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#04 抑止力の矛盾点



 「クワ、反応すんなよ。目線を合わせるのも避けてくれ」

 倉落は普段とはまったく違う落ち着いた声色で言う。

 「え?おっ、おう、分かった」

 桑場屋武蔵はいつもと雰囲気の異なる倉落と、目の前を歩いて来るいやに存在感のある少年の放つ緊張感に溢れた空気に戸惑いを隠せなかった。


 おいおい、一体何なんだよ…この息の詰まる空間は……。


 スタッ、スタッ、スタッ。


 右手に紫色のブレスレットのようなものをつけた少年の足音が大きくなってくる。


 スタッ、スタッ、スタッ。


 対する倉落も一切脇目も振らず早歩きを再開している。その後ろをおずおずとついて行く桑場屋武蔵もなるべく少年の方を見ないようにしていた。


 スタッ、スタッ、スタッ。


 しかし、桑場屋武蔵は元来好奇心の強い人間である。倉落が特別視する謎の少年の顔を拝むことを我慢することは彼にとって不可能であった。


 目線を合わせなきゃいいんだろ…?一瞬奴の方を向くだけさ……。


 彼は伏し目がちに数m先にまで迫った少年の顔を盗み見る。

 薄っすら灰色で綺麗に揃えられたマッシュルームカット、筋の通った鼻、雪のように白い肌、彼の目に映ったのは想像に反して異国の好青年のような風貌だ。しかし唯一、その少年の切れ長の目は闇を帯びているようで、人を遠ざける怪しい輝きを秘めている。


 確かに只者じゃない雰囲気はすんな……。悪い意味でカリスマ性があるって感じだ……。


 彼は律儀にも少年の批評を終えるとその視線を外そうとした。だが視線を外す直前に彼の目に不自然なものが映り込む。その男の白いワイシャツの首元に鮮明な赤いシミがついていたのだ。

 「血だ……!?」

 桑場屋武蔵は倉落の忠告も忘れて思わず声を漏らしていた。その瞬間、彼の前を黙々と歩く倉落の肩がにわかにピクついた。しかし、向こう側から歩いて来る少年は2人にまるで見向きもせず、そしてそのまま2人の横を通り越して行った。

 「おいおい!見たか!?あの行方って奴、ワイシャツに血付いてたぞ!?」

 行方の姿が見えなくなるほど歩いた所で、桑場屋武蔵は倉落に昂ぶった感情を隠さずに話しかけた。

 「お主は心の中で思った言葉を口に出さなきゃ気が済まないんかいっ!!!」

 これまで沈黙を貫いてきた倉落は桑場屋武蔵の質問には答えずに、急に大声を出しながら水平チョップを茶色い瞳のボサボサ頭に食らわした。

 「ごほっ!!痛ってえな!何すんだ!?いきなり!」

 「血だ…じゃねぇよっ!!!お前あそこでいきなりあいつに因縁でもつけられたらどうすんだよ!?」

 「因縁?なんだよあいつはたちの悪い不良か何かか?」

 「たちの悪いどころじゃねぇよ……この学年最強最悪の不良だ……!」

 倉落は苦虫を噛み潰したような顔でそう言葉を吐き捨てる。

 「さっきから最強最強うるさいけど何なの?この学園には番長決定戦でもあるんですか〜?」

 全身から負のオーラを醸し出す倉落にいたたまれなくなった桑場屋武蔵は急におどけた口調で言った。

 「は?この学園で最強って言ったら、<抑止力>に決まってんだろ?あいつは“紫苑(シオン)の抑止力ー毒茸(トードストゥール)”なんだよ!」

 地球外生命体を見るような目つきで倉落は桑場屋武蔵に言葉を続ける。だが、その宇宙人が次に口を開く時、彼はさらに唖然とする事となる。

 「抑止力?何それ?なんかの暗号?」

 桑場屋武蔵は至って真面目でとても純粋な顔をしていた。











 「おう、お前等、待たせてすまなかった。この学園の汚い所を見せちまったな。まぁだがそのうち自然に分かる事だったからな。ここで一丁説明しとくか。この学年は少し複雑なんだ」

