とある映画鑑賞のひと時 前編
今回も性的なニュアンスを含む表現をしている共に、リストカットなどの痛みを伴う事についてふれているので、そういった事が苦手な方はブラウザバックをお願い致します
「今日は映画を観ますっ」
仕事を片付け、夕食を食べ、二人で片づけをした後に、女性はリビングで寛ぐ男性に向かって言った。
「あぁ、またか……」
携帯で暇つぶしをしていた彼は、彼女の手に握られた数枚のDVDを見て悟る。
女性の趣味の一つは映画鑑賞。
そして、謎の拘りとしてボタン一つで購入できるネットの動画配信サービスを使わず、近くのレンタルDVDショップで借りて来るのを良しとする。
『実際に店に行って、当たり外れか分からない物を物色するのがいいんじゃない』
とは女性の弁。
別に動画配信サービスが嫌いとか、操作の仕方がわからないという事ではなく、昔ながらの方法で選ぶ、という事を楽しんでいるようだった。
そのわりには、動画配信サービスを活用する時も多々あり。
――ようは気まぐれ。
まるで猫のように、気分によって甘えたり、かと思えばふいに離れたりするように。
その時の気分で、思いついたままに行動。
今回は足を運んで選ぶという事に天秤が傾いたのだろう。
女性の言葉と手にある数枚のDVDを見て、「はいはい」と寝転がっていた状態から立ち上がってキッチンへ向かう。
「ビール? ジュース? ツマミはスナック? それともデザート系?」
ウキウキとした状態で、DVDデッキに差し込む女性に尋ねた。
「とりあえず、ジュースとスナックでっ」
「はいはい」
男性を見ずに、女性は返答し。
男性も、女性を見ずに言われた物を用意する。
団欒のひと時として、繰り広げられる一こまに。
『我が家は、今日も平和です』
男性は誰に言うでもなく、心の中で呟いた。
「え? 駄目だって、それ痛いって、絶対痛い。やべ、逃げて、外人さんちょー逃げて」
そんなやりとりの後で映画鑑賞が始まり数時間。
何本も映画を見終わり、時間は深夜を迎えて。
そろそろ寝ようか、そんな事を男性が言い出した頃。
『……これで最後だから、付き合ってよ』
少し頬を膨らまして借りてきたDVDの最後の一枚を男性に向かって突き出すと。
『……これで、もう店じまいだからな』
何とも言えない表情を浮かべつつも、女性からDVDを受け取ると。渋々とDVDデッキに差し込んだ。
『ありがとっ』
にっこり満面の笑みを浮かべる女性。
『……これで、絶対最後だからな』
それをみて、半眼になりつつも了承する男性は、何だかんだ言って女性に甘い。
『わかってるわかってる、愛してるわよ』
『俺も愛してるよ、でも、眠いんだよ』
男性の言葉がいつもより固く感じるのは、きっと眠気のせい。
そのためか、普段は「そんな風に言われても嬉しくない」と返って来るはずの言葉が変わり、「愛してる」なんて言葉を軽く使う。
それに、「あー、本当に眠いんだなー」と思いつつも、男性の優しさに甘えてこのまま付き合って貰おうと思う女性。
映画を見る事も楽しみの一つであるが。
その時間を、男性と一緒に過ごすのも好きなのだ。
眠そうにしている男性の横に座り、頭を彼の肩にのせて、画面から映し出される空想の世界に浸る。
ラストの映画は、閉鎖された空間で食人鬼から逃げるホラーもの。
オカルト要素よりも、スプラッタの要素が強いものだが。
果たして内容は予想通りなのか、そうじゃないのか。
そう思いつつ、映画鑑賞を行っていれば。
眠い眠いと言いつつ、ばっちりと映画の世界に浸っており、時々でテレビに向かって話しかけていた。
「おいおい、それどう考えても死亡フラグだろ、やめろって」
とか。
「こらこら、その状況で一人になるとか、ヤバイだろ。とりあえず誰かと一緒にいろって、絶対そっちの方が助かるから」
など。
まるでテレビの向こうの登場人物が、すぐ近くにいるかのように話しかけている。
これは実際に起きた出来事ではなく、どれも作りもの。
だからどんなに悲劇に見舞われようと、演じている人間が実際に悲惨な目にあっているわけではない。
それに画面に向かって話しかけても、当然返事は返ってこない。
当然男性もそれはわかっている。
では何故そんな事をするのか?
