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その他短編

魔女の品

 ここは帝国の輝ける威光が届くか届かないかの田舎だ。教会の権威の及ぶ中で、最も南。大きな街へ続く道から、さらに奥へ入りこんだ荒れた土地だ。産物といえば、ライ麦大麦は当然として、他にはカブと獣皮くらいか。りんごは豚に食わせるくらいしか作られず、特産はキノコくらいだ。しかし木材だけは有名で、大きな黒々とした森からは、木こりの働く音がかーんかーんと聞こえてくる。森。この土地は人の住んでいるのより、森の方がよっぽど主人の顔をしている。冬は分厚く雪をまとい、夏は冷たい霧を吐き出したり吸い込んだりしている、陰気な主人だ。遠くから見ると青黒い塊がうねるばかりで、そこに白くぼやけてひろがった煙のように霧が見えているのが、何やら恐ろしい。


 その森の入り口を守るように、ダーレンシュタインという小さな町がある。私が育った街。どこにでもあるような市場、しかし背後に盛られた薄暗い黒い森。幼い頃から見ている私にとっても、それは怖いものだ。地図を開いても森の名はない。ただ、人びとからは、「魔女の森」と呼ばれる。古くからこの土地には「魔女」が棲むと……そう、人びとは囁いてきた。

「彼女らの薬なら病に利く」

「悪魔と契約した穢れた女だ」

 噂はどちらともつかないまま、しかしその姿をはっきり見た者はほとんどいない。領主の役人さえ滅多に立ち入らぬほど奥深い森だからである。だが人間が恐怖しようとしまいと、森はまるで人の世をあざ笑うかのように生い茂っている。枝葉が陽を遮り、まるで暗いトンネルのような小道が幾筋も走る。たまに気まぐれに曇り空や霧の隙間から日が差すときは、ちらちらと緑と金の斑が一瞬だけ輝いては消えてしまう。幼い頃に薪取りを言いつけられてよく入ったものだが、教会の尖塔が木々にちょっとでも隠れて見えなくなると、急いで明るい方に走ったものである。

 私、フォーゲルは、ここで育った。先祖代々、この町で雑貨商を営んでいる。町の門近くに店を構え、野菜から布、調味料、金属器に至るまで、客が望むものなら何でも仕入れる。麦や木材は商会の専売だが、それ以外の細々な物品については、この町と中央の都市の中継をしている自負がある。私の店があることで、この小さな町に、中央の文明的な品々が行き渡っている誇りがある。

 だが今、主流な交易品になりつつあるのが、なんとも後ろ暗い「魔女の品」だ。それらは、かの森に隠れ住む「魔女」のものとされ、堕胎に使われたとされる道具や、見たこともない形をした医療器具、傷を癒す民間薬など、町でも中央でも見かけない品ばかりだ。本当のところ、それらが本当に「魔術」に使われるのかは定かではない。いや、十中八九、ただの生活用品だ。我々とは違う思想のもとに作られただけの。

 ともあれ、町の禿げた領主も、小さな教会の酒呑み坊主も、近頃は、「魔女狩りだ」「悪しき術を封じ込めよ」と騒ぎ立てている。この寂れた町で「魔女の品」を買い取って、中央の都市で魔女狩りの証拠として見せ物にするらしい。実際、これらの品々は見せ物にはちょうどいい珍奇さで、いい商売にさせてもらっている。それをとってきてくれるのが、狩人ヨハンという男だ。彼は定期的に、「魔女の証拠だ」と言ってやってくる。本物かどうかも分からない、森で見つけた品々を背負い、私の店へ売りにくる。

 ある日の夕暮れ、ヨハンは汗臭い毛皮の上着を脱ぎ捨てると、ずっしりと重い革袋を吟味台の上へ放り出した。

「今回も、いくつか手に入れた」

 袋の口を開けると、中から出てきたのは、聖書くらいの大きさの、年代物の木箱。蓋を開けてみると、薄錆びた釣り針のような器具や、指の骨を思わせる白い杭、細い刃物、薬草を入れるための小瓶が並んでいた。何やらツンとした匂いも感じ取れる。私は思わず眉をひそめる。