 やっとのことで自分が学園案内の途中であることを思い出し、グラウンドから自分の生徒達の元へ戻って来た橋本は困ったような表情で喋り出す。行方が去った後、1-Eの生徒達は再び1つの固まりとなっていたところだ。1人輪から離れている少女もいたが。

 「インターネット全盛期の今、殆どの奴はTOAの事をよく調べてから入学してるだろうから、この学園に<抑止力>という制度があるのは知ってるな?」

 橋本はそう切り出してから生徒達の顔を眺め回した。

 「あー、でも知らない奴もいるかもしれんからそっから話すか〜」

 橋本は自分の鼻頭をポリポリと掻きながら面倒そうに言う。生徒達は黙ったままだ。

 「諸君も知っての通り、我が校には時薬への高い適性と国内トップクラスの頭脳があれば誰でも入学する事ができる。勿論推薦組に賢さはいらんがな。だが言い方を変えればこの学園にはたったそれだけで入れるんだ。面接とかもないから人間性なんかは全く考慮されない。

 そしてそうするとだな、危険な輩が入ってくることがある。わかるだろ?俗にいう不良って奴だ。しかも時間操作能力のある不良だ。こういう奴らが問題を起こすと正直言って俺たち普通の教員じゃまるで手に負えないんだ。それに有名な話だが、国の方針でTOAには退学措置が存在しない。

 だから時間操作能力を悪用する奴らを罰するのはとても難しい。そこで設立されたのがこの<抑止力>制度だ。各学年に1人、最も時間操作能力の高いと思われる生徒を<抑止力>という存在に認定して、学園関係の問題発生時に解決の依頼をするというものだ。

 そしてこの学年のその位置にいる男がさっきのキノコ頭、“紫苑の抑止力ー毒茸(トードストゥール)”行方苳也って訳だ。因みにこの毒茸(トードストゥール)っていう変な2つ名は<抑止力>の任命権を持ってるうちの変人副校長が毎回勝手につけてるもんだ。深くは気にするな」

 流れるようにペラペラと話す橋本の言葉を生徒達は固唾を飲んで聞き入っていた。

 「まあ賢明なお前等だったら気づいてるだろうが……実はこの制度、この学年だけ大きな矛盾を生んでいる。つまり<抑止力>である行方自身が学園最大の問題児だってことだな」

 ここで生徒達に少しざわめきが生まれる。橋本は慌てて言葉を繋げた。

 「だが実際に行方は2度ほど大きな問題を解決しているし、実力もこの学園で1、2を争うものだ。<抑止力>としての資質にも疑いは無いし、授業をサボることはあっても自ら他人に危害を加えることもほぼ無い。しかしだな…その……何というか、少々喧嘩っ早い奴でな。しかも加減をしらない」

 ざわめきはどんどん増していき、生徒達は何でそんな奴に任命したんだ、と言わんばかりの非難の目を容赦無くジャージ姿の大柄な男に向ける。 編入生が抱いたであろう学園に対する恐怖心を払拭するために説明を始めた橋本だったが、これ以上話してもこの自分に向けられる不審がる視線を振りほどくことは出来ないと判断し、強引に話を切り上げることにする。

