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#01 特別な矛盾点




「着いた…ここで合ってるよな?」


 目の前に広がる某ネズミの夢の国の入場ゲートのような特大の校門。

 その前に彼が辿り着いた時、これまで散々鳴り喚いていた彼の心臓の高鳴りは不思議と落ち着いていく。


「それにしてもでっけぇ……まだ東京にこんな敷地が残ってたのかよ…」


 そう独り呟くと彼は右手の腕時計を一瞥する。まだ入学式の時間まで1時間以上残っているのが確認出来た。


(少し早く着きすぎたな………。これってもう中に入っていいのか?)


 彼は特大の門の前でしばしの間口を半開きにして考え事をしつつ惚けていた。

 

 知らない世界。

 望んでいた世界。

 ついにここまで辿り着いた。

 手を伸ばせば、すぐに届く。

 

 だが言いえぬ感動に一人震えていると、ふいにその門の内側から大きな野太い声が聞こえてくる。

 

「おい、そこのお前。新入生か?」


 ぴくん、と跳ねる彼のやせ気味の身体。

 完全に虚をつかれた彼は、いつもよりやや高めの上擦った声で返答してしまう。


「はっ、はいっ! そ、そうでありますっ!」

 

 彼の少し間抜けな答えに反応するように、門の中から精悍な一人の男が人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら姿を現した。そして背の高いその男は微笑みながら手招きする。


「ほら、早く中に入れよ」


 彼はごくりと知らぬ間に口の中に溜まった唾を飲み込み、男の手招く方に向かう。

 そして遂に日本で唯一の時間操作者タイム・オペレーター育成機関の敷地内へとその足を踏み入れたのだった。



「ようこそ、タイム・オペレート・アカデミアへ」


 彼――桑場屋武蔵クワバヤムサシを出迎えたその男の声は、人を安心させるような、逆に不安にさせるような、奇妙な響きを携えていた。



――――――



「受験番号と氏名は?」

「5025、桑場屋武蔵です!!」

「ほう、確かに合格してるな。それで合格証明書はもちろん持ってきただろうな?」

「はいっ! もちろんです!!」

 

 そういって桑場屋武蔵は彼の背中で新品同然に輝く青色のリュックサックから合格証明書を素早く取り出し、筋肉質なその男に緊張した面持ちで手渡した。

 

「……よし、いいぞ。完璧だな」

 

 男はそう言って熊のような顔にクシャクシャの笑みを浮かべると、彼の背後に用意された幾つかの机が並ぶところから紙を2枚手にとった。受け付けがあるのだろうか。別の人影も感じ取れるが、桑場屋武蔵からは姿や顔は良く見えない。


「これが高等部1年生のクラス編成の紙で、こっちがこの学園内の地図だ。めちゃくちゃ広いから迷うなよ?」


(俺は1―E組か……。一体どんな奴らがこの学園に入学してるんだろう………?)


 桑場屋武蔵は不安と期待がごちゃ混ぜになった気持ちで用紙をじっと見つめる。彼が何度も頭の中で空想した日が今日この日だった。

 

「そういえば自己紹介がまだだったな! 俺は橋本ハシモトという名前だ。まぁ、そのうち嫌でも俺の名前と顔は覚えることになるさ!」

「は、はぁ…そうですか」

「それでは早く行きたまえ少年よ。また会える日を楽しみにしているぞ? なーんてなっ! ガッハッハッハッハ!!!!」

 

 橋本はやたら楽しそうにそう笑う。

 桑場屋武蔵は苦笑いでそれに応じるが、別にそこまで嫌な気分がするわけではない。


(やけに親し気なオッサンだなぁ……体育教師か何かか?)


 そして桑場屋武蔵は橋本と挨拶をかわした後、足早に自分のクラスがある校舎へ向かっていく。

 はやる気持ちは抑えられそうにない。


「まあ、ああいう人は嫌いじゃないけどな。苦手意識は若干あるけど」

 

 彼の声は、彼人生至上もっとも弾んでいた。



――――――



「こ、ここか」


 桑場屋武蔵は現在1―Eとホログラム表記されているドアの目の前で立ちすくんでいる。

 廊下に人の気配はやけに少ない。


(めちゃくちゃ緊張するなこれ………)


 彼の手はとっくのとうに汗だくだったが、気にしても仕方がないと割り切り、やっとドアノブに手を伸ばす。



 ガチャガチャガチャッ!



