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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
5 ユグドラシルの雨
32/34

32 決着

「時間になりました」

 ジェームズはただ一言、そう告げた。だが、彼の言葉の意味するところは全ての部下が理解していた。

 壁に掛けられた時計は、午後四時ちょうどを指し示している。

 研究者の一人がフロア中央に向かい、床に据えつけられたレバーを横に倒す。同時に円形の厚い床がせり上がり、科学者たちの集う最上階に到達した。


 ラードーンが収容されていた檻を移動させ、代わりにカプセル型の装置をそこへ鎮座させる。台車から降ろされた装置が、数人の研究員の手で慎重に置かれた。その中では、拘束から逃れようとユグドラシルがもがいている。しかし、体を固定する器具は外れる気配も見せず、無駄な抵抗であることは誰の目にも明らかだった。

 数時間前からずっと装置の中に閉じ込められているユグドラシルは、NEXTが自分を使って何をしようとしているのか知らない。けれども、正しい目的のためでないことは確かだった。紛れもない恐怖の表情を浮かべ、彼女は必死に体をよじっていた。


 科学者たちは装置の周辺に集まり、その上部に取り付けられたアンテナ上のパーツの角度を入念にチェックした。問題がないことが確かめられ、ついにNEXTの計画が始動する。

 目を細め、ジェームズはビルの吹き抜け部分から空を見上げた。スパイダーの張り巡らせた巣でかなりの光量が遮られてはいるが、それでも十分に眩しい日差しだった。雲一つない快晴であった。


「では、始めましょう」

 世間話でもするような軽い調子で、ジェームズはにこやかに言った。そして装置の横へ歩み寄り、タッチパネルに表示された大きなボタンをタップした。血のように禍々しく赤いボタンだった。

 装置が稼働を始め、ユグドラシルは悲鳴を上げた。首元にチューブ状の管が刺し込まれ、手首と足首に取り付けられた電極からは高圧電流がほとばしる。今までの実験のときとは比べ物にならない、想像を絶する痛みが彼女を襲った。ユグドラシルは吠えるように絶叫し、何度か意識を失いかけた。

 装置上部のアンテナが、淡い緑色の輝きを帯びる。それはやがて一筋の光となって、天井へと垂直に立ち昇った。



 おそらく、ジェームズたちがセキュリティを操作したのだろう。全てのエレベーターの扉はロックされており、討伐隊は最上階まで階段を使って移動するしかなかった。

 やっとの思いで目的の階に辿り着き、隊員たちは皆息を切らしていた。体力自慢の男たちも、高層ビルの階段を駆け上がればさすがに疲弊する。

「悪いな、乗せてもらって。おかげで助かったよ」

 小声で礼を述べて、蓮はウサギの能力者の背中から降りた。白石は嬉しそうに、その場でぴょんぴょん跳ねてみせた。

「お安い御用です」


 四人の能力者は彼女によって順番に上階へ運ばれ、蓮が最後だった。何往復もしているはずの白石は、しかし全く疲れを見せていない。跳躍力に秀でているというだけはある。

 討伐隊は辺りを見回しながら、慎重に進んだ。能力者を全員倒したとはいえ、NEXTが何の警戒もしていないとは考えづらかったからだ。

 案の定、十メートルも歩かないうちに警備員が大挙して現れた。青い制服に身を包んだ彼らは、警棒を振り上げて一斉にこちらに向かって来た。片手に防弾シールドを掲げた男たちが迫ってくる姿は、荒れ狂い浜辺に押し寄せる波を連想させた。


 蓮たちが身構えたそのとき、フロアの中央部で何かが光った。緑色の光が天へと伸びていくのを、目ではっきりとらえることができた。NEXTが描くシナリオは最終段階に入ったのだと、直感的に分かった。

「させるか!」

 並みいる警備員たちを飛び越え、蓮はその向こう側に降り立った。後ろを振り向くことなく、光の立ち昇った一点を目指して一心不乱に走る。佐伯、そして澤田と松木もそれに続いた。



 恍惚とした表情で、ジェームズをはじめとする科学者たちは両手を広げ、目を閉じていた。

 装置から真っ直ぐに伸びた一筋の光が、上空でスパイダーの巣に当たる。巣を形づくる糸は、光が照射された瞬間にドロドロに溶けた。緑色のエキス状に変化したそれは、雨となって降り注いだ。

