華麗なる食の開拓者
「やっぱカレーはとろみのついた『お袋カレー』だよな」
「いやいや。レストランで出てくる欧風カレーが最高だぞ」
そんな会話を交わしながら道を歩く二人のサラリーマンの後ろから、威厳をたたえた女性の声が大音量で響いた。
「あなたたちにカレーを語る資格はないわ!」
サラリーマンたちがびっくりして振り向くと、そこにラスボスが立っていた。
豪華すぎるドレスで身の丈を三倍に高め、キラキラした装飾のてっぺんに厚化粧を施したその女性は、年齢不詳であった。目の下に黒い涙のようなメイクを描いている。
「あ……、あなたは……!?」
知らない女性だったが、サラリーマンはその威厳に気圧され、明らかな不審者のことを思わず『あなた』と呼び、目を見瞠いてその場に跪いていた。
女性は、マイクを構え、名乗った。
「我が名は宇流木欧邏──華麗なる食の開拓者」
「な……、なん……ですと?」
やっぱり知らない名前だったが、サラリーマンは正体不明なまでの威厳にさらに気圧され、土下座したまま三歩退いた。
「愚かなる貴様らに、この私がとくと教えてやろう」
宇流木欧邏は二人をぎろりと見下すと、高らかに言った。
「『カレー』などという料理は、ないのだ! Wikipediaを見よ! 確りと記してある! そこに明確な定義などない、と! ゆえにカレーというものは『在るもの』ではなく、『常に創るもの』! それを愚かな貴様らは『既に在るもの』とし、いつも同じものとして固定しようとする! なんと愚かな! 神よ、この者らをお赦しください! ……あ、いや、神は私であったか!」
二人は初めて反抗を試みた。
「いや……、華麗なる食の開拓者だって、さっき自分で言ってたじゃん? 今さら神って……w」
「愚か者ども!」
宇流木欧邏は叱りつけた。孔雀の羽根のようなドレスを見せつけながら──
「なぜわからぬ! 神と華麗なる食の開拓者は両立し得るということが! なぜ貴様らはそれほどまでに物わかりが悪いのじゃ!」
「す……、すみません」
二人は再び深くお辞儀をした。
「それでは……真のカレーというものを、私たちにお教えくださるのですか?」
「いかにもです、この固定観念に縛られた罪深き者どもよ」
そう言うと初めて微笑を浮かべた。弥勒菩薩のごとき、慈悲深き笑みを──
「良いですか? そもそもインドに『カレー』という料理は在りません。それは18世紀にイギリス人が捏造した概念であり、また世界中では『Curry』と呼ばれるようになったそれを、日本人が勝手に『カレー』と名付けたものに過ぎません」
「じゃあ、やっぱりカレーはあるんじゃないですか!」
二人は再び反抗を試みた。
「インドに行ったことありますけど、メニューに『Curry』って書いてありましたよ!?」
「愚か者!」
派手な高下駄で蹴りつけられた。
「ヒンディー語で『kari』というのは元々『おかず』とか『汁』といった意味であり、香辛料を使った料理の総称です! 厳密にいえばウスターソースなどもカレーということになります。辛くなくても、ちっともカレー味じゃなくても、スパイシーな食べ物のことを『kari』と言うのですよ!」
「じゃ……、じゃあ、やっぱりカレーという料理はあるのでは……?」
宇流木欧邏は二人のほっぺたを引っ叩いた。そして言い聞かせる。
「和食でいえば『出汁』みたいなものなのですっ! あなた方は『出汁』という料理があるとお思いですかっ!? うどんも、おでんも、揚げだし豆腐もすべて『出汁という料理だ』と言っているようなものなのですよっ!」
「わかりました」
二人はめんどくさくなった。
「それでは本物のカレーというのを食べさせてみてください」
「なん……だと……?」
宇流木欧邏が卍解した。
「これだけ言ってもまだわからんのか! 真のカレーとは『在るもの』ではなく『創るもの』だと! ……よし、真のカレーを見せてやる!」
宇流木欧邏は豪華なドレスの中から食材と調理器具を次々取り出すと、通行人がじろじろ見て通り過ぎる往来でカレーを創りはじめた。
「何を入れてもいいの! 好きなものを入れていいのよ! ふふっ、楽しくなってきたわ!」
宇流木欧邏が鍋にさまざまなものをぶち込んでいく!
「とんこつスープでまず基本の味を整えましょう。そこに飴色に炒めた白菜を入れ、アボカドでとろみを加えます。具材には魚介類──ネギトロとカニ味噌にしましょう──これらを溶け込ませて、そしてやっぱり肝心なのはウスターソース! フルーティーかつスパイシーなハーモニー! さぁ、ケチャップを大量に投入するわよっ!」
そして完成したものは、二人が知っているカレーとはまったく別の何かだった。
二人はホワイト・ライスにかけられたそれを一口食べると、声を合わせて言った。
「「くそまっず!」」
「なん……だと……?」
宇流木欧邏が殺気を放つ。
「やっぱりカレーといったら、小麦粉でとろみをつけた、家庭のカレーだよ!」
「いやいやフォンドボーを使ったクリーミィな欧風カレーこそカレーだ!」
「貴様ら……」
宇流木欧邏はわなわなと震え、えーんと泣き出すと、走り去っていった。
「えーん! せっかくネットで知識をつけてひけらかしたのに!」
その豪華な後ろ姿を見送りながら、二人は『なんか……悪いことしたな』と思っていた。
「たまには創作カレーでも食いに行ってみようか?」
「そうだな。毛色の変わったカレーもたまにはいいかもしれない。ちゃんとした店のだったら……」
二人は少しだけ、華麗なる食の開拓者への道を歩み出した。