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ティル・ナ・ノーグの片隅で

白花(シラハナ)への手紙 ―お返しの贈り物―

作者: 香澄かざな

拝啓 お父さん、お母さん、ばあちゃんへ


 こんにちは。伊織イオリです。

 白花シラハナの冬はどうですか? きっと寒いんでしょうね。ばあちゃんは体調をくずしたりしていませんか。温かくして早めに休むよう言ってください。

 この前は仕送りありがとう。ちゃんとイレーネ先生に渡したからね。もう一つのお世話になっているところはこれから持っていくところです。

 ティル・ナ・ノーグにきてはや二年。わたしにもたくさんの友達や知り合いができました。お父さんはアガートラム王国ってところで生まれたんだよね。そして旅先のシラハナでお母さんと出会ってわたしが生まれたんだよね。お父さんの生まれた国にこうしているというのもなんだか不思議な気がします。

 そうそう。不思議と言えば。最近は――


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「リ・ライラ・ディ?」

「そう」

 目の前で、できたてのアップルパイを片手に教えてくれたのは行きつけの洋菓子店のカリスマ看板娘、クレイアだ。

「ライラ・ディのことはこの前教えたでしょ。その反対」

 反対ってどういうことだろう。首をかしげると、彼女は続けてこう言った。

「チョコレートのお返しだと考えればいいの。イオリだってこの前渡したんでしょ?」

「ええ。誰かさんのおかげでね」

 むしろ、まんまとはめられたと言うべきか。たまたまお菓子を買いにクレイアのお店こと林檎洋菓子専門店「アフェール」に寄り道して。どれも美味しそうだったからなかなか選べなくて。そんな時に蜜林檎入りチョコをすすめてくれたのがクレイアだった。

『せっかくだから相方さんにもどう?』

 確かに彼女の作るお菓子は文句のつけようがないほど美味しかった。目の前にはたくさんのチョコレート菓子。一人で食べるのはもったいないし気がひける。だから、すすめられるままに買って――手渡してしまったのだ。あいつに。

 異性にチョコレートを渡す行為。それがわたしの生まれ故郷シラハナでいうところの『菫撫子すみれなでしこ』にあたることは、チョコレートを渡してからきっかり三日後のことだった。お世話になっている人に感謝の気持ちを込めて贈り物をする。なぜそれがチョコレートなのかはわからなかったけどこの国ではそういうことらしい。

 わたしもわたしで、チョコレートを渡すことにそんな意味があるとは知らなくて。差し入れ感覚で渡してしまった。はめられたと思ってもなんら不思議はないだろう。

「相方の反応はどうだった?」

 わたしの内心を知ってか知らずかクレイアが嬉々として質問する。そんなのこっちが知りたい。

『はい。これ』

『ん』

 ものの数分でチョコレートは完食されてしまった。だいたい、あいつもあいつだ。仮にも贈り物をしたんだから、もらった時になにかしらの反応があっていいじゃないか。ありがとうの言葉もなく黙々とたいらげるメガネ男。あれじゃあ気づけるものも気づけないっつーの!

「あんなんじゃわかるもんもわからんやろが(訳:あんなんじゃわかるものもわからないでしょーが)!」

「イオリ、言葉が変」

 あと店のものを壊すなと続けて指摘されて、初めて自分が握っていたカウンターのガラスがみしみしと音をたてていることに気づいた。

「そのぶんだとうまくいかなかったみたいだね。とにかく今日はリ・ライラ・ディなんだからさ。ちょっとは期待してもいいんじゃない?」

 もしかしたらとんでもないお返しが待ってるかもよという声をかけられて。何をどう期待しろと。

 アップルパイの入った包みを腕にだきながら深々とため息をついた。

 わたしが相方と出会ったのは二年前。より高度な医術を学ぶためにシラハナから上京して、その時に出会った。そのあとまあ色々あって、施療院で医術を学ぶかたわら彼の工房を手伝うことになったのだけれど。そこまでの詳しいいきさつは後日に語ることにする。

