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ロージエラ・ハンフリードの前半生  作者: 昼ヶS


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3/3

【帰郷するまで】

 多量の本と、少量の衣類と、少数の調度品を満載した荷馬車が石畳をゆっくりと進んで行く。その道は王都『ラルフロー』から南方に伸びる道であり、目的地である『アルロザス』にも繋がっていた。


 隊列を組むように、荷馬車の前方には貴人用の小さな馬車も進んでいる。その馬車に乗る二名の乗客は、今日、夫から離婚を言い渡された少女と、その侍女であった。


「思っていたよりも遅いわね……。これなら自分で歩いたほうが早いわ」


 舞踏会場で頂戴したバゲットを、無くなるのを惜しむようにちびちびと食べながら、ロージエラは言った。馬車の後方に座ったため、進行方向が見通せる。そのせいか馬車の進みが非常に遅く感じられるのだ。


 つまらなそうに呟く主人を、侍女は諫めた。


「絶対におやめください。この寒さの中だと体調を崩されかねません」


 クレアの言葉に同調するように、春には似つかわしくない寒風が馬車の窓を揺らしてきた。


「……それもそうね」


 寒いのが嫌いなロージエラは、大人しく引き下がった。その代わり、何か面白そうなものはないかと前方に目をやった。


「それに、最近何かと物騒ですし……」


 クレアが付け足すようにそういうと、丁度、『物騒』になった理由の一端が進行方向に見えた。

市民集会を開く民衆と、それを解散させようとする衛兵たちが押し問答を繰り広げている。何を言い合っているかは聞こえないが、その熱の高まり様は、どちらかが暴力に訴え出そうなほどだった。


 クレアによれば、実際にそうなった例も最近多いらしい。


 今見ているこれも、その一例に含まれることになるだろう。そう、ロージエラは思った。


「迂回した方がよさそうよ」


 前方の騒ぎは道を塞いでいるわけではない。だが、激しく感情的になっている民衆に貴族が乗った馬車が近づけば、それだけで面倒事が起きる可能性もある。


 主人の視線に気づき、クレアも振り返って前方を見た。そして状況を把握すると、御者に指示した。

民衆と衛兵が小競り合いをしている光景が、馬車が右折したことによって街角に上書きされていった。

主要道から一本外れた裏通りは、一区画を挟んだだけであるのに全く雰囲気が違っていた。日の光はあまり入ってこず、暗い。それに、ロージエラたちにとって厄介なことに道の状態が悪く、凸凹の路面の上を車輪が通るたび、馬車がひどく揺れた。


「随分と様子が変わりしましたね……。王都にもこのような場所があるとは」


 やや体を縮こませ、周囲に気忙しく目を配りながらクレアは言った。


 道路状況が悪いということは、それだけ行政の目が行き届きにくくなっているということである。行政の目が行き届いていないということは、それだけ悪事を働く者が潜み、活動しやすくなっているということでもあった。


「そんなに怯えなくても大丈夫よ、こいつがある」


 ロージエラはかたわらに置いてある短銃を手に取った。銃身を切り詰めているため、マスケット銃よりも命中率はかなり低いが、護身用としては心強い味方である。


「でも、お嬢様は今まで一度も的に命中させたことが……」


 痛いところを突かれてロージエラは目をそらした。寂れた街並みが良く目に入る。あまり人が住んでいないのか、割れた窓ガラスの代わりに板を粗雑に打ち付けただけの家が目立った。


「……次がその一度目になるかもしれないでしょ――停めて!」


 ロージエラの叫びは、クレアを経由する必要なく御者に伝わった。


「お嬢様!?」


 驚きとも、制止ともとれる呼びかけを置き去りにして、ロージエラは路地へと向かった。そこに、倒れた少年がいるのだ。たとえそれが罠であっても、後で説教が待ち受けているとしても無視できるものではない。


 ロージエラは少年に歩み寄ると声をかけた。うつぶせで倒れているため顔は分からないが、頭髪の色はわかる。獅子のたてがみを思わせる金褐色であった。生気の薄そうな白に近い金よりも、好ましい色である。


「生きてるかしら?」


 幸いにも命と意識はあったようで、少年は血の気の無い顔を上げて応えた。ロージエラよりも年若く、あどけなさを色濃く残していたが、その顔立ちは、将来交際相手に苦労することが無いのを太鼓判を押して保証できるほど整ったものだった。何より、覇気を感じさせる力強い蒼い瞳は、薄い水色の瞳と違ってロージエラすら惹きつける魅力があった。


「怪我をしているのかしら? それとも病気?」


 少年は答えた。といっても口は動かしていない。腹の虫が我先にと返事をしたのだ。


「お腹が空いているのね」


 ロージエラは、主人の身を案じてそばに寄ってきていたクレアにバゲットを持ってくるよう命じた。自分の食べかけだが、飢えた者がそれを気にすることは無いだろう。


 ロージエラは少年の体を抱きかかえた。少年の体は痛々しいほど軽く、寒気に晒され続けたせいで氷のように冷たかった。彼と同じ境遇の子供が、今何人この国にいるのか。そう思うと、ロージエラの表情に裏通りよりも濃い影がさした。


