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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
1 獅子の目覚め
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5 苦悩、そして再戦

 翌日、岸田は朝食をとってすぐに第十八班の班員を召集した。

「昨日の戦闘で、討伐隊は使える戦力を大きく削がれた。当分の間、スパイダー攻略は難しい」

 渋い顔でそう告げた岸田の首筋には、引っかき傷のような赤い線が走っている。特殊部隊の者にやられたのだろう。

 森川が残念そうな顔をした。彼女の入隊した目的は、スパイダーを狩って懸賞金を得て、貧困にあえいでいる家族の生活を助けることだ。それを達成しづらくなるのなら、さぞかし辛いだろう。

 一方の蓮は、岸田の話に意識を集中させることができなかった。まとまった考えがあるわけでもないのに、昨日の出来事について、そして自分自身について考えを巡らせるばかりであった。

入隊してからというもの、こんな鬱屈とした気分を味わうのは初めてだった。


 それからしばらくの間、訓練内容は対政府軍を意識したものへと変わった。すなわち、コンバットナイフ等を用いた白兵戦の練習が行われ、また激しい戦闘で後れを取らぬよう、体力づくりに充てられる時間も増えることとなった。

 今までは射撃訓練が主な訓練内容であったが、これはスパイダー討伐を主目的としたものだ。高い構造物に登り、上空を通り過ぎる敵へ向けてひたすらに狙撃銃を連射する。そこで最重要なのは正確に目標を撃ち抜く射撃技術であり、ライフルの与える強い反動に耐えるすべを身につけることであった。

政府軍と交戦することもなくはなかったが、遮蔽物に身を隠しながらの銃撃戦というかたちが多かった。この場合も、やはり射撃訓練に主眼を置くのが正解といえる。


 先日のような戦いは非常にレアなケースで、ベテランの隊員も戸惑いを隠し切れていない。隊長の曽我部も事態を憂慮し、大幅な方針変更に踏み切ったわけである。

 対スパイダー用狙撃銃は確かに強力な武器だが、接近戦で使うには不向きだ。至近距離で命中させれば威力は絶大であるものの、もし外せば相手に間合いに入られ、下手をすると首を取られる。端的に言ってリスクが大きすぎるのだ。素早い動きで襲いかかってくる例の襲撃者らが相手では、尚更である。それよりは、ナイフなどの得物で応戦する方がまだ勝算がある。

 もっとも、その他にも理由はある。射撃の訓練を行うには当然だが銃弾が必要となり、したがってそれを購入するための資金を消費することになる。敵に対して効果が薄いと判断される武器を使う訓練のために、曽我部はそれほどの金をつぎ込む気になれなかったのである。白兵戦の訓練であれば、時折刃を研いでやればそれで済む。


 襲撃を受けた日以降、連日のように会議が開かれていた。各班の班長が曽我部のテントに集められ、意見を出し合う。もちろん、その中には岸田も含まれていた。

「一体、あの特殊部隊の正体は何なんです。獣人のような姿への変身能力を持つなど、普通の人間ではあり得ません。いや、姿が変わるだけではなく、通常を遥かに凌駕した身体能力をそなえています。まだ調べはついていないんですか」

 長机を囲んで隣の椅子に腰掛けた男が、苛立ちを露わにまくし立てる。横に座る岸田は、舌打ちしたい気分だった。

(やかましい。それが分からないから、とりあえず対処方法を検討してるんだろうが)

 話し合いの流れを乱すのは、褒められた行為ではない。訓練内容の変更について問題はないかとかそういうことを議論していたのに、個人の感情を過度に出すのは禁物だ。

「気持ちは分かるが、少し自制したまえ」

 曽我部が彼を手で制し、重い口を開く。

「……彼らは、政府軍の特殊部隊と名乗っていた。澤田という男の言葉を信じるなら、その存在は公にされていないらしい。ここからは私の推測なのだが」

 乾いた唇を少し舐めて潤し、続ける。

「彼らはいわば、政府軍の秘密兵器なのではないだろうか」


「秘密兵器?」

 オウム返しに言った男に、曽我部は軽く頷いた。

「政府軍が科学者グループと裏で手を結んでいる……そういった噂が流れるようになって久しい。政府が何らかのルートで研究機関から先端技術を導入し、彼らのような生物兵器を造り出したのだとしたらどうだろうか」

「隊長の説の線もあるでしょう。しかし、科学者グループと政府軍を結びつけるのはいささか飛躍しすぎているように思われます。政府とそうした研究機関の癒着はたびたび疑われていますが、決定的な証拠がない以上、癒着を事実として考えを推し進めれば、陥穽に嵌まりかねません」