 装置へ駆け寄ろうとして、蓮はすんでのところで足を止めた。目の前を落下する多量のエキスの雨粒が、カーテンのようになって行く手を阻む。ちょうどビルの吹き抜け部分にのみ、その雨は滴り落ちていた。


「一足遅かったようだな、討伐隊の諸君」

 じきに雨の勢いが弱まると、ジェームズの姿がおぼろげに見えた。放たれた光はNEXT本部ビルを中心とし、周囲のスパイダーの巣を侵食するようにして影響を広げているようだった。放射状に光の波動が広がり、巣を変化させていく。こうしている間にも、このビルの辺り一帯にエキスが降り注いでしまっているはずだ。

「私たちの……勝ちだ!」

 狂気を感じさせる笑みを浮かべ、ジェームズは言い放った。彼は全身に緑色の液体を浴び、両腕を天に掲げた。スパイダーの巣が存在しない空は、ずっと明るかった。


 突然エキスが発熱し、ジェームズが痛みに顔を歪めた。べとつく高温の液体は衣服を溶かし、露わになった肉体へと吸い込まれる。やがて、新たに生じた白く硬質な皮膚が全身を覆い、鎧を纏ったような姿へと変化した。他の科学者たちも同様のプロセスを踏み、異形の者となる。

「素晴らしい。これこそ、私たちの望んだ未来だ」

 ジェームズは感嘆し、うっとりするように自身の体を見つめた。石灰岩を思わせる、硬くごつごつとした皮膚は純白。シルエットこそ人型だが、細部は人間のものとは異なる。醜く突き出した下顎。頭髪は全て抜け落ち、その代わりに額からは触覚のような器官が生えている。一連の特徴に、蓮は見覚えがあった。彼のすぐ後方で事態を目の当たりにしていた他の三人も、同じ思いだったに違いない。


(スパイダーだ)

 NEXTは、人間をスパイダーに近い存在へと変えようとしているのだ。全世界にこの雨が降り注ぐまで、そう長い時間はかからないだろう。

 こんな暴挙が許されるはずがない。今すぐにでも彼らを殴りつけ、装置を停止させてやりたかった。けれども、何故か体が動かなかった。


 否、実のところ、その理由は蓮自身にも分かっていた。暴走するジェームズたちを止めるには、装置へ接近し、中に囚われているであろうユグドラシルを傷つけないように破壊する必要がある。しかし蓮が攻撃を行えば、いまだ降りやまないエキスの中に身を晒すことになる。それはつまり、科学者たちと同じ異形の存在になるということだった。


(何を迷ってるんだ。俺は能力者だ。どのみち、もう普通の人間じゃない)

 失うものなど、常人に比べれば少ない方だろう。覚悟を決め足を踏み出しかけた蓮を、ジェームズは面白がるように眺めていた。

「いいのか?このエキスを浴びれば、二度と人間だった頃の姿に戻ることはできない。たとえ私たちを退けることができたとしても、お前は一生醜悪な姿のままだ」


 奥歯を噛みしめ、蓮は足を止めてしまった。彼は今、途方もなく大きな決断を委ねられていた。自分だけが人間であることを捨てて、世界を救うのか。それとも全ての人類が変わり果てた姿になる運命を受け入れるのか。

「もちろん、私たちはこの姿になったことに後悔はない。もうじき、全人類が同じ姿になるのだからな!」

 さあどうする、とばかりにジェームズは揺さぶりをかけ続けた。


 客観的に見れば、前者の方が正しいはずだ。しかしここに来て、蓮の中で迷いが生じてしまった。それは佐伯や澤田、松木も同様だ。彼らも足先を装置へ向けかけ、束の間逡巡していた。

 案外、NEXTが切り拓こうとしている未来も悪くないのではないか。そんな誘惑じみた考えが頭をもたげた。強化された肉体を使い、環境汚染の影響を受けずに逞しく生きていく。そんな生き方もあり得るかもしれなかった。


(いや、駄目だ)

 即座に否定し、蓮は心を決めた。

(ここで引き下がったら、ペガサスやセイレーンの犠牲が無駄になる)

 彼らばかりではない。命懸けでユグドラシルを守り抜いて散った藤宮、その他大勢の、名も知らぬ能力者たち――その全員の思いを受け継いで、自分たちは今ここに立っているのだ。


「よせ、和泉」

 柄にもなく、切迫した調子で佐伯が呼び止めようとする。制止の声を振り切り、蓮はエキスの雨の中へ飛び込もうとした。自分がどうなろうが、それで誰かを救えるのなら構わないと思った。