 動物が子に温もりを分け与えるように上着で自分と少年を包んでいると、クレアがすぐにやってきた。

少年はバゲットを受け取り、かじろうとしたが、体力の消耗によって力が出ないのか文字通り歯が立っていなかった。


 ロージエラはその様子を見て、僅かに逡巡した後、バゲットをひったくり、かじった。今更人生最後の王宮料理が惜しくなったわけではない。


 与えられた食料を奪われたことに抗議すらしない少年の無気力な顔を眺めながら咀嚼を続け、一瞬躊躇した後、液状に近くなったバゲットを少年の口に押し込んだ。


 鳥が雛に餌を与えるがごとき動作は、手元の餌が完全になくなるまで続けられた。その間に女性の制止する声が人気の無い路地に響き続けたのは言うまでもない。


 いくばくか血色の良くなった少年は、驚きと戸惑いが混ざった表情で、微かに礼を言った。


「あ……、ありが……とう」


「どういたしまして」


 頬を上気させ、顔を背け、少女はぶっきらぼうに礼を受け取った。


 これ以上長居は無用。というよりもしたくない。そう思ってロージエラは上着を少年に被せて去ろうとした。しかし、立ち上がる時、膝に手をついたことによって、まだ与えられる物があったことに気づいた。


 ロージエラは左手の薬指から指輪を抜き取り、少年に手渡した。もう彼女にとって無価値なものであるが、市場での価値は高い。売りに出せば当座の生活費と人生を再建する資金にはなるだろう。


「名前を……」


「ロージエラ」


 それだけを言い残して、薔薇のような赤毛をなびかせて馬車へと戻って行った。


 乗客を乗せた馬車は再び進み始めた。車内の雰囲気は、けん引する馬が悲鳴を上げるのではないかと思えるほど重苦しい。


 そんな鉛のような空気を穿つように口を開いた者がいた。その者も、なぜか顔が赤かった。


「……お嬢様。お嬢様は私よりも聡明でいらっしゃいますから、理解されていることを承知の上で申し上げますけど、ああいった行為……、行き倒れた者に通りがかったというだけで手厚い施しを与えるのはおやめください」


『ああいった行為』を直接的に表現することを避けて、クレアは忠告した。しかし、意識が肉体から遠く離れてしまっている当の本人に、それは届いていない。


「……ええ、自分でもどうにかしていたわ」


 そう返事をしたロージエラだったが、うわの空で、先刻に自分がした『ああいった行為』のシーンを反芻し続けている。これは、忠告が説教に変わっても終えることができなかった。


「今回の件は緊急を要するものだったのでやむをえません。困っている人を見かけたら助けずにいられないというのは、人として御立派です。ですが、もし、領内でも同じようなことを行おうと思っているのであればおやめください。お嬢様はアルロザス地方の統治者であらせられます。つまり、個人としての行動よりも、公人としての施策によって、公的な社会保障制度を作り上げ、それを健全に運用していくことが――」


 上唇に軽く手を添えながら、その説教に適当な相槌を打つ。だが、内心では全く別のことを思っていた。


「ええ、その通りね」


 名前ぐらい聞いておくべきだったかしら……。


「――統治者としての責務であり、これをおろそかにすれば、いくらお嬢様がお一人で精力的に支援活動をされようとも、その結果は自己満足にしか過ぎなくなります。そうならないためにも、民の窮状に対して、あえて一線を引き、冷静に物事を俯瞰することが統治者には求められます。それに――」


「ええ、肝に銘じておくわ」


 昔見たおとぎ話に、彼と似た登場人物がいたような……。


 馬車が再び道を曲がり、主要道へと戻っていく。寂れた裏通りが、街角に上書きされていった。


「あら?」


 ロージエラの揺蕩っていた意識が、肉体の中に引き戻された。長々とされる説教の中に感銘を受けた一節があったわけでもなく、市民と衛兵の諍いが繰り広げられているのが見えたわけでも無い。前方に広がる桜色に惹かれたのだ。


 馬車が進み、主要道の真ん中を進むようになると、その桜色に両側を挟まれた。真っ直ぐに通された道に空を覆うような物はかかっておらず、上空一面に広がる青色と、大通り一杯に花開く桜色が組み合わさるのを邪魔するものはなかった。


 この二色の組み合わせは、人類の本能に強く訴える何かがあるのではないか、そう思いながら見とれていると、嘆息が聞こえてきた。クレアが話を聞かれていないことにようやく気付いたのだ。


「……お嬢様はお花がお好きですものね」


 だから話を聞いてなくても仕方がない。と自分に言い聞かせるような言い方であった。


「ええ、いつ見ても綺麗だし、それに心が和むわ。特に桜はいいわね。……そういえば、温室の花たちは大丈夫かしら?」


「バシオール様が、きっと大切に育ててくれていますよ」


 桜並木が立ち並ぶ大通り。日の光が良く差し込み、その光線を縫うように桜の花びらがひらひらと落ちていく。裏通りのことなど、まるで別世界の話であった。


 だが、それもつかの間のことであった。風で馬車の中に押し込まれた寒さが、上着の無いロージエラを現実に引き戻した。


 ブルっと体を震わせたロージエラは、ある違和感に気付いた。


 今は、五月。ここより冷涼なアルロザスであっても、既に七割ぐらい花びらが散っている時期である。


「……去年もこんな感じだったのかしら?」


 ロージエラの眉間にしわが寄った。


「えーっと、確か……」


 小気味よく日記のページがめくられてから、続く。


「ありました。去年の今頃は既に散り始めていたようです……」


 言い終えてから、クレアの表情も曇った。主人の考えが分かったからである。


 植物というのは気候の影響をもろに受ける。それは、桜もそうであるし、農作物もそうであった。勿論、小麦もその例外ではいられない。


 ロージエラは、また体を震わせた。これは、季節外れの寒気のせいばかりではない。


 生まれて初めて、桜が咲いていることに恐怖を感じたのだ。


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