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ロージエラ・ハンフリードの前半生  作者: 昼ヶS


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2/3

【引っ越しするまで】

 ロージエラは自室に最後の入室をした。


 彼女の部屋は王妃が住まうにしては質素である。大きな天蓋付きベッドを除けば、そのどれもが一般大衆にも使われているような家具や調度品ばかりであり、その点数も最低限しかなかった。別にこの部屋の主は庶民派であることをアピールしようとしているわけではない。必要以上の物は不要でしかない。ただ、そんな感性を持っているだけであった。


 その数少ない家具の一つであるティーテーブルに一人の女性がいた。仕事がしやすいようにまとめた素朴な栗色の髪に、同色の瞳。クラシカルなメイド服に身を包んだその女性は、見た目通りロージエラの世話をする侍女であった。


 名前はクレアという。ロージエラより二歳年長であり、幼き日より一緒に時を過ごしてきた。噂では祖父が同一の人物であるらしいが、それを意識したことはロージエラには無い。それは、クレアも同様であろう。


「お、おかえりなさいませ、お嬢様──いえ、王妃殿下」


 思っていたよりも早い主人の帰りを、戸惑いと憩いの時間の痕跡を隠せないままクレアは出迎えた。ティーテーブルの上には、細かな字でページを埋められている日記帳、ティーポッド、飲みかけの紅茶が入ったティーカップが置かれている。


 人によっては、侍女ごときが主人に休息をとっている姿を見せたことを咎めるかもしれないが、ロージエラはそんな狭量な人間ではない。その上、二人の関係性は主従というよりも姉妹のそれに近い。あくまで主従のけじめをつけようとするクレアはともかく、ロージエラの方は全く気にならなかった。


「今、戻ったわ」


 舞踏会の時よりもやや荒っぽい口調でロージエラは応えた。これが普段の、王宮に嫁いでくる以前の喋り方である。


「どうされたのですか……? まだ終わるような時間ではないでしょうに……。それに、そのバゲットは……?」


 不安そうに投げかけられる質問の返答をする前に、バゲットで乾いた喉を潤したいとロージエラは思った。そのため、ティーテーブルの前まで歩き、一杯、所望した。しかし、一人だけのささやかな茶会にはカップが一つしか無い。


「すぐに新しいのをお持ちします」


 そういうクレアを押しとどめ、ロージエラはまだカップに残っていた紅茶を飲み干した。音を立ててカップを置き、要求する。


「もう一杯」


 田舎娘ですら恥ずかしがってしないような行儀の悪さであった。ましてや、彼女は田舎娘ではあるが貴族である。淑女とは到底言えない行いは、作法の教育係も兼任していたクレアの眉を顰ませた。


「……決して、人前でしてはいけませんからね」


 短く溜息をつき、半ばあきらめるように言いながらお代わりを注ぐその姿は、可愛い妹に強く言うことができない姉のようであった。


 二杯目を飲み干し、満足したロージエラは、クレアの対面に座った。それを契機に、先延ばしにされていた事情の説明を求められた。


「それで……舞踏会で何があったのですか? その……、やけに晴れがまし顔をされておいでですけど……」


 歯切れの悪い問いと対照的に、答えはすっぱりとしていた。


「離婚した」


 晴れやかな表情からそれを推察するのは、長くを共にしてきたクレアであっても不可能であった。ロージエラの思ってもみなかった暴露は、血のつながりを暗示させるクレアの切れ長の眼をやや丸に近づけた。


「ええ!? 何で離婚してしまわれたのですか!? 亡き先代がどれほど苦労してお嬢様を嫁がせたとお思いです!?」


「いや、正しくは『された』」


 細かい言葉のニュアンスを訂正しながら、自分でポットを手に取り紅茶を注ぐ。目の前の驚愕している侍女に頼むよりも、こちらの方が、手間が無くていい。


「結果でみれば同じです! ただでさえ新参ということで肩身の狭いハンフリード家が、王家の庇護無しでどう王宮で立ちまわっていけばよろしいのですか!?」


 ラフス貴族社会は、何十世代にもわたる婚姻や友好によって、鎖よりも強固なしがらみによる雁字搦めの関係性が築かれている。そんな中に、新参者がのこのこと入っていって温かく受け入れられるわけもない。


 そのため、ロージエラの父クローヴィル・ハンフリードは、家を守るためたくさんの媚びや自尊心を売り、少なくない出費を重ね、娘の政略結婚を実現させたのだ。


「まあ、そう悪いことばかりでも無いと思うわ」


「……どういうことでしょうか?」


 ロージエラは、自分の予測を語った。


「近々、大きな暴動が起きる」


「それは、税が重すぎるからでしょうか?」


 長年行われてきた戦争。それの戦費を賄うために繰り返される増税が、国民の負担の限界値を越えつつある。だが、それで暴動が起きるのなら、もっと前に発生してもおかしくない。