 刹那、濡れた空気を一発の銃弾が切り裂いた。銃声に驚いて、蓮は思わず足を止めた。あと数センチのところで、雨には触れていなかった。

 狙いすまして放たれた弾丸は、装置側方のタッチパネルの真ん中に命中した。一瞬にして画面が暗くなり、カプセルから多量の火花が散る。黒い煙が立ち昇る装置の中で、ユグドラシルは恐る恐る目を見開いた。激痛は嘘のように去っていた。


 唖然として、蓮は銃声のした後方を振り返った。撃ったのは佐伯たち三人ではなかった。そもそも、今彼らは銃器を携帯していない。

「誰だ⁉」

 狼狽を隠せずに、ジェームズが叫ぶ。エキスの雨で視界が遮られ、狙いを定めるのは非常に難しかったはずである。この状況かにおいて、たった一発の銃弾で装置を完全に停止させるなど、凄腕のスナイパーでも困難をきわめるはずだ。そんな芸当が可能な者がいるという事実自体を、彼は恐れた。


「……普段だったら、絶対こんな真似しないんだけどよ」

 柱の影からふらりと姿を現したのは、他でもない、第十八班班長、岸田達郎であった。手にしたライフルの銃口からは、うっすらと白煙が上がっている。

「能力者とかいうスーパーマン同士のバトルに割って入るなんて、できやしねえ。俺はビビりだからな」

 いつの間に警備員たちを突破してきたのだろうか。俯き、自嘲気味の笑みを漏らしたのち、岸田はジェームズたちを睨みつけた。

「でもな、あの人に約束しちまったんだ。その子を必ず助け出すってな」


 この瞬間、ユグドラシルを救出するためだけに密かに射撃訓練を積み重ねてきたのだ。蓮と佐伯は、改めて岸田へ尊敬の眼差しを向けた。普段はいい加減な面が目立ちはするが、彼は自分たちの班長であり、誇りだった。

 装置が機能を停止したことにより、ビル上空から拡散していた光の波動も消滅した。スパイダーの糸のエキス化は止まり、巣が崩壊したのはごく狭い範囲に留まった。


 降り注ぐ雨が弱まり、やがて完全に止む。計画を阻止され、科学者たちは怒り狂っていた。

「よくもやってくれたな」

 目をぎらぎらと光らせ、ジェームズが蓮たちを眺め回す。

「こうなればお前たちを全員始末し、装置を再起動させるまでだ!」

「そんなこと、絶対にさせない」

 闘志を燃やし、蓮は彼を真っ直ぐに見返した。ジェームズが怯む気配が、僅かに伝わった。


「お前らはそいつらを止めてくれ。俺はユグちゃんを助け出す」

 四人の戦士の横に並び、軽い口調で岸田が言う。構えた狙撃銃には、まだまだ弾丸が込められているようだった。

「了解です!」

 蓮は力強く頷いた。装置は停止した。あとは、怪人と化した科学者たちを止めるだけだ。

 咆哮を上げ、蓮たち四人の能力者が勢いよく敵へ突進する。文字通り、最後の戦いが幕を開けた。



「サイキ・マサヤだな」

 片言の日本語で名を呼ばれて、佐伯はぴたりと足を止めた。怪訝な顔で、かつて科学者の男だったものを問いかけるように見返す。

「何故俺の名を……」

 言いかけて、はたと口をつぐんだ。佐伯は以前、政府軍に味方するふりをして能力者の力を手に入れたことがある。おそらく、その時に記録された彼自身のデータは、軍だけでなくNEXTにも共有されていたのだ。


