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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
1 獅子の目覚め
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8 覚悟

 翌朝、無理矢理に叩き起こされたせいで蓮の目覚めは非常に悪かった。

「一体何なんですか、まだ日が昇ってもないのに」

 眠い目をこすりながら起き上がり、もたもたと着替える。そんな彼を、岸田は険しい表情で叱責した。

「馬鹿、スパイダーが出たんだよ。早く用意しろ」

「は、はい……って、俺もですか?」

 当然の疑問である。監視を外され拘束された状態が解除されるには、まだ時期が早いはずだ。

「お前と少数の見張りだけを残して出発しちまったら、そいつらだけで暴れ出したお前を止められるか分からんだろ。むしろ目の届くところに置いておく方が安全だと、上は考えてる」

 そう言って、岸田は着替え終わった蓮の両手首を掴んだ。あっと声を上げる間もなく、カチャリという音とともに手錠がはめられる。

「ま、別に戦闘に加わってもらうわけじゃないが。ほら、行くぞ」

 引っ張られるようにして、蓮はふらふらと彼の後を追い、トレーラーの停車位置まで歩いて行った。


「良かったな、特別待遇で」

「良くないですよ」

 げんなりとした様子で、蓮は岸田に言い返した。

 現在二人がいるのは、トレーラー前方の区画である。彼らの他の隊員は後方のスペースに陣取っており、後ろにある出入り口から蓮を遠ざけ、逃走を許さない意図が見え見えだった。

 もっとも、蓮が本気を出せば、トレーラーの壁を破壊して脱出することも不可能ではないだろう。本人にその意志があるかどうかは別として。


「なあ、和泉」

 近くに置かれた座布団の上にどかっと座り込み、岸田が呟く。車両後方にいる隊員たちに聞こえないよう、声は落としてあった。

「俺がさっきお前に伝えたのは、あくまで上の考えだ。俺の考えは異なる」

「……というと?」

 その隣に腰を下ろし、先を促す。両手の自由が効かないせいで、動きがとりづらかった。


「確かに、お前が今まで自分の過去を偽っていたのは大問題だ。お前の持っている得体の知れない力についても、頭の固い年寄りが警戒するのは無理もない。だけどな」

 床に置かれた対スパイダー用の狙撃銃を拾い上げ、銃身を片手で持つ。

「結局のところ、どんな力も使い手次第だと俺は思うんだよ。この銃だってそうだ。市街地で乱射すれば人殺しの道具になるが、スパイダーを倒すために使えば人助けの道具になる」


 そして蓮の肩に手を置き、真剣な顔つきで続ける。

「お前の持つ力の善悪を決めるのは他でもない、お前なんだ。たとえその力が政府軍に由来するものだろうが、同様の能力を持った者たちが討伐隊を襲撃していようが、お前がそれを正しいことのために使えるのなら大丈夫だ。俺はそう信じてる」

 再びライフルを床に置き、肩から手を離す。

「一つだけ約束してくれ」

「はい」

 蓮が見つめ返すと、岸田はにっと笑った。

「これからは、隠し事は一切なしだ。いいな?」

「もちろんです」

 その答えを聞き、岸田は満足そうな表情を浮かべた。


 ちょうどそのとき、トレーラーが停まった。騒がしい足音とともに、武装した隊員らが次々と外に飛び出して行く。他の全員が出て行ったのを確かめて、岸田はさっきより大きな声で言った。

「今、討伐隊は大型のスパイダーを狙って北上したところだ。付近にある山の頂上付近に陣取って、上空を通過するところを一斉射撃で仕留める。作戦としては大体そんな感じらしい。この場所もかなり標高が高いから、移動にさほど時間はかからないだろう」

 監視役としての任務があるから自分は参加できないのだが、というニュアンスが滲ませられていて、蓮は何だか申し訳ない気持ちになった。


 岸田が腕時計に目をやる。

「よし、十分だ」

「え?」

「もし作戦開始から十分経っても銃声が鳴りやまなかったら、相当苦戦してるってことになる。その時はお前の出番だ」

「俺の出番……って、いいんですか?曾我部さんたちは、俺のことをまだ拘束しておきたいんでしょう?」

 困惑した面持ちで蓮が尋ねる。岸田は笑って首を振った。

「その辺は、後で上手く説明しておけば何とかなる。とりあえずはここで待機するぞ」


 トレーラー内に沈黙が訪れる。入れ替わりに、外では銃声が響き始める。蓮は壁に耳を当て、少しでも戦況を把握しようと努めた。討伐隊が交戦している山の頂からは距離があるので、微かに物音が聞こえる程度だ。それでも、大体の把握は可能だった。