 「ま、というわけで!お前等も悪さはするなよ?行方が来て、骨の1本や2本は折られちまうからな!さぁ!学園案内の再開だ!ガッハッハッハッハ!!!」

 橋本は生徒達が全く笑っていないのを確認してから踵を返し再び歩きだした。









 「へぇ〜、そんな制度があったのか〜」

歩きながら倉落の<抑止力>についての説明を受けた桑場屋武蔵は感嘆の声を漏らす。

 「お前本当に知らなかったの?ネットでちょっと調べたりしなかった?TVのTOA特集でもやってたろ?」

 倉落は想像を超える友人の無知に半ば呆れ果てていた。

 「いや、俺の家、TVもパソコンも無かったし。勿論スマホも持ってないぜ!」

 「は?嘘だろ!?!?この時代に!?」

 なぜか胸を張り誇らしげな桑場屋武蔵に倉落は悲鳴にも似た声を出して驚く。

 「お前の家どうなってんだよ……」

 「それにしてもあいつがそんな凄い奴だったなんてな。行方が問題を起こしたら他の<抑止力>が止めに行くのか?」

 桑場屋武蔵は驚かれるのには慣れていたので、いつも通り強引に話を元に戻した。

 「は?いや違えよ。<抑止力>どうしの戦闘は校則で禁止されてるから生徒会の奴らが止めに行く」

 「生徒会?」

 「あぁそうか、何にも知らないんだったな。生徒会っていうのはいわば『抑止力の抑止力』って感じのもんだ。学園内で特権階級である行方達を監視することもやってる組織なんだ。これの任命権は校長にあるらしい」

 倉落はやや歩く速度を落とした。様々な要因により疲れてきたようだ。

 「ふ〜ん、やりたい放題出来る訳じゃないんだ〜、よく行方は任命を受け入れたな?」

 「まぁ少なからずメリットもあるからな。原則として校外での時間操作は禁止されてるから、俺たち一般生は校外に出る時に能力を制限するためにこの腕輪を強制的につけられるだろ?でも、<抑止力>の腕輪は特別製で、GPS機能がある代わりに制限機能が無い」

 倉落は左手の白くて細い腕輪を見せながら言う。この腕輪は寮生ではない桑場屋武蔵も付けている。入学初日の帰りに校門で無理矢理付けさせられていたのだ。その機能についてもプリントで確認済みであった。その時彼が皮肉な気持ちになったのは言うまでもない。

 「確かにあいつの腕輪、俺たちと違って紫色だったな……」

 「俺たちの学年色(グレード・カラー)は紫だからな。ていうか、お前そんなにちゃんと行方のこと観察してたんだな……」

 倉落はじっとりとした目つきで桑場屋武蔵を睨みつける。

 「ちっ、違うって!少し視界に入っただけだって!!」

 桑場屋武蔵は慌てて必死の弁解を試みる。

 「まぁいいけどさ、でも行方には本当気をつけろよ?あの血もきっと誰かが行方に目をつけられた結果だろ。俺も昔ボコられたからな。あいつの残虐性は異常だ…あれが許された暴力で処罰も無しってのは本当驚きだぜ」

 嫌なことを思い出したような顔つきに倉落は変化し、忌々しげに痰を地面に吐きつけた。

 「倉落も前に何か問題起こしちゃったの?」

 「んー?ま、まぁ機会があったら話すよ。あんま思い出したくないしな」


 倉落が異常なまでに行方に対して拒否反応を示すのはたぶんこれが理由なんだろな………。


 桑場屋武蔵は急に遠い目をしだした倉落の心情を勝手に決定付ける。

 「お、1-Eの群れが見えてきたぜ」

 そして桑場屋武蔵は倉落のそう言う声を聞き、どうやってクラスに再び潜り込むかに思考をゆっくりと切り替えていった。











 「なぁ、もし俺が行方と()ったらどうなると思う?」

 「は?矛盾点(パラドックス)のクワと?あの行方が?グヒヒッ‼そんなことしたら1分も経たずにクワが全身粉砕骨折して病院送りだろっ!?グヒヒヒヒッ!!」

 何とか上手く学園案内に合流することが出来た桑場屋武蔵達は、そのまま学園案内を終え、昼食の時間となっていた。

 「そ、そんなにっ!?!?だって……俺にはその矛盾点(パラドックス)の力があるんだぞ?」

 語尾の方を小声にしつつ、納得のいかないという表情で桑場屋武蔵は言う。

 「そっか、クワはタイムスリップして来たんだったな」

 倉落は購買で購入したカツ丼をムシャムシャと食べながら呆れた声を漏らした。

 「行方の実家は武術のでっかい道場なんだってよ。幼い頃からあいつにはその教えがしっかり仕込まれてる。だから時間を操る力がなくても、番長的な意味でもあいつは学園トップクラスって訳」

 「マジかよ……!」

 桑場屋武蔵はガックリと肩を落とした。その様子を倉落は怪訝な眼で見る。

 「急にどうしたんだよ?いきなり何であいつと闘うことを想定しだした訳?」

 ややテンションが落ちている桑場屋武蔵にその理由を尋ねる倉落。

 「いや…<抑止力>になりたいなぁー、と思って。行方を倒せば俺が<抑止力>だろ?」


 は……?この編入生は何寝言をほざいてるワケ?