「あれ?開かないぞっ!?これっ!何で⁉」

 

 しかしドアは緊張に多量発汗する桑場屋武蔵を嘲笑うかのようにその道を開かない。

 そして再度さらに数回ドアを横にスライドさせようとするが、既に完全にパニック状態にある彼を元の正気の状態に戻せるような結果は得られなかった。

 

「おいおい……嘘だろ? ヘイ! カモンベイビー!! 早く開けって!!!」

 

 そうやって彼が意味もなく時計を忙しなく見ながらドアノブとの格闘を続けていると、突如後ろから透き通るような声がした。


 

「ねぇ、それ、引き戸じゃない?ドアノブついてるし」

「ウヒョッ!?」



 小さく口から漏れ出るのは彼の間抜けな声。

 自らの失態に気づく前に、彼は投げかけられた言葉の意味を考える。

 

「引き戸?」

 

 知らぬ間に彼の横に立っていた少女は黙ったまま頷いた。


(引き戸だって?そんなわけないだろ……このドアは学校のクラスのだぞ? 引き戸とか普通ありえないだろ?)


 疑念にかられながらも、とりあえずと彼は少女の言う通りにする。

 

 

 ――ガチャッ。


「あ、開いた」

 

 だが彼がドアノブを引くと、さっきまでの強情が嘘のように扉は滑らかに開く。


 「面白いね。この学園も、この学園の生徒も」

 

 少女は心底おかしそうにはにかみながらそう言い放つと、先ほどまで存在しなかった空間に吸い込まれていく。

 開かれた扉の前で立ち尽くす若き道化。

 そして桑場屋武蔵は自分の手がドアノブに手をかける前とは別の種類の汗で湿り始めているのを感じていた。



――――――



(恥ずかしいぃぃっっっ!!!!!!)


 桑場屋武蔵は顔を湯気が出そうなほど赤くしながら、白で基調された見知らぬ教室内に重い足どりで入っていった。


(初日早々やらかしたぁぁぁっっっっ! ていうかあのガチャガチャ絶対この教室の中にに聞こえてたよ………。うわぁ…あの人扉の開け方もわからない人だ、とか思われてるよぉぉぉっっっっ! 畜生…早くクラス替えしたい………)


 彼は黒板に浮かび上がった座席表を一瞬で視認すると、早歩きで自席へと向かった。だが、自席に向かう途中で彼は、今一番見たくないものを見てしまう。


(なんでさっきの女が隣なんだよぉぉっっっ!?!? 嘘だろっ!? やばい……俺の羞恥心が崩壊する……!)


 あまりの不運に、彼は思わず卒倒しそうになる。

 しかし彼にはとっておきの心を安定させる方法があった。

 そう、新しいクラスに足を踏み入れてわずか一分。桑場屋武蔵は寝たふりを開始したのだった。






(まぁ、よく考えたら? 教室に俺が入った時、生徒は半分くらいしか揃ってなかったし? 別に俺の高校生活終わってなくね!?)


 寝たふりは続けられたまま。

 身体中から湧き出る正体不明の汗を止めるため、彼は何十分も必死に自らの置かれた状況を前向きにまとめ直している。


 

 ――ガチャ!!


「おう! だいたい揃ってるな!?」


 その時、突如聞こえる、閑静だった教室内を貫く野太い声。


(ん?何か聞いたことのある声だな……)


 彼はあたかも本当に今の今まで寝ていたかのように気怠い欠伸をしながら顔を上げる。

 ついでに目を軽く擦りながら、教室の空気を一変させた声の主を確認することにした。


「俺の名前は橋本だ! お前らの担任をすることになっている。これから1年間ヨロシクな! ガッハッハッハッハ!!」


(やっぱお前の声かよ……ていうか笑い声うるさいな)


「早速だが入学式だ。第1体育館に移動するぞ!廊下に出席番号順に並んでくれ!! ガッハッハッハッハ!!」


(いや、なんで笑ったんだよ。面白ポイントひとつもなかっただろ)


「あ、それと廊下に出るときは気をつけろよ!? うちの学校の扉は変わってて引き戸なんだ! まぁそれで間違えて扉を開けられない馬鹿はこの学校にはいないだろうがな! ガッハッハッハッハ!!」


 ふと桑場屋武蔵は左横からさりげない視線をたしかに感じる。

 彼をそれを気づかないふり。

 そして彼が当初抱いていた橋本への好意は、ゆっくりと、だが確実になくなっていった。



――――――



(入学式は割と普通だったな)


 桑場屋武蔵は入学式を終えて、再び1―Eの教室に戻ってきているところだ。切り替えが得意な彼は、教室を出る前の落ち込んだ気持ちもすっかり持ち直している。

 しかし、橋本はまだ戻ってきていない。それを彼を含んだ生徒たちは待っている。


 

 ――ガチャ!!