 永遠にも思える時間が流れたのち、蓮は肩を軽く叩かれた。

「十分経ったぞ」

 やや苦い表情で、岸田が告げる。いまだ討伐隊は交戦を続けている模様だ。

「和泉、行け」

「……はい」

 蓮は頷き、ゆっくりと立ち上がった。覚悟を決め、変身を決意する。


 何を迷うことがあるのだ。異能に覚醒し、完全に使いこなせるようになったあのとき、蓮は決めていた。皆を守るためにこの力を使うと。その気持ちは今も変わっていない。

 先刻の岸田の言葉も、蓮の背中を押してくれた。どんな力も使い手次第―正しいことのために力を使えるのなら、大丈夫だと。


「『能力解放』!」


 体の内側から溢れてくる熱いエネルギーの流れに身を任せ、コマンドを唱える。蓮を中心として円を描き放たれた衝撃波に、岸田は思わず目を瞑った。

 腕と足の筋肉が著しく発達し、両手には鋭く太い爪がそなわる。生えそろった金色のたてがみには、まさしく王者の風格があった。

 獅子の能力を宿した姿に変貌し、蓮は腕を軽く振った。たちまち手錠が千切れ飛び、粉々になる。


「岸田さん、俺、行ってきます!」

 床を強く蹴り、蓮は疾駆した。広いトレーラー内をたった数歩で走り抜け、外へ飛び出す。そして空気中を漂う僅かな匂いを嗅ぎ分け、討伐隊の居所を大まかに割り出した。

 とりわけ、長く一緒に過ごした仲間の匂いは良く分かった。佐伯、森川、井上―大切な友が今、巨大な敵を相手に窮地に立たされている。

(待っていてくれ、皆。今すぐ助ける)


 力強い走りで、山の急勾配の斜面を一気に駆け上がる。岸田はその頼もしい背中を、目を細めて見送っていた。

「狙撃銃は必要なさそうだな」

 ぼやきつつ、彼は曽我部にどう言い訳しようかと策をめぐらせていた。


 巨大な白き蜘蛛は八本の足を絶え間なく動かし、下界へ降りようとしていた。尻から伸びる糸を巣の上部に貼り付けることで命綱とし、討伐隊の隊員らを見下ろす格好で醜い頭部が迫ってくる。網状になっている巣の全ての膜を通り抜け、山の頂上で隊列を組んだ討伐隊との距離は十数メートルしかない。

 隊員たちは銃撃を続けていたが、スパイダーの皮膚は前回交戦した個体よりも頑丈であった。弾丸は命中こそすれ、貫通するには至らない。体が大きく成長している分、個々の体組織の成熟も完了しているということだろう。いまだに決定打を与えられず、敵は自身の間合いに討伐隊を捉えようとしている。


 接近戦に持ち込まれれば、討伐隊に勝ち目はない。焦った曽我部が、全体に指示を出す。

「目を狙え。視覚を使えなくなれば、動きが鈍るはずだ」

 隊員らはそれに従い、一斉に銃の照準を合わせた。スパイダーの眼球目がけ、無数の銃弾が撃ち出される。

 最初の数発が目のすぐ横に当たり、白い蜘蛛の怪物は痛そうに頭を振った。目標の位置が逸れたことにより、放たれた銃弾のほとんどは空を切る結果に終わる。


「そんな……」

 隊列の右端でライフルを上に向けていた森川が、ぽつりと言う。声音からは絶望感が滲んでいた。

「あんなの、どうやって倒すん⁉」

「諦めるな。今の攻撃で、僅かながら奴の視界は限定されたはずだ。死角に回り込んでから一斉射撃を浴びせれば、あるいは勝てるかもしれない」

 ターゲットから視線を外さぬまま、佐伯が冷静に返す。けれども、勝算が低いことをあえて否定するようなことはしなかった。


 二人の側で、井上は強張った表情でスパイダーを見つめるばかりだった。

 以前の自分なら、ここで命を捨ててもいいと思っていただろう。討伐隊に入ったのも、どこにも居場所を見つけられない自分の死に場所を探す、という目的があったからだった。誰かを助けようと必死で戦って命を散らすのも悪くはない、そう思っていた。