 倉落は目の前の男の顔をじっくり眺め、そして大口を開けて笑い出した。

 「グヒヒヒヒッ!!入学して1週間も経ってないのにっ!?<抑止力>になりたい!?グヒヒッ!笑いが止まんねぇ!!!誰にも倒せないから<抑止力(・・・)>なんだろ!?」

 だが倉落が普段の調子で桑場屋武蔵をそう馬鹿にしても、彼は怒るわけでも悔しがるわけでもなく、ただ、そうか、と呟いただけだった。


 あれ?何この反応?


 倉落は出会ってまだ日の浅い新たな友人を不思議そうに見つめる。

 「ここでも、俺は特別になれないのか…………」

 既に桑場屋武蔵の心は倉落との会話にはなかった。彼に回想癖があることを倉落はまだ知らない。











 桑場屋武蔵という少年は昔から平凡な人間だった。

 だから何か1つでも他人より秀でている物をもつ人間にとても大きな憧れを持っていた。

 特別な才を持つ他人に羨望を抱き、自らに才能がない事を彼は常に嘆き続けてきたのだ。

 だが彼は持ち前の社交性と行動力のおかげで周りの人間に、誰かに羨望を抱くような人間、ましてや自分の非才さにコンプレックスを持つような人間だと思われることはなかった。彼ははたから見ていつも一生懸命で努力家に映る男でもあったからだ。


 物心ついた頃から俺には何かしらの才能があるはずだ、そう彼は思っていろんなことを試した。

 小学生の時はたくさんの種類のスポーツに挑戦した。しかし、どんなスポーツでもある程度は上手くなれるのだが、いつも最後は決して勝てないと思わされる人物に出会い、心を折られ、その度にスポーツを変えた。そしてついに唯一無二の特別な選手になれる競技は最後まで見つからなかった。

 中学の時は、誰よりも勉学に勤しんだ。しかし、いつも授業中寝ている友人にすら勝つことが出来ず、結局校内で5本の指に入ることすら叶わなかった。

 特別な人間になりたい、彼の願いはただそれだけだった。そのためには人並み以上の努力も彼は厭わなかった。しかし、彼はいつもその分野において天才、そう称される人間達に敵うことが出来なかった。心の奥底では人並み以上に努力している時点で才能が無いのだと諦めていたのだ。


 そんな時、彼が最後の望みとして賭けたのがこのTOAの入学試験だった。中学に上がる頃はTOAをよく知らず胡散臭いと思い、受験すら考えていなかったが、彼が中学を卒業する頃にはTOAの世界での評判は異常に高いものとなっており、TVもネットもない彼の耳にさえその名声が聞こえてくる程になっていた。

 何十億という人間の中で、選ばれし人間しか使えない力。その台詞に彼が惹かれない筈はなかったのである。彼は狂気にも似た思いで試験を受ける。そして彼は見事TOAへの合格を果たしたのだ、それもなんと推薦合格で。その時の彼の喜びはまさに感情の爆発と言っていいものだった。


 彼はやっと自分の才能を見つけたと確信した。何の努力も無しで手に入れた称号、これこそ自分が磨き上げるべきものだと思った。しかし彼の才能は彼の予想とは違うものだと入学式で明らかになってしまう事になる。彼の目的はあくまでも何かしらの頂点に立つこと。その目的を果たす為には彼の才能は余りにも特殊過ぎたのだ。誰よりも特別を追い求めた男の皮肉な末路であった。

