4話
全7話中4話目です。
メッツェンの住む屋敷はバブコック伯爵家の別邸である。
本邸は馬車で一時間ほど走ったところにあるため、月に一度、伯爵が妻と食事をするために訪れる約束になっている。
屋敷の誰もが、そしてメッツェン本人が冷遇されているのを知っているが、伯爵本人がこの約束を反故にすることはなく、しかし、毎回違った女性を連れてくるため、几帳面なのか何も考えていないのかを屋敷の皆が読めないのだった。
馬車から降り立つ伯爵本人は、すらりとした長身に金髪、金の瞳、いわゆるイケメン枠であるが、下半身が非常に残念なため、結婚しているにも関わらず毎月違った女性と共にこの屋敷を訪れる。
伯爵家別邸の食堂は静かだった。
いや、屋敷の主人とお連れの女性の会話以外、誰も言葉を発しないだけなのだが、静かだった。
メッツェンはこの晩餐会に毎回同じ紺色のドレスを着用する。
テーブルから見える上半身の印象は変わるように飾り付け、背筋は伸ばすものの前髪を下ろしているため表情は見えづらくしている。
メッツェンの方を見ることはない伯爵と、伯爵と笑顔で会話し、時折優越感に満ちた不躾な視線を妻に向ける女は、義務的な晩餐を終えるとさっさと帰っていった。
「ふう・・・今回も終わりましたね」
「お疲れになりましたでしょう。湯浴みを用意致します」
「来月は約束を忘れてくださっていいのですが」
「そうするとメッツェン様のお立場も悪くなってしまうのでは・・・」
マチューの眉尻が下がったところで、メッツェンは声を掛け、今日はもう休むことを伝える。
気持ちを切り替え、屋敷のものたちはそれぞれの仕事を再開するのだった。
夜遅くにメッツェンの部屋と扉一つで続いている執務室に灯りが点る。
メッツェンは晩餐毎に報告書を提出するため、つらつらと見たこと聞いたことを書き綴っていく。
婚約と同時に婚姻届にも署名したあの日から、メッツェンはこの屋敷で暮らしている。
バブコック伯爵家のお飾り妻のメッツェンと、社交の場に伴う愛人の話は、人の噂が大好きな貴族達の格好の餌食なのだろう。
だが、社交どころか、この敷地からも出ないメッツェンにとっては全くの無害だった。
契約結婚をしたのだから、恋愛小説の決め台詞のように『真実の愛』だとか『愛することはない』とか言われるのかと、少しだけ期待したメッツェンがいる。
といっても、契約書にサインした後、押し込まれた馬車から既に一人だったメッツェンは、晩餐の日まで終ぞ夫の顔を見ることがなかったのだ。
「元々無かった愛情が、無関心になるくらいの頃に、初めての晩餐があったのよね」
誰もいない執務室で、彼女は一人苦笑する。
報告書を書き終え、他の書類にも目を通して置こうと考えた頃、廊下側のドアが小さくノックされる。
スティーブンの声に解錠し、ハーブティの差し入れを受けて、二人で少し話すこととした。
「旦那様は無事本邸に戻られましたか?」
「はい。護衛に付いていったものが確認しました」
「良かった」
「・・・メッツェン様は今のままの生活で宜しいのですか?」
「・・・契約通りですよ。私がここに居る限り、実家の領地への支援が続けられる。伯爵夫人としての予算は使い放題。二年の白い結婚の後、契約の解消で私は自由です」
ハーブティのカップを両手で持ち上げ、瞳を伏せる姿はマナー違反であるが、今は咎める者はいない。
心の弱さを見せないように振る舞う主の姿に、スティーブンは眉を顰める。
「ですが、若い女性が二年もの間、こんな屋敷に閉じ込められて良いものではありません」
「この二年間で、多くのことを学ぶことが出来たのは、このお屋敷にいるからよ?」
「そうですが・・・」
「来週で二年。次の晩餐には伯爵家前当主のお義父様も同席されての婚姻生活終了となります。ちょっとした復讐を考えているのですが、スティーブンは秘密にしておいてくださいますか?」
「秘密どころか、加担させてください。ド派手にやり返してやりましょう!」
「はわわっ、皆にばれてはいけません・・・」
「これは失礼致しました」
朗らかな空気が夜の闇に溶けていくのであった。
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