 だが、今は違う。大切な仲間に出会い、彼女は切実すぎるほどに生きたいと願っていた。

(嫌。……死にたくない)


 狙撃銃を構えた手が震えたそのとき、戦場を一陣の風が駆け抜けた。彼が第十八班の横を駆け抜けた瞬間、三人ははっと振り返った。あまりに動きが速すぎて、目ではっきりととらえることはできない。それでも、和泉だと分かった。

 金の毛並みに包まれた肉体を躍動させ、獅子の能力を持つ獣人が大きく跳び上がる。右腕を微かに後ろに引き、繰り出された強烈なアッパーカットがスパイダーの下顎を捉えた。

 骨の砕ける鈍い音とともに、巨大な蜘蛛は声にならない悲鳴を上げて吹き飛ばされた。尻から伸びる糸は衝撃で切れ、スパイダーの体が山頂へと落下する。


 討伐隊が慌てて退避したおかげで、これによる負傷者は出なかった。地面に巨体を叩きつけられたスパイダーはひっくり返った体勢のまま、まだ起き上がれないでいる。八本の脚をせわしなく動かして、必死に足掻く。辺りの草木に、時折青い血が滴り落ちていた。

 スパイダーの腹部の上に着地した蓮は、両腕を振り上げて左右の爪で次々に切りつけた。硬いはずの皮膚に細い筋があっさりと入ったかと思うと、鮮血が噴き出る。白い蜘蛛は苦しげに体を震わせた。

 十分にダメージを与えたと判断した蓮は、素早くスパイダーの体から飛び降りた。そして討伐隊の方を振り返り、頷く。


 呆気に取られていた曽我部だったが、ようやく我に返った。

「攻撃、再開!」

 傷を負い身動きをとれなくなったスパイダーへ、弾丸の雨が降り注ぐ。数分後には、目標は完全に沈黙していた。



「今日の作戦における君の活躍について、改めて礼を言わせてもらいたい。あのとき君が駆けつけてくれなければ、私たちは多大な損害を被っていただろう」

 自身のテントに蓮と討伐隊幹部を召集し、曽我部はにこやかに言った。席の配置は先日と同じになっているが、雰囲気は随分穏やかなものへと変わっていた。

「いえ、僕の方こそ、勝手な行動を取ってしまってすみませんでした」

 軽く頭を下げて、蓮が応じる。言うまでもないことだが、既に変身を解いて人間の姿に戻っていた。姿勢を正し、曽我部の言葉に耳を傾ける。


「今回の件に免じて、君の処分は大目に見よう。経歴を偽っていたことは不問とする。由来の分からない変身能力も、戦闘に活かすことができればスパイダーへの強力な対抗手段になる。監視も解くので、引き続き訓練に励むように。これからも期待しているよ」

「ありがとうございます」

 最後に一礼して外に出ると、皆が待っていた。


「……蓮君!」

「うわっ、おい、森川」

 いきなり飛びついてきた彼女に、蓮は少なからず動揺していた。腕にぎゅっとしがみつかれ、柔らかい感触が心拍数を急上昇させる。

「うち、信じとったよ、蓮君が来てくれるって」

 そう言うと、森川は体を離して微笑んだ。

「それと、ありがとうね。あのスパイダー、相当高額な懸賞金が掛かっとったんよ」

 こんなに嬉しそうにしている理由はそれか、と合点がいった。借金に苦しむ家族を支えるために入隊した彼女にとって、スパイダーを倒し分配される賞金を得ることは最重要事項なのだ。