「よう、お前ら! 待たせたな!! そしてお前らお待ちかねの…アレの時間だぜ……?」


 だがこれまでと同じように唐突に、橋本が大袈裟な声を携えて教室の扉を勢いよく開けた。

 彼はその騒がしさに眉を顰めかけたが、橋本の腕に抱えられた物を視界に入れた瞬間、全ての意識がそこへ集中する。


(遂に来たか…この時が……! 今日はいろいろあったが、しかしそれはすべてどうでもいい記憶となる!)


 少しざわつく、これまで静かだった教室内。

 桑場屋武蔵がTOA(タイム・オペレート・アカデミアの合格証明書をもらってから、なん百回妄想したかわからないシーンが、今、彼の目前に迫っていたのだ。

 

「そう、今からお前らには“時薬”を飲んでもらう! 1人ずつ直接手渡すから出席番号順にとりにこい。但し、出席番号11番は来なくていい」


 橋本の口から放たれた予想通りの言葉に、彼は息を飲む。


(出席番号11番、俺の前の席か……て! こいつ寝てるしっ! ……まぁ、だがそれは今はどうでもいい。なんたって俺の伝説の始まりだからな!)


「これが時薬で、こっちがイージーボールだ。落とすなよ!?」


 そして桑場屋武蔵は無地の500m缶と青色をしたピンポン玉のようなものを他の生徒と同じように橋本から受けとった。


「よ~し、これで全員受けとったな!? じゃあ時薬をさっさと飲んでくれ」


 震える右手で、彼は異様な存在感を感じる缶を掴み、口元まで掲げる。 


(よ、よし…飲むぞ………!)


 やがて意を決すると、彼は時薬を思い切りよく一気にに飲み干した。

 すると途端に彼の喉に焼けるような激痛が走る。同時に教室内のいたるところからたくさんの生徒が咳き込む声がこだまするのが耳に届く。


「最後の一滴までちゃんと全部飲めよ~。あと言い忘れたけど、それ飲むとメチャクチャ喉痛くなるらしいから気をつけろよ~。ガッハッハッハッハ!!」


(先に言えよこの脳筋クソ野郎がっ! なんも面白くねぇんだよ!!!)


 脳内で橋本に悪態をつきながらも、彼は何とか全てを飲み込むことに成功する。


「時薬を全部飲み終わって喉の痛みがなくなったら、イージーボールを手に持ってくれ」


 しばらく時間が経ち、ゆっくりと喉の痛みが引き始めてきた桑場屋武蔵は、汗ばんだ右手で恐る恐るイージーボールと橋本が呼ぶ物を手に取ってみた。


「ふむ、全員飲み終わったみたいだな!? さーて、これでお前らは全員すでに時を止めることができるようになっているはずだ! イージーボールを自分の目線の所まで上げろ」

 

 橋本の声が、心の中にトクンと浸み込んでいく。

 ついに、その時が来た。

 もう桑場屋武蔵の心臓の高鳴りは最高潮に達しようとしている。彼の目の前にはイージーボールがとっくのとうに高く掲げられていた。


「そして、イージーボールが宙に止まったままの状態をイメージしてみろ。そんでもって手を離してみな。きっと自分がTOAに入学したってことを強く実感するはずだぜ……ガッハッハッハッハ!!」

「おおおおおおぉ!!!!!」

「すげぇーーー!!!」

 

 橋本の声を合図にしたのか、突如教室中から歓声が聞こえてくる。桑場屋武蔵が右横を振り向くと、宙に浮くイージーボールを見て絶句している少女がいた。


「マジかよ……」

 

 今見た景色に驚きと興奮を隠せない桑場屋武蔵は、右親指と右人差し指に挟まれた小さな球体に、全神経を注いだ。

 

「よし…俺も…行くぞ……!」


 彼はそう一人小さく呟くと、イージーボールから静かに手を離す――――、


 

 ――コンッ。


 支えを失ったイージーボールは急降下し、机の上で当たり前のようにバウンドする。



「…………え?」



 教室内はまだ騒がしい。



――――――



(あれ? 今時止まった?? いや嘘嘘嘘!! ただピンポン玉が落ちただけだよな??? なんでだ? 俺ってセンスない? 推薦合格なのに??)


