とある夕暮れのひと時
とある男女第二段です
その日。
時刻はお昼を過ぎて、夕刻より少し前の時間帯。
女性がベッドに寝そべって、SNSサイトで暇を潰していた時だった。
――人は、まず自分を好きにならないと他人を好きになれない。もしその状態で誰かを好きになっても、それは好意ではなく依存である。
目に映ったその文章に思わず目を見開いて、もう一度その文章を見直すが内容は変わらない。
誰か書いたかわからないけれど、多分心理学に詳しい人が書いたのだろうと思われる内容。
「好意じゃなくて依存……」
その文章が正しいのか、間違っているのか。
その事はあまり気にならなかった。ただ思うのは。
――私は、あいつの事が好き。でもじゃあ私は自分の事が好き?
自問自答して、その答えはすぐに出る。
「好きになんて、なれるわけがないじゃない」
現在同居している恋人の事は大好きだ。
一緒にいて、日々の生活に確かな彩りと幸福を感じることができる。
だから、以前に比べて自然と笑う事が増えたと思う。
けれど、自分の事を好きかと聞かれれば。
答えは否。
親に存在を否定されて。
髪を染めたり、刺青を入れたりと反発する行為を繰り返し。
自身が認められないからと、孤独を感じて塞ぎこんで。
今の恋人ができる前までは。
ネットで知り合った見知らぬ男性と体を重ねて心の隙間を埋めていた。
それらの行為で満たされるのは一時だけにすぎず。
気がつけばまた一人、孤独や不安に押しつぶされて。
死にたいという思いと、自分が生きている事を実感するために自分の手首に傷をつけたのは一度や二度ではない。
そんな自分を、今更好きになれ?
何の冗談だと思うのだが。
今回の一番の問題は。
自分の好意は別物だと書かれており。
そして今胸にあるこの気持ちが依存だと書かれていること。
「ちが、私あいつに依存なんて――」
否定されて、違うと心の中で思いかけた時。
――本当に?
心の中で、そう問いかける自分がいた。
――あいつと一緒にいる事が心地よくて一緒にいる。どんな本音を吐き出しても拒絶しないでいてくれる。そんな相手に依存していないなんてこと本当に言えるの?
「っ」
生まれた疑問に即答できず。
心のどこかで納得してしまい思わず息を呑む。
そんな時だった。
「おーい、仕事がひと段落したから休憩しようと思うんだけど何か食べる? とりあえずコーヒー持ってきたんだけど」
コンコンと部屋の扉をノックした後、ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、現在同棲している女性の恋人だった。
ベッドに寝そべっている状態の女性に近寄り、お盆に載せたアイスコーヒーを見せて、「何かいる?」と声をかける。
「……」
「ぼーとしているけど、寝てた?」
「……」
「おーい、じっとこっちを見て、返事しないでいるとちょっと怖いぞ?」
何度も声をかけるも返事をしない女性に男性は首を傾げる。
女性は起き上がって、ベッドに腰掛けた状態で男性を見つめた。
それでも女性は男性に声をかけずにいるので。
「ちょっとマジでどうした? 気分でも悪いのか?」
お盆をテーブルに載せ、男性は腰を落として目線を女性に合わせて向かいあう。
「ふ」
「ふ?」
始めて声を上げたが、それだけでは何が何だかわからない。
なので、言葉を聞き逃さないように耳を澄ませると。
「ふぇ」
表情を崩して、目尻に涙を浮かべた女性が男性に向かって抱きついた。
そして胸に顔を埋めて嗚咽を上げて泣き始める。
突然の行動だったため、面を食らうが「あー、【駄目駄目期】かなー」と女性の体を腕を回して
「よしよし」と背中を優しく叩く。
【駄目駄目期】というのは、女性がウツになった際の呼称であり。 同棲生活を送る上で幾度となく目にしてきたもの。
そう言った時は下手に言葉をかけず、女性が落ち着くまで隣にいるのが常になっていたので今回も同様に。
ぽんぽんと肩を叩きつつ、女性の位置をゆっくりと移動させる。
ベッドを背もたれにして座るように誘導し、自身の胸から顔を離すまでそのままの体勢。少し経つとゆっくりと顔を離したので体から腕を離して「タバコいるか?」と声をかける。