 別に自分に好意があったからではないだろう、と蓮は過度な期待をしかけた自分を戒めた。さっきのは彼女流のスキンシップだ。


 続いて歩み寄ってきたのは佐伯だった。彼にしては珍しく、笑みを浮かべている。

「お前がいなければ、今頃俺たちの命はなかったかもしれない。礼を言っておこう」

「大したことじゃないって。それに、拘束されていた俺がトレーラーの外に出られたのは、班長の機転のおかげでもあるんだし」

 蓮の台詞を聞き終えるのを待たず、岸田は二人の間に割って入り、にやりと笑った。テントの中にいる曽我部たちに聞こえないよう、声をひそめる。

「隊員から無線で応援を求められたから助っ人をやった、ってことにしといたよ」


 そこに遠慮がちに井上も加わり、はにかむように笑顔をつくった。

「……ありがとう。私、和泉君が来てくれなかったらもう駄目かと思ってた」

「いやいや、そんな。皆が協力してくれたおかげだよ」

 蓮の頬が若干熱くなっていたのは、気のせいだったろうか。

 何はともあれ、蓮の獲得した新しい力が、スパイダーの撃破に大きく貢献したことは確かである。その事実により、物語は次のステージへと進み始める。



 その夜、寝袋に潜り込んで目を閉じたのちも、蓮は考え事に耽っていた。

 討伐隊の面々は自分という存在を受け入れてくれた。それは良いのだが、自身の持つ能力についての謎は解けないままになっている。

 何故自分がこの力を有しているのかは、散々考えてみたが埒が明かない。仮に自分と政府軍の間に何らかの接触があったのだとしても、いつそんなことが起きたのか。まるで記憶がなかった。


 切り口を変えてみよう、と蓮は思った。一体何のために、この力は生み出されたのか。政府軍はどういう狙いがあってこの力を開発したのか。

 頭に浮かんだのは、藤宮や澤田、松木といった特殊部隊の構成員たちだった。彼らが動いている目的を推測すれば、真実に近づけるかもしれない。

 しかし、特殊部隊についても不明な点が多い。政府軍の指揮官である父―その息子である自分を連れ戻すために襲撃を行ったのは分かっている。だが、家を出た一人息子を呼び戻すという個人的な理由だけで、父がそんなことをするとは思えない。それは職権濫用に等しい行為だ。きっと何か、別な理由があるのだろうとは思う。


 またしても行き詰りそうになった蓮の脳裏を、今日スパイダーと戦ったときの光景がよぎった。討伐隊が束になってかかっても敵わなかった大型のスパイダーを、獅子の能力を発現した蓮は圧倒的な強さで倒してみせた。


(もしかすると、政府軍はスパイダーを倒すために能力者を生み出したのか?)


 一瞬この仮説が浮かんだが、すぐに打ち消す。あり得ない話だった。政府はスパイダーを保護する方針を前面に出している。守るべき対象である彼らを駆除するなど、自己矛盾にもほどがあるのだ。それに、もしそうなら、特殊部隊の能力者が討伐隊を妨害する必要もないではないか。余計なことをせず、標的である自分だけを狙えばいい。

 堂々巡りに陥った蓮は潔く諦め、思考を中断した。長距離の移動と戦闘で溜まった疲れが、すぐに彼を眠りへ誘った。


 蓮が熟睡している隣で、佐伯も同様に考え事をしていた。ただし目は閉じておらず、表情はきわめて真剣だった。

(和泉が駆けつけなければ、今日の戦いで俺たちはやられていた)

 佐伯が入隊した理由は、スパイダーを守ろうとする父に反発したからでも、賞金を得て家族が生計を立てるのを助けるためでも、ましてや現実に耐え切れず死に場所を求めたからでもない。両親を喰った憎むべき存在、スパイダーを狩る。ただそれだけだ。

 だからこそ、彼は今悶々としていた。


(討伐隊の保有する装備にのみ頼っていたのでは、奴らを駆逐することはできないのではないか)

 もちろん、武器を改良してより強いスパイダーにも対抗できるようにする、という考え方もあるだろう。けれども今すぐにライフルの威力を上げるのは困難であるし、威力を上げれば発射時の反動もさらに増大してしまうため、扱うのはますます難しくなる。性能と扱いやすさのバランスを保つのは至難の業なのだ。そもそも技術革新は数年単位で起こるものであり、急激な変化を求めるのは無理と言わざるを得ない。


 悠長なことは言っていられないのだ。現に、今日現れた敵に自分たちは従来の武器で太刀打ちできなかった。何か、なるべく早くに投入できる強い力が必要だ。

(スパイダーは人が造ったものだが、生みの親である人間にも制御できなかった。科学者たちは、暴走するスパイダーを前に何の対抗策も打ち出すことができなかった……いわば奴らは、人知を超えた存在だ)

 ふと、獣の特徴をそなえた姿へ変わった和泉を思い出す。自分たちが苦戦を強いられたスパイダーを、彼は迅速に無力化することができた。


 ゆえに、誰にも知られることのない闇の中で、佐伯は密かに決意した。

(奴らに対抗するため、通常の手段にのみ頼っていては限界がある。俺たちも変わらなければならない)

 計画を実行するため、しばらくの間は虎視眈々と機会を窺うことにした。


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