「ヨハン、これは……」

 彼はそのものには興味なさそうに、私の反応だけ見ているような愛想笑いをした。

「また教会や領主が『魔女の品』と騒いでくれるよな、おまえくらいだよ、こんなものを金にしてくれるのは」

 内心、もううんざりだった。買ったところで正規の取引先はない。商会に出入りする役人にでも見つかれば「証拠として提出しろ」と言われる。下手に溜め込んで隠し持つと魔女に協力しているなんて言われ、むしろ私の店の評判が悪くなる。領主も坊主も、いつも買ってくれるとは限らない。

 しかし私はヨハンのことをよく知っていた。彼が言うには、森の獣は最近はずいぶん奥へ逃げ込んでしまったという。獣皮を取るにも一苦労だそうだ。それも彼は魔女のせいにしていた。奴らが勝手に森の中に住み着いたせいだと。それはおそらく本当なのだろう。ともかく、これを買わなければ食い扶持が途絶えてしまう。彼には家族がいるし、貧しい村の猟師に選択肢はない。私もまた、突っぱねる非情さはない。結局、銀貨をいくらか彼に握らせるしかなかった。

 町の人びとは「森には恐ろしい魔女が巣くっている」と口々に言う。だがその「魔女」とは実のところ、かつて行商をしていた女たちの成れの果てではないか。物品を見ている私の目から見ればそうだ。行商といえば街道を渡り歩き、他所から珍しい品や薬を持ち込む役目を担う。町に居着いて、品々を右から左へ渡すだけの私とは違う。私の小さい頃は、妙ちきりんな毛織物の外套を被った行商人たちが、いくらでも町を出入りしていたものだ。

 だが、よそ者に厳しいこの地方の排他的な気風は、魔女狩りの流行とともにより厳しくなっていった。彼ら異文化の行商人はいつしか、「邪悪な術を扱う連中」と忌み嫌われるようになった。特に、女性が中心となる行商一座は、不慣れな言葉や異国の習慣を披露するたび、誤解や蔑視を受けがちだった。

 やがて彼女たちの多くは町から追い立てられ、森へ逃げ込んだのだろう。傷や病に苦しむ者を助けようと薬草の知識を使っても、それは魔術だと恐れられた。子を産めない貧しい娘に堕胎用の器具を渡せば、さらに「不吉な魔術」と弾圧された。こうして彼女たち「魔女」は森の奥に隠れ潜み、ひっそり暮らすしか道がなくなったのだ。そのことは、最近とんと行商人の出入りがなくなり、私が手配する正規のキャラバンばかりが街道を行くようになったことからも明らかだ。彼らだって、大っぴらに言いはしまいが、傭兵を追い払うのと同じやり口で、行商人の婆さんを追い払っているのだろう。まあ、実態は知る術もないことだが。

 詳細を確かめる術がないにせよ、目利きの私には朧げに見えてしまうものはある。私がこれまでヨハンから買い取ってきた品々は、医療や民間療法に関わるものがほとんどだ。血止めに使うらしい薬草の束、鉄の針に巻き付けた布、出産時の陣痛を和らげる香草……そして堕胎に用いられるという鋭利な棒。教会では出産は「神の恩寵」とされ、堕胎など言語道断。だが、ままならぬ事情で子を産めない女もいる。もし見つかれば罰せられるのは彼女たち自身。そんなとき、行商人たちについて回る産婆や医者が、裏で手を貸していたのだという。幼少期の記憶をたぐってみても、そんなふうなことが、あったような、なかったような。確かなことは言えないが。

 ヨハンが魔女の品を売りに来るのは、決まって夜遅くだ。わざわざ街に宿をとって、明け方に村に帰るようだ。せっかくの売り上げも目減りするだろうに、いつもそうするのは、後ろめたさがあるからか、あるいは自身も魔女の眷属だと看做されたくないからか。彼との取引が終わった後、私は吟味台の上の珍妙な品を見ながら、物思いに耽るものだ。ランプのほのかな灯火が、魔女の品の影をかすかに揺らす。誰にも邪魔されない夜の店で、一つ一つを手に取り確かめてみると、驚嘆すべき匠の手によるものだと信じられる。

