6 告白
左腕の爪による斬撃を刃で受け止めたのも束の間、右腕が振るわれる。脇腹を浅く切り裂かれ、蓮はじりじりと後退した。
やはり、藤宮の方が戦闘経験は上だ。次々に繰り出される攻撃を前に、蓮は防戦一方だった。藤宮が鼻息を荒げる。
「前よりは少し腕を上げたな。だが、俺には及ばない!」
狼の特徴をもつ獣人形態になったことにより、藤宮の身体能力は底上げされている。地面を蹴って疾駆し、あっという間に蓮の横に回り込んだ狼人間が、顎をいっぱいに開く。
咄嗟に突き出したナイフの刃を藤宮の上下の牙が挟み、あえなく粉砕する。ぽろぽろと零れ落ちる金属片を、蓮は呆然として見つめていた。武器を破壊されては、敵に対抗する手段を失ったのと同義ではないか。
その隙を突かれ、がら空きとなった胴に回し蹴りを叩き込まれる。体重の乗った一撃を喰らい、内臓が揺さぶられるほどの衝撃を受けた。蓮は数メートルほども吹き飛ばされ、雑草の生い茂った草むらに無様に倒れ込んだ。肋骨の一、二本は折れたかもしれない。腹部に激痛が走り、蓮は悶えた。
「本当なら喉笛に噛みついて一思いにやっちまいたいところなんだが、生け捕りにしろとのご命令とあらば仕方ない」
芝居がかった仕草でため息をついてみせ、藤宮はこちらを見下ろして言った。
「さあ、観念して一緒に来い」
「……嫌だ」
肩で息をし、足元はおぼつかない。それでも蓮は立ち上がり、藤宮をきっと睨んだ。期待外れな返事を聞き、彼の表情が歪むのが見えた。
「何故帰るのを拒む。そんなに父親と対面するのが嫌か?」
「確かに、それも理由の一つかもしれない。でも、それだけじゃない」
自らを奮い立たせて、蓮は言った。
「俺はここにいたいんだ。大切な仲間と共に……」
そのとき、体の内側から湧き上がる不思議な力を感じた。前に藤宮と戦ったときに感じたのと、同じ感覚だった。
(……そうか)
直感的に閃いた一つの仮説が、説得力をもって迫ってくる。
もしかすると、前回この力を上手く制御することができなかったのは自分の心理状態が原因だったのではないか。父親の元へ帰りたくないという強い拒絶の感情に応えるように、その力は発現した。しかし、それでは不十分だったのではないか。この異能を最大限に発揮するには、もっと強い思いをトリガーにしなければならないのではないか。
討伐隊に入って得ることのできた友との絆は、蓮にとってかけがえのないものだった。佐伯、森川、そして井上―出会った当初はぴりぴりとした空気の流れていた四人だが、今では信頼し合える仲間だった。
討伐隊を離れたくない。仲間と共にいたい。仲間を守りたい。
その思いが、蓮に新たな力を授ける。
「聞き分けの悪いガキには仕置きが必要だ」
苛立ちを露わに、藤宮が吐き捨てた。右腕を振り上げ、狼獣人が殴りかかってくる。
「完全に覚醒していないお前なんて、敵じゃないんだよ!」
確かに、今はまだ不完全な力だろう。けれども蓮の心に宿った強い意志は、能力の発現を可能にするだけのエネルギーを秘めていた。
あとは、ほんの少しその手助けをしてやればいいだけだ。藤宮たちが唱えていたのと、同じコマンドを唱えることによって。
魔法の呪文じゃあるまいし、特定のワードを口にするという行為自体に大きな意味があるとは蓮も思っていない。あれはおそらく、力を使う者の意識にはたらきかけ覚醒を促すものなのだろう。
迫りくる拳を見据え、蓮は叫んだ。
「―『能力解放』!」
次の瞬間、蓮を中心とした同心円状に激しい衝撃波が放出された。
「うあっ⁉」
突き出した右腕を途中で止め、拳を開く。反射的に両手で顔を庇い、藤宮は辺りを見回した。先ほどの衝撃波で土埃が巻き上げられ、視界が不明瞭になっている。ターゲットはどこに隠れたのか。
いや、それよりもさっき起きたのは何だったのか。
突風が土煙のベールを剥がし、その答えを明らかにする。