 向かいの席の日焼けした男が挙手し、意見を述べた。

 その後も多少の反対意見や批判があり、ひとまず曽我部説は保留にされた。

 けれども岸田には、まだ推測の域を出ないが有力な説だと思えた。


 訓練内容の変更は、よりハードな演習が増えることを意味していた。

 ナイフを使った接近戦の練習では、蓮は幾度となく佐伯と熱戦を繰り広げた。模擬戦であるため刃には布が巻かれており、突いたり切ったりしても傷が残ることはない。だが二人の気迫は本物だった。

 刃と刃がぶつかり合う接戦の末、僅差で蓮が負けることが多かった。負けたくないという思いから、自然と佐伯を見習って筋トレに励むようになった。それに、森川や井上も見ている手前、あまりかっこ悪いところを見せたくなかったのだ。

 体力をつける一環としては、中距離走が頻繁に行われた。といっても、整備されたトラックを走るわけではない。キャンプ地の近くの山野の中を駆け抜けるのだ。

 急勾配の坂道もあれば、野生動物が飛び出してくることもある。持久走よりもむしろアスレチックに近いかもしれない。かなり足腰が鍛えられたという自覚がある。


 いつも最初は班員の四人で足並みを揃えて走っているのだが、途中から各々のペースを維持するようになる。

 佐伯の少し後ろを蓮が走り、その後方を森川と井上が並んで走っている。彼女らは時々会話を交わしつつ、飛ばし過ぎないようにしていた。井上はあまり体力に自信がないようで、森川はそんな彼女を励ましながら走っている。一人だけ置き去りにするなどという真似はできないに違いない。班長に見つかったら怒られるため、そうなりそうであれば森川もやむなくペースを上げるだろう。それでも、できる限り井上に寄り添おうとしている。

 優しいんだな、と後ろをちらりと振り返って蓮は思う。森川の優しさや気遣いは、第十八班の結束を強めるのにだいぶ貢献しているのではないだろうか。自分たち三人だけでは、お互いに遠慮し合ってなかなか話せなかっただろう。


 不意に佐伯がスピードを上げ、大きく前に出た。

「あっ、おい待てって」

 背中にそう呼びかけ、蓮も慌てて走る速度を速める。指示されたコースの、まだ四分の一も走っていない。今から全力を出さなくとも、後半に向けて体力を温存して良いように思えるのだが。それに、四人でほぼ一定に保っていたペースを破壊するのはどうにも唐突に感じられた。

「甘いな。訓練で全力を出せない奴が、実戦で勝てるはずがない。だからお前は俺に勝てないんだ」

「何だと」

 振り返ることすらせず、余裕を滲ませた口調で言い放つ。さすがにカチンときて、蓮も言い返した。

「昨日の模擬戦は一勝一敗だったじゃないか」

「総合的に見れば俺の方が強い。これは事実だ」

「……くそっ、見てろよ」

 今や蓮の中では、班の雰囲気を乱さないよう自制する気持ちよりも、佐伯への対抗心の方が勝っていた。みるみるうちにスピードを上げた二人は、あっという間に森川たちの視界から消えてしまった。


