優しさと厳しさと
ヴァルディアとルナが出会って、一ヶ月。
「ルナ」
「はい、ヴァルディア様」
ルナは呼ばれるがままヴァルディアのそばへ寄った。
「今日街へ行こうかと思う。ついて来ないか?」
「またご用事ですか?」
「いや、今回は出掛けだ」
ルナは思わず目を見開いた。
「いやか?」
ルナの表情を見てヴァルディアが少し残念そうな顔で問うた。ルナはヴァルディアのその表情にさらに困惑する。
最近ヴァルディアは毎日の様にルナを自室へ呼ぶ様になった。話し相手として部屋に呼ばれるだけだが、時には一緒に庭に出たりもする。だが街へ出た事は用事でお供する以外は一度もない。
「いえ、そんな事はないです。ただ奴隷の身分でヴァルディア様のお供をしてもいいのかと……」
「俺がお前を奴隷と言った事があったか?」
「い、いえ」
ヴァルディアの顔が険しくなった事にルナは焦った。ヴァルディアは普段からあまり表情を分かりやすく出したりしないため、険しい顔をすると怖く見える。
「俺はお前を下に見た事はない。そんな事気にするな」
ルナは優しい言い草に頬が熱くなるのを感じた。ヴァルディアは貴族だ。その身分で奴隷と一緒に街を歩くなど、周りから見れば恥かしい事のはず。それを気にせず自分を側に置いてくれる。ルナにとってそれはとても幸せな事だった。
「ついて来てくれるか?」
「はい。嬉しいです」
「もう少しで出掛けるぞ。準備しておけ」
「わかりました」
お辞儀してにやけながら部屋を出ると、扉のすぐそばに侍女のシトラスがいて頬を引き締めた。口を一文字にしてルナを睨んでいる。思わずルナはため息をこぼした。
「あんた、ほんとこりないわね」
シトラスがヴァルディアの部屋まで聞こえない声でルナに話しかけた。
「なにがですか?」
「言ったでしょう?ヴァルディア様にとってあんたは汚らわしい存在なのよ。近寄ってしまってはヴァルディア様の毒よ」
シトラスはルナがヴァルディアによく構われるようになってから突っかかってくるようになったのだった。シトラスはヴァルディアが好きな様で、ヴァルディアのそばにいる時は熱っぽい視線をよく投げていた。自分の好きな男が他の女に構う事がかなり気に入らないらしい。
「お言葉ですけど、私からヴァルディア様にちょっかいは出していません」
「そんな事は言ってないわ。断れるものを進んで受け入れるなと言っているの」
いつ進んで受けいれたというのだろう。
「言いたい事はそれだけですか?私はこの後する事があるんです。失礼します」
素っ気なく言い放ってシトラスの前を通ろうとすると、腕を掴まれた。
「なんなのその態度は!」
ルナは腕に食い込むシトラスの爪が痛くて顔を歪めた。だがシトラスは更に力を入れてくる。
「あんたほんと気に入らない。後から入ってきてヴァルディア様の気をひいて。それも奴隷のくせしてね。身分をわきまえたらどうなの?わかってる?自分の立場」
「私は自らヴァルディア様に近寄ろうとした事は無いと言ったわよね」
「……っ! そ、そういえばあんた。いつも大事そうにしてるネックレスがあったわね?!」
「……」
ルナは嫌な予感がした。
「それ、この家に来る前から着けていたでしょう?同じ奴隷からもらったんじゃないの?」
ルナの表情を見てシトラスは嫌らしく笑った。本気で腕を握られて思わず悲鳴がでる。
「痛……っ!」
「それ貸しなさいよ! ヴァルディア様に気軽に近寄ったばつよ!」
そう言うとシトラスはルナの首元のチェーンをぐいっと引っ張ってちぎってしまった。ルナは怒りの余り大声を出しながらシトラスの手元を掴もうとやっきになったが、シトラスはルナより背が高い。腕を最大限まであげられてはいくら背伸びをしても小さなルナには届かない。
「返してっ!!」
「これ結構高そうじゃない?奴隷の子も苦労したでしょうに。売り飛ばしてやろうか!」
バンッッ……
「……何をしている、お前」
「ヴァ、ヴァルディア様……っ」