「そのイージーボールってやつは、初心者でも最低5秒は時を止められるようできてる。固体の時を止めるのが得意なやつだったら。20秒くらいは止められるだろう。その時を止める感覚、忘れるなよ?」

 

 桑場屋武蔵は必死で周りを観察する。

 だが、みな自分のイージーボールの時を止めることに夢中で、彼のように辺りを見渡す人間は誰一人としていない。


(やっぱりさっきのはただミスっただけだな。うん。俺みたいにキョロキョロしてるやつもいないようだし。出来ないわけがないんだ!)


 彼は先ほどの数倍神経をイージーボールに集中させていた。指に力を入れすぎて、イージーボールがピキピキと音をたてているくらいだ。そして彼は素早く手を離す。

 

 コンッ!

 

 またもや当然の結果のみを見せる青い球体。

 彼の目にはさっきよりもイージーボールの落ちる速度が上がっているようにしか見えない。


「本来は、同じ対象物の時を連続で止めることは非常に難しい。だがこのイージーボールはおそらくインターバル1秒くらいで再び時を止められるだろう。無論、個人差はあるがなぁ! ガッハッハッハッハ!!」


(ヤバイ…これはマズイ…本日最大の危機だ……。TOAの生徒なのに時を止められないとか超ヤバイ!! これ下手したら退学もんだろ!!! すまない桑場屋、お前の合格は間違いだったみたいだ。 とか言われたらどうしよう! 地元の友達に超自慢しちゃってるんだぞっ! いやだがまだ俺の時薬が偽物、あるいは失敗作、消費期限切れの可能性もある。とりあえずもうイージーボールを止めようとするのは控えた方がいいな……これ以上コンコン鳴らしたらきっと怪しまれる……)


「よし、だいたいそんなもんでいいだろ。筆箱の時を止めてるやつもいるみたいだが、いったん俺の話に集中しろ~」


 この先3年間、無能力で学園生活を謳歌できるとは思えない。

 というより、それではTOAに入学した意味がない。

 とりあえずHRが終わったら橋本に言いに行こうと彼は決意する。


「よし。それじゃあ明日からの日程表と、TOAだよりを配ったら今日はもう終わりだ。後、帰り際に時薬の空き缶と、イージーボールを回収するから忘れずにな!!」


 そう言った後橋本は、配布物を配り終えると声高に叫んだ。

 

「解散!!!!!!!」


(雑だなコイツ)


 こんな男に相談していいのだろうかと、桑場屋武蔵は少し不安になる。

 そして生徒たちはぞろぞろと、各々興奮した面持ちで教室から出て行った。だが一人、自席から微動だにしない少年がいて、それが橋本の目に留まった。

 

「おい! そこのお前!! 帰らないのか? 他の生徒は皆帰ったぞ。お前が時薬とイージーボールを返してくれないと、俺も戻れないんだが?」

 

 橋本はその少年の雰囲気から、なにか考えこんでいることだけは理解できた。

 

「先生、俺、時を止められないんです」

 

 すると少年は真剣な表情でそう言い放つ。

 橋本は手元の座席表を見直した。


(出席番号12番、桑場屋武蔵。要注意人物だな)


 橋本は面倒なことになりそうだと大きな溜め息を吐き、大股で彼を呼ぶ少年の下へ近づいていく。



――――――



「お前、もしかして田舎から来た? まぁ、もっと世界を、こうグワッと、止められると普通は思うよな……でもそれ、めっちゃ難しいんだよ」

「先生、俺は東京出身です。ていうか、そうじゃなくて! 俺、このイージーボールとかいうやつの時すら止められないんです!!」

 

 橋本は猜疑心丸出しの目つきで、ふ〜ん、じゃあちょっとやってみ? と軽く言う。

 

「行きますよ……?」

 

 じゃあと桑場屋武蔵は了承すると右手でイージーボールを持ち上げ、その青い球体をじっと見つめた。そして一瞬間を置くと、イージーボールをゆっくりと、そのまま床に落とした。