 白く頑丈な皮膚に全身を覆った科学者は、薄笑いを浮かべた。元の顔立ちは判然としないが、人種は北欧系だろう。高い鼻が特徴として残っていた。

「君のことは資料で読んだことがある。両親を殺されたことが原因で、スパイダーに対して強い憎しみを抱いているそうだね」

「それがどうかしたのか」

 素っ気なく応じた佐伯に、男は説得するように語りかけた。

「我々の計画が完遂されれば、世界からスパイダーは完全に駆逐される。君の望んでいた世界が完成するんだ。こんなに素晴らしいことはない」


 男は典型的な学者肌の人間だ。戦闘経験はないに等しい。まともにやり合えば勝ち目は薄いと踏んでか、彼は必死に続けた。両腕を広げ、やや大げさな身振りまで付けている。

「どうして我々を止めようとする? スパイダーは全滅し、人類は救われる。君の父母を食った個体も、例外なく死ぬはずだ」

 対する佐伯は、男をきっと睨みつけた。

「愚問だな。俺は、復讐のためだけにスパイダーを狩っているわけじゃない」


「ならば、何故君は戦う。何故NEXTに牙を剥く!」

 すくみ上がり後ずさる相手に、佐伯はじりじりと詰め寄った。前傾姿勢をとって右腕に力を溜め、低い唸り声を上げる。

「決まっている。人々をスパイダーの脅威から救うためだ。そして――」


 力強く床を蹴り、虎の能力者は高く跳び上がった。右の拳に落下の勢いを乗せ、渾身の一撃を繰り出さんとする。

「貴様らのやり方では、人類は救われない。俺は俺のやり方で、いつか必ずスパイダーを駆逐してみせる!」

 叩き込まれた強烈な殴打が、男の頬をとらえる。床に縫い留められるようにして異形の怪物は倒れ、ほどなくして意識を失った。



 怪人たちの相手を能力者たちに任せ、岸田はカプセル型の装置へ走り寄った。近づいてくる彼を見たユグドラシルが、ぱっと顔を輝かせる。

「待ってろよ、すぐに助けてやるからな」

 ガラスの向こうに囚われている彼女に、聞こえないと知りつつも囁きかける。装置の側へ屈んで、力技で強化ガラス製のハッチをこじ開け、ユグドラシルの華奢な身体を抱き上げた。


 ほっとしたのも束の間、数体の怪人がこちらに向かい疾駆してくる。NEXTの研究員や科学者が変化したそれは数が多く、蓮たちでも全員はさばき切れなかったようだった。

 サンプルを返せ、というような趣旨の台詞を、彼らは口々に吐いた。生憎、岸田の英語運用能力では正確な意味までは分からない。ただはっきりしているのは、異形の者たちが敵意を持って迫ってきていることだった。


 ユグドラシルを下ろしてから銃を構えて、間に合うかどうかは際どいところだ。しかし、やるしかあるまい。岸田は腹をくくり、彼女を背後に庇うようにして立った。

 そのとき、放たれた二発の銃弾が男たちを吹き飛ばした。

 対スパイダー用の弾丸は、スパイダーの特質をそなえた人間にも有効らしい。衝撃で数メートルも吹き飛ばされ、たちまち二人が気絶した。


「班長、しっかりしてや!」

 駆け寄ってきた少女のうち、一人は笑顔で岸田の横に並び立つ。

「ユグちゃん、怪我はない?」

 もう一人は、驚いて座り込んでしまった少女に優しく話しかけた。軽く目を見開き、岸田は彼女らを交互に見た。


「お前たち……」

「一人で突っ走るなんて水臭いわあ。うちら同じ班の仲間なんやし、力合わせようや」

 これまで岸田に対しては標準語を使うことの多かった森川だったが、今は普段通りの関西弁を駆使していた。長い時間を共に過ごし、心理的な距離も縮まったということか。

「さっさと片付けちゃいましょう」

 井上も隣に立ち、溌溂とした声で言った。班員たちに勇気づけられ、岸田も再び狙撃銃に手を伸ばす。


「よし。第十八班、行くぞ!」

 三人がライフルを連射し、息の合った攻撃で次々に怪人を吹き飛ばす。警備員たちを無力化し終えた、残りの討伐隊の面々もそこに加わった。

 こうして彼らは、蓮たちが討ち漏らした敵を迅速に撃破することに成功した。



「お前と戦うことになって、非常に残念だ。獅子の能力者、和泉蓮」

 ジェームズはため息を一つついた。蓮と対峙していながらも、その所作はゆったりとした優雅なものだった。油断なく身構えた蓮に、彼は言った。

「君は第一世代の中でも、特に優れたサンプルだった。手放すには少々惜しい」

 狂気を帯びた目をこちらに向け、ジェームズは出し抜けに突進してきた。その右手には、小型の注射器が握られている。中は赤い液体で満たされていた。


(何をする気だ⁉)

 反射的に後方に跳び退り、蓮は慎重に間合いを取った。貼り付けたようなにやにや笑いを顔に浮かべたまま、ジェームズは注射器を持った右手を掲げてみせた。

「この注射器の中には、ラードーンの遺伝子情報の入った液体が詰められている。一定以上の高い能力を有する能力者にこれを打てば、あれと同じ姿に変えることができる。一瞬でね」