暮らし始めてすぐの頃、疑問に思い聞いてみれば。
『俺、いつもこんな感じで見てるけど、何か可笑しい? あっ煩いとかだったら言って。直すから』
男性にとっては当たり前の事で、理由など考えた事もないと首を傾げた後、不快にさせていたらごめんなさいっ。と頭を下げられる。
別に不快だったから理由を尋ねたわけではなく、女性は単純に疑問に思って聞いてみただけ。
なので気にしてないよと答えれば、男性はほっとしたように笑う。
……なんだ、この、生き物。
男性の笑顔に心を打ち抜かれた女性は思う。
男性と出会い、関わりを持って――
『――じゃあ、私と付き合ってみる?』
なんて、付き合いたいけど、今まで体の関係のみで、ちゃんとした恋人を作ったことがなく、どうすればいいのか……
それに頭を悩ませて、テンパっていた時に思わず吐いた台詞に。
『……冗談じゃなければ、お願いします』
相手がそんな風に、何故か敬語になって返事をしてきたので。
『はい……よろしく、お願いします』
こちらも思わず敬語で返してしまったのが、それはともかくとして。
そんな風にして、男性と付き合い始め数ヶ月が経ち。
まだまだ長いとは到底言えない期間ではあるものの、それでも一緒に過ごしてきて思ったのは。
……なんで、こんなに可愛いかなこいつはっ。
それは容姿が幼いとか、美少年だとか、そういった類の話しではなく。
そこそこ整った顔立ちで、普段は普通に振舞っているのに。
ちょっとした事で、子供のように笑う。
大人がするとは思えない子供のような行動やしぐさを、唐突に行う。
しかも、作っているわけはなく、あくまで素でっ。
これが、普段からの立ち振る舞いならば、「うわぁ」と思わなくもないが。
男性はあくまで、親しい間柄になった場合のみ行っている。
ちょっと、想像してみてほしい。
普段は歳相応に振舞っている二十代前半の男性を。
その人物は、自分にとって、とても好ましい人物で。
他人だったらひくような女性の経歴すらも「あっそうなんだ。色々あって大変だったな」なんて、態度を変えるわけでもなく、かといって変に優しく振舞って、後で陰口を叩くわけでもなく。
本当に言葉の通り“大変”だと思って。
『今までよく頑張ったな、すげーよ。尊敬する』
と、今まで自分が行った事を否定せずに『頑張って生きてきた』事を認めて、受け入れるように、優しく笑ってくれる。
そんな人間が、である。
カレーが好き、そう聞いて自分なりに精一杯作って出したものを。
今までだったら、何の感想もなしに口に入れるか、もしくは「こんなモノ食えるか」食べる事すらしてもらえなった自分の料理を。
『むっちゃ美味そうっ。いっただきまーすっ♪』
子供のように満面の笑みを浮かべて、何度も口に運ぶその姿を。
――それが、どれだけ私の心を揺さぶったことかっ。
料理なんて面倒くさい、そう思っていた自分が「これは、どうだろうか? あれだったら喜んでくれるだろうか?」今はそう思えるほどになっている。
彼の笑う姿や行動が愛おしくてたまらない。
絶対に離してやるものか、常々思っている。
それはさておき、結局何が言いたいかといえば。
――この可愛い生き物どうしてくれようか?
ということである。
襲うか、やっちゃうか、いただいちゃますかっ?
テレビに夢中になっている横顔を眺めて、自身が獣のように昂ぶっている事を自覚する。
だが、しかしである。
映画を見ようと思ったのは自分であり、付き合わせているのはあくまで女性。
時計をちらりと確認すれば、時刻は深夜の二時を迎えており、この映画が終わる頃には三時を過ぎているのは間違いない。
そんな時間まで付き合わせているのに。
『我慢できないから、その服今すぐ脱いで私に食べられろっ』
なんてこと、言っていいものなのかどうか?