 いくつか美点を挙げるとすれば、最初に言うべきは骨の加工の精密さだ。鹿の肩甲骨だろうか、何かの骨で作られた掻爬器。骨は限界まで薄く削られ、月明かりのように半透明で、縁には七つの刻み目が等間隔で入っている。掌に載せると驚くほど軽く、端を指でなぞると、まるで水面に触れるような滑らかさがある。片方の縁は三日月型に削られ、向こう側が透けて見えるほどに薄い。よく見ると、骨の表面には微細な傷跡が無数にあり、何度も何度も磨き上げられた痕跡を示している。こんな繊細な加工ができる者が他にいるだろうか。商人として、その技術の価値は計り知れないと感じた。

 黒曜石の薄片は、灯りに透かすと深い紫紺色の中に星屑のような斑点が浮かび上がる。端は波を打つように削られ、触れると冷たく、まるで森の泉の水面のようだ。こんなにも薄く、それでいて割れることなく加工された石刃を、私は見たことがない。刃の根本には星くずが蠢くような模様が刻まれ、持つ場所を示しているようだ。

 白樺の若枝で編まれた籠は、一見すると普通の行商人のものに見える。だが、編み目をよく見ると、まるで蛇が絡み合うような不規則な模様を形作っている。底には星形に苔が敷き詰められ、その上に置かれた深紅の実は、触れるとカラカラと不吉な音を立てる。実の表面には細かな気孔があり、何かの香りを放っていたのかもしれない。

 これらの品々は、森で手に入る素材だけで作られているとは思えないほどの精巧さだ。金属を一切使わずに、これほどまでの正確さと美しさを実現する技術は、並々ならぬものだ。若い頃取引に行った街でさえ見たことがない。それぞれの品に残された使用の跡は、これらが単なる装飾品ではなく、実際に生活で使われていたことを物語っている。

 つい夢中になっていたことに気づき。私は目頭を押さえてもみほぐす。薄暗い店内で、これらの道具は奇妙な存在感を放っている。まるで森の精霊たちが形を変えて、この場所に集まっているかのようだ。だが個人的な感動は別にして、私は商人として、これらの価値を冷徹に値踏みしなければならない。いくら珍しくても、領主や坊主のウケが悪ければ、大した値段では買ってもらえない。だが、その一方で、これらの道具の神秘、敬意を払うべき歴史、人々と共にあった記憶が刻まれているのではないかという思いが、胸の奥で重くなっていく。そんな日が続いたある日、ふと遠い日の記憶が思い出された

 まだ私が父の店で見習いを始めて間もない頃、ある行商の女が町にやって来た。アガテと名乗った彼女は、街にしばらく滞在していた。薬草と染料を織り交ぜた不思議な香袋を携えていて、私が風邪をこじらせたときにも、その袋を使って薬を調合してくれた。あのときは熱にうなされ、息も苦しいほどだったのに、一晩で随分と楽になったのを覚えている。彼女は不器用そうに笑いながら、布の切れ端に薬草の名前と使い方を書いて、私に渡してくれたのだ。

 その薬袋は色とりどりの糸で縫われていた。それを無くしてしまった今でも、家見たこともない鳥の鮮やかな刺繍を覚えている。私には生まれて初めて見る美しさだった。香草や薬草が混じった香りも、どこか異国めいた刺激的な匂いで、好奇心が抑えられなかった。私は父の手伝いの合間を縫っては、何度も彼女に質問した。それでも彼女は嫌な顔ひとつせず、ゆっくりとした口調で「乾燥した花びらは発熱に効く」「この根は痛みを和らげる」と教えてくれたものだ。

 それからほどなくして、彼女を含む行商一座は町を追い出されたと聞いた。詳細はよく分からない。初めて父と大きな街に取引に行って、帰ってきた時にはもういなかったのだ。正直、彼らのことよりも珍しい品を見た興奮のほうを強く覚えている。私と父が町から出発する直前、アガテは珍しい布を卸してくれた。どこか眩しくなるような彼女の笑顔が印象的だった。父はそれを中央の仕立て屋に売り、ずいぶん儲けが出た。

 そんな記憶があるからこそ、いま「魔女」と呼ばれている彼女たちが使う薬具を見ると、思わずにはいられない。「本当に邪悪なのか?」という疑問。ずっと心のどこかに抱き続けているのだ。彼女たちの知識は人を癒やすもので、間違っても人を害する術ではないはずだと、私は信じたい。