「元気やねえ、蓮君も佐伯君も」

 可笑しそうに笑った森川の横顔を、井上は不思議そうに見た。

「そういえば、綾音ちゃん」

「何?」

「和泉君のことは下の名前で呼ぶのに、佐伯君のことは名字で呼ぶんだね。なんか、面白いな」

 馬鹿にしてやろうとかからかってやろうとか、井上にそういう意図は一切なかった。ただ純粋に疑問に感じ、微笑を浮かべただけだった。

 にもかかわらず、森川はひどく狼狽したようだった。

「えっ、そうやろか」

 心なしか、頬が赤く染まっているように見える。

「あー、あれやね。ほら、下の名前で呼んだら何となく気恥ずかしいやん」

「説明になってないよ」

 しどろもどろになりかけた彼女に、井上は悪戯っぽい視線を向けた。こんなに動揺するとは思っておらず、嗜虐心を若干刺激されたらしい。

「和泉君は下の名前で呼んでも恥ずかしくないけど、佐伯君は駄目なの? 何で?」

 純粋無垢な瞳に見つめられて、森川は真っ赤になってしまった。

「な、何となくよ! 何となく」

 出し抜けに前に飛び出した森川は、一気に走る速度を上げた。

「待ってよー、綾音ちゃん」

 持久走は得意ではないが、森川に追いつけば話の続きを聞けると考えると、走る意欲が掻き立てられるように感じた。

 少しだけ息が上がっていたものの、井上は元気いっぱいに走り出した。


「……今日は引き分けって感じだったな」

 夜、寝袋の中に潜り込み、テントの中の暗闇で蓮が呟く。

「いや、俺の方が少し速かった」

「どう見ても同時だろ」

 横で軽口を叩いた佐伯に、苦笑して言い返す。

 出会った頃はぎくしゃくしていた二人だったが、今ではかなり打ち解けてきていた。多分、佐伯が自分のことをライバルだと認め始めたからだろうと思う。

 政府軍の特殊部隊と戦った辺りから、そんな風に感じていた。あのとき、狼人間へ変貌した藤宮を相手にし、どうにか退けた蓮を、彼は尊敬するようになったのかもしれない。実際は謎の力の作用で難を逃れることができただけなのだが、言わない方が得なことも世の中には多く存在する。

 いや、自分たち二人だけではない。森川と井上も、以前と比べて格段に仲良くなっているように見える。彼女たちの間で何があったのか、蓮は詳しいことは知らない。けれども、井上が少しずつ自分たちに心を開き始めていることが素直に嬉しかった。

「……さあ、どうだろうな」

 憎たらしく言い、佐伯が目を閉じた。疲れが溜まっているのはどちらも同じだ。自分もそろそろ眠ることにしよう、と思う。

 ふと、訓練に打ち込む中で、以前は絶えず感じていた不安が薄れてきていることに気がついた。

(そうだ。俺が何者で、この力の正体が何なのかなんて、今すぐに答えを出さなきゃならないことじゃない。少なくともここには、俺を受け入れてくれる仲間がいる。それだけで十分だ)

 安心感に包まれて、蓮は久しぶりに深い眠りについた。


 耳障りなエンジン音で、はっと目を覚ます。

 もう起き上がっていた佐伯が、無表情で蓮に狙撃銃を手渡してきた。

「……敵か?」

「どうやらそうらしい」

 敵というのは無論、政府軍のことだ。ライフルを受け取りながら尋ねると、悪い知らせが返ってきた。二人してテントを飛び出すと、ちょうど岸田が残りの班員を連れて駆けてくるところだった。

「例の特殊部隊だ。お前らも加勢してくれ」

 こくりと頷き、その背中に続いた。


 十数台の大型バイクが停車し、ドライバーたちは森の中に張られた無数のテント群を眺めている。

「澤田さん、今回の役割分担はどうします?」

 右手をハンドルから離して眼鏡を少し押し上げ、松木が問う。真っ黒なスーツが、早朝の薄闇の中に溶け込んでいた。

「前回と同じでいいだろう」

 討伐隊のキャンプ地から視線を外さずに、澤田は鷹揚に頷いた。

「変更点は一つ…前のような前振りはなしだ。討伐隊の連中がこちらに気づき次第、先制攻撃を仕掛ける。ターゲットの捕獲に成功したら、すぐに引き上げる」


 襲撃の方針が変わったのには、政府軍上層部の思惑が絡んでいた。

 前回の作戦の後、部隊長である澤田の報告を受けた老人たちは落胆し、そして驚愕していた。切り札として密かに用意していた特殊部隊が、討伐隊を圧倒こそすれども目標を捕らえられずに帰還した。その事実は少なくない衝撃を与えたらしい。

 また、ターゲットが覚醒しつつあることも彼らを焦らせている。完全に自分の力に目覚めれば、捕獲はますます困難となる。そうなる前に対処するしかない、という結論に至った。

 エンジンをアイドリングさせ、藤宮がにやりと笑う。

「あいつはまだ、自分の力を上手く扱えていない。この間は不意打ちを喰らっちまったが、今度はそうはいかないぜ」

「期待しているぞ」

 澤田と藤宮の短いやり取りの直後、討伐隊に動きがみられた。各々が武器をとり、特殊部隊の潜む開けた草地へと向かってくる。

「……『能力解放』」

 コマンドを小さく唱えると同時に、同心円状に衝撃波が飛ぶ。獣人へと変わった彼らは、討伐隊への攻撃を開始した。


 一直線にこちらに突っ込んでくる、灰色の弾丸。

グレーの硬い皮膚に身を包み尖った角を生やした、サイの特徴をそなえた獣人。その姿を見て取るや、佐伯は他の班員たちを手で制して言った。

「こいつとは前にも戦ったことがある。戦い方は俺が一番よく知っている」

「分かった。ここは任せる」

 小さく首を縦に振り、蓮は別方向に走り出した。森川と井上も、心配そうな面持ちながら反対方向に駆けていく。皆、迷いがないわけではなかった。しかし、佐伯を信じることにしたのだった。