するとこくりと頷くのを確認して、テーブルに置かれたタバコ、ライター、灰皿を、女性が届くように床に置いた後で隣に腰掛けて座った。
後は特にすることもなく、時間が流れるまま過していく。
いつもの流れ。
無言というのは、落ち着かない時もあるが。
知っている関係で自然とそうなれば、案外悪くない。
男性がそう思っていた時に。
「あのさ……」
「うん?」
「これ」
ライターに火を着けて、何度かタバコを吸った後に、女性は男性の顔を見ないまま自分の携帯を渡す。
言葉が足りない現状だったが、とりあえず真っ暗な画面に電源ボタンを押して、先ほどまで女性が
見ていたモノを確認する。
「……」
「……」
男性が軽く内容を読んでいるとき、タバコの火を消して自分の足を抱え込んで丸まった状態で座り直した。
「へー、何か面白い事が書いてあるな。好意が依存ねぇ」
たった数行の文章だ。読み終わるのに時間はかからない。
内容を読み終わり「ほうほう」と頷いている男性。
女性はその言葉を耳にしながらぽつりと呟く。
「わたし、あんたに依存しているのかな?」
「はい?」
「だって、私自分の事好きじゃないし。その文章が本当だったら私の好きは依存ってことじゃない? そうだったら、どうしたらいいのかわからなくて……」
そうやって自分の膝に顔を埋める女性。
その言葉で「あー、それで」と先ほどまでの流れがわかり納得する男性。
けれど、である。
別に男性はそういった事を扱う職業についてもなければ、知識に聡いわけでもない。
どう返事をすれば、一番良いかなんてわからなかった。
けれど、だから黙っているなんて事もできるわけもなく。
自分の考えを伝える為に口を開いた。
「えーと、まず言っとくと」
「……」
「お前、俺と付き合ってるって事が嫌なの?」
「えっ?」
「本当は別れたいけど、理由があるから別れられなくて困ってたりしてるの?」
「はい?」
唐突の男性の言葉に、女性は顔を上げて男性を見る。
「何を言ってるのか、よくわからないんだけど」
「そうか? そういうことって大事だと思うんだけどな。何だかんだいって上手くやっていると思うけど、でもそれがずっと続くなんて保障はどこにもない。知らず知らずに不快にさせてたり、不安にさせてたりなんて事、絶対にさせてない、なんて言えるほど大層な人間じゃないと思ってるんだけど」
先ほどの話題とは異なる話に困惑するが、男性の言葉に女性は答えた。
「別に、そんなのないわよ」
「本当に?」
「ないったらないっ」
「本当?」
「もうっ、しつこいわね。ないわよ……言いたい事が全くないわけじゃないけど」
「おっ、あるんだ。言ってみ」
何度も聞かれて、思わず出てしまった言葉に男性は反応する。
「……仕事の時、真剣になっているのはわかるんだけど。私が声をかけても返事がおざなりになる所」
「ほうほう」
「あとは、靴下を脱ぎ散らかす所。前もそのままになっていたわよ」
「えっ、マジか。大分直したと思っていたんだけど」
「前よりは大分マシ。ただ気が抜けているとヤラカしてたりするから、注意してね」
「・・・・・・はい、気をつけます」
「そうして。あとは、もうちょっと【夜の営み】を増やしたい、かな?」
「……お、おう」
「今、思いつくのはそれくらい」
思いつくのを並べた後。
最後の言葉にどもって視線を泳がす姿にくすりと笑う。
そういう事を作ってやっていない所が可愛らしいと思っている。
「それで、私に色々聞いて何が言いたいの? 正直話の繋がりがさっぱり見えないんですけど」
「あ、ああ」
自身がテンパっている状態から立て直そうと、軽く咳払いをした後で男性は告げる。
「俺が言いたいのは、俺に対して何も感じることがない、ってわけじゃないのにそれでも一緒にいたい、そう思ってくれているのはどうしてって聞こうとしたんだよ」
「どうして、って」
それは、決まっている。
今までの出会ってきた人間と違い、自分を見てくれる。
どんなに弱い所や、駄目な部分を吐き出しても、話を聞いて自分の意見を言ってくれる。
時にそれで衝突する事はあっても、それで嫌がることはなく、お互いが納得できるように努めてくれる。
体だけを求める事無く、一緒に過す事を大事にしてくれる。
他にもたくさん。
言葉で表せないモノも数多くあって。
