歌姫と冴えない男の純愛
満天の星空に対する形容詞は枚挙に暇がないのだろう。「プラネタリウムの様な・・」あるいは、「星降る・・」等々。ただ、西園寺にとって、リアルタイムで見上げている星空を、形容するに足る詞が見つからない。「人は言葉でものを考える」と、どこかで読んだ記憶があるが、してみれば、それが西園寺の思惟の限界なのだろう。
西園寺は、今、カイザリアの空に下にいる。時刻は、現地時間で午前零時少し前だ。そう、西園寺は、イスラエルの地中海を望む海岸を歩いている。何処までも続くかに見える白砂の砂浜は、往年のハリウッド映画「ベンハー」で戦車競走のロケ地ともなった景勝地だとか。スーパームーンの様な月明かりに、地中海の漣に現れる砂粒が輝いている。
カイザリアは、テルアビブの北40kmにあり、紀元前後にはローマ帝国屈指の港町だった。熱狂的なギリシャ・ローマ文化の崇拝者であったユダヤの王、ヘロデ大王が、アテネに匹敵する港町を作ろうと大規模な街づくりを行い栄えたところだ。その名前の「カイザリア」は、ヘロデ大王が服従していた初代ローマ皇帝アウグストゥスのフルネーム「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス」の中のカエサルに因んでいるとか。ローマ時代の円形劇場や宮殿跡、競技場跡、導水橋跡、13世紀に建てられた十字軍の要塞跡なども残っている。ちなみに、ペテロがこの官邸に投獄されローマへと送られ、パウロがローマへの宣教に旅立ったのもこの港だと伝えられる。
その円形劇場で、ほんの一時間ほど前まで、日本屈指の歌姫・柚木冴子のコンサートが開催されていたのだ。西園寺も、日本から彼女のコンサート観たさに、遠くイスラエルはカイザリアまでやって来たと云う仕儀だ。先ほどまでのコンサートの熱気も冷めて、舞台を覆う石積みの外壁や擂鉢状の観覧席が、弱く月明かりを反射している。
西園寺は、冴子コンサートの余韻に浸りながら、地中海沿いの浜辺を散策している。彼の背後には、三浦義村と尼子経久が従っている。西園寺は、煌めく星空を見上げながら、この半年余りの自身の来し方を思い浮かべていた。従う二人は、何を思うのか、やはり、無言で歩を進めている。
西園寺は、半年ほど前に大腸がんを患った。一か月ほど入院して、左S字結腸を15cmほど切除した。現在も抗がん剤を服用し、一か月ごとに主治医の診察を受け、経過観察している。術後経過は今のところ順調だ。ただ、彼にとって、がんの代償は、けして小さくなかった。順風満帆に見えた仕事も、家庭も喪ったのだ。
ソフト開発会社に勤務する西園寺は、開発部長を拝命し、役員一歩手前の地位まで登り詰めていた。しかし、突然の休職で、復職した際には閑職に追いやられていた。家庭でも、彼の闘病がトリガーになったのか、妻から熟年離婚を申し渡された。子供たちは既に独立しているので、西園寺の晩年は暗闇の海に航海するような無謀なものになりそうだ。
そんな中年男の追憶を切り裂いたのが、静寂の海岸に響いた女の悲鳴だ。西園寺が「何事か」と訝しく思った矢先、義村と尼子は脱兎の如く、足を飛ばしていた。鎌倉武将と戦国武将は砂浜を器用に蹴散らし、駆けて行く。