特に蓮は、リベンジに燃えている彼の姿を誰よりもよく知っていた。あの佐伯が、何の策も用意していないはずがない。


「……たった一人でかかってくるとは。しかも、以前完敗した相手に。無謀にもほどがありますよ!」

 嘲笑うように松木が言った。右肩を前に出し、高速でタックルを繰り出してくる。ライフルを両手で構えた佐伯は目を細め、松木の動きを辛うじて捉えた。

 不意に銃口を地面へと下ろし、佐伯がくるりと方向転換する。左斜め後ろに向かって全力で疾駆する彼を、松木は戸惑ったように見つめた。一旦足を止めて進行方向を変えると、再度ショルダータックルを仕掛ける。

「怖気づきましたか。だが、あなたに逃げ場はありません」

 勝ち誇った笑い声を上げ、額から伸びた角を佐伯へと真っ直ぐに向ける。ひたすらに逃げる彼を追いながら、松木は勝利を確信していた。

 この先の一帯には巨木が横並びに立っており、両脇にも広範囲にわたって茂みがある。相手に逃げ場などあるはずもなかった。

(もらった!)

 大木を目の前にして走る速度を落とした佐伯の背中へと、松木は叩きつけるようなタックルを繰り出した。


 砲弾の如き必殺の一撃は、しかし空を切る。一瞬のうちに、敵の姿が視界から消えていた。眼前には巨木がそびえている。訳の分からぬまま、松木は踏み出しかけた足を止めた。

(何?)

 動揺し、辺りを見回した松木の目が、自然と上方へ吸い寄せられる。次の瞬間、立て続けに銃声が響いた。

「ぐあっ……」

 苦悶の叫びを上げ倒れた松木は、背中の二か所を撃ち抜かれていた。いずれも急所は外しているようだが、出血の量は少なくない。黒のスーツが赤く染まっていた。

 なおも呻いている彼を、佐伯は冷たい目で見下ろしていた。再び銃を下ろし、巨木の太い枝のうちの一本を掴んでいた手を離して、飛び降りる。静かに着地し、告げた。

「命まではとるつもりはない。大人しく退散しろ」

「……敵ながら見事です。ここは退かせてもらいましょう」

 傷口を押さえ、息を切らしつつ松木が答えた。そこに先ほどまでの気迫は感じられない。地面に手をついてどうにか立ち上がり、ふらふらと後ずさる。

「袋小路に逃げ込んだと見せかけ、木の幹を駆け上がることで私の攻撃を回避。幹に衝突するのを避けるべく私が足を止めた隙を突き、上から銃撃を浴びせて仕留めるとは…さすがの一言ですよ」

 偽りのない賛辞を送られても、佐伯はほとんど顔色を変えなかった。

「お前に勝つためには、攻撃を躱すのと同時に反撃を仕掛ける必要があったからな」


 松木がよろめきながら逃げ去っていくのを見ながら、佐伯は確かな手応えを感じていた。

 いくら助走をつけているといっても、木の幹を駆け上がり即座に反撃に転じるというのはなかなか困難な技だ。それを可能にしたのは、ここ数週間の鍛錬の成果である。毎日のように行われた中距離走の訓練と地道なトレーニングによる積み上げが、彼に新たな力を与えてくれたのである。

(俺はもっと強くなる。そして、全てのスパイダーは俺が倒す。政府軍に邪魔はさせない)

 そう自分に言い聞かせ、佐伯は次の敵へと向かっていった。

 

 死角から飛びかかってきた狼人間の牙から、蓮は間一髪で逃れた。横に転がったのちに素早く立ち上がり、敵の姿を認める。

 変形し高くなった鼻を僅かに動かし、目標の匂いを嗅ぎ取る。藤宮は残忍な笑みを浮かべ、灰色の毛並みに覆われた顔をこちらに向けた。口からは鋭い牙が覗いている。

「今度こそ、パパのところに連行してやるよ」

 小馬鹿にしたような口調が、蓮の神経を逆撫でした。

「……やれるものならやってみろ」

 前回の戦いから、藤宮相手に狙撃銃は効かないと分かっている。間合いに入られて銃身に噛みつかれた結果、何もできないまま叩きのめされてしまった。身軽に動き回る敵には、別の手段の方が有効であるはずだ。

 蓮はライフルを脇へ投げ捨て、代わりにベルトに吊るしてあったコンバットナイフを抜き放った。ここ数週間の白兵戦の演習を通して、少なくとも接近戦においては佐伯と同等の戦闘技術を身につけられたという自負がある。

「それじゃあ、お言葉に甘えるとするか!」

 牙を剥き出して踊りかかってきた藤宮を、蓮は右手に握り締めたナイフで迎え撃った。



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