されはしないよな....!?少し不安だけど.....
様々な事を考えながら人の気配をまるで感じない道を亀のようなスピードで彼は歩き続ける。
チャンスはあったとしても1回だけだな.... 顎下に一発かましてKO狙いでいくしかないな...
桑場屋武蔵はいつもの癖で右手の腕時計を確認する。約束の時間はとうに過ぎていた。
これ行方まだいるのかな.....?いなかったらいなかったで困るけど、正直ちょっと喜んでしまうかも知れない.....!
「って違うだろっ!!」
あまりの自分自身の情けない考えに彼は自分で驚き、思わず怒りの声をあげた。
どんだけヘタレなんだ俺は!!!
この学園で特別になりたいんだろ!?
そのためには越えなくちゃいけない壁なんだろ....!?気合い入れてけよっ!
「ワンパン顎下右ストレート... ワンパン顎下右ストレート.... ワンパン顎下右ストレート.....」
桑場屋武蔵はどこかネジが外れたような顔でブツブツと独り言を言いながら、不穏な空気の渦巻く方へ相変わらずの歩行スピードで進んで行った。
「ヒャハッ!!」
ブンッ、と行方の蹴りが岡月に向かって振り抜かれる。
「っん!!」
地面に倒れていた岡月は体をローリングさせて事なきを得る。
「ヒャハハッ!!避けろ避けろぉ〜!」
前転しながらやっと両足を地面につけた岡月に、行方が休み無く攻撃を仕掛けていく。
「本当の行方流を見せてやるよ!!!」
急に前方宙返りをした行方が、そのまま踵落としの体勢に入っていく。
「これはっ....!」
これから行方が行うであろう技が岡月には分かっていたが、その技を今の状態の彼女には躱す術がなかった。
1振り目の踵落としを間一髪で避けた岡月、しかし、その避けた踵落としが地面に振り下ろされた瞬間、バンッ!という破裂音がしたと思うと行方は再び踵落としの体勢に突入していた。
ーーー嘘!?速すぎる!!!
全く体勢が整ってない岡月の仰け反りきった上半身に向かって、躊躇無く踵落としが振り下ろされる。
ダンッッ!!!
ゴツッ!っという衝撃が咄嗟に胸の前で交差させた両手に走った瞬間、岡月は地面に叩きつけられていた。
「ぐ..っ...ふっ....!」
そして、岡月が背中の衝撃から意識が解放された時、彼女の眼にはさらに踵落としを振り下ろそうとする行方の姿が映っていることに気づく。
《月光車輪》
暗くて冷たい声がどこからともなく聞こえたと思ったその時、ひと気の全くない高等部第三学年校舎の横の空間に大砲を撃ったかのような轟音が響き渡った。
「はっ......!はぁ...!はぁっ........!」
パラパラと塵が舞う中、行方は悠然と息も絶え絶えの少女を見下ろした。
「勝負あったな?岡月?」
勝者の笑みを浮かべる行方に、それでもその少女は強い光を携えた眼で彼を睨みつける。
ヘェ〜?まだこいつこんな眼が出来んのか....
「わ...私は....負けないっ.....!」
行方は彼にとっては珍しく、郷愁心を誘われていた。彼にとってはこの学園より道場の方が居心地の良い場所だったのだろうか。
「懐かしいねぇ〜、その台詞っ!!」
もっさりとした動作で行方は足元に転がる岡月を思い切り蹴飛ばした。
ドサッ!
少し宙に浮いた岡月は再度地面に転がる。
「....うっ..ぐっ...!」
知らない間に岡月の口から少し血が垂れていた。息遣いも荒く、もう岡月が限界なのは誰が見ても明らかだった。
「いやぁ〜!久しぶりに楽しませてもらったわ、取り敢えず感謝しとくぜ?ありがとうございました、岡月真子サン?」
行方はすっかりオレンジ色になった空を見上げて喋り続ける。
「でも、もう、お前、いいや」
そして行方は視線を岡月に戻すと、軽く踵を後ろに引いて、とどめの体勢に入る。
カンッカランコロンッ!
しかしその時、行方の後ろの誰もいないはずの空間から何故か空き缶が転がる音がした。
「ン?」
行方が後ろを振り返ると、そこにはボサボサ頭で2つの似たような形の寝癖のある、TOA の学生らしき人物がいた。
紫色のネクタイ.... 同学年か?
「オイ、誰だお前?」
行方は転がる空き缶を見たまま微動だにしない男に声をかけた。
行方にはその右手に腕時計をしているらしき少年が、何故か笑っているように見えた。