それらが自分を満たしてくれるからこそ、だ。
だからそんな相手と一緒にいて、相手が笑えば自分も笑える。
その時間がとても愛おしい、とそう思えるからこそ。
私は、あなたと一緒にいたい。
これからも、ずっと。
「好きだから、一緒にいたい」
その気持ちを好意だと思っていた。
「本当に、今までじゃ信じられない毎日が楽しくて。辛い事や、嫌な事があっても、一緒にいたら乗り越えられる。だから私はあんたと一緒にいる……」
けどもし、そうじゃなかったら。
そう思ったらたまならく嫌になってしまった。
違うと断言できない事が、より拍車をかけて落ち込ませる要因になった。
「だったら、何も問題ないと思うんだけどな」
また、気分が沈んだ時に男性は言った。
「そうやってさ、嫌な部分とか、直して欲しい所があっても、そう思ってくれているなら、俺は全然良いと思うんだよ」
「えっ?」
「好きとか依存とか、言葉で難しく考えているみたいだけど、正直俺はどっちでもいい。だってどっちにしたってさ。こうやって言いたい事が言えて、一緒にいたいと思ってくれる。それが俺にとって嬉しいことだから」
肩に腕を回して女性を抱き寄せる。
「お前も知っていると思うけど、人生綺麗事ばかりじゃやっていけないし、常に絶対に正しい道を選べるわけじゃない。やり直したいと思っても、やってしまったことっていうのはなくならない」
それは自分がよくわかっていることだと女性は思う。
今まで生きてきた時間のほとんどがそれだったのだから。
そんな女性に。
「だから、時には間違えたり、駄目な事を考える時ってのは絶対あるし、時には行動に出る事もあるよ。だって人生長いんだぜ? その中で一度も間違えず、清く正しく生きていくことなんて不可能だろ」
男性は柔らかく笑う。
駄目な選択を、後悔しかなかった今までを受け止めてくれる。
その表情で、心に溜まったドロドロが溶かされていくのを感じた。
ああ、やっぱり笑った表情が良い。
どこか子供のように笑う姿が、男性の魅力の一つなのだ。
「その中で好きって事が綺麗なように聞こえるけど、じゃあ好きは「正しいのか」っていったら時と場合によると思う。「好きだから~」それを免罪符に問題を起こすやつなんて世の中に腐るほどいて。「依存」ってのは間違いだっていうけど、ようは何かに【頼る】ってことだろう? そんなもんさ、言葉や見方が違うだけでみんな何かに頼っているよ。問題は自分を駄目にしてまでもすがる事であって、頼ることじゃないと思う」
きっと、返して欲しい言葉ではないだろうけどと苦笑して。
「俺は、依存が駄目というより、傍にいたいからって自分を押し殺してまで相手に合わして、最後は自分も相手も駄目になって分かれるってことの方が駄目だと思う。けど、聞く限りそれはないみたいだし」
「あんたは、どうなの?」
「俺? 俺別に何も?」
「本当に?」
「ホントホント」
「本当?」
「……さっきのやり返し?」
「うん……でも折角の機会だし、聞いてみたいな」
「えー」
そう言って、うんうんと悩みだす男性。
「……嫌な所、駄目な部分、うーん。どこだ? えーと、飯は作ってくれるだろ? たまに面倒くさいというけど、そんなの当たり前の事だし。時間にルーズ? 別に連絡くれればそこまで、あっそういえば一回スゲェ遅刻した事が……いや、あれ理由あったしなー。悪戯……ああ、うん。たまに度が過ぎた事があるから、それはやめてもらいたい、かな?」
「へー、例えばどんな?」
「えと、お風呂に入っている時、こっそり中に入って背中に氷をあてる、とか?」
「ちょっとびっくりさせてみようと思ったけど、嫌だった?」
「嫌、ってことはないけど、単純にヒヤってなるのびっくりする」
男性が嫌がっている様子はなく、ただ本当にビックリするからやめてほしいのだろう。
表情に嫌悪感はまったくない。
「まあ、何度もやっても慣れるだけだし、それはもうやめておく。他には?」
「慣れるだけって……やめるならいいけど。あと激辛は苦手なので嬉々として食べさせるところ、とか?」
「あれは、できればやめたくないなー」
「地味に辛いです」
男性はそう言うが、女性が何度も催促すると、あきらめたとばかりに口を空けるのは変わらないと思う。
そういう地味だが優しい部分と。