それは一瞬だった。気が付けばヴァルディアがシトラスを片手で壁に押し付け、あいた方の手でネックレスを奪っていた。興奮して大声を出した二人の声を聞いて駆けつけたのだろう。
だがルナは恐怖に背中がぞくりとした。ヴァルディアの顔はとても怖い。本気で怒っているのだ。
「何をしていると、聞いている」
とても低い声。その威圧にシトラスは息を飲んだ。
「わ、私は……、そこの奴隷が……」
「奴隷と呼ぶな!」
ヴァルディアの怒鳴り声が辺りに響く。ルナは肩を揺らした。
「……そこの者が、ヴァルディア様になめた真似をするから……」
「なめた真似?いつそう見えた」
ギリギリとシトラスの胸元に置かれたヴァルディアの腕に力が入る。シトラスは息ずらそうに顔を歪めたが、ヴァルディアを見る目は真っ直ぐだ。
「し、してるじゃないですかっ! 立場というものを分かっていない! やすやすと手を出してはいけないものに手をつけた!」
大きな声に使い達が何事かと様子を見にきたが、その場の状況を見て固まってしまった。
「能無しか、お前は」
「……え?」
「俺はもっとお前に期待していたのだがな。落胆した」
「そ、そんなっ! 待ってくださいヴァルディア様!」
「どいつもこいつも奴隷奴隷と。いい加減腹が立つ」
ヴァルディアの怒りの溢れた声は、周囲の者全員を脅かした。シトラスの顔も今では恐怖のせいで真っ青だ。
「俺はお前達に何を教えてきた?身分うんぬんをとやかく言ってきたか?違うだろう。そんな所もまだ子どもなのか?俺が身分程度を気にしてきたか!?」
ヴァルディアの怒声にシトラスが短く悲鳴をあげる。
「ヴァルディア様……っ! もうやめてください! 私は平気ですから!」
ルナは思わずヴァルディアの腕を掴んだ。だがそれをヴァルディアは無視し、シトラスを睨む。
「シトラス。この家を出ていけ」
「……!」
「ここ最近のお前の行動は目に余るものがあった。もう限度を超えている。明日までに出て行かなければ叩き出すからな」
「……わかりました」
その言葉にやっとヴァルディアが腕を離した。シトラスは静かに泣きながらその場から去って行った。
「ヴァルディア様! いくらなんでも追い出さなくていいじゃないですか」
「世は甘くないんだ、ルナ。甘やかしてばかりでは本人を駄目にする。時には厳しさが必要なんだ。たとえそれが本人を奈落に突き落とす選択でもな」
「……っ」
ルナはシトラスを思って少し心が痛んだ。嫉妬は誰にでも在る感情。シトラスはただヴァルディアを一途に想っていただけだ。やり過ぎかもしれなくても、今までの行動はヴァルディアを想っての事なのに。ヴァルディアもそれは分かっているはずだ。
「これはちゃんとしまっておけ」
ルナは渡されたネックレスを両手で握りしめた。
「……ありがとうございます」
「いい。それと今日の外出はなしだ。明日にでもいこう」
「はい」
ヴァルディアはそう言うと部屋へ戻って行った。ルナはその後ろ姿が消えるまで見守った。
「ルナ様。お部屋へお戻り下さい。体が冷えてしまいます」
使いの一人が遠慮がちに促す。
「……そうですね。わかりました」
ルナはもう一度だけヴァルディアの部屋を振り返ってその場を後にした。
ヴァルディアは優しい。冷たく見えるが、中身はとても人を思いやれる人なのだ。けれど同時に厳しさも備えていた。
ヴァルディアはさっきもシトラスを考えての事だと言った。ヴァルディアの行動はかなりシトラスにとって辛いものだが、裏を返せばそれは優しさでもあるのだ。
ルナはヴァルディアのそういう所が好きだ。甘やかされてばかりではそれに溺れてしまうが、厳しさを交えてくれるからこそ道を見失わずに済む。
ヴァルディアが取り返してくれたネックレス。ルナはそれを強く握りながら眠りに落ちた。
短編として作っていくつもりが、だらだらとしすぎて少し長くなりそうです……。
最後まで付き合っていただければ嬉しいです。
小説内で、ん?と感じたことはありましたか?おかしな事があったら言ってもらえれば修正しますので、よろしくお願いします。