 でも最近は工房で物を作るよりも浴場に足を運ぶことのほうが多くなってしまった。今日も今日とて襟首を引きずって――もとい、相方をともない藤の湯に向かう。そして、今現在引きずっている彼こそがチョコレートを渡してしまった相手である。まったくもって不本意だけど。

「イオリ。なんでオレは引きずられてるんだ?」

「自分の胸にきいて」

 薄茶色のぼさぼさの髪に小ぶりの鼻眼鏡。よれよれになったつなぎの服を着て、わけがわからないというふうに首をかしげているのは相方ことユータスだ。はじめはちゃんとユータスさんと呼んでいたけど、最近では名前のまま、もしくはユータと呼んでる。まれにもやし男と呼ぶこともあるけど、さすがにあんまりだから自制を心がけている。

「……ユータ。最後にお風呂に入ったのっていつ?」

「んー。五日前だったな」

 それがどうした? とでも言いたげな視線に堪忍袋の緒がきれる。無言でひきずること十分。ようやくお目当ての藤の湯に到着した。

楚葉矢ソハヤさん。いつものお願いします!」

 入り口に入るなり大声をあげる。鈴をころがすような声と共に出てきたのは当主ではなく従業員で奥さんのトモエさんだった。

「あら、ユータスくんに伊織イオリちゃん。今日はどうしたの?」

 いつものお願いしますともう一度言うと、にこにこと笑みを浮かべながら奧に向かって声をかけた。

「ソハヤさーん。いつものですって」

 しばらくして現われたのは今度こそ当主で藤の湯を運営しているソハヤさんだ。眠たそうな眼差しでわたし達を一瞥すると、くいとあごを横にむけた。準備はできてるということらしい。軽く会釈をすると相方をひきずったまま浴場ののれん(入り口)をくぐる。脱衣場のカゴにはずしたメガネを置いて、引きずったまま湯船の前の戸をがらりと開けて。

「待て。まだ服着てる――」

「うるさか(うるさい)。顔を洗って出直してこい!」

 直接湯船に突き落とした。後に聞こえるのは浴場に響く大きな水しぶきの音。ちなみに誰も湯船に入ってないということは確認済み。普通の浴場は衣服を身につけない。でもあいつの風体があまりにもああだから、終わったらお風呂掃除をするという条件で浴場を借りている。高そうなものだったらさすがに脱がすかもしれないけど『思う存分きれいにしてやって。服なら同じものたくさん持ってるから』と彼の家族からお墨付きももらった。もっとも実際に服を脱がしたことは一度もないけど。もやし男をともない藤の湯ののれんをくぐる日々。おかげで幸か不幸か藤の湯の面々とは切っても切れない間柄になってしまった。もちろん、それだけでは申し訳ないからこうして実家からの仕送りを届けにきている。

「いつもごめんなさいね」

 仕送りの荷物を受け取りながらトモエさんが微笑む。藤堂夫妻はわたしと同じシラハナの出身。同郷なので味覚や嗜好品はほとんど同じなのだ。ちなみに今回の仕送りの中身は野菜とお花、もろもろ。

「いいえ。あいつの入浴代と手間賃だと思えば安いもんです」

 はじめは三階の家族湯(少人数用の小さいお風呂)まで半強制的に連行していた。相方の風貌にキレて浴場までひきずること三ヶ月。見かねた藤堂夫妻が『忙しい時は施設の手伝いをする・人のいない時間帯を利用する』という条件付でお風呂を一部提供してくれることに。

「お前らいつも飽きないよなあ。やってて楽しいか?」

 相方がきれいになるのを待っている間、二階の売店で琥珀こはくを購入する。湯上がりではないけれど甘くてほろにがい感覚がのどに心地いい。飲み終えて隣を見ると眉間にしわをよせたソハヤさんがいた。

