(侯爵夫人)アマンダ・ソロム(3)
夫オーランド・フォン・ソロムは、侯爵家の四男として生まれました。
「中央派」と呼ばれる貴族は、たとえ高位貴族であっても、そして王族であっても、後継問題さえしっかりしていれば~後継問題から溢れる方々の行く末は、結構、適当です。
先程、云ったとおり、例えばサーラ王家においても、妾腹あわせると、王の子供が数十人となることはざらですし、王族の姫が平民に嫁ぐことや、王子が一代限りの貴族として平民を妻に娶ることも多いわけです。
オーランドは、生まれた時から「そういう」立場でした。
家族みんなから愛され、人との交流を得手として育った夫は、商いの道を選び、その過程で私と巡り合い結婚しました。彼のあだ名はいつしか「人たらし」と云われるようになりました。
また、侯爵家の子という立場から、いわゆる「辺境派」の貴族達とも対等的に付き合えるのも、彼の強みでした。幾度もの取引を経て、様々な人達から信頼され、愛されている大商人こそ、夫オーランドだったのです。
【ソロムの魔獣暴走】によって、資産的には、都市【ソロム】とソロム侯爵家は壊滅的な被害を受けました。
ですが、オーランドが侯爵となり、「辺境派」の領袖ともいえるダルトーム伯と、うまく調整を図ることによって、大きな混乱もなく、【魔獣暴走】の影響による混乱をとどめていくことができました。
はっきりいってしまえば。
「中央派」は、国防を軽視し、経済発展を重視しており、その結果が【魔獣暴走】を引き起こしました。
一方、経済発展を軽視すると、人々は貧しくなり、その生活の質は大きく低下してしまいます。
そのため、経済発展による利益の一部を、「辺境派」に回し、今より国防を手厚くする、そうしたバランス調整を、夫オーランドとダルトーム伯が行ったのです。
◇
「ダルトームの方がね。今回の【魔獣暴走】の鎮圧や、今後の領経営に向けての調整を進めているそうなのだが、どうしても、その調整がうまく行かないらしい。
もともと、ダルトーム伯爵自身は、そうしたことは部下に丸投げという感じのお人だが、あの切れ者の家宰殿も、調整がうまくつかないようで、ついに音をあげてしまったそうだ。」
「そんなに、難しい状況なのですか?」
「君も知ってのとおり、ダルトーム伯は「いい男」だよ。地位も、金銭も、権力も、今回の調整で納得されておられる。」
ふふふ。まあ、あのダルトーム伯なら、「ソロム侯爵家に成り代わって、魑魅魍魎がうごめく貴族社会を牛耳る」なんて、絶対、嫌がるでしょうね。
「ソロム家と、ダルトーム家がうまく機能分配すれば良い」あたりはダルトームの家宰ドルト・グレインの考えなのでしょう。
でも、夫はどうして、ここ数日、浮かない表情をしているのでしょう。
「ダルトーム伯は、ソロム侯爵家との縁談をお望みだ。」
貴族社会ですから、「中央派」「辺境派」といった勢力争いはあっても~いえ、むしろ、複数の勢力が形成されているからこそ~その派閥を跨いだ婚姻というのも、貴族としては常識でしょう。
侯爵家……?
「ああ、侯爵家だ。」
……
それは、もしかして、ベリウス、クラウド、ジェシカのことなのでしょうか。
そもそも、私は商家の娘で、私の子達も貴族ではありません。
商家同士の関係からの縁談もありますが、基本的には、子どもたちの判断で婚姻はすべきです。
貴族は、人や社会を束ね導く者たちであり、相応の権力を持ち、義務を負うものでしょう。
商家は、自ら稼ぎ、資産を築かなければなりませんが、その代わり、「自由」です。商家の者として、それは譲ってはいけないことなのです。
私の表情が険しくなったのでしょう。
それを見て、夫がさらに落ち込んでいます。
夫の姿を見て、私の怒りも些か小さくなりました。そうですね、そもそも夫は「自由」を選んだからこそ、侯爵家から離れて私と一緒になったのです。
しかし、【ソロム】が窮地に陥ったことにより、「火中の栗」を拾いに行ったのが夫でした。
「家族を守るためには、私との離縁も止む無し」という夫に、一緒に付いていくといったのは、当の私なのですから。
◇
少し補足しましょうか。
高位貴族は、「貴族としての血の濃さ」を常に意識しています。
「貴族としての血の濃さ」を表す代表的な要素は「魔力量」です。
そのため、高位貴族は魔力量を持つ者を優先的に後継者とします。婚姻も、魔力量の高いもの同士で行うのが原則です。
仮に、その子供の魔力量が少ない場合は、嫡流ではなく傍流として、法衣であるとか子爵以下の貴族家に繋がっていきます。
夫オーランドも、私も、貴族としては一般的な魔力量しか持ち合わせていません。
【ソロムの魔獣暴走】によりソロム侯爵家の立場が大きく変わらざるを得なかったからこそ、夫は現在、侯爵家を継いでいます。
将来的に、ソロム侯爵家の力を削いていきたいと企む輩は、「貴族としての血の濃さ」が薄い私達が、侯爵家を引き継いでいくことを望むかも知れませんが、貴族としての価値観を考えれば、私達は「一時的に侯爵家を継いでいる」に過ぎないのです。