(王立学園園長)サーザイト・フォン・ロルドベイル(2)
「どうぞ、ご懸念には及びませんよ。先生方はしっかり学園を守ってくれていますし、その一方で、先生方の福利厚生も対応できています。
そういうところを気にするところが不可解、いや、失礼、凄いところだと思いますが、どうせ伺っていても、それは『経験』なのでしょうね。さて……」
リード卿の補講については、担任のフォルマッテ先生と各教科担任の先生方にある程度、対応してもらっています。ですが、それだけでは行程的に足りない部分は、基本的には私が対応することにしています。
私も法衣とはいえ子爵の身ですから、本来、行わなければいけない行事や対応を最小限にして、今年は進めることにしています。
……そもそも、高位貴族との縁を求めて、様々な貴族達が私達に接触しようとしており、出来るだけ、そうした機会を少なくしたいという意図はもともと持っていましたし、リード卿が学園に在籍しているなら猶更です。
「確認なのですが、リード卿がご自宅で学んでおられたのは、『貴族家の当主や、それを補佐する者としての知識』ではなく、『貴族家に従う家人』としての知識や振る舞いであったということですね。」
「そうですね。家族として扱ってもらえないという事例はよく聞きますが、いかに妾腹とはいえ、全く家を継がせない、要職にも関わらせないという意図が、当家の場合、明確でしたから。
……、自分的にはそれで全く不服はないのですが。というか、今からでもそうしてほしい。」
「何か、私も耳の調子が悪くなったせいか……、いえいえ、云い直さなくて結構。どうせ誰も聞きませんから。」
私もあまり好んでいないのですが、貴族には、貴族間での機微というものがあります。
貴族社会において、如何にうまく自分の家の立場を評価してみてもらえるか。そして、その中には過去の各家の歴史というものがあります。先の代が築いた実績に今代が少しでも優秀であること(優秀に見えること)を重視したとき、虚飾に塗れた貴族関係というものが濁った澱のように、この国を包んでいます。
そこまで大げさでなくても、「年に1回、〇〇家に直接挨拶するだけで、〇〇の項目は維持できる」といった事があまりに多すぎるのです。