「俺を第二のラードーンにしようってわけか」

 ふつふつと怒りが湧き上がるのを感じながら、蓮は静かに答えた。


 最初にラードーンの器として選ばれた人物は、どんなことを思っていたのだろうか。さしずめ、NEXTに都合のよい嘘を吹き込まれ、利用されたのだろう。彼らはいつだってそうだ。能力者を実験動物としてしか見ず、躊躇なく踏み台にする。蓮だって例外ではない。

 そんな科学者たちを、蓮は絶対に許せなかった。ユグドラシルを始め、大勢の能力者たちが彼らの企みのために犠牲となった。第二世代の能力者らも結局は使い捨ての手駒でしかなく、用済みと見なされれば処分された。


「察しがいいな。お前をラードーンに変えて戦況を逆転させ、この場を離脱する。NEXTの拠点は世界各国に点在しているのだし、別の拠点でまたやり直すさ。時間はかかるが、計画の核となるユグドラシルにしても、また新しい被検体を見つければ良い!」

 叫び声を上げ、ジェームズが体当たりを仕掛けてくる。横に転がった蓮に、怪人は間髪入れずに注射器を突き出してきた。体を反らせて躱し、床に片手を突く。下から蹴り上げるようにして繰り出したキックが、ジェームズの右腕に命中した。痛みに顔を歪めた彼の手から注射器が落ち、儚くも砕け散る。


 悪態を吐き、ジェームズが後退する。そこには、先ほどまでの勢いは見られなかった。最後の切り札をも封じられ、彼はいよいよ追い詰められていた。

「お前たちの行動は理解不能だ。いずれスパイダープランが破綻することは、火を見るよりも明らかなはず。だからこそそうなる前に、私たちが最善の選択肢を与えてやっているというのに!」

 悔しげに吠えた彼に負けじと、蓮も声を張り上げた。

「あんたたちは、一度でも皆の意見に耳を傾けようとしたことがあったのかよ。自分たちの勝手な理想を押しつけているだけじゃないのか」


 武器を失ったジェームズは、徒手空拳で戦うしかない。そして、純粋な格闘戦ならば蓮の得意とするところだ。金のたてがみを誇る能力者が床を蹴り飛ばし、一気に敵の懐へ潜り込む。

「人の姿を捨てて生きて、それが人間らしい生き方って言えるわけがない。いい加減に目を覚ませ。……科学は、現実を思い通りに捻じ曲げるための道具じゃない!」

 風を切り裂いて放たれたストレートパンチが、異形の怪人の頬にクリーンヒットする。ジェームズは側にあった柱に体を叩きつけられ、呻き、崩れ落ちた。


 辺りを見回すと、澤田と松木もそれぞれ一、二体の敵を無力化し終えたところだった。討伐隊の隊員らも奮闘し、NEXTの研究員らで無傷で立っている者はいなかった。

 救出されたユグドラシルを取り囲んで、皆が笑い合っている。無事で良かった、などの優しい言葉が飛び交っている。

 今の一戦で力を使い果たし、蓮は最上階の床に身を投げ出した。ああ、終わったんだ、とぼんやりと思った。今はとにかく、少し休みたかった。再度白煙に身を包み、変身を解く。


「和泉君」

 どうやら気がつかないうちに、目を閉じてまどろみかけてしまっていたらしい。重い瞼を開けると、はにかんだように微笑んだ渚が側にいた。膝を突き、覗き込むようにして蓮のことを見ている。

「……お疲れ様」

「そっちこそ」

 ふっと笑って、蓮も応じた。


 激戦の末に、NEXTの野望は阻止された。それを成し遂げた討伐隊には、また新たな未来が待っていたのだった。


この作品を書き進めるにつれて、「岸田班長をどう扱おうか?」と悩んだことがあります。


話が進み、能力者がストーリーの中心に据えられると、どうしてもその他のキャラクター描写が浅くなりがちです。

岸田は普通の人間であり、主人公たちの人間関係(恋愛含む)にそこまで関わってくるわけでもなく、いかに影を濃くするか悩みました。


解決策の一つは、中盤からの新キャラクター、岩崎さんとの距離を縮めること。そしてもう一つが、今回の大活躍です。

元々は奥さんと上手くいかなくなった設定も考えておらず、終盤でユグドラシル救出の大役を担う予定でもなかったので、彼はかなり出世したことになります。


岸田をはじめ、各キャラクターには頑張ってもらいました。あとはエピローグです。

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