 けれども、現実の町では彼女のような行商人を排斥する空気が、日に日に強まるばかり。もう何年もそういった人々を見ていない気がする。ヨハンが運んでくる「魔女の品」を目にするたびに、あの香草の香りを思い出し、胸が苦しくなる。それでもヨハンからの品を断ることはできない。領主の気まぐれな期待を裏切る勇気も、教会の聖職者らに睨まれるのを回避する力も、私にはないからだ。

 いつもヨハンの持ち込むものを見て、考えるのだ。確かにモノは語らない。だが私の目には読み取れてしまうのだ。職業柄しかたないとはいえ、良心の呵責にずいぶん寄与する観察眼が恨めしい。生きるためや、あるいは助けるために使われていたかもしれない道具が、いまは「罪を証明する魔女の品」として扱われる。私も商人として何とも言えぬ後ろめたさを感じるのだ。

 夏のむわりとする湿気が冷えはじめ、ねばりつくような霧になって森に立ち込める季節になった。最近ヨハンは、領主からの命令で森を巡回し、「魔女」と見なされる女たちを探し回っている。捕まえた女が反抗すれば殺しても構わないという、苛烈な指示だ。

 だが、その実態は「魔女」を根絶するというより、なんだか中央の裁判か何かにかけるのが目的だという。小さな教会の生臭坊主も、日曜の礼拝以外は説法にも熱心でなさそうなのに、森で魔女を見たと聞けば、目の色を変えることが多くなった。詳しいことはわからないが、領主の目論みと利害は、彼の思惑と複雑に絡んでいるらしい。

 ヨハンはその歯車のひとつだ。貧しい彼は、森の奥に暮らす女から道具を奪っては私に売りつけ、得た銀貨を家族の食糧に変える。もし身柄が手に入れば大手柄で、ハゲ頭の領主が喜び勇んで小さな城から出てくる。普段は酒場でくだをまくばかりの傭兵どもを集めて、馬を駆って森へ入っていくのだ。私にはどうしてそんなに夢中になれるのかさっぱりわからないが、町で商いを続けるには、領主や教会と関係を保つしかない。だからヨハンが不自由なく活動できるよう、彼から魔女の品々を高値で買い取る。私たちは互いに「仕方ない」を言い訳に、数多の戦利品を売買したというわけだ。

 時折、ヨハンは苦い表情で言う。

「俺だって、こんなことしたくはないんだ。だが、こうでもしなきゃ家族が飢える」

 いつも私は黙って銀貨を数えた。棚の上の「魔女の品」が、私たちを見下ろしていた。

 店の戸締りを済ませ、ランプの灯りに照らされた棚を眺めていると、また遠い記憶が蘇ってきた。まだ私が父の後を継いで間もない頃だったか、最後に行商の女たちが市場に活気をもたらしたのは。彼女たちが持ち込む珍しい薬は、町の病人たちを救い、遠方で編まれた布は、祭りの衣装を彩った。私もよく店先で彼女たちと言葉を交わし、珍しい品々の由来に耳を傾けたものだ。あの時に得た知見は、今でも目利きの際のきじゅんに役立っている。

 あの頃と今とで、何が変わったのだろう。目の前にある、持ち主から剥ぎ取られて私のもとまで来てしまった「魔女の品」は、かつて私が興味津々で仕入れていた中央の街の品々と、本当は何も変わらないのかもしれない。ただたまたま、それを扱う者が「魔女」と呼ばれるようになり、その知識が「邪悪な術」として歪められただけなのだ。私は商人として、この町で生きていかねばならない。だが、時として、夜の帳が下りた店の中で、こうして独り思いを巡らせるとき、胸の奥に重たい石が沈んでいくような感覚に襲われる。

 ある冷え込む朝、私は日曜礼拝で教会に向かった。最近は毎週の説教も魔女狩りの話ばかりになった。今朝もあの坊主は「悪魔の手先」だの「邪な術をもって人々を惑わす者ども」だのと、声を荒げていた。酒を飲まなくなった彼は、どうも町の人々の予想を超えて信仰に熱心になってしまったらしい。その情熱の矛先は時に町の人間への批判にすら向かいかねず、私も店の品のことを考えると落ち着かない。だが礼拝に出ないのももっとまずいことだから、冷や汗を出しつつ教会の中で怪気炎を挙げる坊主の話を聞くしかなかった。

