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雨降る夜の後悔

掲載日:2026/06/29

 あれは忘れもしない。16の時のとある夜だった。高校生の僕は、放課後に塾に寄り、雨露で濡れた路面を1人歩いていた。ああ、僕は本当に志望校に受かるのか?受かったとして人間関係はどうなるんだろう。そんなことを漠然と考えながら歩いていたと思う。それもそのはず、僕の目指している大学は今住んでいる神奈川でも、周辺の都県でもない。中国地方は岡山だ。なぜ岡山?と思うだろうが…ともかく、そこでやりたいことがあったんだ。


 最寄駅につき、改札を出て傘を広げる。雨はまた降り出している。暗い街の中に、雨粒が街灯の光を反射しキラキラと光っていた。そんな時だった。後ろからふいに懐かしい声が聞こえた。「秀?久しぶりだね。1人?」声の主は中山瑠奈。同い年の幼馴染だ。幼稚園、習い事、小学校が同じで、昔はもう1人の幼馴染、佐古優斗と3人でよく遊んだものだ。…あの頃は良かったな。小学校が終わり、一旦各自の家に帰り、公園でまた集合し目一杯遊ぶ。遊び疲れたらみんなでコンビニに行ってジュースを買い、他愛もない話をしながら飲み干す。ただそれだけなのに、毎日が充実していて幸せだった。


 僕は瑠奈に、「久しぶりだね。1人だよ。途中まで一緒に帰ろうか。」と返事をする。瑠奈は笑顔で頷き、自分で傘を広げることなく僕の隣に収まる。「優斗が見たら怒るぞ。」僕は案じた。それもそのはずだ。瑠奈は優斗と付き合っている。その仲睦まじさは、中学校から別々になった僕の耳にも届くほどだった。「大丈夫よ。優斗だって秀ならいいっていうはずだもん。あと傘さすのめんどくさいし笑」と瑠奈は笑顔で言って見せた。このひまわりのような笑顔は幼稚園の頃からなんら変わっていない。絶対最後のが理由だろ、と思いつつも僕たちは歩き出す。僕たちは一つの傘の下でいろいろなことを話した。勉強のこと。今の学校のこと。かつてみんなで行った旅行のこと。初めて子供だけで行った夏祭りのこと。僕はふと気付いた。「あれ、そういえばなんであの夏祭り、優斗いなかったんだっけ。」「優斗、風邪引いてたんじゃなかったっけ?」と笑顔で答える瑠奈の顔が少し曇ったことに、僕が気付くことはなかった。


 時の流れは早く、10分ほどでお互いの家への分岐路に辿り着いた。なんとも短い10分間だった。「またね、瑠奈。」軽く別れの挨拶を済ませ、自分の家へ進もうとする僕を瑠奈は呼び止めた。「ねえ待って…家の前まで来て。傘出すのめんどくさいし…まだ、聞きたいことある。」瑠奈は前からこうだった。何か頼み事をする時、必ず上目遣いで相手を見つめる。まったく、意図してやっているのか無意識なのか。どちらにせよ、その視線の前に踵を返して家路を進むことなど、僕には決してできなかった。「しょうがねえな。ほんとに。」また傘を差し出し、自分の家とは違う方法に歩みを進める。「…で。聞きたいことって?なにか優斗のことで悩みでもあるの?」瑠奈は黙っている。喉まで出かかった質問を口に出すか迷っているようだ。「いいよ、14年の仲だろ?どんな内容でも受け止めてやるから。」僕が諭すと、瑠奈は視線をこちらに向け、ようやく口を開いた。