辛い辛いとひぃひぃ言っているのが可愛らしくてやめられそうにない。
ただ、何度もやると慣れてしまい反応がおもしろくないのと、本当にヤバイ劇物に手を出してしまうのはやめておこうと内心で思う。
困っている所をみたいけれど、酷い事をしたいわけではないのだ。
「考えておきましょう。次」
「何かやめそうにない感じだけど、次、ねー」
えーと何かあったかなーと記憶を思い返す男性にくすりと笑う。
先ほどまで悩んでいたとは思えないほど。気分は穏やかになり。
この空間にいる事がとても心地が良い。
「あのさ」
「うん?」
「逆に私と一緒にいて、どう?」
肩を寄せ合った体勢を変えるため、腰を浮かせて男性の前まで移動し、そのまま持たれかかる姿勢になって、女性は男性の首を回して顔を近づける。
後少しでキスができる距離でとまり、じっと男性を覗き込めば。
「楽しいけど?」
考えるまでもない、と言わんばかりの即答だった。
「一緒に過して、色んな経験ができることが楽しい。彼女なんて今までできた事がないけど、付き合うってこんなに良いことなんだって、始めて知った。好きな人間が自分に向かって笑いかけてくれる。それが本当に幸せなんだって実感できて」
そう言って、男性は女性の腰に腕を回し、額同士を合わせる。
そうして。
「これからも、一緒にそうやって過していきたいと思う」
いつものように笑う。
「俺、この時間が大好きだから」
「……私、いつも笑っているわけじゃないよ?」
「そんなの誰でもそうじゃん。俺だって年がら年中笑っているわけじゃない」
「悪戯、やめないよ?」
「本当に嫌だったらやめてくれるだろ」
「今日みたいに、突然ウツになることだってあるかもしれないし、それに嫌な事言ったり、駄目な事をするかもしれない」
「押し殺して爆発するより、思っている事を吐き出して、話し合いができるほうがずっといい」
男性の表情も態度も変わらない。
それが嬉しくて。
「ねえ」
「うん?」
自然と笑みが零れれば。
その女性の顔を見て、男性は言った。
「やっぱり、笑った顔がいいな」
そして男性も笑い返してくれる。
ああ、本当に。目の前にいるあなたは。
「私、やっぱりあんたの事大好き」
「俺も」
こんなに自分を満たしてくれるのか。
男性に出会えた事が今までの人生で何より幸運な出来事だと思う。
そして。
そんな相手が自分を認めてくれるのなら。
ほんの少しだけ。
こんな自分を認めてもいいのかもしれない。
そう思った。
それから、少しの間体を密着させたまま、穏やかな時間を過している時に。
「そうそう、腹減ってない? って話をしに来たの忘れてたわ」
「あっ。そういえばそうね」
「あれから時間が経って夕飯に良い時間だから、飯にしない?」
「んー、確かにお腹も空いてきたし、いいかもね」
「じゃあ飯にしよう。今日はどうする?」
「今日はあんたのリクエストに答えましょう、何が食べたい?」
「マジか、えーと昨日は魚料理だったから、今日は肉とすると……ハンバーグ? しょうが焼き? それとも肉大目の野菜炒め?」
「はいはい、あっちに行きながら考えましょうねー」
二人立ち上がって、飲まずにいたコーヒーをお互い飲みつつ部屋を出る。
その際に語る姿はいつものやりとり。
二人が大切にしている日常風景。
今後も、時に悩み、喧嘩して、辛い思いをすることがあるかもしれない。
けれど。
何だかんだ言っても、二人で過す事を手放さなければ。
この時間が途絶えることはなく、いつまでも続いていく。
そうすればいつか。
こんな自分を好きになる事ができるかもしれないと、女性は思った。
男性は依存でも好意でも構わないと言ったが。
やっぱり、男性の事を「好きだ」と胸を張って言えるようにしたいから。
――ちょっとずつでも、自分を好きになっていこうかな
心の中で呟いて、先を歩く男性の後をついていく。
まずはそのために今日の夕食作りだ。いつものように食べてくれるよう。
「腕によりをかけて作らないとね」
傍から見れば小さな事かもしれないが、自身が男性を喜ばす事ができる大事な事。
だから、自分に意気込みをかける。
そういった一つ一つの積み重ねが、いつか自分を好きになれると信じて。
ご愛読頂きまして真にありがとうございました