「むこうに聞いてください」

 一体何が悲しくて大の男を湯船に放り込まなきゃならないんだ。仮にも工房を運営してるんだから衛生管理に気を遣ってもいいはずなのに。

「イオリちゃん元気ないね」

 空になったビンを受け取りながら売り子のパティがつぶやく。この子もティル・ナ・ノーグで知り合った友達の一人。元気もなくなるもんだ。なんでよりにもよってあいつなんかにチョコレートを渡してしまったんだろう。

「トモエさんはライラ・ディって知ってましたか?」

 確認のため尋ねると、同郷の女性は首肯した。

「ええ。菫撫子すみれなでしこのことよね」

「スミレナデシコ?」

 聞き慣れない言葉にパティが小首をかしげる。それはそうだろう。シラハナでしか通用しない言葉なのだから。

 菫撫子。

 言葉通りスミレとナデシコを足して二でわったような花。上品な赤紫の花びらが特徴でティル・ナ・ノーグはもちろん故郷のシラハナでもお目にかかることは難しい。花には複数の意味が込められていて、純愛・無邪気・純粋な愛・いつも愛して・思慕などなど。

 もちろん貴重な存在の菫撫子のこと。誰もかれもが花を手にできるわけではない。だから思い思いの気持ち――色のこもった撫子を手に、意中の男性の元へ向かうのだ。赤撫子なら思慕、紫撫子なら友愛、白撫子なら。乙女達は花に願いを託して意中の男性に贈るのだ。『わたしと一緒になってください』と。端的に換言すればそれは、女性から男性への逆プロポーズを意味することになる。

「じゃあトモエさんは、スミレナデシコをソハヤさんに手渡したんですか?」

 パティの問いかけにトモエさんは恥ずかしそうにうなずく。ちなみにこの行事、シラハナだと撫子が一番咲く梅雨の時期になる。撫子を使った告白ができるのは一生に一度とも、花を見つければいつでもできるとも言われているけど実際のところはさだかではない。もし告白が叶ったのなら男性はもらった撫子の花を差し出した女の子の髪にさし、想いを受け止められなければ花を返す。返事の猶予は手渡した花が枯れてしまうまで。なかなかシビアでもある。

「いいなぁ。トモエさんは素敵な旦那様がいて」

 だから、トモエさんの菫撫子は成功したということになる。恥じらうトモエさんの髪にそっと花をさすソハヤさん。想像しただけでもどきどきしてくる。できるなら、わたしも好きになった人にチョコレートや撫子を手渡したかった。

「イオリちゃんにだって素敵な人がいるじゃない」

「わたしに?」

 トモエさんの声に今度はわたしが小首をかしげる番だった。素敵な人。シラハナでは出会いらしい出会いなんてなかったからここティル・ナ・ノーグのことなんだろう。

「ケンカするほどって言いますもんね」

「そうそう」

 それで、本当のところはどうなの? といった体に二人が詰め寄ってくる。どうなのもなにも。

「そんな人、一体どこにいるんですか? 教えてください」

「またまた。すぐそばにいるでしょ?」

 すぐそば。ティル・ナ・ノーグに来て二年たつけどそばにそんな素敵な人なんていただろうか。きっと男の人を指すんだろうけど身に覚えはないし、第一ケンカだってした覚えがない。

「本当にわからないの?」

 詰め寄るパティに首を縦にふった。考えてもわからないものはわからない。

「……イオリちゃん」

「道のりは長そうね」

 何故か二人にため息をつかれた。なんだかものすごく心外だ。

「じゃあ、ユータスくんのことはどう思ってるの?」

 ここでなぜか相方の名前を出され言葉につまる。上京した時にティル・ナ・ノーグで初めて出会った同世代の男子。初めて裏拳を使った相手。

「感謝してます。あいつがいなかったら今のわたしはないですから」

 今でこそこんなではあるものの、彼がいなかったら医術の勉強もできなかったし忘れかけていたモノ作りの情熱も思い出せずに終わっていた。これから先どうなるかはわからないけど、今は勉強のかたわらであいつの仕事を手伝っていきたい。

 思っていたことを正直に口にすると、今度は二人に柔らかい笑みを浮かべられた。加えてこうも提案される。

「ライラ・ディのことがよくわからないのなら、シラハナ流でいけばいいんじゃないかしら」

「シラハナ流?」

「だって、ほら」

 視線の先にはついさっき渡した実家からの手荷物。その中に、それはしっかり入っていた。

 確かにそれはあった。だけど、わたしがそれをやるの!?