 「…あんたさ、小5の時にあたしが鴨山公園でした相談、覚えてる?」小5の時、鴨山公園。忘れるはずもない。あの時瑠奈は僕だけを木陰のベンチに呼び出し、こう言った。「あたしね、優斗のこと、好きかもなんだ。…秀ちゃんは応援、してくれる?」この相談をされた幼い僕が受けた衝撃は相当なものだった。当たり前だ。僕は瑠奈が好きだった。初恋だ。初恋の相手に、別の男子、それも僕らの親友が好きだと恋愛相談を受ける。これ以上ないほどに寂しく、切ない。しかし幼い僕はその感情を押し殺し視点を変えた。親友と初恋の人が2人同時に幸せになる。なんて喜ばしいことなんだ。「…いいんじゃない?優斗、優しいし。応援するよ。」込み上げる負の感情を必死に制圧し、それだけ口にする。瑠奈は、なぜか少し寂しげな顔で、でも笑顔を作って「そう。決心ついた。ありがとう。」と答えてみせた。幼い僕は、瑠奈の寂しそうな様子に気づくことはない。仕方ない。自分の気持ちを制御するので精一杯だった。目の前の景色なんて、目に映っているはずがないのだった。


 「…覚えてるさ。優斗が好きかも、ってやつだろ?」瑠奈が目を丸くする。「うそ、ほんとに覚えてたんだ。でもちょっと嬉しい。」瑠奈は少し笑って続けた。「でもさ、あの相談をあんたにした意図は…気づいてないよね。」…は?俺に相談した意図?ただ幼馴染に恋愛相談をしただけじゃないのか?3人でよく遊んでいたんだから、当事者2人以外の俺に相談する。ごく自然なことじゃないか。それなのに…なんの意図があったというんだ。「あんた、応援するよって言ってくれた。でもねその言葉、嬉しくなかった。」待て待て待て、なんだこれ。嬉しくなかった?あの状況の最適解ではなかったのか?「…なんて言えば良かったんだよ。あれは僕の本心だったよ。」嘘だ。本心は違った。嫌だ、寂しい。僕は瑠奈のことが好きなのに。優斗は最高の友達だけど、瑠奈を取られたくない。これが本心だ。しかし幼い僕、それも衝撃的な言葉を初恋の人から浴びせられた僕にそんな本心が明かせるわけがなかった。「…そっか。ならまあ…いいや。」瑠奈がポツリとこぼす。「あの時、別に優斗のことなんか気になってなかったんだけどな。あんたのその不器用な優しさ、結構好きだったよ。」…ダメだ、何も頭に入らない。処理できない。というか処理を拒んでいる。理解してしまったら過去の自分が許せなくなる。今更気づいたってもうどう足掻いても遅いのに。ダメだ、ダメだ。なんとか声を絞り出し問う。「…それ…どういう意味だよ。」瑠奈は呆れたようにため息をつく。「そのくらい自分で考えたら?鈍感さん。」鈍感。今一番痛感している言葉を投げかけられる。視界が滲み、揺らぐ。瑠奈は続ける。「告白ってほんと難しいよね。鈍感なやつが相手なら尚更。もっと直接的に言えば良かったわ。」さっき処理を拒んだ情報を、初恋の人の手で無理矢理に理解させられる。「…そうかよ。…ごめん。」僕が消え入るように謝った相手は瑠奈なのか、過去の自分なのか。しかしその言葉は瑠奈には届いていないようだ。「今は、今は優斗が一番好きだし大切だけどね。じゃあ家着いたから。傘ありがと。またね。」小さく手を振る瑠奈に、僕は頷き、小さく「…またね。」ということしかできなかった。


 僕の傘はもはや隣に入れる人を失い、雨の中を1人で歩く。なぜ気付けなかったのか。なぜもっと考えてやれなかったのか。今更であることは承知しながらも悶々と考え続けてしまう。…思い出した。あの夏祭り。瑠奈に優斗は誘わないで、2人で行きたいなって言われたんだ。屋台でお揃いの陶器の指輪を買って、夫婦みたいって笑い合った。今となっては残酷でしかない情景が鮮明に思い出される。なんだよ、ヒントたくさんあったじゃねえか。…全部俺が悪かったんだな。さっきの分かれ道。今度は自分の家への道を進む。家に帰った僕は、陶器の指輪を宝物の箱から思い出の箱へと移した。顔と制服が濡れているのはきっとあの雨のせいだろう。

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