 だが、彼は気づいていない、自分の才能の計り知れない大きさに。

 彼が生来諦めの悪い男であることがこの先どんな未来に繋がるか、それはまだ誰にもわからないのだ。










 「決めた、俺は筋トレするぜ!!!」

 さっきまで憂愁を纏っていた桑場屋武蔵が急に元気よく叫んだせいで、倉落は飲む途中だった麦茶でむせ返ってしまった。

 「ごほっほっ……!一体どうした!?復活したと思ったら今度は何だ!?!?」

 「せっかく見つけた俺の才能だ!そう簡単に諦めてたまるかってんだ!!!どんな障害でも俺を止めることなんて出来やしない!!!!」

 席を立ち上がり桑場屋武蔵は絶叫する。


 こいつに羞恥心は無いのかよ……。


 桑場屋武蔵が聞いたらお前が言うなと言われそうな台詞を声に出さず倉落は1人思った。


 どんな障害でもねぇ……ん?そういえば次の授業は確か・・・・・・


 「おいおい、そういえば午後は時間操作の授業だぞ?どうすんだ?誰にも止められない矛盾点(パラドックス)さんよぉ?」

 倉落は仁王立ちで何故か嬉しそうな顔をしている桑場屋武蔵に挑発的に言葉を投げかける。

 その瞬間、桑場屋武蔵の顔があっという間に青ざめていった。

 「いきなり難関だぜ…。何故神はこう俺にばかり困難を強いるのか……」


 この学園にいたら毎日困難にしか直面しないだろうな………。


 倉落は彼の変わった友人に少しだけ憐れみを覚えた。











 え〜とっ、保健室はこっちかな?


 桑場屋武蔵が結局選んだ自分の特殊性を隠すための方法は、授業をサボることだった。


 でも流石に毎週時間操作の授業だけサボるわけにもいかないしなぁ…。


 彼はまだ学園での生活に全く慣れていない。打倒行方への対策以外にもたくさんやることはある。


 学力も元々ここのレベルにまで達していないし、能力はもう既に知ってる奴以外にはなるべくバラしちゃいけないし、行方を倒すための修行も具体的には決めてない……なんかすげえ大変だな…高校生活って……。


 サボる為の口実だった頭痛が本当の物になりつつある桑場屋武蔵であった。

 「あ、ここか」

 学園内を歩き回ること数十分、ある一部屋に辿り着く。

 桑場屋武蔵が見上げた扉の上のホログラムの表札には保健室と表示されてあった。


 ガチャ。


 「失礼しまーす」

 桑場屋武蔵が入った部屋は普通の教室ぐらいの大きさで、奥の方にベッドが幾つか置いてある。広さは保健室にしては大きめだが内装的には特別不思議な物は無かった。

 「何か用?」

 「ウヒョッ!?」

 突如掠れた声色がその部屋に響く。

 気配無く部屋の横隅から現れた背の高い女性に桑場屋武蔵は驚き、素っ頓狂な声をあげた。

 「怪我もしてないようだし…体調にも問題はなさそうだが……」

 パサパサの長髪を束ねもせず、だらしなく前髪も伸び放題にしている白衣を着たその女性は、桑場屋武蔵をジロジロと観察しながら独り言かと思うようなボリュームでボソボソと喋る


 え?この人が保健室の先生?清潔感皆無なんですけどっ!?


 「あの、……保健室の先生ですよね?」

 「いかにも、私がTOAの保健室を担当している島村(シマムラ)だ」

 桑場屋武蔵の不審感丸出しの質問に、顔色の悪い島村は淡々と答える。

 「君は見ない顔だな…でも高等部第1学年の紫色のネクタイをしている……ということは編入生か……編入生がもう授業をサボろうとするなんて珍しいな…」

 既に桑場屋武蔵の事をサボりに来た生徒だと決めつけてボソボソ呟く島村に、ついに彼は独り言なのか話しかけられているのか判断出来なくなった。

 「先生!俺はサボりじゃありません!!頭痛がするので休みに来ただけです!!!」

 黙っていても仕方がないと判断したのか、桑場屋武蔵は躊躇いなく堂々と嘘をつく。

 「君、名前は?」

 そんな彼に対し島村は無表情のまま抑揚無く言葉を続けた。

 「桑場屋武蔵です。1-Eの」

 しかし桑場屋武蔵がそう自らの名を告げた瞬間、これまで半開きだった島村の瞳が大きく見開かれる。


 うわっ!何だ!?めっちゃ反応したぞ!?!?