百獣の王たる獅子の特徴をそなえた獣人が大地を踏みしめ、咆哮を上げた。金色のたてがみに覆われた頭部。発達した腕と足の筋肉。逞しい手には、太く鋭利な爪がそなわっている。
目を瞠った藤宮は、驚きを隠せていなかった。
「てめえ、ついに覚醒しやがったか」
「……よく分からないけど、そうみたいだな」
蓮は自分の手足を見やり、金の毛並みに包まれた筋肉質な肉体を見た。これが自分の得た、新しい力ということか。
どうやらこの力は、藤宮たちと同種のもののようだ。何故自分にこんな変身能力がそなわっているのか。類似の能力を持っているのなら、藤宮と自分には何らかの共通点のようなものがあるのではないか。疑問は数え切れないほどある。だが、今すぐに解決しなければならない問題でもないし、仮に問いただしたところで藤宮が素直に答えるとは思えなかった。
この力があれば戦える。今この瞬間は、それだけで十分だった。
「…だったら、力づくで連行するまでだ!」
踊りかかってくる藤宮の動きが、ゆっくりに見える。動体視力の向上により、獅子の力を得た今の蓮は敵の動きをより正確に捉えることができた。
そして、発達した全身の筋肉が遥かに速い反応を可能にする。
勢いよく繰り出された藤宮の右拳は、蓮の顔面まで届かなかった。蓮の左手に手首を掴まれ、寸前で制止されていたのだ。
「何⁉」
ライオンの力を宿す強靭な肉体が凄まじいパワーを発揮し、藤宮の手首を掴んだまま離さない。必死に腕を振りほどこうとする藤宮だが、蓮のホールドからは逃れられなかった。
なおも抵抗する狼獣人の体を、蓮は背負い投げの要領で投げ飛ばした。両手で相手の首元と手首を掴み、後方へ放り投げる。地面に強く叩きつけられ、藤宮が呻いた。
しかし敵もさるもので、すぐに体勢を立て直すと顎を大きく開いて疾走してきた。口から鋭い牙を覗かせ、両目にはぎらぎらとした光が灯っている。
「お前の持つ力には、ふさわしい使い方ってものがある…が、お前は何も知らない。俺たちと一緒に来れば、お前は本来の目的のために力を使えるんだ。いい加減、大人しく投降しろ!」
小さく首を振り、蓮は両腕を体の前で構え、拳を固めた。
「悪いけど、今の俺にはあんたの言葉は信じられない。それに、俺がこの力を使う理由は他にある」
バックステップで藤宮の牙から逃れ、右腕を僅かに後ろに引く。渾身の力を込めて、拳を前に突き出した。
「俺は、皆のために戦う。皆を守るために、この力を使う!」
右ストレートが狼獣人の胸部をとらえ、藤宮の体がくの字に折れ曲がる。十メートル以上も吹き飛ばされた藤宮は樹木に激突し、力なく崩れ落ちた。
森川と井上は、一定距離を保ちつつ相手と銃撃戦を展開していた。
敵は、アルマジロを思わせる姿をした獣人。ごつごつとした黒く頑丈な皮膚をもち、通常の弾丸を受けた程度では怯みもしない。ゆえに接近戦に持ち込まれれば勝ち目は薄いと判断し、中距離から銃撃を浴びせる戦術を選んだのだった。
だが連続で撃ち続ければ、銃の反動が徐々に体にダメージを蓄積していく。劣勢を意識しかけたそのとき、銃声が轟いた。消音機能のついた実戦用の銃ではない。競技用のピストルである。
藤宮の敗北、そしてターゲットである和泉蓮の完全な覚醒。遠目にこれらの事実を確認した澤田が合図を出し、部下に撤退を命じたのだった。
銃声を聞き、襲撃者たちは一瞬で姿を消した。高く跳躍し、その場から離脱する。
そのうちの一人が、意識を失っている藤宮の体を抱え上げて逃げようとした。白い毛に包まれ、丸みを帯びた体つき。頭部から伸びる長い耳。おそらく、跳躍力に優れたウサギの能力者だろう。負傷者が出た場合、それを連れて撤退する役目を担っているに違いない。
「待て!」
蓮は慌てて、その後を追おうとした。藤宮を逃がすわけにはいかない。彼には色々と聞かなければならないことがある。特殊部隊の構成員の持つ力とは一体どのようなものなのか。自分は何故この力を有しているのか。ここで藤宮に逃げられれば、謎が明かされる日は下手をすると一生訪れないかもしれない。何としてでも彼を捕らえ、口を割らせたいと思った。