「それも一つの要因ではある。けれど、決め手はこれ」


 ロージエラはそういって、手に持ったバゲットを指した。


「バゲットが……?」


「そう。食べてみて」


「……いただきます」


 差し出されたバゲットを、クレアは小さくちぎって口に運んだ。


 そして、すぐに顔をしかめた。


「美味しくないですね、これ」


「そう、不味いのよ。王宮の、しかも貴賓たちが集まる場で出されたバゲットが」


 近頃王都で発行され始めた新聞なるものを、クレアは欠かさず読んでいる。いつぞやの記事に、思い当たる節があったのを思い出した。


「たしか、去年は寒さのせいで凶作に……」


「たぶん、足りない小麦を補うために、このバゲットには大麦とかが混ぜられてるんでしょうね」


 王宮でこれなら、平民の食べている物がどのようなものなのか。生粋の貴族であるロージエラですら察せられた。


「たしかに、王妃殿下──いえ、お嬢様の言われるように、大規模な暴動が起きる可能性は高いと見て間違いないでしょう。ですが、それがどうして、離婚したのが悪いことばかりでもないというのに繋がるのでしょうか?」


 ロージエラは、あっけらかんとして答えた。


「面倒事に関わらずに済む」


 クレアはバゲットを食べた時よりも、顔を顰めた。


 そして、軽く咳払いをしてから、口やかましい家庭教師の様な口調で語り始めた。


「煩わしさからすぐに逃げたがるのは、お嬢様の悪癖でございます。確かに、『君子危うきに近寄らず』という言葉が世の中にはあり、それは決して間違ってはいません。ですが、お嬢様はハンフリード家の当主として民衆に対して責任ある立場であらせられ──」


 ロージエラも慣れたものである。すぐさま、聞き流す態勢に入った。


 適度に相槌を打ち、適当に頷く。話すことに集中しているクレアがそれに気づくことはない。


 クレアの説教がようやく終わり、問いに変わった。


「それで、これからどうされるおつもりなのですか?」


「帰るわ、故郷に」


「いえ、それはわかるのですが、その大規模暴動が起きたとして、その後、ハンフリード家はどういう振る舞いをなさるおつもりなのかと」


 ロージエラは顎に手を当て、十秒考えこんだ。しかし、それでも何も思いつかず、胸の前で腕を組み、唸りながら自室の中をぐるぐると歩きまわってようやく返答をひねり出せた。


「知らないわ。それはその時にでも考えましょう」


 一見すれば、無責任な発言であった。だがロージエラからしてみれば、一時間前に離婚されることすら予見できなかったのに、数ヶ月後の未来の行動を、今すぐ定めてしまう方が無責任なのではないかと思うのだった。


 クレアがまた説教を始める前に、ロージエラは言葉を続けた。


「それよりも、早くここを引き払いましょう。今日中に追い出されるわけじゃないでしょうけど、あいつと顔を合わせる可能性は低い方が良いわ」


 クレアの心に発生したもやもやとしたものは、解消されていない。だが、やらなければならないことがあればそっちを優先してしまう性である。


「承知致しました。それでは、向こうに持って帰るものを上げていってください」


 クレアは日記帳から惜しげもなくページ破り取ると、それをメモとしてティーテーブルの上に置いた。そして、そのメモにロージエラがあげていったものを一つ一つきれいな字で素早く記入していった。持ち替える物については主に本、衣類、茶器、などがあげられた。一部の本以外はどれも、ロージエラの嫁入りの時に持って来た愛着のある品であった。それらを書き留めて、クレアは不満そうに言った。


「ドレスとかはお持ち帰りにならないのですか?」


「どうせ着ないわ。それに着るようなことがあっても、今着ているこれで充分でしょう」


 ロージエラは舞踏会場からそのまま着てきたドレスの肩の辺りをつまんだ。彼女の身長は去年から伸びていない。体型が極端に変わらない限り、ずっとこのドレスを着ていくことができるだろう。服装の流行などに興味の無い彼女にとって、社交場での晴れ着は一着で充分であった。


「どれもお似合いですのに……」


「あら、ありがとう。でも、こういうのは好きじゃないわ」


 残念がるクレアに別室から着替えを持ってくるよういい、ロージエラは一人でドレスを脱ぎ始めた。数人がかりで脱ぎ着する想定のドレスを、一人で脱ごうとしているため、当然手間取った。


 通常の五倍近い時間をかけて脱いだドレスの下から、生半可ではない努力によって鍛えられた体が露になった。コルセットの不要な引き締まった体幹。並の男性よりも強力な膂力があることをしめす筋張った腕。重量物を担いで何十キロも歩ける太い脚。そのどれもが故郷で行った鍛錬と訓練によって培われたものだった。身体だけでなく技術も磨いており、素手であっても並の男であれば簡単に黙らせられる。


 淑女の嗜みによって身につけたというわけではない。故郷にいる老人を打ち負かそうと躍起になっていたらこうなったのである。


 脱いだドレスを放り投げて椅子の背もたれにかけると、タイミングよくクレアが着替えを持って来た。

ドレスの扱いに対する注意を生返事で受け流しながら、ロージエラは普段着に着替えた。


 ズボンに、シャツに、ベストに、ジャケット、男装であった。しかも、平民階級が着るような粗末な代物である。だが、着用者の淡麗な顔立ちが、体の中を流れている血の高貴さを物語っており、初めて見かけた者でさえも彼女がただ者でないことを充分に悟れた。


「うん。やっぱりこっちの方が動きやすいわね」


 枷が外された囚人のように体の動きを確認している主人に、クレアは報告した。


「着替えを持ってくるついでに、荷馬車と人手を手配しておきました。あと二時間もあれば来ると思われます。それまでの間にある程度の荷造りを済ませておきます」


「任せる」


 ロージエラの侍女は一人しかいない。それは、必要以上のものを不要に思う彼女の感性に基づく。そして、今までそれで不自由したことは無かった。


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