目覚ましより早く
目覚ましが鳴る十五分前に、目が覚めた。
部屋の中はまだ暗く、カーテンの隙間から薄い光がこぼれている。時計の針は五時三十分。
隣を見ると、夫の悠介は穏やかな寝息を立てていた。
いつもどおり。今日も、私だけが早く起きる。
台所に立つと、昨夜の食器がいくつかシンクに残っていた。
「あとで洗うよ」と言っていたのは悠介の言葉だ。けれど、“あとで”はいつも来ない。
水を出す音が、静かな部屋に響く。子どもが起きないように、できるだけ静かに。
湯気が立ちのぼるその向こうで、ふと自分の手が止まる。
この繰り返しを、あと何年続けるんだろう。
洗濯機を回しながら弁当を作る。
冷蔵庫の中には、半分残った卵と昨日の野菜炒め。
子どもの好きなウインナーを焼くと、じゅうっと音が鳴った。
その音に、少しだけ救われる。
誰にも褒められなくても、誰かの“おいしい”になるために、今日も動いている。
「ママぁ……」
寝室から、小さな声がした。
まだ眠そうな目で息子が現れる。
「おはよう」
そう言って抱きしめると、子どもは私の首に腕を回した。
その体温に、少しだけ涙が出そうになる。
私を必要としてくれるのは、この子だけだ。
「美沙ー、俺のシャツどこ?」
夫の声が飛んできた。
いつも通り、何の前触れもなく。
「クローゼットの右側!」と答える。
返事はない。代わりに扉の音と、ため息のような「シワになってるじゃん」が聞こえた。
――そう言うなら、自分でアイロンすればいいのに。
心の中で呟く。でも、声には出さない。
言えば、きっと「俺、忙しいんだよ」と返ってくる。
その先の言葉は、もう何度も聞いた。
だからもう、聞かなくても分かる。
食卓に朝ごはんを並べる。
悠介はスマホを見ながらコーヒーを飲み、子どもはパンをちぎって遊んでいる。
私はその間を行ったり来たりしながら、洗濯機の音に耳を澄ます。
「おいしい?」と聞いても、返事は曖昧だ。
この家での会話は、いつからこんなに薄くなったんだろう。
時計の針が七時を回る。
夫が慌ただしく立ち上がり、「行ってきます」と言った。
その背中に「行ってらっしゃい」と返すけれど、ドアが閉まる音の方が早かった。
リビングに静けさが戻る。
食卓に残るコーヒーのしずく、散らばったパンくず。
何もかも、私が片づける。
それが“当たり前”になっていることが、一番の疲れだと気づく。
窓を開けて、朝の空気を吸い込む。
風は少し冷たい。
ふと、自分の胸の奥で小さな声がした。
――私の朝は、いったい、いつ終わるんだろう。