地面を蹴り飛ばし、ウサギ獣人の女の後ろに追いつく。獅子の爪を横薙ぎに力強く振るったが、斜め前にぴょんと跳んだ女はそれを難なく躱した。
まるで将棋の駒の桂馬のように、前方にぽんぽんと跳んでいく。藤宮を抱えて逃げるその女を、蓮はついに捕らえることができなかった。必死に追いかけたが、相手のトリッキーで予測しづらい動きに翻弄され、攻撃は空を切るばかりであった。
「くそっ……」
女が大きく跳び、視界からその姿が消える。蓮は足を止めて呼吸を整え、がっくりと肩を落とした。秘密を暴く絶好のチャンスをふいにしてしまったのは、控えめに言って大きな痛手だ。
いや、それよりも大きな問題がある。
(変身したのはいいけど……どうやって元に戻ればいいんだ⁉)
何よりも肝心な点を、蓮は今まで失念していた。さらにますいことに、ウサギ獣人を追って走り出てしまったせいで、今自分は遮蔽物の一切ない草原に立っている。つまり、蓮の姿は討伐隊の隊員らから丸見えになっていた。注がれる視線には、警戒心が満ち満ちている。隊員らは声を掛け合い、連携して目標を追い詰めようとした。
「まだ敵勢力が残っている。油断するな!」
「おう!」
客観的に見て、自分の姿はあの獣人たちと大差ないはずだ。蓮を特殊部隊の一員と勘違いした隊員らが狙撃銃を構え、四方から蓮を取り囲む。逃げ出す暇もなく包囲されてしまい、蓮は今大いに焦っていた。
(まずい。このままじゃ殺される)
いくら常人を凌駕した身体能力を得たといっても、これだけの人数を相手にして無傷で逃げ切れるとは思えなかった。祈るように、必死で念じる。
(頼む、元に戻ってくれ。戻れ!)
その思いが通じたのか、体が白煙に包まれる。数秒後には、蓮は元の姿に戻っていた。
ほっとしたのは束の間だった。たちまち、あちこちからどよめきが起こる。そこに立っていたのは、どう見ても自分たちと同じ討伐隊の一員だったのだ。蓮のことをよく知っている人間なら、受けた衝撃はもっと大きかったろう。
包囲の輪を縫うようにして進み出てきたのは、佐伯だった。
「和泉、お前……」
目を見開き、信じられないというように立ち尽くす。彼の後ろには森川や井上、岸田もいた。皆一様に唖然とし、同様の表情を浮かべている。
「いや、違うんだ」
蓮はぎこちなく笑みを浮かべた。しかし、自分でも何が違うのか分からなかった。この状況をどう切り抜ければ良いのか、全く考えが浮かばなかった。
「和泉君」
そこに、隊長の曽我部が険しい顔で歩み寄ってくる。
「これは、どういうことかね」
「……分かりません」
蓮にできることは、正直に答えることくらいだった。奇妙なものを見るような視線に耐えられず、目を伏せてうなだれた。
討伐隊隊長のテントに呼び出された蓮は、命じられるがままに椅子に腰かけた。長机の向かい側には、何人ものベテランの隊員が並んで座っている。その列の真ん中に座す曽我部は眉間に皺を寄せ、蓮へ射抜くような眼差しを向けた。
入隊する直前に受けた、二次審査の面接のときのことを思い出す。しかしあの時と違うのは、審査員の目に敵意と警戒心が露わになっていることだ。
「もう一度聞くが、君は何故自分が獣のような姿へ変わったのか分からないということかね」
「はい」
すくみ上がりそうになるのを必死に堪え、答える。
「本能的なものなんです。戦っている途中、気がついたら変わっていたというか……」
男たちは顔を見合わせ、小声で何事か囁き合った。今の発言が信じるに足るか、検討しているのかもしれない。
「何も思い当たることはないのかね。つまりその、君が変身能力を持つことになった原因について」
「すみません、分かりません」
