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11.年が明けました

年が明けました。

今日は3回目の絵の講習です。

おじいさんと男の子、ふたりきりでの講習は今回が初めてで、

あの、池のある公園で行なわれた1回目も、

おじいさんの家のアトリエで行なわれた2回目も、

男の子のお母さんが一緒でした。

その講習の間、お母さんは機嫌良さそうにずっとニコニコしていましたが、

でも、

男の子の方は、どことなく元気がありませんでした。

ションボリとしていました。

おじいさんの中には、

もしかしたら・・・と思い当たることがありました。

それで3回目の今日、

おじいさんは自分の車を運転しつつ、助手席の男の子に聞いてみることにしました。

「なぁ、坊や。

 ちょっといいか」


「え? なに?」


「もしかして、お母さんに怒られちゃったか?

 知らない人のあとをついて、勝手に家に行ったもんだから」


「・・・」


「そっか・・・。ごめんな」


「・・・」



晴れ渡る寒空の下、車を30分ほど走らせ、

目的地に着きました。

道の脇の、茶色く枯れた草原(くさはら)に車を停めたおじいさんは、

ドアポケットの赤いニット帽を掴み、頭にかぶると、

車のキーを抜き、ドアを開けて外に出ました。

軽く伸びをしてから、後ろを振り返ります。

車の中で、

まだシートベルトをしたまま座っている男の子と、目が合いました。

おじいさんは言いました。

「ほれ、着いたぞ。

 降りよう」


男の子は、すぐにシートベルトを外しました。

そして、

ドアを開け、車を降りると、

そのドアの取っ手を両手で持って、よいしょっ・・・と閉めました。

おじいさんも、

ドアを片手で押し、バン!・・・と閉めました。

そうして、

持っていたキーを車へ向け、ピッ・・・とロックをかけると、

車に背を向け、

目の前にある土手を、1歩1歩上り始めました。

男の子も、すぐさま駆け寄りました。

枯れ草だらけの土手を、おじいさんと一緒に上っていきます。



「・・・さて、どこら辺で描こうか。

 坊やの好きなところでいいぞ」

土手の上に立ち、後ろを振り返ったおじいさんが、

そう言いました。

おじいさんの視線の先、

土手の下の、少し離れた場所には、

陸上用の()円形のトラックがあって、

そのトラックの中央スペースの、広々とした芝生グラウンドの上を、

20人くらいの、がっしりとした体つきの男たちが、

勇ましいかけ声とともに、ゆっくりとジョギングをしています。


赤いニット帽をかぶったおじいさんは、

両手をジャンパーのポケットに入れたまま、冬の冷たい風に吹かれ、

少しの間、そのジョギングしている男たちを見ていましたが、

声がちっとも返ってこなかったので、目を隣へ向けました。

おじいさんとお(そろ)いの、でもちょっと小さい赤いニット帽をかぶった男の子は、

左の方を見て、少ししたら右の方を見て、

また左の方を見て、また右の方を見て、

そういったことを繰り返しています。


「・・・オレはどこでもいいぞ」

おじいさんが、声をもう一度かけます。

男の子は、

そのおじいさんの顔を見上げ、またすぐに視線を戻すと、

土手の左右をふたたび見比べました。

おじいさんは、

ちょっとしてから、手をポケットから出しました。

右の方にある、土手から下りるための階段を指差して言いました。

「じゃあ、あそこの階段の踊り場で描こうか。

 風も、ここよりかは少しマシだろうし」


男の子は、階段の踊り場へ目を向けました。

そして、

おじいさんを見上げて、こくり・・・と頷きました。



階段の踊り場で、ふたりで絵を描いていました。

おじいさんは、

イーゼルに乗せたキャンバスに向かって、

立ったまま、

手に持った木炭をサッサッ・・・と動かしていて、

ときどき顔を上げ、グラウンドで練習している男たちの様子を見ています。

男の子は、

そのおじいさんの少し前の、階段の段に座っていました。

両膝に画板(がばん)を乗せ、

その画板の上の、()め具で固定した画用紙に向かって鉛筆を動かしていて、

消しゴムで、ときどき線をゴシゴシと消しています。

空は青く晴れ渡っていて、

風も、ほとんどありませんでした。

土手の上の道は、

人も車もまったく通らず、静かなもので、

そんな中、

グラウンドでせっせと練習している男たちの大きな声が、辺り一帯に響いています。


下書きが一段落したおじいさんは、

顔を横に出し、男の子の絵を見てみました。

陸上トラックの線や巨大な照明装置、植え込みの木、高い金網(かなあみ)フェンス、

トラックの中の芝生グラウンドに引かれたコートの線、

そのコートの左右に立つ、H型のゴールポスト、そこから伸びる影が、

どれも上手に描かれています。

見事なものです。

でも、

その絵の中に、人の姿はありませんでした。

ちょっと前に見たときも、その前に見たときも、

やはりそうでした。

トラック中央の、芝生グラウンドの上には誰もいませんでした。


おじいさんは、横に出していた顔を戻しました。

そして、

気になっていた線を手で消し、描き直し始めましたが、

少しすると、

持っていた木炭をイーゼルに置いてしまいました。

男の子の横へ歩いていき、声をかけました。

「坊や、

 休憩(きゅうけい)がてら、ちょっと下に行かないか」



おじいさんと男の子は、

金網フェンスの近くに立ち、練習中の男たちの様子を見ていました。

おじいさんの手にはコーヒーの缶が、

男の子の手には、

みかんジュースの、ミニのペットボトルが握られています。

おじいさんが、

缶コーヒーをひと口飲んでから、男の子に聞きました。

「坊やはあの人たちを見て、どう思う?」


男の子は、

少ししてから、隣のおじいさんを見上げて聞き返しました。

「どう思う、って?」


おじいさんは、前を見たまま答えました。

「体が大きいなぁ・・・とか、力が強そうだなぁ・・・とか、

 そういう風なこと」


男の子は、前に向き直しました。

金網の向こうの、芝生のコートでは、

男の人たち数人が横一列になって走っていて、

アーモンドみたいな形の茶色いボールを、

次から次へと横の人に、ポーンポーンと投げています。

男の子は、その姿を眺めながら答えました。

「うん、思う。ちょっとだけ」


「他には?」


「え?、他?」


「うん。

 何でもいいから言ってみ?」


「・・・じゃあ、」

しばらくして、そう口にした男の子は、

「頑張って練習してるなぁ・・・とか、そういうのでもいいの?」と言ってから、

隣に立つおじいさんを見上げました。


おじいさんは、

ラグビーの練習風景を見ながら嬉しそうに小さく2回頷き、言いました。

「そうそう、そういうヤツ。

 ・・・他には?」


男の子は、前に向き直しました。

そして、少ししてから言いました。

「うーん、ちょっと思いつかない・・・」


「そうか。まぁ、気にせんでええ。

 ひとつ浮かべば立派なもんだ」


「・・・」


おじいさんは、

顔を上に向け、持っていた缶コーヒーを飲み干してから言いました。

「さぁ、そろそろ上に戻ろう。

 で、

 あと10分くらい描いたら、今日はもう終わりにしよう。

 お昼の時間までに坊やを家に帰らせないと、オレが怒られちゃうからな。

 ほら、行こう」

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