 推理能力の乏しい桑場屋武蔵にすらその島村の表情がおそらく貴重なものなのだろうと推測出来た。

 「そうか、君が右々木の言っていた例の矛盾点(パラドックス)か……」

 次に驚くのは桑場屋武蔵の方だった。


 あれ!?この人も俺の特殊性知ってるのか?あの変人副校長…!俺のことを職員の間でどういう設定にしてやがんだ?田中とかいうオッサンは俺の事は知ってたが、俺の能力は知らなかった。じゃあこの人は……?


 「君はそのうちここに休みに来るだろうと言われていた。その時は深く理由を聞かずに休ませてやってくれともね。奥のベッドを好きに使ってくれ」

 少しだけ表情が緩んだように見えた島村は必死で思案する桑場屋武蔵を尻目に、それだけ言い残すと再び部屋の右奥へと消えていった。


 聞けないな…。もし能力の事を知らなかったら墓穴を掘ることになるし、あの副校長の知り合いにはあまり関わらない方がいいと俺の本能が告げている……!


 桑場屋武蔵は思考を止め島村に言われた通り、奥のベッドで昼寝をすることに一旦決める。


 ガシャ。


 しかしベッドを仕切っていたカーテンを開けると、そこには先客がいた。

「あれ?君は桑場屋君じゃないかな?」

 話しかけて来たやけに親しげな笑みを浮かべる少年に彼は見覚えがなかった。






 「その顔だと僕のこと覚えてないね?ちょっと悲しいけど当たり前かな?僕影薄いし……」

 その少女のような童顔の少年は弱々しく微笑んだ。

 「えーとっ、塾が同じだったっけ?」

 突然の出来事に弱く、ずっと固まっていた桑場屋武蔵はやっと言葉を取り戻す。

 「違うよ。まぁ取り敢えずそのベッドにでも座りなよ」

 絹の如き艶やかな黒髪の少年は、優しい笑みを浮かべたまま自分の寝ているベッドの横のベッドをすっと指差す。

 「え?あ、じゃあお言葉に甘えて…」

 思考停止の後遺症が残る桑場屋武蔵はそそくさと言われるがままにした。

 「それじゃあ、改めまして。1-E組13番、酒井準一(サカイジュンイチ)です。これからよろしくね、桑場屋武蔵君」


 1-E13番って、俺の後ろじゃん!!!!自分の後ろの席の奴の顔を忘れるなんてっ!!なんて俺はヒドイ奴なんだっ!!!


 桑場屋武蔵はその穏やかな声によって紡がれる言葉を認識した瞬間、凄まじい罪悪感に襲われた。

 「そっ、そっ、そうだったのっっ!?!?マジごめん!同じクラスの奴なのにまだ顔覚えてなくてっ!」

 「いいんだよ、僕体が弱くて、昨日も休んじゃったし、今も保健室だ。印象が薄いのは仕方ない事なんだ」

 「そんなことないっ!実際お前は俺のこと覚えててくれたし」

 酒井はほんの少しだけキョトンとすると、不意に声を出さずに控え目に笑った。

 「僕が君を覚えてるのは当然だよ。僕以外のクラスのみんなもきっと覚えてるよ。君と倉落君と岡月さんは朝大騒ぎしてたから」

 その後酒井はまた声を出さずに笑った。

 桑場屋武蔵は自分の顔が急激に火照っていってるのを感じとる。


 第3者からあのやり取りを聞かれてたと考えると急に恥ずかしくなってくるな……。


 彼はいつも後から後悔するタイプだった。

 「あ、あれは忘れてくれっ!」

 恥ずかしさをごまかす為に毛布を被りながら桑場屋武蔵はそう言う。

 「うん、わかった」

 しかし酒井が返した言葉はそれだけだった。そこにからかいの色は含まれていない。


 えー!何こいつめっちゃいい奴やーん!倉落の下衆っぷりが際立つんですけどぉ!?