 少なくとも、橋本にはそう見えた。

 

「ね?」

 

 半分泣いているような顔で桑場屋武蔵は橋本に微笑みかける。

 

「お前、ふざけてんの? イージーボールが1秒も止まらないってどゆこと? 時薬ちゃんと飲んだのか?」

「だから止められないって言ってるじゃないですかっ!!」

 

 桑場屋武蔵は空っぽになった500m缶を逆さまにしながら声を荒げる。

 ここで初めて橋本は表情を難しくした。

 

「もう一度時を止めようとしてくれないか?」

 

 橋本は左手の時計をなにやら弄くると、静かに言葉を伝えてみせる。

 微かに変わる気配。

 

「え? 別にいいですけど……」

 

 これ以上恥を晒したくないと桑場屋武蔵は思ったが、橋本の真剣な眼差しを見て渋々従った。

 

「じゃあ、行きますよ?」

 

 彼は自分の目線まで持ち上げたイージーボールを真っ直ぐ見据えると、一呼吸置いてからゆっくり手を離す。



 ――ピィーフォーン!!!


 その瞬間橋本の左手の腕時計からけたたましい警戒音が鳴り響いた。

 

「ほぉ……こいつは驚いたな………」

 

 橋本はなにやら一人心得たような顔でまじまじと桑場屋武蔵の顔を見つめる。

 

「どうしたん…ですか?」

 

 唖然とする桑場屋武蔵には何が何だかまるで分からない。

 橋本はそんな彼を一瞥すると、床を転がるイージーボールをヒョイと拾いながら厳かに、ただ一言口にする。

 

「ついて来い、桑場屋。お前に会いたがってる人がいる」



――――――




「ここが特別教員校舎だ」

 

 教室を出てから二人の間にずっと続いていた沈黙を先に破ったのは橋本だった。

 

「ここに俺に会いたがっている人がいるんですか? その人は俺が時を止められないことに関係しているんですか?」

 

 まるで状況を把握できていない桑場屋武蔵は困惑した顔を橋本に向ける。

 

「関係があるかどうか俺は知らない。俺はただ能力反応があるのに、時を止められない生徒がいたら連れて来いと言われていただけだ。5年前にだけどな」

「え!? 俺に能力反応なんてもんがあったんですか!?!?」

「ああ、さっき俺の腕時計が変な音を発しただろ? あれは近くで誰かが時間操作をしないと鳴らない音なんだ。そう設定してあるものだったのさ」

 

 特別教員校舎の階段を上がり、2階に着いて5mほど歩いたところで、橋本は足を止めた。

 

「まぁ後は副校長が説明してくれるだろう」


(その人物ってよりにもよって副校長かよ……)


 ホログラムに表記される、普通の新入生が会うはずがない相手の肩書名。

 桑場屋武蔵の退学への恐怖は再びよみがえってきていた。




「失礼しますよ!副校長!!」

 

 そして橋本はノックもせずに副校長室に侵入していく。

 生徒相手でなくとも、橋本はこうなのかと、彼は桑場屋武蔵はほんの少し簡単する。



「ノックをしてくれといつも言っているじゃないですか。橋本先生」



 深い落ち着きを感じさせる声に迎えられながら、桑場屋武蔵も橋本のあとに続き恐る恐る部屋の中へと入る。

 するとソファーがひとつと本棚が2つだけという異常に殺風景な部屋の真ん中で、絨毯の上にスーツで寝転がり本を読んでいる不可思議な人間が目に入った。

 

「ウウギ副校長! 連れて来ましたよ!! 貴方の言う、<パラドックス>、とやらを」

 

 橋本がそう言うと、童顔で痩身のその人物は本を床に置きおもむろに立ち上がり、大きな目を見開く。


「後ろのボサボサ頭ですか?」


 右々ウウギは目を丸くして桑場屋武蔵に熱の籠った視線を送り、受ける側の少年は少し照れた気持ちを感じずにはいられない。

 

「え、えと…どうも初めまして……」


(この人何歳だろ? 10代くらいにしか見えないなぁ……)


「君、名前は?」

 

 一切視線をずらさず話しかけてくる年齢不詳の右々木に戸惑いを覚えながらも、彼はなんとか答える。

 

「桑場屋…武蔵です……」

 