 説教の言い分では、薬を売る女たちはみな、悪魔と契約を結んでいるのだという。病を治すふりをして人々の魂を奪い、堕胎の術で神の恩寵に背くのだと。確かに私の店にも堕胎用の器具がある。正直、危険そうな見た目の器具は、ヨハンから買い取った後、納戸の棚の奥の方にしまい込む癖がついた。領主はできるだけたくさんの魔女の品を求めたし、実際以前よりずっと高値で買い取ってくれるが、どこでどう噂が立つかわからない。あまり出過ぎた真似もできない。

 そんな私の気持ちも知らず、隣に座っていたパン屋の娘のマルタは、坊主の説教に熱心に頷いていた。殊勝にも手を組んで祈りを捧げている。ずっと前に、彼女の息子が森の薬で治ったと喜んでいたのを覚えている。アガテの薬だったか、どうだったか。不思議なものだ。アガテの笑顔と、彼女が私の熱を治してくれた優しい手つきは覚えているのに、もうアガテの顔は仔細には思い出すことはできない。記憶の中で、当時のアガテと同じくらいの歳と背格好のマルタの顔と混ざってしまった気もする。

 帰り道、首から下げた十字架が、いつもより重く感じられた。明日からも私は商人として品を売り続けるのだろう。だが、この重さは消えることはないに違いない。教会の説法は私の疑問に答えるどころか、新たな重荷をくれただけだった。

 曇り空を見上げると、森の方角に低く浮かんだ黒い雲が流れていく。教会の鐘が鳴り、その音が町全体に響き渡った。私は足早に店へと戻った。棚の上の「魔女の品」が、静かに私を責め立てている気がした。 

 秋の寂しい風が吹く季節になった。陰気な曇り空の日が増え、向こうの森も、どこか寒がっているように見える。かつては人々を怯えさせたその森も、教会の権威がいよいよ高まり、今では子供ですらその薄暗さを恐れなくなった。木こりのかーんかーんに混じって、子供の戦争ごっこの歓声がきこえるようになった。森は今では寂しげな姿をよく晒している。風が強く吹く。私の店先にも森の枯れ枝が吹き込んでくるようになり、朝には掃き出す必要があった。

 ちょうどそんな作業を終えた夕暮れ時、ヨハンがいつも以上にやつれた様子で訪れた。彼の毛皮の上着には、森の蔦や葉がいくつも絡みついている。いつもより早いじゃないか、という私の言葉に、どこか思い詰めたような表情で革袋を差し出しながら、妙に静かな声で言う。

「もう、森には手に入れるものは残っていないかもしれない。女たちはずっと奥へ逃げたか、あるいは……」

 袋の中には、小さな折り畳み式の骨のはりが入っていた。折れたものも混じっているが、細工が緻密で、出産の補助か傷の処置にも使えそうな道具だった。いや、このご時世に骨の道具なんか使えるわけもない。そんなところを誰かに見つかったら、それこそ魔女だと密告されかねない。領主が中央で見せびらかすだろうから、さっさと彼に売ってしまおう。そう考えた。

「聞いてるのか? フォーゲル」

 私はついぼうっとしていたようだ。慌てて聞き返す。

「だから、これを作った者も、もうこの近くにはいないだろう。逃げられたというわけだ」

 彼の声は虚ろだったが、それだけではない。私は、彼の表情にいつもと違う決意が宿っていることに気づく。私は彼をじっと見つめた。ヨハンは口を結んだまましばらく黙りこくっていたが、やがて意を決したように話し始めた。

「……この前、森の奥深くで、魔女と呼ばれている女に遭遇したときのことだ。俺は領主の命令通り、彼女を捕らえ、その道具をすべて没収するつもりだった。けれど、いざ見つけたときには――あの女は焚き火のそばに座り込んで、必死に幼い子供をあやしていたんだ」

