氏郷外伝 戦国の習い 第四章
第四章:小田原の陣と「鯰尾」のブランド戦略
1.天下の「擦り寄り」と毒の気配
小田原参陣の直前。氏郷は秀吉に対し、一通の書状を送った。
『貧乏ゆえ、兵を出す米すら事欠く有様ですが、この命だけは持参いたします。関白様の御為に、最後の一兵まで使い潰していただきたい』
「……くすっ。殿、この書状、大坂で大変な評判ですよ。関白様は『氏郷ほど殊勝な者はいない』と、涙を流して喜んだとか」
白塗りのお駒が、戦場へ向かう馬の傍らで、白い顔を揺らして笑った。その手には、大坂の茶人や奉行たちの間で飛び交う最新の噂話が、緻密に分析された書状がある。
「当然だ。人は『欠乏』に同情し、『献身』に酔う。俺がボロを着て、米がないと泣き言を言えば言うほど、秀吉様は俺を信じ、同時に俺の『実力』を恐れなくなる」
氏郷は、伊勢の鍛冶団が密かに精錬した、鈍い光を放つ最新の当世具足を身に纏いながら答えた。
「阿知寝、あの書状の『広告効果』はどうだ?」
**亜那 阿知寝**が、戦場の喧騒の中でも乱れぬ手つきで算盤を弾いた。
「絶大にございます。関白様からは、不足しているはずの米と黄金が、実質的な『返礼』として大量に届いております。我らは命を売ると言っただけで、実利を得た。……美談という名の、最も巧妙な資金調達ですな」
2.「鯰尾」の意匠、あるいはロゴ
小田原の陣、一番合戦。
氏郷が戦場に現れた瞬間、敵味方の数万の視線が、その一点に釘付けとなった。
氏郷が被っていたのは、銀色に輝く巨大な「鯰尾」の兜であった。
「殿……あの兜、重くはございませぬか?」
**毛呂 与太の佑**が、槍を杖代わりにしながら尋ねた。
「重い。だが、これは兜ではない。蒲生氏郷という『ブランド』のロゴマークよ」
氏郷は、銀色の尾を高く掲げ、最前線に立った。
「阿知寝、五郎兵衛に作らせたあの特殊鋼、性能はどうだ」
「はっ。銀の塗料の下には、日野の鉄と石炭が生んだ、国友の鉄砲すら跳ね返す軽量にして強靭な合金が隠されております。……あのような目立つものを被っていても、殿が死なぬのは、すべて『計算』の結果です」
氏郷は、敵陣を指差した。
「俺がこの兜を被って一番に駆け込めば、天下は『蒲生こそ真の勇将』と認識する。その後、俺が何を言おうと、何を作ろうと、その『勇名』という価値が乗るのだ。……目立つための投資は、戦場では何よりも高くつく。だが、それゆえにリターンも大きい」
3.小田原の「毒」と期待の裏返し
戦いは蒲生の独壇場であった。
鯰尾の兜が戦場を駆け抜けるたび、敵の首が飛び、味方の士気が跳ね上がった。
だが、その様子を後方の本陣から眺める秀吉の瞳には、愛動しさの裏側に、拭いきれぬ「毒」が混じり始めていた。
「氏郷、お主……あまりに強すぎるな」
戦後、茶室に招かれた氏郷に、秀吉は低く、這うような声で告げた。
「その鯰尾の兜、あまりに眩しすぎて、わしの目が眩みそうよ。……お主のような『切れ者』を、このまま近くに置いておいては、わしの立場がなくなるのう」
「関白様、滅相もございません。私はただ、貧乏ゆえに一度の戦で功を立て、少しでも恩賞を……」
氏郷は殊勝に平伏したが、その視線の先では、阿知寝が静かに算盤の珠をパチリと弾いた。
「……くすっ。殿、関白様の『嫉妬』という名の査定が終わったようです」
お駒が闇の中で囁く。
「伊達を抑え、徳川を睨む『奥州の重石』……。殿に届くのは、栄転という名の、過酷な左遷でございますな」
氏郷は、銀色の鯰尾を静かに脱いだ。
「望むところだ。大坂の、この狭苦しい黄金の茶室には飽き飽きしていた。……次は、会津という巨大な『空白地帯』を、俺の算盤で埋め尽くしてやる」
小田原の陣の勝利。それは、氏郷が「勇将」という名のブランドを確立し、同時に「天下の脅威」として会津へ放逐される、壮大な商談の成立であった。