曽我部が重ねて尋ね、蓮は小さくかぶりを振った。隊員らがしばし考える素振りを見せたのち、質疑が再開される。今度は隊長ではなく別の、髭を蓄えた男が口を開いた。
「隊員の中には、君の力は政府軍特殊部隊のものと同種ではないかと考える者も多くいるようだ。それについてはどう考えている?」
「……分かりません」
俯いた蓮を見やり、曽我部は何か思いついたようだった。一旦席を立つと、デスクから書類を多く挟んだファイルを取り出す。
「これは、入隊希望者から送られたメールの内容を印刷したものだ。もちろん、君の分も入っている」
席に戻った曽我部は、ファイルの中から一枚の用紙を抜き取ってテーブルの上に置いた。それは、一次審査の際に蓮が討伐隊に提出した履歴書に他ならなかった。全てを見抜かれているような気がして、体が強張った。
「もし君の能力と政府軍に何らかの関係があるのだとすれば、君のこれまでの経歴の中で軍と接点があった時期を探し、それについて我々の方で調査すれば謎が解けるかもしれない。ここに記載されていないことでもいい、何でも思い当たることを話してみなさい。謎の解明のためなら、私たちも協力は惜しまない」
口調は柔らかかったが、一言一言に威圧感があった。蓮は改めて、自分の提出した書類に目を向けた。
偽りで塗り固められた経歴だった。高校までずっと地元の公立校で過ごし、学校での成績は中の下くらいであったこと。卒業後は大学には進学せず討伐隊に入る道を選んだこと。両親は共働きで稼ぎはそこそこ、家はいわゆる中流階級であること。
何もかも全てが嘘だった。その事実を再確認し、蓮はしばらくぶりに自己嫌悪に陥った。自分がどれだけ醜く、自己保身に走りがちであるかを痛いほど思い知らされた。
真実はまるで真逆である。
蓮は小学校から高校まで、都内にある私立の進学校に通わされてきた。父の期待に応えようと一生懸命に勉強し、定期テストでは常に上位に食い込んでいた。難関大を十分に狙えるレベルの学力を持っていて、父は自分を防衛大学校に入れたがっていた。防衛大は父親の母校であり、ゆくゆくは自身の後継者、もしくは右腕として使うつもりだったのだろう。
けれども高校三年の後半になって、蓮の成績は低迷し始めた。何のために勉強しているのかと自問自答し、心の迷いから勉強に身が入らなくなったのだ。思えば今まで自分は、自分の本当にやりたかったことをほとんど為さぬまま、生きてきたのではなかったか。本当は、軍人になってこの国を守りたいと心から思ったことはない。人類を脅かすスパイダーを憎む気持ちはあったが、この時の蓮にはまだ戦う勇気が足りておらず臆病だった。
スパイダーを憎むようになったのは、父の影響だった。大学受験を放棄して討伐隊に入ったのも、父への反抗の意味合いが強い。心の隅ではスパイダーを恐れつつも、父を見返してやりたい、一泡吹かせてやりたいという思いの方が勝ったからだ。
ふと、いい加減に全てを打ち明けようかという気がした。このまま嘘をつき続ければ、隊員たちに追及を受けることはないかもしれない。しかし、それでは前に進めないように思えた。情報提供をしなければこの力の謎は解けず、自分自身について何も分からぬまま生涯を終えることになるかもしれない。どうせ、隊員たちがこの書類に基づいて蓮の身辺調査を始めでもしたら、すぐにばれてしまう類の嘘なのだ。真実を伝えるのは早い段階の方が良い。
それに、過去を隠し、自分を偽って生きるのが正しいことだとは思えない。たとえ、それを明かすのが痛みを伴うのだとしても。
「……曽我部さん、本当にすみません。ここに書いてあることは、ほとんどが嘘なんです」
蓮が深く頭を下げると、曽我部や他の隊員らは血相を変えた。
「どういうことかね。君は、虚偽の情報を元に入隊希望を出していたと?」
「そういうことになります」
顔を上げ、蓮は真剣な表情で曽我部を見た。
「今から、全てを話します。……僕の父親の本当の名前は、和泉零二。政府軍の最高司令官です」