SNSの奥にあるもの
昼下がり。
洗濯物を取り込んで、畳みながらソファに腰を下ろした。
リビングにはテレビの音もなく、時計の秒針だけが規則正しく響く。
少しだけ息抜きしようと、スマホを手に取る。
画面を開いた瞬間、色とりどりの“幸せ”が目に飛び込んできた。
友人の投稿には、笑顔の家族写真。
「日曜は家族でピクニック♡ 旦那がサンドイッチ作ってくれた!」
もうひとりは、手作りスイーツの写真に「夫も子どもも大喜び♡」のコメント。
どれも明るくて、やさしい光に包まれた世界。
見ているうちに、胸の奥が少しずつざわつき始める。
私は、今日の昼ごはんさえ思い出せない。
たしか、子どもの残したパンを少し食べたくらいだ。
「いいね」を押そうとする指が止まる。
押した瞬間、自分の惨めさを認めるような気がして。
代わりに、スマホを伏せた。
窓の外では、近所の子どもの笑い声が聞こえる。
その明るさが、今は少しだけ痛い。
“幸せ”って、なんだろう。
人に見せるためのものなのか、それとも――
静かな午後、答えのない問いが胸の奥で回り続ける。
そういえば、結婚した頃の写真がスマホに残っている。
久しぶりに開いてみると、そこには笑っている私がいた。
夫の肩にもたれて、目を細めて笑っている。
当時の私は、何を思っていたんだろう。
未来に不安なんてひとつもなく、
「この人となら大丈夫」と信じていた。
あの頃の笑顔と、今の私の顔。
どこで変わってしまったんだろう。
鏡の中の自分は、笑っていない。
ただ、淡々と毎日をこなす“誰か”がそこにいる。
誰かの妻であり、母であり、家を回す装置のような存在。
ふと、スマホが震えた。
ママ友のグループラインが動いている。
《旦那がまた洗濯ミスった!笑》《あるある〜!》
絵文字と笑顔のやり取りが、画面いっぱいに流れていく。
その中に、「わかる〜」と返す私の名前もあった。
けれど、指が止まる。
“笑ってごまかす”ことに、疲れていた。
スマホを伏せ、カーテンを閉める。
部屋が少し暗くなると、なぜか安心した。
光の中では、自分の影がくっきり見えるから。
その影の形が、日に日に薄くなっていくのが怖かった。
ソファにもたれ、目を閉じる。
頭の中に、夫の声が浮かぶ。
「俺だって頑張ってる」「家のことは任せてるから」
そう言われるたび、私は“信じたい”と“諦めたい”の間で揺れてきた。
でも、信じることに疲れてしまったのかもしれない。
静かな部屋で、時計の針が一つ進む。
SNSの中の明るい家族たちは、きっと今も笑っている。
その笑い声を想像すると、不思議と涙が出た。
――誰かの幸せを見るたびに、
私は自分の居場所のなさを思い知らされる。
窓の外は夕暮れ。
カーテンの隙間から、オレンジ色の光が差し込む。
それを見つめながら、美沙は小さくつぶやいた。
「いいね、なんて、もう押せないよ」