 ヨハンは一瞬、目をそらした。獣皮の防寒着の上から自分の肩を抱きしめるようにさする。そして重たい息を吐くと、その光景を思い出すように続ける。

「子供は発熱でうなされていて、荒い呼吸をしていた。女は薬草をすり潰して、湯で煮出した液を小瓶に分けていた。その手つきは町の医者よりもはるかに慣れたもので、横たわる子供の額を冷たい布で拭きながら、手早く看病をしていた。俺が足音を立てると、女は慌てて子供をかばった。やつの瞳に浮かんだのは、まさしく母親の、必死の色だった……」

 ヨハンは苦渋に満ちた表情でうつむく。

「だが、俺は領主の命令と自分の家族のために、その女の薬具を奪い取るほかなかった。『悪しき魔術の道具を渡せ』って、怒鳴りつけてな。子供を突き飛ばしてまで袋を漁ったんだ。……あのとき聞こえた子供の小さな悲鳴と、女の怯えた声が、いまでも耳から離れない。ナイフを構えても女は黙らなかった。俺はなるべく奴を見ないようにしながら袋を漁り、外套を剥ぎ取った。何かをしなければ、自分の家族が飢えるかもしれないと思うと、行動が止められなかったんだよ」

 そう言うと、ヨハンは静かに首を振り、手のひらを見つめた。

「結局、あの女の小瓶や骨のはり、黒い刃物のような道具を全部袋に詰めて持ち帰った。あれは決して悪事に使われるものじゃなく、人を癒やすための物だったはずなのに……」

 私は静かにそれを聞いていた。いや、心の中は全く静かではなかった。むしろ叫び出したいくらいだった。私は吟味台越しにヨハンを見つめた。だが彼は、私の心の中なんか知らなかったに違いない。坊主にはとても告解なんかできないから、私に言ってるだけなんだ。ヨハンは続けた。

「だから俺はもう、森に行けない。あの母子の恐怖に歪んだ顔が、頭から離れないんだ。そんな顔は、二度と見たくない」

 ヨハンの声は震えていた。私もまた、彼の背負う痛みに言葉を失ってしまった。もし彼が道具を奪わなければ、領主に咎められ、家族は飢えるかもしれない。だが、そうして道具を失った森の女と子供は、一体どうなってしまうのか……。思い浮かんだ疑問は、あまりに重く、誰にも答えが出せないまま、暗い沈黙となって私たちの間に広がった。

 私は銀貨を数枚、手渡した。いつものように品物を買い取る。そのはずなのに、まるで重い石を抱え込むような気持ちになる。咄嗟に、さらに数枚銀貨を渡した。なぜそうしたかはわからない。ヨハンは軽くうなずくと、銀貨をゆっくり掴んで、革袋を置いて店を出ていった。それはいつも私に魔女の品を持ってくる時に使っていた革袋だった。あえて置いていったのだ。私は店の戸を開けて彼が出ていくのを、黙ってみていた。

 結局、彼が持ち込んだ最後の品も納戸の奥にしまい込んでしまった。私自身も、もうこれ以上「魔女の品」と呼ばれる道具を、領主に流すことをしたくなかった。

 それからしばらく経ち、冬になり、また新しい春が来た時、もう森に関する噂は途絶えてしまった。魔女の話も、坊主が熱を入れて話すだけで、森のどこそこで見たなんてのは聞かなくなった。ヨハンはこの町に引っ越して、畑仕事を始めたという。店を訪れることもなくなった。

 ある日の夕暮れ時、私は店の奥に眠る「魔女の品」の棚を整理した。堕胎用の鉤具、火傷の皮膚を削るための小刀、薬草の包み。それらは埃を被っていたが、確かにそこにあった。カビ臭い納戸の空気を入れ替えるために窓を開ける。外では、いつもと変わらぬ陽が沈みかけている。通りを行き交う人々の影が長く伸びた。私は商人として、明日もまた店を開けるだろう。だがもう領主はこの店に魔女の品がないか、人を寄越して尋ねることももうないようだ。今では傭兵と一緒に、どこかへ繰り出すことが増えたらしい。

 「魔女の品」たちは今も静かに、納戸の中でこの町の闇を保存している。私はこれを処分するつもりも、どこか好事家に売る気もない。ましてや、教会や領主に納めることもないだろう。息子が店を継ぐころ、私の知らない間に処分してくれることを望む。

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