 そうこうしているうちに時間は過ぎて。お風呂あがりのユータスと工房に足を運ぶ。素敵な人のことは最後までわからずじまい。『イオリちゃんもいつかわかるわよ』と曖昧な笑みの二人に送り出されてしまった。ソハヤさんにいたっては『そのほうがお前ららしくていい』と肩をたたかれた。なぜか相方も込みで。

 目の前を歩くもやし男。こいつなら『素敵な人』のこともわかるだろうか。そんなことを考えていると、ふいにユータスが目前に立ちふさがった。一見するとひ弱そうな外見とは裏腹に実は意外と背が高い。この風貌こそが彼を『もやし男』と呼ぶ理由にあたる。自然と見下ろされる形になり思わず身構えると。

「これ」

 上から包みを押しつけられる。開けてみると出てきたのは手袋だった。

「この前はありがとう。おいしかった」

 淡々とした口調。表情よりも台詞の内容と予想もしなかった行動に目を白黒させてしまった。これは、もしかしなくても朝からさんざん言われていたリ・ライラ・ディじゃないんだろうか。

『ちょっとは期待してもいいんじゃない?』

 友人の台詞が脳裏をよぎる。まさか本当にお返しをもらえるなんて。

「この前、わたしが渡したものわかった?」

 おそるおそる尋ねると彼は首を縦にふった。

「なんか甘かった。三日間食べてなかったから夢中で食べた」

「食べたものの中身は?」

 続けて尋ねると、彼は真面目な声で告げた。

「食べたら頭がすっきりした。いつもの三倍仕事がはかどった」

「……もういい」

 つまりこいつはチョコレートを手渡された認識さえなかったのか。彼らしいというか拍子抜けというか。そんなんでよく今日リ・ライラ・ディのこと覚えてたわねと問いかけると。

「食べ物もらったのは覚えてた。イオリに何かもらったって家で話したら『もらったならちゃんとお返しをしろ』ってすごい剣幕で怒られた」

 あの家族なら本当に怒られたんだろうな。特におばさまやニナちゃん(ユータスの妹)はものすごい剣幕で詰め寄ってきそうだ。

「イオリがいなかったら工房はできなかったと思う」

 もらった手袋と相手の顔を交互に見比べて。

「世話になってるから。……これからもよろしく」

 結局のところ、わたしもユータもいきつくところは同じだったのだ。そう考えると自然と笑みがこぼれた。

「はい」

 ついさっき藤の湯でもらったばかりの花を一輪手渡す。

「ん」

 そしてそれを、これまたひとつ返事でしまおうとして。

「なあ、イオリ」

 今度はユータスが手渡した花とわたしの顔を見比べる。

「これってどういう意味だ?」

 当然のことだけど。相方の頭の中にシラハナの知識はなかった。

「知らない。そがんこと気にせんでよか(訳:知らない。そんなこと気にしないでいいの)!」

「……どうしてオレが怒られないといけないんだ」

「自分の胸にきいてみて」

「それさっきも言ってた」

「男が細かいこと気にせんでよか!」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 お父さん、お母さん、ばあちゃん。わたしは元気です。

 遠く離れたティル・ナ・ノーグの地で、優しい人達に囲まれて日々修行にはげんでいます。

 ちなみに花言葉は教えませんでした。面倒くさがりの友人のことです。きっと調べることもないでしょう。あと、今度から聞き慣れない言葉はちゃんと確かめてから行動しようと思います。

 ところであっていたんでしょうか。

 白撫子の花言葉の意味は、感謝。


『これからもよろしくお願いします』

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