 「久しぶりに誰かとお喋りできて楽しかったよ。でも桑場屋君は休みにここに来たんだよね?無理に喋らさせてごめんね。僕もまた寝るから、桑場屋君もゆっくり休んで」

 「え?あ、ああ」

 桑場屋武蔵はその酒井の言葉に涙が出そうだった。


 なんだよこいつ…いい人星のいい奴星人かよ……。こいつが女だったら絶対惚れてたわ。


 桑場屋武蔵は静かになった横のベッドをそっと盗み見た。そこにはスヤスヤと仰向けで眠る酒井の顔がある。酒井は静かな寝息をたて、無防備に目をつぶったまま彼の方に顔を向けた。


 こいつかなり中性的な顔立ちしてるな…女子中学生でも通じそうだ……。というか結構可愛い………。


 「はっ!?」

そこまで考えて桑場屋武蔵は慌てて毛布を頭から被る。


 俺は一体何を考えてんだよ…!


 彼は頭の中で、やーいホモクワガタ!と喚く憎たらしい顔の男を頭の中から追い出す事に全神経を注いだ。











 風の音、木々の葉が擦れるあう音、そして自分の足音、彼に聞こえるのはそれだけだった。


 カンッ。


 足元に落ちていた形のよい小石を思い切りよく蹴り飛ばす。その少年は不機嫌だったのだ。

 いつもは誰かしらが歩いている通路、しかし今はまるで人気がない。それもその筈、普通の生徒はまだ授業中で、この時間帯にこの道を歩ける者はそう多くはいないのだから。


 ———ただ、彼が自由の権利を持つ例外だったというだけだ。


 「チッ、汚ぇもんがついちまった……。このワイシャツも捨てるか」

 行方は深紅の血が来びりついた自らののワイシャツを再び一瞥し、道の横に唾を勢いよく吐きつけた。

 「ア?あいつ何のようだ?」

 住処である寮に辿り着いた行方は、玄関の前に立つ見覚えのある影に苛立ちを増幅させる。そしてそのままその人影に行方は乱暴な足取りで近づいて行く。

 「久しぶりですね。苳也君」

 「用件は何だ?ついに称号剥奪か?俺は一向にかまわないぜ?」

 行方は左手にペットボトルのミルクティーを持ったその影に向かって皮肉な笑みを浮かべた。

 「そんな訳ないじゃないですか。今日は苳也君に<制裁依頼>をしに来たのです」

 「<制裁依頼>だと?誰か問題起こしてたか?この俺がいるのにまだそんな馬鹿がこの学年にいたのかよ」

 行方よりやや背の高いその影は言葉を進める。

 「いえ、実際にはまだ問題は起こしていないのです。そのため秘密裏に制裁を行って下さい。周りに気づかれないようお願いします」

 「ハ?まだ問題を起こしてない?そんな場合(ケース)聞いたことねぇぞ?」

 年齢不詳のその影に行方は怪訝な視線を浴びせる。

 「特別な事情があるのです。ちなみにその人物も君と同じ推薦組です。気をつけて下さい」

 ア?誰に向かって言ってんだよ?<抑止力(・・・)>の意味はお前が1番わかってんだろ?」

 そうでしたね、ははっ、と埃のついたスーツを着た細い影は笑った。

 「まぁいい、それで対象の名は?」


 わざわざこいつが気をつけてと言うくらいの訳あり野郎だ……。少しは楽しめるといいけどよ………。


 行方は口角を邪悪に吊り上げる。しかし彼は自分が笑っている事に気づいていないようだ。


 「1-E組、12番、桑場屋武蔵。彼への制裁をお願いします」


 そしてそう冷たく狂犬の対象エサの名を告げるその人物の表情は、影に完全に隠れていて全くわからなかった。








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