 得体のしれない緊張感が桑場屋武蔵を襲っていて、彼は今すぐにでも家に帰りたい気持ちだ。

 

「ふーん。君が武蔵君なのか。君の方がここに来たんだね」


 右々木は桑場屋武蔵を見つめるのを突然やめると窓の方にゆっくり歩いていく。

 

「ここに来たって…あんたが連れてくるよう言ったんだろう? 頼みますよ! 右々木副校長!!」

 

 そんな様子の右々木に向かって橋本が不満そうな声を出す。


「そういう意味ではないですよ。橋本先生」

 

 それに対して微笑を浮かべながら右々木は少年のような凛々しい声で返事をした。


「副校長……俺はやっぱり退学になるんですか? そのために呼んだんでしょう?」

 

 しかしついに我慢ができず、自ら桑場屋武蔵がそう言った瞬間、右々木は本当に不思議そうな顔をする。


「なにを言っているんだい? 君は真に特別な人間です。私が手放すわけがないでしょう?」

「俺が、特別?」

「私が今日君をここに呼んだのは、君が表か裏かを確かめるためです」

 

 口の端をほんの少しだけ上げて、右々木は指を一本立てる。

 身長が桑場屋武蔵よりやや高いその人は、完全に彼の理解の範疇を超えていた。


「ここにイージーボールがひとつある、これを君にあげよう。そうしたらもう帰っていいですよ」

「それだけですか!? 右々木副校長!?!?」

「橋本先生はもう武蔵君が帰るまで喋らなくていいです」

 

 右々木は面倒臭そうな表情で橋本を一瞥し口を尖らせる。

 そして桑場屋武蔵の前に音もなく立ち、左人差し指と左親指で摘まんだイージーボールを掲げてみせた。


「えっと…それじゃあ頂きます……」

 

 そう言って混乱は解けないままだったが桑場屋武蔵は手を伸ばす。だが、イージーボールがやけに重くて動かすことができない。


「あれ? 副校長、力いれてます?」

 

 彼がそう聞いても右々木はただ笑うだけ。


(畜生…馬鹿にしてんのか……!)


 彼はなぜか無性に腹が立って指先に本気で力をいれた。するとその瞬間、手に電撃が走るような感覚が彼に湧き起こり、思い切りイージーボールを床に叩きつけてしまう。

 

「あっ! すいませんっ!! つい!」

「ははっ! そうかそうか! 君は! ……いいんだ、いいんだよ、武蔵君。君は表のようだね。今日はもう帰るといい」

 

 しかし慌てる桑場屋武蔵を見て右々木はなぜか嬉しそうに高笑いし、彼は笑ってるうちにとイージーボールを拾うと逃げるように部屋を出た。


「しっ、失礼しました! さようなら!!」

「おい! 桑場屋! 因みに明日は入校時テストだからな! 頑張れよ!!」

 

 混乱に頭がいっぱいで汗だくの少年から橋本の言葉への返事はなかった。


(やっべぇぇぇぇっっっ!!! 副校長に超失礼なことしちゃったよ! でもあれ俺が悪いのか? 悪いのはあっちじゃね? というかまるで問題解決してないよな…結局時は止められないままだし……)


 桑場屋武蔵はイージーボールを手の中でコロコロと転がしながら帰路についていく。彼の高校生活はなんと1日目にして、彼の期待と想像を粉々に打ち砕いたのだった。



――――――




「右々木副校長! 桑場屋のことを知ってたんですか!?」

 

 橋本は再び絨毯に猫のように寝転がった右々木に見下ろすようなかたちで問いかける。


「当たり前じゃないですか。武蔵君は今年適合率95%以上で入ってきている期待の編入生の1人です。教員で知らないのはおそらく橋本先生ぐらいですよ?」

「え? そうなんですか!?」

 

 橋本は驚きに大きな声をあげたが、右々木は本を読んだまま、まるで気にするそぶりは見せない。


「じゃあ、あの表だの、裏だの言っていたのは何だったんです?」

 

 その言葉に右々木はページを捲る手を止める。


「彼の特別性を確かめただけです。実は私、あの時イージーボールの時を止めていたんですよ?」

「え! じゃあ桑場屋はどうやって副校長からイージーボールを取ったんです!?」

 

 だがしかし、橋本がそう聞いても、ただ右々木は不適に笑うだけで、それ以上は話さない。





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