嬉しさと切なさと
今日の空は曇りだ。雨が降りそうな気配は無いが、空はどんよりしている。
ルナは窓からその景色を憂鬱な面持ちで眺めていた。ため息までこぼれる。それは今朝の出来事のせいであった。
「お前を俺がそばへ置く理由が不思議か?」
ヴァルディアのいつも通りの唐突な質問に、ルナはいつも通りの驚きの表情を見せた。
「ど、どうしてですか?」
「俺がお前と一緒にどこかへ行こうと誘うと、そういう顔をする」
「……確かに、ずっと不思議には思っていました」
「なぜ?」
ルナがどこまで話していいものかと悩んでいると、ヴァルディアは優しく微笑んだ。
「別に言葉に気を使わなくていい。俺はお前を知りたいんだ。正直に話してくれ」
ルナはヴァルディアのそういう所が嫌いだった。
どうしてそんなに優しいの?どうしてそんな事言うの?
ルナはヴァルディアの言った通り、全てを話す事にした。
「私が奴隷売店にいた頃、いつも不安でした。いつ買われるのか、いつ皆と離れるのか。それに、買われた先にはどんな未来が待っているのか……」
ぽつぽつと話し始めたルナの言葉を、ヴァルディアは静かに聞いていた。
「もしかしたらとても酷い人かもしれない。奴隷だから、とても辛い仕事ばかりやらされるかもしれない。でも、私にはそれが宿命だから。奴隷として売られていると知った時から、そうなるのが宿命と割り切ってきました。けれど違った。ヴァルディア様は奴隷の扱いを私にしませんでした。仕事を押し付ける事もしない、気休めに何かを私にする事もない。それどころか……優しい。一緒に話をしてくれて、一緒に買い物につれていってくれて、欲しいものは何かと聞いてきたり、洋服を買ってきてくれたりする。私に何を求めているんですか?無意味にしているのでは無いでしょう?私は奴隷。あなたは貴族です。優しくする意味なんてないんです」
ルナはそう言うと黙り込んだ。ただヴァルディアを意見を乞う様に見つめる。ヴァルディアは口元に手をやって何か考え込んだ後、ルナをひたと見据えた。その瞳の美しさにルナの心臓が高鳴る。
「確かに、お前をそばに置くのには理由がある。だがお前にとっても俺にとっても、それは幸せであったら嬉しい。……それだけだ」
「それだけですか?」
「優しくする事に疑問を持つ必要はない。特別優しくしているわけでもない。お前は人なんだ。そういう扱いを受けて当たり前だろう」
「……人だから、私をそばに置くのですか?」
「……これは言うのを避けたかったのだがな」
ヴァルディアは困った顔をした。
「お前は奴隷売店にいた頃、ずっと窓の外を見ていただろう?たまたま通りかかった道で見たんだ。それからお前を外に出してやりたくなった。まあ、半分は気まぐれだったのかもな」
じゃあ後の半分は?
ルナは出したい言葉を飲み込んだ。
「だからお前を連れ出したんだよ。奴隷として外に出るんじゃない。人として外に出るために。だからお前に仕事はさせたくなかったんだよ」
「……それで、私をそばに……?人として暮らさせるために……?」
「そうだ」
ヴァルディアはきっぱりと言った。その顔はとても優しい。
「……そうですか」
だがルナの沈んだ空気にヴァルディアは眉をひそめた。
「どうした?」
「い、いえ。あの、時間も時間ですし、私お茶でも飲んできていいですか?」
あきらかルナの並べる言い訳はおかしかったが、ヴァルディアはあえて引きとめず頷いた。
「また呼ぶ」
「……失礼します」
自室に戻った瞬間、堪えていた涙が溢れ出した。次から次へと頬を伝っていく。
ルナは悟ったのだ。
ヴァルディアが自分を特別視していなかった事に、落胆している事に。苦しみも、切なさも、胸の高鳴りも、全て。全てはヴァルディアに恋をしていたから。
ヴァルディアの優しさはルナの心を振り回した。恋を知らないルナにとって、ヴァルディアはずっと大人だった。ヴァルディアは誰に対してもあの優しさを向ける。根本的に心はあたたかい人だ。それを思えばルナへの態度も普通なのかもしれない。
けれど、ルナは期待してしまった。もしかしたらヴァルディアは自分にだけそうなのかもしれない。そう思っていた自分がいた。
人として、世界を教えるため、自分のそばに置いていると言ったヴァルディア。
「優しい人に買われたらそれでいいって、そう思っていたのに……」
欲張りになったものだ。
窓の外を見ていても、頭の中はヴァルディアとの会話が流れて景色なんて目に映らない。
「……好きって……こういう事なんだ……」
苦しくて切なくて、痛くて辛くて、けれどなんだか楽しくて。その人の事しか考えられなくなる。ヴァルディアのあの優しさは、好きだ。けれどそれが……虚しい。
ルナはまた、涙を流した。