これが、もう少し早い時間であれば、男性の返事を待たずに『いただきます♪』となるわけだが。
さすがに、今回はなしかなぁ。
そう思って、「タバコ吸っていい?」と自分を落ち着かせるために一服しようと声をかければ「どうぞ~」と此方を見ずに返事をする男性。
その言葉を聞いて、肩に頭を乗せていた状態から体を離して、テーブルに置いてあったタバコ、ライターを取り出して一服する事に。
火を付けて、タバコの紫煙を肺一杯に吸い込んだ後、ゆっくりと吐き出す。
ビールを飲んだと時はまた違った感覚を味わいながら、体に溜まった熱を逃がすように意識して。
幾分落ち着いた所で、映画に目を向けてみれば。
登場人物の一人が、食人鬼の手にかかり、チェンソーで足の根元をゆっくりと切断されそうになっている所であった。
うわぁ、えぐ。
率直な感想を思い浮かべ、その後に「リアリティがあるなー」と演技や切断されている足の生々しさについて評価していると。
「……」
女性の腕に何かがしがみつく感触が。
「んっ?」
タバコを持っている方だった為、何かあってはいけないとタバコを持ち替えつつ、何がしがみつ
いたのか確認すると。
「あれは痛い、あれは痛い、あれは痛い――」
ガクガクと体を震わせて、体を密着させる男性の姿が。
何てタイミングで抱きついてくるだろうか?
昂ぶった自分を抑えようとした矢先に、そんな犬を連想させるような表情で、全身を預けてくるなんて――。
私は試されているんだろうか?
やめようとしているのに、食べてくださいと言わんばかりの状況が続きすぎではないか?
そう思うのだが、うん。頑張れ私。
今日はしない、今日はしない、今日はしない・・・・・・
そう心の中で念じつつ、タバコを吸いながら男性の肩に手を回してポンポンと手を叩く。
怯えた彼が、少しでも落ち着くように。
震えは収まらず、表情は変わらないが、声に出す事はなくなった。
そして、タバコを吸い終わったので、男性のために体勢を変える。
まず、体を離す。……うん、そんな「どこに行くの?」みたいな表情をしないで欲しい。どれだけ私を萌え殺せば気が済むのだろうか?
「体制変えるから、あんたはそのまま座ってて」
そう言うと、少し考えた後、理解できたようで、こくこくと頷いた。
女性は男性の後ろへ回り、男性に覆いかぶさるようにして抱きつく。体を密着させて、男性の肩に頭を置く。
これでよし。
後は、映画が終わるまでこうしていたらいい。
怖いのは変わらないだろうが、それでも女性に触れていると安心できると言っていたので、大丈夫だろう。
別に、ホラーが駄目ってわけじゃないのにね~。
足を切断された男性が絶命したところを確認しながら思う。
男性、ホラーが得意、というほどのものでないが、かといって毛嫌いしているわけでもない。普通に見る。
怖い所は「コワッ」と口で言ったりするが、それが尾を引くこともない。
ただ何と言えばいいのか、男性は【痛みを想像できてしまう箇所】には滅法弱い。
今回で言えばチェンソーで足を切断されている箇所が挙げられる。
これだけを言うと「怪我しているシーン全般が駄目なのか?」と聞かれる事もあるが、そうではない。
最初は女性もその違いがよく理解できていなかったが、何度も映画を一緒に観ていくうちにわかってきた。
彼はどうやら【自分に置き換えて、想像できるような演出を施された箇所を怖がっているようだ】
自分がそうなってしまったら、という思いだけならば、まだ耐える事ができるようだったが、更に日常で使う道具、痛みを訴える俳優の演技、切断された箇所の生々しさ、これらが組み合わさってしまうと駄目なようで。
まるで、これからその体験を自分がすると言わんばかりに怯える。
正直、これに関して、最初は意味がわからなかった。
だって、映画なのである。
作り物の世界。
誰も傷ついてなどいないし、ましてや見たからといって、自分が怪我などするわけもない。
なのに、何故こんなに怯えているのだろうか?
不思議で仕方なかった。
けれど。
「……」
「よし、二人、逃げ切れ、そこさえ逃げ切る事ができれば――ってどしたの?」
彼の右手首に触れ、何度もなぞるように動かすと。
その仕草が気になったようで、男性は女性に尋ねる。
「別に、ただ何となくしてみたくなっただけよ――ほらもう映画もクライマックスみたい」
男が一人、女が一人。
それぞれが協力して、必死になって逃げている。
追ってくる食人鬼に襲われピンチになりながらも、知恵や運を使って危険を回避。
そのシーンを見逃さないように促すと、首を傾げながらも男性は映画の視線を戻した。
それを見届けた後、女性は心の中で呟いた。
火傷の痕、残ってる。
パッと見ではわからないが、よくよく観察すると、“そこ”だけ色が微妙に違う。
触れれば、感触だって妙につるつるしているのがわかる。
これは、同棲を始めて少し経った頃。
男性が自分でタバコの火を押し付けてできたものだった。